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つちうるおうてむしあつし
第23話 背中にサイン
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布団のうえに座って、あたし達は向かい合っていた。
網戸もない窓を開けて、焼け石にぬるま湯という感じの風を入れる。
蝉《せみ》の声が、ささくれた畳のうえに突き刺さるみたいにして入ってくる。
「……状況証拠から言ってもさ、マキ論は完全にクロじゃない? メンバーのこと言ってごめんだけど」
目を合わせていられなくて、くたびれた布団に視線を落とす。
「それは、そうだろうね」
そう答えたアッキちゃんが、布団の上であたしの手を握った。
ここまではまだ、アッキちゃんも想定の範囲内だろう。でも、これから続ける言葉は、ショックを与えてしまうかもしれない。
「まだ引っかかってることがあるんだけど、言っていい? 多分、アッキちゃんを傷つけることなんだけど」
あたしの手をつかむアッキちゃんの指から、力が抜ける。
迷うみたいにして、あたしの手の甲を爪の先で軽くくすぐる。
「マキ論はあまりにもわかりやすすぎる。彼女がセーマン派なのはまず疑いようがないけど、マキ論以外にもきっと居るんだよ、セーマン派の人間が」
「それが誰かわかってるみたいな言い方だね」
「念のために確認するから、答えてね。アッキちゃんの部屋をもともと知っていたのは、あたし以外に誰?」
「ええと、桃娘は、まえにストーカー被害があった時にうちに泊めてあげたことある。結構ガチのやつなんだけど、もえがSin-sにハマる前だから知らないかもしれない。あとは#name#も、代表だから知ってる。ていうかあたしの部屋探して、保証人になってくれたのも彼女」
「ほかには?」
「知らないよ。戴天は同じ駅だってのは知ってるけど。それだけだね。だからよく遊びに行ってた、……って、変な顔しないでよ。いちいち嫉妬してたら話進まないでしょ!」
「ごめんごめん、勝手に顔に出ちゃうんだって」
変な沈黙が、ふたりの間を通りすぎて行った。
気がつくと、窓の外の空が陰《かげ》っている。
開いた窓から、普通の小さな白い蛾が迷い込んできた。
蝉《せみ》の声で、あるはずの蛾の羽音はかき消されて聞こえない。
「――ちなみに、これは嫉妬からじゃないんだけど、戴天はアッキちゃんの部屋知りたがったりした?」
ああ、話が核心に近づいてしまう。あたしの緊張はきっと、ゆるく繋がった手から伝わってしまう。
これからする話で、アッキちゃんはきっと傷つく。
「ふふ、ほんとに嫉妬じゃないの? 戴天はあのとおりなにもやる気ない子だから、一回断ったら『あ、そう』って感じだよ。桃娘《タオニャン》はどうかな、あの子、グループから離れたがってるところあったから、そもそもそんなにメンバーと仲良くないよ。この前の新月の大潮の日にあたしの家に物資を届けに来てくれたのも、借りを返さないとっていう気持ちで来てくれたんだと思う。真面目だから、あの子」
なるほど……。
「スタッフはどうなの?」
スタッフまで疑いの目を広げるとキリがないけど、出来ればあたしの仮説は外れて欲しいって気持ちでたずねた。
「スタッフはもちろん部屋なんか知らないよ。#name#以外の運営は入れ替わり激しいから。運営はほとんどあの子が全部やってる」
「そっか……、入れ替わりが激しいならスタッフは無関係の線が濃い、かな。そうなると、あたしは、これから嫌な推測を言わないといけない。ポッと現れたあたしが、アッキちゃんの大切な人を、疑うようなことを言うかもしれない……そうなってもあたしを、嫌わないでくれる?」
アッキちゃんが、ゆっくりと頷《うなず》いた。あたしの手の甲をくすぐっていた爪が、手首の内側を引っかく。
細い骨と太い血管、あとなんか……筋? よくわからないけど急所に触れられているっていうのは、ドキドキする。
「試すようなことを言ってごめんね。でも、嫌われたくないから」
「試し行為はあたしの特権だと思ってた」
ふふ、と笑ったアッキちゃんが肩をすくめる。
それから、あたしの言葉の先をうながすような目線を送ってきた。
喉が渇いていた。
唾を飲み下す。唇をなめて、しおれていた唇を潤わせる。
「じゃ、もう一回整理するね」
そこまで言ったときだった。
部屋の扉が軋んだ音をたてて開いた。
音とほぼ同時に、部屋の電気がついて、あたし達は眩しさに目を細める。
「ただいま~! あ、彼女ちゃん起きてる! 大丈夫?」
お人形みたいな栗色の髪が、毛先まで栄養たっぷりという感じで揺れる。
垂れ気味の丸い目に、存在感のほとんどない小さな鼻。ぽってりした唇は苺みたいな色に染まっている。
そんなザ・男ウケ、戴天が部屋の入り口に居た。
「え、あ、え?」
口をパクパクさせているあたしを見て小さく笑うと、戴天は玄関を入ってすぐのところに買い物袋を放った。
「ごめん、もえ。一人で運べなくて、リリィのババアも店は抜けらんないから、戴天に手伝ってもらった」
「そうそう。ちょうど近くで彼氏とカラオケしてたところなんだ。まだ時間40分は残ってたけど、アッキが困ってるならなんでもないよー」
「救急車を呼ぶって発想はなかったんですね」
運んでもらっておいて、われながら失礼な返しだと思う。
戴天は気分を害したようすもなく、ビニール袋をがさがさとかき回してスポーツ飲料を取り出してこちらに転がしてきた。
ボトルについた水滴が畳《たたみ》を濡らしていく。
「今思うとおかしいよねー。でもアッキは、運ばなきゃ運ばなきゃしか言わないし、私も焦ってたのかも。普通に考えたら救急車だよね」
布団の縁《ふち》にペットボトルが到達して止まったところで、戴天は手振りであたしにそれを飲むように勧めた。
念のため、キャップが未開封であることを確認して、あたしはドリンクに口をつけた。
「で、なんの話してたの? 布団の上で向かい合っちゃって。もしかして、お邪魔?」
「そんなことな、」
「そうなんですよ~。戴天ちゃん来るって知らなかったから、ちょっといい雰囲気になっちゃってました!」
否定しようとするアッキちゃんの言葉に割り込んで答える。
いかにもこれからイチャイチャしようとしていました、って感じでアッキちゃんに抱きついた。
「ちょ、もえ、どしたの?」
「なに照れてんの~? あたし達が仲良しなのは、戴天ちゃんも知ってるみたいだしいいじゃん」
そう言いながら、そっと、アッキちゃんの背中に指でサインを描く。
気づいて。
話をあわせて。
アッキちゃんの瞳が揺れる。
冷たい指先であたしの膝にふれたのは、きっと了解の合図だろう。
サインが伝わったのだ。
「……ごめん戴天、そういうわけで、もえも大丈夫そうだし、帰ってもらって大丈夫だよ」
「ええー! こっちは彼氏置いてきてんのにこの扱い? ま、いいけど。じゃあね、仲良くね~」
口では不平を言いながらも、戴天は意外なほどあっさりと引いた。
手を振って去る彼女の後を追うようにして、どこから入ったのだろう、赤い蝶がドアの隙間から出ていくのが見えた。
しいんとした部屋に、バチバチと嫌な音が響く。
見上げると、先程窓から入ってきていた白い小さな蛾が、部屋の電球に羽根をぶつけつづけていた。
落ちてきたらいやだなあと思って顎を上げたままでいると、顎のうらを、ツー、となぞる指がある。
「ふふ、くすぐったい、アッキちゃん」
「だって、さっきのあれ、何よ。なんで背中に……五芒星マークなんか書いたの?」
腕の中のアッキちゃんが、上目遣いに睨んでたずねてくる。
赤い瞳がゆらゆらとゆらめいていて、夕日をうけた海面みたいだ。
心細げなアッキちゃんは、かわいい。
「ねえ、戴天って、アッキちゃんのこの格好を見たときに何か言った?」
白い、絹糸みたいな髪をなでる。まぶたに口づける。
ウィッグと黒コンで隠していない素のアッキちゃんを、戴天は初めて見たはずなのだ。
「どうだっけ、焦ってて、覚えてない……いつものウィッグも黒コンもしていないこと、あたし自身いままで忘れてたから」
「それがさっきの話の続きで、答えだと思うけどね」
あたしがそう言うと、アッキちゃんはよく分からないという顔をする。
バチン! と弾《はじ》かれたような音がした。
白い小さな蛾が濡れた畳の上に落下していくのが見えた。
網戸もない窓を開けて、焼け石にぬるま湯という感じの風を入れる。
蝉《せみ》の声が、ささくれた畳のうえに突き刺さるみたいにして入ってくる。
「……状況証拠から言ってもさ、マキ論は完全にクロじゃない? メンバーのこと言ってごめんだけど」
目を合わせていられなくて、くたびれた布団に視線を落とす。
「それは、そうだろうね」
そう答えたアッキちゃんが、布団の上であたしの手を握った。
ここまではまだ、アッキちゃんも想定の範囲内だろう。でも、これから続ける言葉は、ショックを与えてしまうかもしれない。
「まだ引っかかってることがあるんだけど、言っていい? 多分、アッキちゃんを傷つけることなんだけど」
あたしの手をつかむアッキちゃんの指から、力が抜ける。
迷うみたいにして、あたしの手の甲を爪の先で軽くくすぐる。
「マキ論はあまりにもわかりやすすぎる。彼女がセーマン派なのはまず疑いようがないけど、マキ論以外にもきっと居るんだよ、セーマン派の人間が」
「それが誰かわかってるみたいな言い方だね」
「念のために確認するから、答えてね。アッキちゃんの部屋をもともと知っていたのは、あたし以外に誰?」
「ええと、桃娘は、まえにストーカー被害があった時にうちに泊めてあげたことある。結構ガチのやつなんだけど、もえがSin-sにハマる前だから知らないかもしれない。あとは#name#も、代表だから知ってる。ていうかあたしの部屋探して、保証人になってくれたのも彼女」
「ほかには?」
「知らないよ。戴天は同じ駅だってのは知ってるけど。それだけだね。だからよく遊びに行ってた、……って、変な顔しないでよ。いちいち嫉妬してたら話進まないでしょ!」
「ごめんごめん、勝手に顔に出ちゃうんだって」
変な沈黙が、ふたりの間を通りすぎて行った。
気がつくと、窓の外の空が陰《かげ》っている。
開いた窓から、普通の小さな白い蛾が迷い込んできた。
蝉《せみ》の声で、あるはずの蛾の羽音はかき消されて聞こえない。
「――ちなみに、これは嫉妬からじゃないんだけど、戴天はアッキちゃんの部屋知りたがったりした?」
ああ、話が核心に近づいてしまう。あたしの緊張はきっと、ゆるく繋がった手から伝わってしまう。
これからする話で、アッキちゃんはきっと傷つく。
「ふふ、ほんとに嫉妬じゃないの? 戴天はあのとおりなにもやる気ない子だから、一回断ったら『あ、そう』って感じだよ。桃娘《タオニャン》はどうかな、あの子、グループから離れたがってるところあったから、そもそもそんなにメンバーと仲良くないよ。この前の新月の大潮の日にあたしの家に物資を届けに来てくれたのも、借りを返さないとっていう気持ちで来てくれたんだと思う。真面目だから、あの子」
なるほど……。
「スタッフはどうなの?」
スタッフまで疑いの目を広げるとキリがないけど、出来ればあたしの仮説は外れて欲しいって気持ちでたずねた。
「スタッフはもちろん部屋なんか知らないよ。#name#以外の運営は入れ替わり激しいから。運営はほとんどあの子が全部やってる」
「そっか……、入れ替わりが激しいならスタッフは無関係の線が濃い、かな。そうなると、あたしは、これから嫌な推測を言わないといけない。ポッと現れたあたしが、アッキちゃんの大切な人を、疑うようなことを言うかもしれない……そうなってもあたしを、嫌わないでくれる?」
アッキちゃんが、ゆっくりと頷《うなず》いた。あたしの手の甲をくすぐっていた爪が、手首の内側を引っかく。
細い骨と太い血管、あとなんか……筋? よくわからないけど急所に触れられているっていうのは、ドキドキする。
「試すようなことを言ってごめんね。でも、嫌われたくないから」
「試し行為はあたしの特権だと思ってた」
ふふ、と笑ったアッキちゃんが肩をすくめる。
それから、あたしの言葉の先をうながすような目線を送ってきた。
喉が渇いていた。
唾を飲み下す。唇をなめて、しおれていた唇を潤わせる。
「じゃ、もう一回整理するね」
そこまで言ったときだった。
部屋の扉が軋んだ音をたてて開いた。
音とほぼ同時に、部屋の電気がついて、あたし達は眩しさに目を細める。
「ただいま~! あ、彼女ちゃん起きてる! 大丈夫?」
お人形みたいな栗色の髪が、毛先まで栄養たっぷりという感じで揺れる。
垂れ気味の丸い目に、存在感のほとんどない小さな鼻。ぽってりした唇は苺みたいな色に染まっている。
そんなザ・男ウケ、戴天が部屋の入り口に居た。
「え、あ、え?」
口をパクパクさせているあたしを見て小さく笑うと、戴天は玄関を入ってすぐのところに買い物袋を放った。
「ごめん、もえ。一人で運べなくて、リリィのババアも店は抜けらんないから、戴天に手伝ってもらった」
「そうそう。ちょうど近くで彼氏とカラオケしてたところなんだ。まだ時間40分は残ってたけど、アッキが困ってるならなんでもないよー」
「救急車を呼ぶって発想はなかったんですね」
運んでもらっておいて、われながら失礼な返しだと思う。
戴天は気分を害したようすもなく、ビニール袋をがさがさとかき回してスポーツ飲料を取り出してこちらに転がしてきた。
ボトルについた水滴が畳《たたみ》を濡らしていく。
「今思うとおかしいよねー。でもアッキは、運ばなきゃ運ばなきゃしか言わないし、私も焦ってたのかも。普通に考えたら救急車だよね」
布団の縁《ふち》にペットボトルが到達して止まったところで、戴天は手振りであたしにそれを飲むように勧めた。
念のため、キャップが未開封であることを確認して、あたしはドリンクに口をつけた。
「で、なんの話してたの? 布団の上で向かい合っちゃって。もしかして、お邪魔?」
「そんなことな、」
「そうなんですよ~。戴天ちゃん来るって知らなかったから、ちょっといい雰囲気になっちゃってました!」
否定しようとするアッキちゃんの言葉に割り込んで答える。
いかにもこれからイチャイチャしようとしていました、って感じでアッキちゃんに抱きついた。
「ちょ、もえ、どしたの?」
「なに照れてんの~? あたし達が仲良しなのは、戴天ちゃんも知ってるみたいだしいいじゃん」
そう言いながら、そっと、アッキちゃんの背中に指でサインを描く。
気づいて。
話をあわせて。
アッキちゃんの瞳が揺れる。
冷たい指先であたしの膝にふれたのは、きっと了解の合図だろう。
サインが伝わったのだ。
「……ごめん戴天、そういうわけで、もえも大丈夫そうだし、帰ってもらって大丈夫だよ」
「ええー! こっちは彼氏置いてきてんのにこの扱い? ま、いいけど。じゃあね、仲良くね~」
口では不平を言いながらも、戴天は意外なほどあっさりと引いた。
手を振って去る彼女の後を追うようにして、どこから入ったのだろう、赤い蝶がドアの隙間から出ていくのが見えた。
しいんとした部屋に、バチバチと嫌な音が響く。
見上げると、先程窓から入ってきていた白い小さな蛾が、部屋の電球に羽根をぶつけつづけていた。
落ちてきたらいやだなあと思って顎を上げたままでいると、顎のうらを、ツー、となぞる指がある。
「ふふ、くすぐったい、アッキちゃん」
「だって、さっきのあれ、何よ。なんで背中に……五芒星マークなんか書いたの?」
腕の中のアッキちゃんが、上目遣いに睨んでたずねてくる。
赤い瞳がゆらゆらとゆらめいていて、夕日をうけた海面みたいだ。
心細げなアッキちゃんは、かわいい。
「ねえ、戴天って、アッキちゃんのこの格好を見たときに何か言った?」
白い、絹糸みたいな髪をなでる。まぶたに口づける。
ウィッグと黒コンで隠していない素のアッキちゃんを、戴天は初めて見たはずなのだ。
「どうだっけ、焦ってて、覚えてない……いつものウィッグも黒コンもしていないこと、あたし自身いままで忘れてたから」
「それがさっきの話の続きで、答えだと思うけどね」
あたしがそう言うと、アッキちゃんはよく分からないという顔をする。
バチン! と弾《はじ》かれたような音がした。
白い小さな蛾が濡れた畳の上に落下していくのが見えた。
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