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しおりを挟む真美は初めての女だった。五つ年下だった。だから、今は二十七歳だ。俺は三十二歳まで女を知らなかった。女を知りたいと思わなかった、というと間違いだ。知りたかったに決まってる。もし同性愛者じゃなかったら、女の体をまさぐりたい、揉みしだきたい、吸って挿入して腰を振りたいと思うのが当たり前のことだ。違うか? まあいい。
真美は俺が女の経験もなく三十歳を過ぎて、すでに二年ほど経過しているということを知ると、思い切り笑った。真美は下の歯が乱杭歯で、上の歯はあちこち隙間ができていた。そして全体的に黄ばんでいた。ほとんど毎日、歯を磨いていないのだ。
でも顔と体だけはすばらしかった。俺の個人的な好みとかそういうことではなくて、自他ともに認めるすばらしさだった。だから真美が道を歩いてると、ありとあらゆる男たちが彼女の姿を目で追う。真美はそういう視線が嫌いではないから、わざと短いスカートを穿いたり、ピチピチのデニムを穿いたりして、脚線美を誇示する。実際、かぶりつきたくなるような尻と脚なのだ。
ただ、口を閉じていれば、という条件つきのすばらしさだった。真美はとにかく口が悪かった。なまじ読書をするものだから、言葉をよく知っているのがやっかいだった。込み入った言い回しをするのだ。ストレートな「アホ」とか「馬鹿」とか「死ね」とか「だるい」みたいなことしか言わない、ボキャブラリーの貧困な女だったらいいのだが、人を罵るときはいろんな言葉を駆使してくるので、腹が立ってしょうがない。
真美は俺だけではなく、誰に対しても同じ態度だから、当然友達は少なかった。というか、一人もいないんじゃないか? 俺は真美の友達というのに会ったことがない。真美の口から「ともだち」という単語を聞いたことすらない。
真美には年老いた母親が一人いるが、父親は離婚したあと姿を消してそのまま十年以上会っていないらしい。唯一の家族である母親とは折り合いが悪くて、というか憎しみ合っていて、十七で実家を出てからは一度も会っていないし、地元には帰っていなかった。
それまでどうやって生活していたのかといえば、街を徘徊していたのだ。さっきも言ったが、真美はただ歩いているだけで男の視線を引きつけるから、一人でいれば声をかけてくる奴が少なくなかった。そういう奴らとホテルにしけこんだり、家に転がり込んだり、小遣いをもらったりして、どうにかこうにか生きてきたのだ。それを十年も続けていたんだから、もはやプロの領域だった。
俺と真美が知り合ったのも、夜の街だったが、俺のほうから声をかけたわけじゃない。真美のほうが声をかけてきた。俺がブックオフで買った本を、マクドナルドでこっそりビールを飲みながら読んでいたら、「そんなクソみたいな本を読んでたらあんたもクソみたいになるよ」と言ってきたのだ。俺は何も言い返せず、唖然として彼女を見た。
ちなみに、そのとき俺が読んでいた本は、谷中珍弥の芥川賞受賞作品である『糞食い』だった。
真美は当然みたいな顔して俺の手から古本をひったくると、床に叩きつけて、その上に思い切り痰を吐きかけた。そうして、俺と真美はその日のうちに関係を持った。
飛躍していると思われるだろう。でもそれは当然なのだ。真美という人間がそもそも飛躍しているのだから。初対面の人間だろうが、真美は敬語でしゃべるなんてことは絶対にしなかったし、遠慮もしなかった。通りすがりに赤の他人を罵ることすらためらわなかった。
真美といっしょにいて、ロクなことなんてなかった。俺はただ女を求めていて、そこにちょうど真美がいたというだけのことだ。どうしてもこの女じゃなかったらだめだ、ということではなかった。真美のほうもそのことはよくわかっていた。だからこそ、俺のことをいつもいつも口汚く罵ったのだ。
「このロクでもないクソが」と彼女はよく言った。「あんた気持ち悪いんだよ。パソコンの前に座って、キーボードを叩きまくってる姿なんて最悪だから。鏡で見たことある? 自分の姿。オナニーするとき以外でね」
「オナニーするときに鏡を見ることはないよ。鼻毛を抜くときくらいだ」
「そうじゃなくて、自分がパソコンをいじってるときの姿を見てみなさいって言ってんの。動画でも撮ってあげようか? ほんとに気持ち悪いんだから」
真美は俺のことを徹底的に嫌っていた。ある日は指一本触らせないどころか、同じ空間にいるのも嫌がった。さすがに家主である俺に出ていけとは言わなかったが、それに近いことは言った。「臭い」とか「気持ち悪いから今すぐ消えてくれない?」とか「自殺願望ってあったりする? もしあるなら今がそのときじゃない?」とか、そういうことだ。
そういう日は、俺も彼女に対してムカムカしていることが多いから、言い返してやる。そうすると火に油を注ぐことになって、真美は烈火のごとく怒った。
いや、そんなものじゃない。本気で俺を殺そうとしてるんじゃないかというくらい、ものすごい勢いで襲いかかってくるのだ。首を絞めてくるし、俺のみぞおちを狙って強烈なパンチを放ってくる。背中を蹴りつけてくるのは日常茶飯事だった。
俺は俺で、女からの暴力というものにわりと寛容というか、そういうものをわりかし悪いものとは思わない性質の持ち主ではあったから、我慢していた。いや、我慢していたというよりは、我慢するふりをしていた、という感じだろうか。
そうすると真美は、黙って暴力に耐えている俺がいじらしくなるみたいで、急に泣き出し、ごめんねごめんねと抱きついてきて、俺が何か言う前にズボンを下ろすんだった。
こんな女といっしょにいたら、俺は間違いなく堕落してしまう。ただでさえ堕落しているのに、これ以上どうやったら堕落するんだ、と考えたこともある。だが、どん底というのは、果てしないのだ。ここが底辺だと思っても、さらにまだ下層がある。生きているうちは、ほんとうの意味のどん底にたどりつくことはないのかもしれない。
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