恋語り

南方まいこ

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オーディンの願い

#22

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 オーディンは学園内の自分の席に着くと、窓の外を眺めた。
 何も知らなかった頃に戻れたらと、幾度目かの溜息に自分が埋もれそうになる。

――逢いたい……。

 うれいの溜息を何度も吐き、熱い胸の思いを冷ますが、直ぐに胸が息苦しくなり、想いが募って来る。
 いつ会えるのか分からない現状に、芽生えたばかりの恋心は過熱するばかりで、この想いが消えてなくなる日が来るとは思えなかった。
 世の中では当たり前のように溢れている恋愛や情事に、煩わしさを感じることはあっても、羨ましいと思ったことは無かったが、実際に自分が恋をしてみるとよく分かる、馬鹿みたいに相手のことばかり考えてしまい、途端に何も手に付かなくなる。

 オーディンは会えないシャールを思い浮かべ、ふとガイルの世話になるきっかけになった日の事を思い出した。
 あの日が無ければ、シャールに出会ってなかったのだから、今となっては、感謝するような出来事だった――――。


 毎年のように行われる兄の盛大な誕生日パーティー。
 他国の重要人物なども参加していたが、オーディンは簡単に要人達への挨拶を済ませると「失礼します」と人混みを避けるためバルコニーへと足を滑らせた。
 その瞬間、間髪入れずに挨拶が飛んで来る。

「ガイル・ヴァンダーレン・アデラが、オーディン殿下へご挨拶を申し上げます」
「ああ、公爵……、お久しぶりです」

 物静かに近付いてくる男に挨拶を交わした。

「殿下は、少し痩せられましたか?」
「ですか? 変わらないと思いますが……」

 痩せたのは毒が入った食事ばかり運ばれてくるからだ、と思わず本音を漏らしそうになるが、それを伝えた所で困らせるだけだと分かっているだけに、変わらないと答えるしか無かった。
 ガイルは「そういえば……」と、ゆっくりと口を動かすと。 

「騎士を目指されると、陛下よりお聞きしましたが?」
「ええ、出来れば貴方の様になりたいです」

 戦場の黒き天使の異名を持つガイルは、普段はとても穏やかな人物だが、この男が戦場に立てば、黒煙と共に、辺りは死体で溢れ、剣の届く間合いに近付けば、味方でも容赦なく首をねると聞く。
 そして二つ名の通り、黒き天使の異名は、痛みを感じる間を与えない幸福と呼べる死を与えてくれるからだと言う。
 現役を退いたとは言え、我が国の英雄と呼ばれる男を目の前に、敬意を表さない理由は無いし、自分も騎士になり、戦場で気高く身を散らせた方が、名誉を称えられるかも知れない。

――死んでから……もらう名誉か……。

 何だかおかしくなりオーディンは自然と笑みが零れる。
 こちらの様子を見ていたガイルは、静かに眉の端を少し上げると。

「来年には隣国の王女と婚姻が結ばれるとお聞きしておりますし、騎士や剣士など目指す必要は無いのでは?」
「ええ、……ですが、断られることも視野に入れて置くべきですから、騎士として身を置くのも、ひとつの選択です」

 彼は口元を緩め「それは賢明な判断ですね」と微笑んだ。
 そのままガイルと当り障りのない会話をしている最中、ひとつ離れたバルコニーが騒がしいことに気が付き、二人で顔を見合わせた。

「隣のバルコニーですね、私が見て参ります」

 ガイルが見て来ると言うのを聞き、オーディンも一緒に行くことにした。
 一旦会場へ戻り、隣のバルコニーへ向かえば、何処かの令息と令嬢が揉めている最中だった。
 ドレスの裾がワインで汚れており、粗相した令息が謝罪をしたが、その謝罪が気に入らなかったとか、実にくだらない理由でもめていたので、オーディンは少々うんざりした。
 けれど令嬢は兄の妃候補の一人、それなりに名のある伯爵家の娘だったこともあり、自分が間を取り持っていると、その騒ぎを聞きつけた兄のサイファが、目をすがめながら近付いて来る。

「オーディン、一体何事かな?」
「はい、令嬢のドレスが汚れてしまったようです」
「なるほど、……ご令嬢には新しいドレスを用意してあげて」
「……俺がですか?」
「他に誰がいるんだ?」

 その言葉に呆れて言葉も出なかった。
 サイファの妃候補だと言うのに、弟に尻拭いをさせれば、令嬢に興味がないと言っているような物だ。
 実際、兄のサイファから見てどうでもいい相手なのだろう、もちろん自分も誰かを愛して結婚するとは思っていないし、政治絡みでの婚姻を結ぶことはあっても、心から婚姻を願うことは無いだろう。
 仕方なく令嬢をドレスルームへ案内したが、はかられたと気が付いた時は遅かった。

「殿下には申し訳ありませんが……」

 そう言葉を溢すと同時に、令嬢にドレスルームへ引っ張り込まれた。
 もちろん慌てて令嬢を突き飛ばし、部屋を出たが、入り口付近でこと経緯けいいを見ていた使用人達から話が広がり、正妃の耳へ入った。
 当然のように令嬢は「殿下に辱めを受けるところでした」と証言し、オーディンは謹慎を言い渡された。

「しばらくイージス宮殿で反省しなさい」

 言い渡された内容は特に問題は無いが、イージス宮殿は、宮殿と呼ぶにはさびれた建物で、数十年以上手入れもされていない宮殿だった。
 当たり前だが、召使いなども付かないし、食事も入浴も自分で支度しなければいけない、ただ、気は楽だと思った。
 ところが、その話を聞いたガイルが「謹慎と言うなら我が屋敷でも構わないでしょう」と言ってくれた。
 戦争が起きる度に、我が国に勝利をもたらしたガイルの申し出は、正妃ですら突っぱねることは出来ず、苦い顔をしながら承諾する顔は、なかなか見物だった――――。


 その翌日。

「オーディン殿下、この屋敷にいる間は名前で呼びますし、話し方も堅苦しいのは省かせてもらいます」
「もちろんです」
「それではオーディン、我が屋敷にようこそ」

 そう言って案内された公爵家は、暖かな空間だった。
 使用人も含め、自分の身を蹴落とそうなどと考える者もいなければ、毒入りのスープに悩むことも無い、こんな穏やかな空気はいつ以来だろう、と久々に肩の力が抜けた。
 ふとエントランスに一人の男性が目に入るが、簡単に名前を「レオニードです」と告げると、素っ気なく目の前から消えた。
 くすりと笑いながら、隣にいたガイルが彼の情報をくれた。

「彼はベルハルト伯爵家フレイ・アンドレセンの息子ですよ」
「え……」

 オーディンは驚き目をしばたたく。

「亡くなったベルハルト伯爵の……」

 オーディンも会うのは子供の頃以来だったこともあり、言われるまで気が付かなかった。
 それもそのはずで、彼は成長するにつれて表舞台に立たなくなったからだ。
 隠密に行動する部隊に配属されれば、その姿を確認するのは難しいとまでされているし、ガイルの指示の元であれば、その任務もかなり厳しい物を言い渡されていただろう。
 どちらにしても、最初の挨拶から感じたように、彼も煩わしいことは嫌いなのだろうとオーディンは察した。

 公爵家で数日が過ぎた頃、朝食時間に一通の手紙が届いた。
 その手紙を見るとガイルは慌てた様子を見せ、屋敷内にある部屋を整えるよう召使いに指示を出した。
 ガイルは神妙な面持ちで、こちらへ視線を向けると、話があると言い、言葉を続ける。
 森に親戚がいて今まで祖父と孫の二人で生活していたが、その祖父が他界し、少年が一人で生活していると教えてくれる、ガイルは心の底から心配した表情で、少年一人で生きて行くのは大変なので引き取りに行くと言った。

「世間を知らない子だからオーディンも接し難いかもしれないが、良ければ色々教えてやって欲しい」
「分かりました」

 こちらの返事にガイルは安堵したのか、肩をぐっと落とし、ほっとした表情をしていた。

――森暮らし…か。

 それなら、あまり街の暮らしに関しても疎いだろう。
 色々と教えてあげられることも多そうだと、少しだけ楽しみだった。



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