エメラルドの風

町田 美寿々

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第五話 春の出会い1

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「このレモン、色がいい。産地はどこです?」


中央市場に到着したロベルトはさっそく市場を楽しんでいた。両親には仕事の偵察と伝えてあるが半分は事実で、もう半分は新しい土地への抑られない好奇心だった。


目の前に自分のまだ知らない世界がこんなにも広がっているのにじっとなんてしていられるだろうか? 新しいもの、未知なるものを見つけに行くことがロベルト・ダイナーの喜びであった。そして何よりもその中から特に気に入ったものを見つけらることをいつも彼は喜んだ。
 

ロベルトから溢れ出る好奇心はとても生き生きとして周りの目を引いていた。理由はそれだけではなく、彼の容姿にも要因があるだろう。ロベルトはミルクをたっぷり入れた紅茶のような柔らかな茶色の髪を短く仕上げ、大きな瞳はよく晴れた日の空のような水色をしていた。光が反射すると透明さが増して澄み切った水にも見える。


肌は白く一見中性的な可愛らしい雰囲気を感じさせるが、背丈を見れば女性ではないことが一目瞭然だった。捲られたシャツの袖から見える手や腕は意外にもたくましく、細かい仕草や立ち振る舞いにもどこか男らしさを感じる。


歩く度にゆるやかにウェーブがかった前髪が風になびき、上品でありながら堂々とした佇まいで瞳は好奇心に輝いてる。その姿に周囲の人々は惹き付けられた。


「リベリアだよ。あの国のレモンは甘みが強いから菓子作りに良い。レモネードにもな」


颯爽と露店に現れ、尋ねたロベルトに青果店の店主は答えた。


「へぇ、リベリアの農家はいい仕事をしますね」


そう言いながらロベルトはこれは何だ? あれはどこの国のものだ? と次から次へと店主に質問する。
 

「兄ちゃん、南郊外の子だろう。何か新しい商売でもするのかい?」


できるだけ簡素な装いにしたつもりだったがどうやら南郊外の人間だと一目瞭然だったらしい。そしてこの店主には、ロベルトは新しい事業を始めようと市場を偵察中の野心家な金持ちの若者に見えているようだ。


「大きな市場が初めてで気になるだけですよ」


父のことだ。今後のためにこの休暇を使って市場の人々にロベルトの顔を覚えさせようと考えているだろう。ならば自己紹介はその時で良い。店主には申し訳ないがとりあえず今は適当に誤魔化すことにした。先ほどから感じる周りの好奇の目から察するにその方が動きやすそうだ。


「さっきのレモン、頂けますか?」


先ほどの色の良い魅力的なレモンをいくつか買うことにした。誤魔化してしまったほんの少しお詫びの気持ちもこめて。


こんな調子で午前中を目いっぱい使って市場を回ったが、さすがマルスの中央市場。まだ回りきれてない店がたくさんある。スラックスのポケットから懐中時計を取り出して時刻を確認する。正午まであと三十分ほどだ。


ここまで送ってくれた御者によると中央市場は正午になると食堂などの飲食店以外は皆一斉に小一時間ほどの昼休みに入るそうだ。


当然お客は逃したくない商売なので店に入ればそれなりに対応はしてくれるが、店主が昼食のために出払っていたり、店の奥に引っ込んでいて呼ぶのに手間がかかったり、隣の店の者同士すっかり話しこんでいたり…となんとなくクローズドな雰囲気が漂うため買い物をしにくいのが実際のところだそうだ。
 

そのため食堂が混み合う正午になる前にどこかでさっさと昼食をとってしまって、市場が昼に入ったら再開するまでその辺りの浜辺で食休みでもすると良いと教えてもらった。


これは店主にあれこれと聞きたいロベルトにとってはありがたい情報だった。いざ店に立ち寄っても話せなかったら意味がない。御者の助言通り適当な飲食店を探すことにした。
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