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41話 迫りくる危機
ジスランとロッティは車を走らせ、最速で王都にたどり着いた。
そして、アビゲイルの最後の目撃場所となった、『ユーラ』の本社前から捜査を始める。
「ここで辻馬車を拾って、それから行方がわからなくなったのか」
ジスランがぐるりと見渡すと、そこそこの人通りがあり、多くの辻馬車が行きかっていた。
肩車をしてもらっているロッティも、ジスランの真似をする。
「あびー、いないね」
「次の目的地だった、ハウエル侯爵家へ行ってみよう」
その過程のどこかで、辻馬車は道を逸れたはずだ。
「ロッティ、なにか気になるものが見えたら、教えてくれ」
「わかった!」
がしっと車窓にへばりつき、ロッティが外の景色を注視する。
ジスランはゆっくりと車を走らせた。
◇◆◇◆
「また縛るの?」
侍従がアビゲイルの両手を、乱暴に縄で拘束する。
「立て。ここから移動する」
短く命じると、手首につながる縄を引いた。
つんのめりながら、アビゲイルは侍従の後ろを歩く。
(……嫌な予感がするわ)
扱いが雑になったのは、アビゲイルに価値がなくなったからだろう。
(ハイデマリー王女殿下は、私から『ウラ』のレシピを聞き出すのを諦めたのね)
だからといって、このままアビゲイルを解放するはずがない。
貴族であっても、誘拐は大罪だ。
アビゲイルが訴え出れば、裁判沙汰になる。
(もちろんアシュベリー公爵家の権力をつかって、多くの証拠をもみ消すでしょうけど)
噂がたつだけで命取りになるのが、社交界だ。
ハイデマリーはアビゲイルの口を、物理的にふさぐに違いない。
(それはきっと、穏やかな方法じゃないわよね?)
ちらり、とアビゲイルは膨らんだポケットに目を落とす。
手に持っていた鞄は取り上げられてしまったが、侍従はこれを見逃した。
(いざとなれば、一芝居うつしかないわ!)
そこには、義妹のマライアへ渡すはずだった、特別な薬膳シロップ入りの小瓶があった。
◇◆◇◆
「もぬけの殻です!」
空き部屋をあらためた衛兵が、馬車で待つシャノンへ報告する。
「ここも違う……次は……」
「シャノン、少し待っていて。あの少年が、何かを言いたそうに、こちらを見ている」
隣に座っていたダレルが、地図に印を付けていたシャノンを残し、ひらりと馬車を下りる。
衛兵たちが次々に馬に騎乗する中、ダレルは向かい側の道端にいた少年に近づいた。
お下がりなのか、少年はやや大きめの服を、腕まくりして着ている。
ズボンには白い粉がつき、緊張した面持ちでダレルを見ていた。
「っ……!」
「怖がらなくていい」
ダレルの目つきが鋭いのは、生まれつきだ。
なるべく笑顔を保ち、しゃがんで目の高さを合わせる。
そして、アビゲイルの似顔絵が描かれた紙を、少年に見せた。
「義姉を探しているんだ。ここにいるかもしれないと、思ったのだが――」
「……いたよ! ほんの十分前さ!」
「っ……!? この絵の人が? ここにいたのか?」
「パンを配達する途中に見たんだ。その女の人だったと思う。手を縛られていたから、どうしたんだろうって気になって……」
少年が見た特徴は、アビゲイルと一致していた。
「馬車に乗せられて、あっちへ行ったよ」
指さす方角は、大通りへ続いていた。
急げば、間に合うかもしれない。
「ありがとう! 感謝する!」
少年の手をつかんで頭を下げると、ダレルは馬車へと走った。
そして聞いた内容を、そのままシャノンへ告げる。
「すぐに追いましょう! 衛兵たちは、先に大通りへ向かって!」
機動力のある騎馬隊が、命令にしたがって駆け出す。
シャノンは馬車から出ると、ダレルと一緒に、少年のもとへと赴いた。
「これは、有力な情報をくれた人に渡す、報奨金なの。受け取ってちょうだい」
「っ……!? 赤紫色の瞳……もしかして、王女さま!?」
王族の証に驚いて、少年が目を見開く。
その少年の手のひらへ、シャノンが紙幣の入った封筒をのせた。
王家の紋章が描かれたその封筒だけでも、庶民には名誉あるものだった。
「私の大切な人を見つけてくれて、ありがとう」
麗しいシャノンに微笑まれた少年は、顔を赤くする。
突然現れた第一王女に気づいて、道行く人々がざわつき始めた。
潮時だろうと、ダレルがシャノンを馬車へエスコートする。
車窓から手を振り、協力してくれた少年に別れを告げると、ふたりはアビゲイルを追った。
「良かったなあ!」と少年の肩を叩くパン屋の店主と、しっかりと胸に封筒を抱いた少年が、遠ざかる馬車を並んで見送った。
◇◆◇◆
辻馬車の中で、アビゲイルはハイデマリーと、向かい合って座っていた。
手首だけは縛られているが、猿轡も目隠しもなく、これといった不自由はない。
窓が開け放たれているおかげで、今まさに、王都の大通りを北へ走っているのがわかった。
(私が助けを求めて、外へ向かって叫ぶかもしれないのに、どうしてこんなに不用心なのかしら?)
そう思ったアビゲイルだったが、ハイデマリーの青ざめていく顔を見て理解する。
辻馬車はゆっくりと走っていたが、それでも振動は相当なものだ。
(日頃はもっと、いい馬車に乗りつけているはずだもの。この揺れに慣れてなくて、酔っているんだわ)
板張りの座席には、たくさんのクッションが敷かれている。
少しでも乗り心地をよくしようと、あの侍従が頑張った成果だが、あまり効果はないようだ。
風にあたっていないと、気持ち悪くて仕方がないのだろう。
ハイデマリーは口元をハンカチで押さえて、なにかをこらえる表情をしていた。
「気を紛らわせるために、おしゃべりしませんか?」
アビゲイルは下心を隠して、ハイデマリーに話しかけた。
これからどこへ向かっているのか、うっかり教えてもらえると助かる。
その行き先次第では、逃げる準備をしなくてはいけないからだ。
「嫌よ。情けなんて、受けないわ」
ハイデマリーはアビゲイルの申し出を断る。
あわれんで声をかけられた、と思ったようだ。
「……前妻のあなたと、親しくする気はないの」
それは、とげを感じる口調だった。
キースの現在の妻は自分である、と強調するハイデマリーに、アビゲイルは首をかしげる。
「情報欲しさに言い寄ってきたアシュベリー公爵を、まだ好きなんですか?」
「っ……! なんですって!?」
「捨てられそうになってるんでしょう?」
「あなたに言われたくないわ!」
アビゲイルはすでに捨てられた人間だ。
ハイデマリーの意見はもっともだったので、大人しく口を閉じる。
「キースさまは宰相になりたくて、焦っているだけよ。事態が落ち着けば、きっと私との関係も元通りに……!」
かすかな希望にすがるハイデマリーの姿は、気の毒としか言いようがなかった。
(恋というのは、厄介ね)
誰もがダレルとシャノンのように、両想いで幸せになれるわけではないのだ。
ふう、とアビゲイルがついたため息が、ハイデマリーの癇に障る。
「呑気にしていられるのも、今のうちよ! あなたにはもう、先がないんだから!」
いくぶん顔に血の気が戻ったハイデマリーは、びしっとアビゲイルを指さす。
先がない、というのは、どういう意味なのか。
「それは、一体――」
「お姉さまには、罪人を見つけたと、すでに報告済みよ! 国境を越えれば、ヴァイツ王国の衛兵たちが、あなたを捕まえるわ!」
ハイデマリーの会話は、いつも要領を得ない。
ただし今回は、はっきりわかったことがある。
(この辻馬車は、ヴァイツ王国へ向かっているんだわ)
そしてそこで、アビゲイルは自由を奪われる。
(困るわね。港町では、ロッティも待っているのに)
『昼と夜』や『ユーラ』の事業は、アビゲイルがいなくとも、滞りなく運営されるだろう。
だが、ロッティに関しては違う。
(私とロッティは、家族――お互いが唯一無二の、大切な存在なのよ)
もう寂しい思いはさせない。
そう誓ったばかりだというのに、あっけなくアビゲイルは誘拐されてしまった。
(約束を破るのは、よくないわ。ロッティにも、そう教えたんだから、私が手本を示さないとね)
勝ち誇った顔をしているハイデマリーに、アビゲイルは悠然と微笑み返す。
「だったら私は、国境を越える前に、行動に移すしかないわ」
そう言うなり、アビゲイルは縛られた両手で、ポケットから小瓶を取り出した。
ハイデマリーがきょとんとしている間に、ふたを取って真っ黒な中身をひとくち飲み干す。
「っげ、ほ……!」
本来なら水などで割るところを、原液のまま口に入れたため、味の濃さにアビゲイルは激しくむせた。
しかし、その様子を見たハイデマリーは誤解する。
「まさか、毒!?」
「残念でした。これはもっと、いいものよ」
立ち上がったアビゲイルは、おもむろに踊り出す。
(これぞロッティ仕込みの、ドラゴンの舞!)
何度も見せてもらったので、すっかりアビゲイルも覚えた。
頭を大きく左右に揺らし、体はもっと勢いよく動かす。
辻馬車の中はせまいので、あちこちにぶつかってしまうが構わない。
足をどすんどすんと踏み鳴らし、「ガオ~!」と雄たけびをあげ、ハイデマリーをカッとひと睨みした。
「ひぃ……! も、もしかして……それは、『ウラ』なの……!?」
アビゲイルの豹変に、ハイデマリーは目を見開いてわななく。
(狙い通りの勘違いをしてくれたわ)
にやりと笑うアビゲイルに、ハイデマリーは怯え、慌てて御者席へ通じる小窓を叩く。
「馬車を止めて! すぐによ!」
「ど、どうされましたか?」
「殺されるわ! 早く!」
侍従が手綱を引っ張り馬車を停め、御者席を下りる気配がする。
アビゲイルはとどめとばかりに、ハイデマリーの顎を鷲掴むと、無理やり上を向かせて口を開けさせる。
「これでさっきより、気分が良くなるはずよ」
小瓶を傾け、ハイデマリーの喉奥に薬膳シロップを垂らす。
肩をすくませたハイデマリーが、息を飲むのと同時に、黒い液体を嚥下するのを確認した。
(味わう間もなかったから、本物の『ウラ』かどうか、わからないでしょうね)
小瓶の中身は、病弱な美少年のために特別にあつらえた、強力な薬膳シロップだ。
これで馬車酔いが良くなるかもしれない。
しかし、それを知らないハイデマリーは、『ウラ』を飲んでしまったという恐怖で、座面から崩れ落ち這いつくばった。
「ハイデマリーさま! 大丈夫ですか!?」
侍従が馬車の扉を開けるなり、ハイデマリーは外へ転がり出る。
そして通りかかった人へ手を伸ばし、助けを求めた。
「み、水! 水をちょうだい!」
様子がおかしいハイデマリーを、侍従が衆目から隠そうとする。
「どうか……落ち着いてください。ここで目立つわけには……」
「早くして! 私が、おかしくなる前に!」
すでに半狂乱のハイデマリーは、近寄ろうとする侍従を拳で叩き、水を持ってこいと大声で命じる。
王都の大通りは、人も馬車も往来が激しい。
そんなところで騒ぎを起こせば、すぐに注目の的になる。
(これで私を無理やり連れ去るのは、難しくなるでしょうね)
実父と継母がののしり合って、翌日のゴシップ欄をにぎわせたのは記憶に新しい。
アビゲイルは今のうちに、こっそり馬車から降りた。
そして、アビゲイルの最後の目撃場所となった、『ユーラ』の本社前から捜査を始める。
「ここで辻馬車を拾って、それから行方がわからなくなったのか」
ジスランがぐるりと見渡すと、そこそこの人通りがあり、多くの辻馬車が行きかっていた。
肩車をしてもらっているロッティも、ジスランの真似をする。
「あびー、いないね」
「次の目的地だった、ハウエル侯爵家へ行ってみよう」
その過程のどこかで、辻馬車は道を逸れたはずだ。
「ロッティ、なにか気になるものが見えたら、教えてくれ」
「わかった!」
がしっと車窓にへばりつき、ロッティが外の景色を注視する。
ジスランはゆっくりと車を走らせた。
◇◆◇◆
「また縛るの?」
侍従がアビゲイルの両手を、乱暴に縄で拘束する。
「立て。ここから移動する」
短く命じると、手首につながる縄を引いた。
つんのめりながら、アビゲイルは侍従の後ろを歩く。
(……嫌な予感がするわ)
扱いが雑になったのは、アビゲイルに価値がなくなったからだろう。
(ハイデマリー王女殿下は、私から『ウラ』のレシピを聞き出すのを諦めたのね)
だからといって、このままアビゲイルを解放するはずがない。
貴族であっても、誘拐は大罪だ。
アビゲイルが訴え出れば、裁判沙汰になる。
(もちろんアシュベリー公爵家の権力をつかって、多くの証拠をもみ消すでしょうけど)
噂がたつだけで命取りになるのが、社交界だ。
ハイデマリーはアビゲイルの口を、物理的にふさぐに違いない。
(それはきっと、穏やかな方法じゃないわよね?)
ちらり、とアビゲイルは膨らんだポケットに目を落とす。
手に持っていた鞄は取り上げられてしまったが、侍従はこれを見逃した。
(いざとなれば、一芝居うつしかないわ!)
そこには、義妹のマライアへ渡すはずだった、特別な薬膳シロップ入りの小瓶があった。
◇◆◇◆
「もぬけの殻です!」
空き部屋をあらためた衛兵が、馬車で待つシャノンへ報告する。
「ここも違う……次は……」
「シャノン、少し待っていて。あの少年が、何かを言いたそうに、こちらを見ている」
隣に座っていたダレルが、地図に印を付けていたシャノンを残し、ひらりと馬車を下りる。
衛兵たちが次々に馬に騎乗する中、ダレルは向かい側の道端にいた少年に近づいた。
お下がりなのか、少年はやや大きめの服を、腕まくりして着ている。
ズボンには白い粉がつき、緊張した面持ちでダレルを見ていた。
「っ……!」
「怖がらなくていい」
ダレルの目つきが鋭いのは、生まれつきだ。
なるべく笑顔を保ち、しゃがんで目の高さを合わせる。
そして、アビゲイルの似顔絵が描かれた紙を、少年に見せた。
「義姉を探しているんだ。ここにいるかもしれないと、思ったのだが――」
「……いたよ! ほんの十分前さ!」
「っ……!? この絵の人が? ここにいたのか?」
「パンを配達する途中に見たんだ。その女の人だったと思う。手を縛られていたから、どうしたんだろうって気になって……」
少年が見た特徴は、アビゲイルと一致していた。
「馬車に乗せられて、あっちへ行ったよ」
指さす方角は、大通りへ続いていた。
急げば、間に合うかもしれない。
「ありがとう! 感謝する!」
少年の手をつかんで頭を下げると、ダレルは馬車へと走った。
そして聞いた内容を、そのままシャノンへ告げる。
「すぐに追いましょう! 衛兵たちは、先に大通りへ向かって!」
機動力のある騎馬隊が、命令にしたがって駆け出す。
シャノンは馬車から出ると、ダレルと一緒に、少年のもとへと赴いた。
「これは、有力な情報をくれた人に渡す、報奨金なの。受け取ってちょうだい」
「っ……!? 赤紫色の瞳……もしかして、王女さま!?」
王族の証に驚いて、少年が目を見開く。
その少年の手のひらへ、シャノンが紙幣の入った封筒をのせた。
王家の紋章が描かれたその封筒だけでも、庶民には名誉あるものだった。
「私の大切な人を見つけてくれて、ありがとう」
麗しいシャノンに微笑まれた少年は、顔を赤くする。
突然現れた第一王女に気づいて、道行く人々がざわつき始めた。
潮時だろうと、ダレルがシャノンを馬車へエスコートする。
車窓から手を振り、協力してくれた少年に別れを告げると、ふたりはアビゲイルを追った。
「良かったなあ!」と少年の肩を叩くパン屋の店主と、しっかりと胸に封筒を抱いた少年が、遠ざかる馬車を並んで見送った。
◇◆◇◆
辻馬車の中で、アビゲイルはハイデマリーと、向かい合って座っていた。
手首だけは縛られているが、猿轡も目隠しもなく、これといった不自由はない。
窓が開け放たれているおかげで、今まさに、王都の大通りを北へ走っているのがわかった。
(私が助けを求めて、外へ向かって叫ぶかもしれないのに、どうしてこんなに不用心なのかしら?)
そう思ったアビゲイルだったが、ハイデマリーの青ざめていく顔を見て理解する。
辻馬車はゆっくりと走っていたが、それでも振動は相当なものだ。
(日頃はもっと、いい馬車に乗りつけているはずだもの。この揺れに慣れてなくて、酔っているんだわ)
板張りの座席には、たくさんのクッションが敷かれている。
少しでも乗り心地をよくしようと、あの侍従が頑張った成果だが、あまり効果はないようだ。
風にあたっていないと、気持ち悪くて仕方がないのだろう。
ハイデマリーは口元をハンカチで押さえて、なにかをこらえる表情をしていた。
「気を紛らわせるために、おしゃべりしませんか?」
アビゲイルは下心を隠して、ハイデマリーに話しかけた。
これからどこへ向かっているのか、うっかり教えてもらえると助かる。
その行き先次第では、逃げる準備をしなくてはいけないからだ。
「嫌よ。情けなんて、受けないわ」
ハイデマリーはアビゲイルの申し出を断る。
あわれんで声をかけられた、と思ったようだ。
「……前妻のあなたと、親しくする気はないの」
それは、とげを感じる口調だった。
キースの現在の妻は自分である、と強調するハイデマリーに、アビゲイルは首をかしげる。
「情報欲しさに言い寄ってきたアシュベリー公爵を、まだ好きなんですか?」
「っ……! なんですって!?」
「捨てられそうになってるんでしょう?」
「あなたに言われたくないわ!」
アビゲイルはすでに捨てられた人間だ。
ハイデマリーの意見はもっともだったので、大人しく口を閉じる。
「キースさまは宰相になりたくて、焦っているだけよ。事態が落ち着けば、きっと私との関係も元通りに……!」
かすかな希望にすがるハイデマリーの姿は、気の毒としか言いようがなかった。
(恋というのは、厄介ね)
誰もがダレルとシャノンのように、両想いで幸せになれるわけではないのだ。
ふう、とアビゲイルがついたため息が、ハイデマリーの癇に障る。
「呑気にしていられるのも、今のうちよ! あなたにはもう、先がないんだから!」
いくぶん顔に血の気が戻ったハイデマリーは、びしっとアビゲイルを指さす。
先がない、というのは、どういう意味なのか。
「それは、一体――」
「お姉さまには、罪人を見つけたと、すでに報告済みよ! 国境を越えれば、ヴァイツ王国の衛兵たちが、あなたを捕まえるわ!」
ハイデマリーの会話は、いつも要領を得ない。
ただし今回は、はっきりわかったことがある。
(この辻馬車は、ヴァイツ王国へ向かっているんだわ)
そしてそこで、アビゲイルは自由を奪われる。
(困るわね。港町では、ロッティも待っているのに)
『昼と夜』や『ユーラ』の事業は、アビゲイルがいなくとも、滞りなく運営されるだろう。
だが、ロッティに関しては違う。
(私とロッティは、家族――お互いが唯一無二の、大切な存在なのよ)
もう寂しい思いはさせない。
そう誓ったばかりだというのに、あっけなくアビゲイルは誘拐されてしまった。
(約束を破るのは、よくないわ。ロッティにも、そう教えたんだから、私が手本を示さないとね)
勝ち誇った顔をしているハイデマリーに、アビゲイルは悠然と微笑み返す。
「だったら私は、国境を越える前に、行動に移すしかないわ」
そう言うなり、アビゲイルは縛られた両手で、ポケットから小瓶を取り出した。
ハイデマリーがきょとんとしている間に、ふたを取って真っ黒な中身をひとくち飲み干す。
「っげ、ほ……!」
本来なら水などで割るところを、原液のまま口に入れたため、味の濃さにアビゲイルは激しくむせた。
しかし、その様子を見たハイデマリーは誤解する。
「まさか、毒!?」
「残念でした。これはもっと、いいものよ」
立ち上がったアビゲイルは、おもむろに踊り出す。
(これぞロッティ仕込みの、ドラゴンの舞!)
何度も見せてもらったので、すっかりアビゲイルも覚えた。
頭を大きく左右に揺らし、体はもっと勢いよく動かす。
辻馬車の中はせまいので、あちこちにぶつかってしまうが構わない。
足をどすんどすんと踏み鳴らし、「ガオ~!」と雄たけびをあげ、ハイデマリーをカッとひと睨みした。
「ひぃ……! も、もしかして……それは、『ウラ』なの……!?」
アビゲイルの豹変に、ハイデマリーは目を見開いてわななく。
(狙い通りの勘違いをしてくれたわ)
にやりと笑うアビゲイルに、ハイデマリーは怯え、慌てて御者席へ通じる小窓を叩く。
「馬車を止めて! すぐによ!」
「ど、どうされましたか?」
「殺されるわ! 早く!」
侍従が手綱を引っ張り馬車を停め、御者席を下りる気配がする。
アビゲイルはとどめとばかりに、ハイデマリーの顎を鷲掴むと、無理やり上を向かせて口を開けさせる。
「これでさっきより、気分が良くなるはずよ」
小瓶を傾け、ハイデマリーの喉奥に薬膳シロップを垂らす。
肩をすくませたハイデマリーが、息を飲むのと同時に、黒い液体を嚥下するのを確認した。
(味わう間もなかったから、本物の『ウラ』かどうか、わからないでしょうね)
小瓶の中身は、病弱な美少年のために特別にあつらえた、強力な薬膳シロップだ。
これで馬車酔いが良くなるかもしれない。
しかし、それを知らないハイデマリーは、『ウラ』を飲んでしまったという恐怖で、座面から崩れ落ち這いつくばった。
「ハイデマリーさま! 大丈夫ですか!?」
侍従が馬車の扉を開けるなり、ハイデマリーは外へ転がり出る。
そして通りかかった人へ手を伸ばし、助けを求めた。
「み、水! 水をちょうだい!」
様子がおかしいハイデマリーを、侍従が衆目から隠そうとする。
「どうか……落ち着いてください。ここで目立つわけには……」
「早くして! 私が、おかしくなる前に!」
すでに半狂乱のハイデマリーは、近寄ろうとする侍従を拳で叩き、水を持ってこいと大声で命じる。
王都の大通りは、人も馬車も往来が激しい。
そんなところで騒ぎを起こせば、すぐに注目の的になる。
(これで私を無理やり連れ去るのは、難しくなるでしょうね)
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「お幸せですか?」
アリスはそれに答えられずにそのまま別れた。しかし、その言葉が彼の優しかった印象と共に尾を引いて、彼女の中に残っていく_______。
世間知らずの高貴な姫とやや強引な公爵家の子息のじれじれなラブストーリーです。
古風な恋愛物語をお好きな方にお読みいただけますと幸いです。
ハッピーエンドを心がけております。読後感のいい物語を努めます。
※小説家になろう様にも投稿させていただいております。