ことり先生、キュンするのはお尻じゃなくて胸ですよ!-官能小説投稿おじさんと少女小説オタクの私が胸キュン小説を作ります!-

髙 文緒

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37話 キュンとするってなんだろう

 長編賞の公募締切まで残り一ヶ月近くになったところで、内容的にはプロットの半分まで進んでいた。
 私はプライベートの時間をすべて使う気持ちで、次々と上がってくることりさんの文章を確認する。
 私の状況もかなりオーバーワークではあるが、ことりさんも大変なのではないだろうか。休みなく、連日上がってくる文章を目で追いながら思う。ちなみに今は入浴中だ。
 昼間のオフィスの冷房で芯まで冷えた体を温めるために、湯船につかるのが習慣になっていた。帰宅してソファに転がりたくなる気持ちを抑えて、まずはお風呂にぬるいお湯をはる。それだけで寝落ち防止になる。
 入浴中も時間は無駄にしない。ジップロックに入れたプライベートのスマートフォンで、ことりさんから共有されたファイルを確認する。
 ことりさんは毎日深夜にファイル更新の連絡があるので、私はそれを朝と帰りの電車、それから帰宅後の入浴タイムに読んでいるのだ。

「って、これ、赤入れた方がいいっぽいな……」

 ある一つの表現にぶち当たって、私はその場でメッセージアプリを起動する。作成したメッセージはこうだ。

『四章で聖歌せいかちゃんがキュンするところですが、お尻の穴がキュンしています。女の子はときめいてもお尻の穴はキュンしないかと思われますので、ご確認をお願いいたします』

 ……そう、内容の矛盾や単純なミス以外に、気を抜くとお尻の穴を描写してしまうことりさんに修正の検討をお願いしなくてはいけないのだ。
 返信はすぐに返ってきた。
 曰く、『ぼうっとして間違えました』とのことだ。
 胸が切なくなるとか、そういった表現に直したいということだった。

『ところで』

 とことりさんのメッセージが続く。事務的なやりとりの最中に、ことりさんから話を振ってくるのは珍しかった。

『人体の構造的にまだお尻の方がキュンとしそうだと、僕はいつも思うんですよね』

 一瞬頭がくらりとして気が遠くなったのは、別に湯あたりしたからではないだろう。だって寒さを感じないギリギリのラインのぬるま湯にしているから。
 この人、なにを言っているんだ? 疲れてるの?
 ことりさんのメッセージはさらに続く。
 
『胸がキュンとするという表現があるのは分かりますが、どこがどうなるのか、身体感覚として実感が湧かないんですよね』
『鹿ノ子さんには分かりますか?』

 う、うーん。そう言われると私もよく分かっていない気がする。私は恋愛というものをしてこなかった。
 幼稚園生のころに初恋はしたけれど、それは周りで、誰が好きか言い合うゲームが流行ったから好きになろうと決めただけの男の子だったし。
 物語のなかのかっこいい男の子にはドキドキしたことがあるから、その時のことを思い出して、返信を考えてみた。
 
『キュンというよりは、心臓が早くなる体感はあります。でもそれだとドキドキなんですよね。キュンのイメージはドキドキよりも手前にあって、恋に完全に落ちた時より、落ちそう! なときに胸が苦しくなるとかかなあ』

 長文を返して、湯船から上がってお湯を抜いた。
 この話が続くとしたら、パジャマに着替えて落ち着いた状態で話題にあたったほうが良いからだ。
 タオルで体と髪を拭いて、着替えている間に、ぽこん、と短いメッセージが送られてきているのを確認する。メッセージは一件で終了したので、もしかしたら、返信待ちをさせてしまっているかもしれない。
 髪を乾かすのも、化粧水をつけるのも後回しにして、ひとまずメッセージを確認した。

『鹿ノ子さんが詳しくてたすかりました』

 その一言だ。どことなく、素っ気なさを感じさせる。別に、愛想の良い方の人ではないけれど。

『たいした答えが出せなくてすみません。とりあえず、お尻は修正をおねがいします』

 そう返すと、その夜のやりとりはそこで終わった。正確には、私はまだ続くものと思っていたのだが、ことりさんからの返信が無かったのだ。
 返信を待つ間に社用スマホの方をチェックしたり、歯を磨いてみたり、水を飲んでみたり、と寝る時間を出来るだけ引き伸ばしてみたところ、私は濡れ髪のまま床で寝ていた。
 
 *

「はよー鹿ノ子ちゃん! って今日は髪の毛まとめてるの? 珍しいね、イメチェン?」

 例によってギリギリ出社の高野先輩がデスクについたところに、朝一確認の書類を持って駆けつけたところ、先輩はめざとく、お団子にまとめた私の髪型について指摘した。
 私はどうしても浮いて短い毛を手のひらで抑えながら、理由を説明する。

「昨日、髪乾かさないまま寝ちゃって、起きたらボサボサだったんですよぅ」

「えー! 風邪引かないようにね、今けっこう鹿ノ子ちゃん無理してるでしょ。若さで乗り切るにも限界あるよー」

 そう言いながら、先輩は素早くPCのパスワードを打ち込んで、始業一分前に打刻を完了する。
 といっても、高野先輩はサボっているわけではなくて、むしろ打刻の前も後も仕事をし続けているのは知っていた。昨夜も今朝も、ずっと業務メールのやりとりの履歴がある。
 青汁豆乳とトマトジュースの紙パックが並ぶ先輩のデスクの端に、テーマパークで撮ったらしい男性とのツーショット写真が置かれているのを見ながら、私はたずねた。
 
「そうなんですよねえ。……ちなみに、高野先輩って胸がキュンとしたことあります? 胸ってキュンしますか? 身体的にそういう感覚あります?」

「どしたの急に。胸がキュン! はあるよ。いっぱいあるよ。アタシ惚れっぽい方だから、不意打ちにかっこいい所とか、可愛い所とか見せられるとキュンしちゃうかなあ。胸がキュン。あれはキュンとしか言いようが無いよ」

「そうかあ、先輩はあるんですねえ」

 現実にそういう体感がある人の方が、有益アドバイスが出来るのかもしれないな、と言うのは、昨日のことりさんとのやりとりからずっと考えていることだった。
 
「なにか、私もデートとかした方が良いんですかねえ」

「お、なに、恋活? するなら仕事に理解ある人がいいかもねー。鹿ノ子ちゃん、そのへん不器用そうだから」

 ま、焦ることはないと思うけど。と付け加えた先輩が、やっと私から書類を受け取った。
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