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51話 サクラサク

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 星の友社が入っているのは某財閥系列の不動産会社所有の高層ビルだ。
 ビルの一階には、外資系チェーンのカフェが入っている。その中で、私とことりさんは向かい合って座っていた。
 ことりさんの前には、カフェのお姉さんに勧められるままに選んでいた新作の桜フラペチーノがある。私はホットのブレンドコーヒーだけで済ませている。
 フラペチーノに惹かれないでもなかったけれど、領収書をもらうのに、フラペチーノ二杯分とバレバレの金額になるのは避けたい。新人的に。
 
「喫煙ブースがないカフェですみません。ビル内のカフェで堂々と打ち合わせするのが、夢だったもので……!」

 飲み物なのかスイーツなのか分からない、クリームたっぷりフラペチーノにストローを突き刺して苦戦していることりさんにそう話しかける。
 
「それは良いんですけど、葉山さんに怒られないかな……フラペチーノ」

「打ち合わせですから何でも頼んでください。それに編集長は一時間ほど遅れますので、最後に挨拶をするくらいになると思います。初の顔合わせなのに、ご足労の上、時間がとれなくてすみません、と申していました」

「いえそんな、僕の方こそ、散々ご迷惑をかけたのに、編集長特別賞なんて素晴らしい賞を頂いたんですから」

「ふふ、それ、編集長に直接おっしゃってください。氷の美女の氷も春の陽気で溶けているかもしれませんし」

 編集長と私のメイン・サブ体制は意外にうまく行っていて、忙しい編集長に代わり細かな連絡役は私が担当するという役割分担が自然にできていた。しかも私が、と担当する、の間にカッコ書きで 喜んで と付くくらいなのだ。

「というわけで、じゃん! 長編賞の結果発表がされている『リリン』夏号の献本を行います! どうぞ」

「拝受します」

 背中を丸めるようにして頭を下げたことりさんが、証書の授与みたいにして両手で『リリン』を受け取る。
 編集長のデスクの前で、二人で原稿を持ったときの姿勢を思い出して、なんだか感慨深い。あのとき死守した作品が、結果を出した。リリンに夜野ことりの名前が載っている。

「正式に担当者として顔合わせできて嬉しいです。改めて、よろしくお願いいたします。ということで、ことりさん。じゃなかった、ことり先生!」

「あ、はい」

 リリンのページをめくり始めていたことりさんが、手を止めて顔を上げる。

「先生はすでに受賞者ですので、短編賞に出していただいていた、帆船乗りの少女の話は選外になっています。ただ、拝読したところこちらもとても魅力的ですので、並行して企画を進めてくださいね。受賞作は特別賞ですので、絶対にリリン文庫から書籍化とは現時点では言えませんが、会議にかけられるくらいブラッシュアップもしていきます。……というのは、もう編集長からのメールでお伝え済みですけれど、とにかくガンガンやっていきましょう、という事を伝えるための顔合わせです」

 一息に言ってにっこりと笑って見せると、ことりさんは呆けたような顔になった。それから、急いでスマートフォンを取り出して、スケジュールを確認し始めた。
 直接釘を刺されて、ようやく、これから鬼のように忙しくなるということが分かったのだろう。ディーラーとしての仕事との調整もあるし、それに、彼は長編を書けるようになったのだ。
 ポポンの方にも出したくなるのが当然である。そしてそれは、ことり先生の自由である。

 だがしかし、リリンの人間としては、ことり先生にリリンのための話をまた書いて欲しいというもの。編集長だって、先を期待しなければ几帳な受賞枠を彼に使っていない。

「え、と。ポポンの方の官能小説新人賞が、」

「今年の九月末日締め切りですね。長編を書けるようになったんですから、ぜひ挑戦してください。でも、ことり先生がたーくさん、アイデアを持っているのは以前拝見したメモで知っていますから。お待ちしておりますよ。あ、遠慮せずに、フラペチーノ飲んでください。クリームが溶けちゃいますよ」

 そう言って私は、またもにこっと笑いかけてみるのだった。

「はは……そうですね」

 呟いたことり先生が、不器用にフラペチーノをすする。上手く吸えないのか、変な顔をして、下から上へとかき混ぜて、また口をつける。やっぱり上手く吸えないらしく、ずず、という音だけが響くものの、ことり先生は首をかしげながらまたストローでかき混ぜる作業に入る。
 お姉さんに勧められて、飲み方の分からないものを頼むからだ。

「ことり先生、押しに弱すぎますよ。そんなことじゃ、私とか編集長にどんどこ書かされますよ。ほら」

 そう言って、私は自分の分のコーヒーと、ことりさんのフラペチーノを交換する。

「いいですか、コツはこれです」

 カウンターで貰ってきておいたスプーンを颯爽と取り出すと、私は崩された上層のクリームをすくって口に入れる。
 
「僕にスプーンくれたら良かったじゃないですか!」

「聞かれたら教えましたけど、聞かれなかったので。私はひよっこですから、フラペチーノの食べ方くらいしか分かりません。編集長はたくさんのことを知っていますが、忙しいから、きっと聞かれないと教えられない」

 もう一口、クリームを口に運ぶ。
 ことり先生はそれを見ながら、冷めかけたコーヒーに口をつけた。

「つまり、僕からも積極的に動いてほしいということですね」

「私も勉強中の身ですから、毎日よく分からないフラペチーノとたたかっている感じです。なにしろ、伸びしろだけの人間なので。だからこそ」

 そこで、私は紙ナプキンの上にスプーンを置いた。

「だからこそ、一緒に成長して、夢を育てていけると思います。これからも伴走させてくださいね」

 通りに面したガラスの壁越しに、春の風に舞うピンク色の花びらが見える。
 夢を乗せて、これから始まるのだ。
 サクラサク私たちの物語が。
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