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番外編
とある執事の日常。
「アーノルド、私が私でなくなったとしてもお前には側にいて欲しいんだ」
まるで愛の告白かのようにそう言ったルシェール様は、長い睫毛を伏せてカップを覗き込んでいた。
しかしここで誤解をして舞い上がるほど愚かではない。ルシェール様は色恋事など全く知らないとでもいうような清廉とした佇まいでカップを傾けている。思わせぶりな態度とみられても仕方ない振る舞いだが、これがルシェール様の常だった。
カップの中の琥珀色の液体は彼が最も好む南部産の紅茶で、今日はとくに素晴らしい逸品を商人が持ってきたので買い上げてお出しした。
湯の温度、茶の入れ方、カップ、カトラリーに茶請けの菓子まで、メイド達がルシェール様の事を想い完璧に整えられている。一言、茶を口にしたルシェール様が『美味しいね。ありがとう』と仰るのだけを糧に、皆が懸命に仕事をしていた。
「……予言のことでございますか」
「予言とは大げさな。元より私がこの世に生をうけた時から決まっていたことだよ」
「天眼をお持ちのルシェール様が視た『未来』でございますれば」
「ああ……そろそろ近いと思うんだ」
「……左様で」
優雅にティーカップを傾けるこの大公閣下が、雅やかな容姿とは裏腹に鍛え上げられた身体を持ち戦場では『戦の神』と呼ばれる存在であることは、周知の事実だ。しかし今は、物思いに耽る麗しいひとりの貴族令息にしか見えない。
静かな午後、ルシェール様の側に控えながら、滲み出すのはどうしようもない悔しさだ。
「何故、ルシェール様が……」
「おや、アーノルドがそれを言うのは初めてだね」
「心の中ではずっと思っておりました。こちらでお仕えするようになってから、ずっとです。何故、ルシェール様でなければならないのかと」
幼い頃のルシェール様の周囲は、今とは違いNormalの者が集められていた。グレアの影響を受けず、そしてSubのような本能も持たない。しかしそんな中でもルシェール様はNormalの使用人達を魅了し、自然と跪かせる存在だった。
嘆かわしい、こんな可愛らしい皇子がそんな運命を、と誰もが涙を堪えて囁き合った。それだけならば、ただの湿っぽい愚痴にしかならないだろう。しかし15歳になりルシェール様が戦場に出るようになると、その意識は真逆へと変わってしまった。
小さく、いとけない可愛らしい存在に対し、同情でその運命を嘆くのではない。
ルシェール様は国になくてはならない存在だった。強く、雄々しく、一騎当千の武将であった。
剣技は他に類を見ないほど素晴らしい上、帝国でも屈指の魔力量をもち、稲妻の魔法を駆使して戦う様は神だというのが頷けるほどだった。その存在を、異界の神に捧げることの悔しさを、誰もが胸に抱いた。
「父上にはそろそろ諦めて貰わないといけないね」
「……」
シルヴァン家の当主様はルシェール様の才能をいち早く見抜き、学問も魔法も剣技にも、最上級の師範をつけた。いずれ消える命という扱いはされなかった。だからこそ今、屋敷内をSubで埋め尽くしてルシェール様に決断を迫るのだ。
「ルシェール様」
「……私の意志は変わらないよ。だって、とても楽しみなんだ。私はあの方と相見えるのが、本当に楽しみなんだよ」
シルヴァン家から派遣され、テオドール卿の屋敷で赤子のルシェール様と出会ってから、30年と少し。
この時初めて、柔らかな笑みを浮かべる年相応のルシェール様を見た。
だからこそ、私は……それ以上、何も言えなかった。
‡
「アーノルドー。レフを食事に向かわせるから交代して」
「かしこまりました」
「……閣下、私はまだ」
紅茶を乗せたワゴンを押して執務室へ入ると、すぐさま閣下からの声が飛んできた。一人で行かされたくないレフはいつも通り抵抗するが、ドアの向こうから現れたアダムに引きずられていった。Normal騎士達は相変わらずレフに強い。これはいい護衛騎士を雇ったものだと改めて感心する。
「アーノルド?」
「紅茶に、クッキーもございますが如何でしょうか」
「もらおうかな」
ある一件から閣下はレフの手作りの食べ物か、簡単な食事しかしなくなってしまった。今の閣下は本当に食が細い。皆が見ている所では雀が突いたのかというような量しか食べないのだ。使用人達が心配していると言うと、なんとか食堂で食べて見せるが、そういった無理も身体によくないだろう。
「この紅茶おいしいな」
「……。……左様で」
ルシェール様がお好きだった紅茶をニコニコしながら飲んでいる閣下は、あの日のルシェール様とは似ても似つかない。表情も言葉遣いも、何もかもが違う。けれど、使用人達は彼が変わったあの時から気付いていた。
この方を前にした時の湧き上がる歓喜と、ひれ伏したいほどの忠義は、変わらなかったと。
「なんか良いお茶なんだ?」
「南部で採れる茶でございます。とれる量が少なくあまり出回りませんが、運良く手にいれることが出来ました」
「ふーん。ちなみに収穫量が少ない理由は?」
「恐らく農地になる場所があまりないのでしょう。過酷な環境で育った茶ですが香りは他より良いのです」
「うーん、ど根性茶畑……」
「……なんと?」
「あ、いやいや。えーと、農夫をやってそこでの育て方を調査してみて欲しいな。あとその茶の木が他でも同じように育つのかどうか。無理ならもうその地域を一斉に開墾」
「……開墾、でございますか」
「え、だって美味しいお茶はたくさん作ってたくさん売った方がいいでしょう。貴族達だけが飲むんじゃなくて、ちょっとお祝いとか良いお客様に出すお茶として、市民も使えたら良い」
クッキーを口に入れてもぐもぐと咀嚼している閣下は、頭の中でさらに色々なことを考えているらしい。話したいけれど口の中がいっぱいで、と言いたげな顔をしていた。茶をもう一杯カップに注ぐと、ぐいっと半分ほど飲み干す。
「このクッキーも美味しい」
「……料理長に伝えておきます」
肉類の他に、バターや油を極端に嫌うルシェール様の身体に合わせて、そういったモノを排除した菓子を作った。料理長は日々努力をして、ルシェール様に少しでも多く召し上がってもらおうと必死だった。
「残ってるのを包んでくれる?」
「どなたかに渡すのですか?」
「うん、ミュゼが甘いの好きだからさー」
「……それは知りませんでした」
「いやいや、隠してるからアレ。レンが激辛好きだし、アダムも肉のほうが好きでしょう、あの中でスイーツが好きとか絶対言いにくいよ。コソッと上げたら喜んで食べてたからまたあげようと思って」
それは閣下が渡すから、ではないですね?
うっかり問い掛けが飛び出しそうになったがなんとか堪えて、残りのクッキーを紙のフキンで包む。ミュゼは閣下にも小言を言うような大胆な面を持っているが、とても細やかな男だった。帝国から逃げてきたSub達の面倒はほとんどミュゼが見ている。
住む場所や職業の斡旋、子供がいる者達を集めた集合住宅など、ほとんど閣下の発案だと言っていたが実行しているのはミュゼだ。采配の才能があるのではないだろうか。実家は男爵家だというから、それなりに教育を受けてきた男なのだろう。
レンはたまにその横をついて行って、持ち前の親しみやすさで様々な諍いを解決しているという。舌先三寸でまるめ込まれた市民達は後で不思議そうにしているらしい。彼はドラゴンさえ身振り手振りで手懐けていたから、あれはもう才能なのだろう。
「……アーノルド?」
「はい」
「レフがそろそろ戻ってくるかな」
「そうですね。では閣下もそろそろお休みになられては」
「うーん……書類の山がなあ……これ一束くらい部屋に持って行っちゃだめ?」
「執務は執務室で行う方が効率が良うございます。自室に持ち込むのはお止め下さい」
「だめか~まあそうなんだけど~……あっ」
ハッとして顔を上げた閣下は、ドアの方を見て目をキラキラさせていた。すぐに扉が叩かれ、ゆっくりと開く。閣下用の食事を盆に載せたレフと、ドアを開けたミュゼがこちらを見ていた。
「閣下、お食事は」
「部屋で食べる。行こう、レフ」
席を立ってドアに向かった閣下は、一度振り返ってこちらに手を振った。
そしてドアの横にいたミュゼの耳に顔を近付けて何かを囁き、先程のクッキーを渡している。レフがその様子をずっと眺めていたが、閣下は気付く様子もなかった。
「それじゃあ、おやすみ。みんな」
閣下がレフの前を歩いて、自室へ戻られる。
部屋には湯浴みの準備も整えられていて、これから閣下には癒やしの時間が待っているはずだ。
愛おしいSubと共に過ごすDomの一夜が、どれだけ心安まるものか。彼らダイナミクスを持つ者達だけが知っているのだろう。
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