【完結】ドクダミ令嬢の恋は後ろ向き〜悪臭を放つ私が、王子さまの話し相手に選ばれてしまいました~

鬼ヶ咲あちたん

文字の大きさ
5 / 20

5話 バラ園に漂う香り

しおりを挟む
「とろっと柔らかい果肉、舌で潰すと迸る果汁、鼻へ抜ける甘い芳香……やっぱり桃は最高よね」



 頬をピンク色に染めて、シルヴェーヌが桃のタルトを咀嚼する。

 もくもくと動く産毛の生えたほっぺこそ、桃のようだとガブリエルは思った。



「腕利きの菓子職人を雇ったと、料理長が自慢していました。またシルヴェーヌさまに、厨房へ遊びに来て欲しいそうですよ」

 

 ロニーがシルヴェーヌのために、次の桃のタルトを切り分けている。

 そろそろガブリエルが、桃のタルトを欲しがる頃合いだ。

 ちゃんとシルヴェーヌが、ひと切れ目の桃のタルトを堪能するのを、大人しく待っているのだ。

 ある程度、シルヴェーヌのお腹がいっぱいになった辺りで、やはりガブリエルが強請った。



「シル、僕にも食べさせて」

「ガブはどっちが好き? クリームがたっぷりな先端と、ざくざくのタルト生地の端っこと」



 シルヴェーヌは10歳になったが、相変わらずカトラリーの共有を嫌がることなく、9歳のガブリエルに自分のフォークで食べさせている。

 ここ数年の、ガブリエルの目を見張る回復は、そのおかげもあるだろう。

 多年にわたりガブリエルを診てきた医師たちも、奇跡を目の当たりにして驚嘆していた。

 シルヴェーヌの体質を研究させて欲しいと、頼み込んでくる者もいたが、ガブリエルが許可をしなかった。

 大好きなシルヴェーヌを、独り占めしたいからだろうとロニーは思っていたが、そうではないらしい。



「シルは自分の匂いが、相手にどう思われるのかを気にしてる。だから知らない人に会うときは、とても緊張するみたいだ。そんなシルを、実験台にするなんて駄目だよ」



 単純に、シルヴェーヌが嫌がりそうなことを、させたくないがためだった。

 シルヴェーヌ限定ではあるが、たどたどしい思いやりを見せるようになったガブリエル。

 ロニーはそんな姿に感服する。

 自分より年上の使用人たちに傅かれ、傲慢に育ってもおかしくない身の上なのだ。

 しかしそれに反して、三年来の話し相手であるシルヴェーヌを、ことのほか大切にしている。



(自分よりも大事にしたい相手がいるというのは、情操的に幸せなことですね。殿下はそういう意味では、恵まれていると言えるでしょう)

 

 体や頭だけでなく、ガブリエルの心も確実に成長を遂げていた。



 ◇◆◇◆



 10歳から歩行訓練が始まったガブリエルは、シルヴェーヌを倒してはいけないと、専用の器具を使うようになった。

 当初は、医師に器具の使用を提案されて嫌がっていたが、ガブリエルの手を引くシルヴェーヌが転倒に巻き込まれ尻もちをつき、「いたた……」と言った瞬間に主張を覆した。

 シルヴェーヌは治りやすい体質ではあるが、怪我をした瞬間の痛みは感じるのだ。



「シルは離れて見ていて。僕、これで歩いてみるから」



 それからは、ガブリエルの背丈に合わせて作られた平行棒に腕を乗せ、一日にそれを何度も往復した。

 やり過ぎはよくないとロニーが止めるまで、汗だくになりながらガブリエルは訓練を繰り返す。

 シルヴェーヌは頑張り屋なガブリエルを励まし、歩く最中に滴る汗をこまめに拭いてやった。

 

 その翌年には、支えがあればガブリエルは方向転換ができるようになり、さらには低い段差であれば昇り降りが可能になった。

 もう部屋の中だけでは狭いので、離宮の中を歩いている。

 ロニーの腕を借り、シルヴェーヌと並んで、美しく飾られた玄関ホールや、にぎやかな厨房まで、ゆっくり歩くのがここのところのガブリエルの日課だ。

 大きな本棚の前にひとりで立ち、次にどれを読むかシルヴェーヌと話し合うガブリエルの姿を見て、こっそり離宮へ見舞いに通っていた国王が、涙を流して喜んでいたのを知るのはロニーだけだ。

 

「僕、シルのいる世界に近づいてる?」

「私のいる世界?」

「シルが伸び伸びしている世界だよ。木登りしたり、魚釣りしたり。早くその世界に、僕も行きたいんだ」



 ガブリエルはそう言って、窓から外を眺めた。

 シルヴェーヌはその切ない表情に、胸をしめつけられる。

 

「今度、私と外を歩いてみようか?」

「僕、歩けるかな? 室内と違って、地面が平らじゃないんでしょ?」

 

 少しの不安をにじませるガブリエルに、シルヴェーヌはいつもの笑顔で答える。



「怪我も学びだって、ばあやは言ってたわよ。失敗したら、次は失敗しないように、気を付ければいいんだから!」



 心強いシルヴェーヌの言葉に、ガブリエルは頷く。

 そして、シルヴェーヌが12歳になった日に、ふたりは初めて離宮の外へ出た。



「いい天気ね、空が青いわ」

「窓から見上げるのとは違うね。果てがなくて、少し怖い」

「じゃあ地面を見るのはどう? 私、こう見えても虫には詳しいのよ」

 

 ばあやに教わった虫の名前と知識を、シルヴェーヌはここぞと披露する。

 あまり虫を知らないガブリエルは、戦々恐々とそれを聞きながら歩いた。

 引率するロニーがお勧めしてくれたのは、バラ園へ続く比較的なだらかな小道だ。

 ときおりロニーの腕を借りながらも、ガブリエルはなるべくひとりで歩いた。

 時期が良かったのか、バラ園は多くのほころびかけた蕾で華やいでいる。



「シルは何色のバラが好き?」



 ガブリエルはそのバラを摘んで、シルヴェーヌへの誕生日プレゼントにしようと思っていた。

 よく物語の挿し絵の中でも、王子さまはお姫さまへ、バラを一輪さしだしている。

 跪くポーズは難しいけれど、ぜひ挑戦したいとガブリエルは密かに考えていた。

 

「どのバラも素敵で、決められそうにないわ」



 色とりどりのバラに囲まれ微笑むシルヴェーヌは、春の女神のように美しい。

 ただし体からは、バラとは似ても似つかぬ匂いがする。

 離宮では、そんなシルヴェーヌを非難する者はひとりもいない。

 だから安心していたのだが、背後から予想外に甲高い声が飛んできた。



「まあ、これは一体どうしたことでしょう!」

「いつもは芳しいバラ園なのに、今日は異臭がしますわね……」

「あちらから、漂ってきているのではなくって?」



 棘のある言葉に振り向くと、扇で鼻を隠した女性たちの集団があった。

 シルヴェーヌもガブリエルも、それらが誰なのか分からない。

 しかし隣にいたロニーが、すぐに腰をかがめて顔を伏せた。

 その際に二人へ、小声で伝えてくる。



『真ん中にいらっしゃるのが王妃殿下です』



 姦しい取り巻きたちに囲まれ、差し出された日傘の下でこちらを睨みつけている女性は、髪の色も瞳の色もガブリエルと同じだった。

 だが、11歳のガブリエルは母親の顔を知らない。

 たまに面会に来るのは国王のみだ。

 王妃は一度たりとも見舞ったことがないのだから、ガブリエルが悪いわけではなかった。

 

「挨拶もできないのですか?」



 高飛車な態度で王妃が口を開いた。

 それは自分の息子に対してというよりは、臣下へのものに近い。

 恐縮したシルヴェーヌは、ロニーに倣って腰を落とし顔を伏せる。

 だが、ガブリエルはそうしなかった。

 いつまでも、背筋を伸ばして突っ立ったままのガブリエルに、王妃は目を吊り上げる。



「なんて礼儀知らずな」

「礼儀知らずはどっちですか? この離宮は僕の住まいです。そこへ勝手に大勢で押しかけて、言いたい放題。躾けた親の顔が見てみたいですね」



 本を読むようになってから、ガブリエルの語彙は増えた。

 そして王妃へ言い返す声音は、いつもシルヴェーヌに甘えているガブリエルと、同一人物には思えない苛烈さだった。

 切れ味の鋭い反論に、取り巻きたちが息を飲んだのが分かる。

 しかし王妃は、ガブリエルの口撃にまんまと乗せられはしない。

 

「それはこちらの台詞、と言わせたいの? 翻って、私を責めているのでしょう?」

「責められるだけのことをした自覚があるから、そう思うんですよ」

「私は王妃よ。この王城において、私が足を踏み入れてはいけない場所などないわ」

「それは傍若無人な振る舞いをしてもいい理由にはなりません」

 

 二人の間に一触即発の火花が散る。

 王妃はガブリエルから、頭を下げ続けているシルヴェーヌへ視線を移した。

 とても耐えられないという表情をつくり、憎々しげに言い放つ。



「悪臭を放つ令嬢などを側に置くから、鼻持ちならない子に成長したのでしょうね」

「成長できただけ、ましでしょう。あのままでは、僕は死んでいました」



 放置した王妃の所業を詰るガブリエルに、ついに堪忍袋の緒が切れたようだ。

 パシッと手に打ち付けて畳んだ扇を、ガブリエルの鼻先に突きつけ、恐ろしく低い声で叱責する。



「生意気な! お前は王家の汚点です! 役立たずなら役立たずらしく、離宮へ閉じこもっていればいいものを! これ見よがしに庭を歩くなど、目障りでしかないのよ!」

「そんな汚点の製造元は誰ですか? 文句があるなら、そちらへどうぞ」



 王妃の手に握られた扇が、ミシリと嫌な音を立てた。

 青筋を立てて憤怒している王妃を、周囲にいた取り巻きたちがなだめ始める。



「王妃さま、相手にしてはいけませんわ」

「そうですよ、こうした輩には王妃さまの愛情深さなど、伝わらないのでしょう」

「さあ、陽が高くなってきましたわ。木陰へまいりましょう」



 やや無理やりに、取り巻きたちは王妃を連れて行く。

 いつまでもガブリエルをねめつけていた王妃の姿が消えると、場の空気がふっと軽くなった。



「シル、頭を上げていいよ。ずっとその姿勢で、きつかったでしょ?」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】政略婚約された令嬢ですが、記録と魔法で頑張って、現世と違って人生好転させます

なみゆき
ファンタジー
典子、アラフィフ独身女性。 結婚も恋愛も経験せず、気づけば父の介護と職場の理不尽に追われる日々。 兄姉からは、都合よく扱われ、父からは暴言を浴びせられ、職場では責任を押しつけられる。 人生のほとんどを“搾取される側”として生きてきた。 過労で倒れた彼女が目を覚ますと、そこは異世界。 7歳の伯爵令嬢セレナとして転生していた。 前世の記憶を持つ彼女は、今度こそ“誰かの犠牲”ではなく、“誰かの支え”として生きることを決意する。 魔法と貴族社会が息づくこの世界で、セレナは前世の知識を活かし、友人達と交流を深める。 そこに割り込む怪しい聖女ー語彙力もなく、ワンパターンの行動なのに攻略対象ぽい人たちは次々と籠絡されていく。 これはシナリオなのかバグなのか? その原因を突き止めるため、全ての証拠を記録し始めた。 【☆応援やブクマありがとうございます☆大変励みになりますm(_ _)m】

『二流』と言われて婚約破棄されたので、ざまぁしてやります!

志熊みゅう
恋愛
「どうして君は何をやらせても『二流』なんだ!」  皇太子レイモン殿下に、公衆の面前で婚約破棄された侯爵令嬢ソフィ。皇妃の命で地味な装いに徹し、妃教育にすべてを捧げた五年間は、あっさり否定された。それでも、ソフィはくじけない。婚約破棄をきっかけに、学生生活を楽しむと決めた彼女は、一気にイメチェン、大好きだったヴァイオリンを再開し、成績も急上昇!気づけばファンクラブまでできて、学生たちの注目の的に。  そして、音楽を通して親しくなった隣国の留学生・ジョルジュの正体は、なんと……?  『二流』と蔑まれた令嬢が、“恋”と“努力”で見返す爽快逆転ストーリー!

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

元平民だった侯爵令嬢の、たった一つの願い

雲乃琳雨
恋愛
 バートン侯爵家の跡取りだった父を持つニナリアは、潜伏先の家から祖父に連れ去られ、侯爵家でメイドとして働いていた。18歳になったニナリアは、祖父の命令で従姉の代わりに元平民の騎士、アレン・ラディー子爵に嫁ぐことになる。  ニナリアは母のもとに戻りたいので、アレンと離婚したくて仕方がなかったが、結婚は国王の命令でもあったので、アレンが離婚に応じるはずもなかった。アレンが初めから溺愛してきたので、ニナリアは戸惑う。ニナリアは、自分の目的を果たすことができるのか?  元平民の侯爵令嬢が、自分の人生を取り戻す、溺愛から始まる物語。

[異世界恋愛短編集]お望み通り、悪役令嬢とやらになりましたわ。ご満足いただけたかしら?

石河 翠
恋愛
公爵令嬢レイラは、王太子の婚約者である。しかし王太子は男爵令嬢にうつつをぬかして、彼女のことを「悪役令嬢」と敵視する。さらに妃教育という名目で離宮に幽閉されてしまった。 面倒な仕事を王太子から押し付けられたレイラは、やがて王族をはじめとする国の要人たちから誰にも言えない愚痴や秘密を打ち明けられるようになる。 そんなレイラの唯一の楽しみは、離宮の庭にある東屋でお茶をすること。ある時からお茶の時間に雨が降ると、顔馴染みの文官が雨宿りにやってくるようになって……。 どんな理不尽にも静かに耐えていたヒロインと、そんなヒロインの笑顔を見るためならどんな努力も惜しまないヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。 「お望み通り、悪役令嬢とやらになりましたわ。ご満足いただけたかしら?」、その他5篇の異世界恋愛短編集です。 この作品は、他サイトにも投稿しております。表紙は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:32749945)をおかりしております。

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

婚約破棄を伝えられて居るのは帝国の皇女様ですが…国は大丈夫でしょうか【完結】

恋愛
卒業式の最中、王子が隣国皇帝陛下の娘で有る皇女に婚約破棄を突き付けると言う、前代未聞の所業が行われ阿鼻叫喚の事態に陥り、卒業式どころでは無くなる事から物語は始まる。 果たして王子の国は無事に国を維持できるのか?

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

処理中です...