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30話 想いを絆ぐ
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「旦那さま、緊急で報告書が届いております」
セイリオが生まれて数日が経ち、屋敷の中に赤ちゃんがいるという空気に、それぞれが慣れてきた。
そしてセイリオのために用意された子ども部屋で、ベビーベッドに寝ているセイリオの顔を、皆で覗き込んでいたときだった。
いつもと変わらぬ、かくしゃくとしたサイ獣人の家令が、ディミトリスを呼んだ。
手にした茶封筒を渡そうとしないということは、ここでは開けられない内容だということだ。
そう判断したディミトリスは、「仕事のようだから、またあとで」とエーヴァに断りを入れ、家令と共に執務室へ向かった。
「どうした? 緊急だって?」
「はい、予期せぬ事態が起きたようです。調査員が慌てていました」
執務室に二人で入り、しっかり鍵をかけると、ディミトリスは家令から渡された茶封筒を、手で破って開けた。
『該当人物について、以下の通り報告します』
そこには、いくぶん乱れた調査員の字によって、驚くべき事実が書き連ねられていた。
『該当人物と、その運命の番であるウサギ獣人が死亡』
『第一発見者は、隣人のキツネ獣人』
『ウサギ獣人とは頻繁に密会していたようで、いつものようにベランダから該当人物の部屋に忍び込み、そこで死んでいる二人を発見』
『警察の調べによると、死因はどちらも刺された傷からの失血死』
『飛び散った血や、凶器の包丁から、先に刺されたのは該当人物であることが判明』
『キツネ獣人の話と合わせると、該当人物に相手にされなかったウサギ獣人による、無理心中の線が濃厚』
『ただし、ウサギ獣人につけられた傷は背中にあることから、該当人物が抵抗したことがうかがえる』
『現場には、別の包丁も落ちていて、ウサギ獣人はこちらを使って自殺をするつもりだったのではないかと……』
「一体、どうして――」
あまりの衝撃に、ディミトリスの報告書を持つ手が、ぶるぶると小刻みに震える。
エーヴァとの結婚式の日、ラーシュを見かけたディミトリスは、家令に引き出物を届けさせた。
いつまでもフラフラせず、しっかり現実を見つめるように、というディミトリスからの忠告のつもりだった。
その後に届けられた報告書には、しごく平穏な内容が記されていたので、ディミトリスはすっかり安心していた。
ラーシュは自堕落だった生活態度を改め、職場でもリーダーに復帰し、健康面も良好になったとあった。
上長たちも「番との関係が落ち着いたらしい」と話していたと、書いてあったのだ。
「それなのに、なにがあったんだ……運命の番との間に」
ディミトリスが額に手をやり、苦し気な声を出す。
あれ以降、踏ん切りをつけたラーシュと運命の番は、円満に過ごしていると思っていた。
「旦那さま、これは私の想像でしかないのですが」
家令が前置きをして、ディミトリスに話しかけた。
「該当人物は、かなりエーヴァさまに心を残されているようでした。わたしがお会いしたときも、とても思いつめた目をしていて、それは哀れなほどでした。――そのことで運命の番との間に、亀裂が入ったのではないでしょうか?」
「しかし、朝から晩まで抱いていたのだろう?」
「それはあくまでも出会い頭に発情し、そのまま発情期に入ってしまった当初だけだったのでしょう。現に、運命の番は隣人と浮気をしています」
「つまり、この『相手にされなかった』というのは、肉体的な関係を持ってもらえなかったという意味か」
ディミトリスが文面を確認しながら、言葉を繋ぐ。
獣人にとって野生は、当たり前に生まれ持つものだ。
そして運命の番とは、その野生が強く希求するもの。
それに抗うだけの何かが、ラーシュにはあったのだ。
「愛していた、ということか。それほどまでに、エーヴァを」
ディミトリスも家令も、血まみれの現場に落ちていた包丁が、エーヴァに向けられるはずだったとは知らない。
その禍事からエーヴァを護るために、ラーシュが命を懸けてアンネを殺したことも、分かるはずがなかった。
しかし――。
「見事だな」
ディミトリスはラーシュを讃えた。
野生という本能から解き放たれ、理性に生きた男を。
「だが、このことはエーヴァには知らせたくない。いずれ耳に入るとしても、出産を終えたばかりの今は駄目だ」
「かしこまりました。そのように取り計らいます」
家令に任せておけば、エーヴァの周りから確実にこの情報を取り除いてくれる。
ディミトリスは信頼する家令に頷いて見せると、もう一度、報告書に目を落とした。
「ラーシュ、きっと君は、エーヴァを想いながら死んだのだろう。エーヴァは僕が必ず幸せにする。だから安心して、眠れ」
◇◆◇
それから2年が経った。
セイリオは順調に成長し、エーヴァは育休を終えて職場へ復帰している。
今日は完治したロマナが退院すると聞いて、エーヴァはマリトと一緒に、身内だけの快気祝いの準備をしている。
パーティ会場となる談話室を花で飾っていると、ニコラと手をつないだセイリオが、トテトテと歩いてやってきた。
白くてふわふわした髪の間に、同じく白くて丸い耳がぴこぴこ動く。
ディミトリスに似た緑の瞳は、まっすぐにエーヴァに向けられていた。
「おかーしゃ、これ!」
そう言って、水色の花を手渡してくる。
庭師に切ってもらったのだろう、セイリオが握りやすい長さに揃えられていた。
エーヴァがあちこちに花を飾っているのを見て、お手伝いがしたかったに違いない。
「いい子ね、セイリオ。とてもキレイな花をありがとう」
エーヴァに褒められたのが嬉しくて、笑顔のセイリオはエーヴァに抱き着く。
セイリオのふかふかした柔らかい体を抱き上げ、よしよしと頭を撫でてやると、くふふとエーヴァの胸元でくぐもった笑い声がした。
2歳になったセイリオは、おしゃべりも達者になってきた。
「準備はこれくらいにして、そろそろ出迎えに行きましょうか。ディミーが、ロマナを連れ帰ってくる頃よ」
マリトがパンパンと手を叩き、準備の終了を知らせる。
エーヴァも、ニコラやマリトと一緒に玄関に向かった。
歩きたがりのセイリオに歩幅を合わせていたら時間がかかったようで、すでに玄関にはロマナとディミトリスがいた。
そして何故か、ロマナはかかりつけ医のベンジャミンと腕を組んでいる。
「あら、ベンジャミン先生もパーティに参加してくれるの? にぎやかなのは大歓迎よ!」
嬉しそうにするマリトに、ディミトリスが苦笑いをしながら付け加える。
「ちょっと事情があってね。せっかくだから、飾り付けをした談話室で話そう」
またしても歩きたがったセイリオを、ディミトリスがヒョイと肩車して連れて行く。
セイリオは肩車が大好きなので、してもらえると途端に大人しくなる。
今もディミトリスのたてがみのような金髪を掴み、高い視界に目をキラキラさせていた。
「へえ、ディミトリスって、子煩悩だったのね」
初めて見るディミトリスの姿に、ロマナが感心している。
「僕も、我が子がこんなに可愛いとは、知らなかったよ」
にやけるディミトリスに、ふーんと呟いたロマナは、意味ありげにベンジャミンを見上げた。
エーヴァたちが飾り付けた談話室には、使用人たちが軽食と炭酸水を並べていて、いつでも乾杯ができる雰囲気だった。
お酒がないのは、アルコール依存症を克服したロマナを慮ってだ。
みんなにグラスが行き渡り、ディミトリスの掛け声で緩やかな快気祝いのパーティが始まる。
「それで? 事情っていうのは、何なの?」
「それは私の方から申し上げます」
黒縁メガネをクイクイ持ち上げていたベンジャミンが、ワクワクしているマリトの質問に答えるようだ。
「実は、私がロマナさんに恋をしてしまったのです。既婚者であると分かっていましたが、この想いを消すことが出来ませんでした」
セイリオが生まれて数日が経ち、屋敷の中に赤ちゃんがいるという空気に、それぞれが慣れてきた。
そしてセイリオのために用意された子ども部屋で、ベビーベッドに寝ているセイリオの顔を、皆で覗き込んでいたときだった。
いつもと変わらぬ、かくしゃくとしたサイ獣人の家令が、ディミトリスを呼んだ。
手にした茶封筒を渡そうとしないということは、ここでは開けられない内容だということだ。
そう判断したディミトリスは、「仕事のようだから、またあとで」とエーヴァに断りを入れ、家令と共に執務室へ向かった。
「どうした? 緊急だって?」
「はい、予期せぬ事態が起きたようです。調査員が慌てていました」
執務室に二人で入り、しっかり鍵をかけると、ディミトリスは家令から渡された茶封筒を、手で破って開けた。
『該当人物について、以下の通り報告します』
そこには、いくぶん乱れた調査員の字によって、驚くべき事実が書き連ねられていた。
『該当人物と、その運命の番であるウサギ獣人が死亡』
『第一発見者は、隣人のキツネ獣人』
『ウサギ獣人とは頻繁に密会していたようで、いつものようにベランダから該当人物の部屋に忍び込み、そこで死んでいる二人を発見』
『警察の調べによると、死因はどちらも刺された傷からの失血死』
『飛び散った血や、凶器の包丁から、先に刺されたのは該当人物であることが判明』
『キツネ獣人の話と合わせると、該当人物に相手にされなかったウサギ獣人による、無理心中の線が濃厚』
『ただし、ウサギ獣人につけられた傷は背中にあることから、該当人物が抵抗したことがうかがえる』
『現場には、別の包丁も落ちていて、ウサギ獣人はこちらを使って自殺をするつもりだったのではないかと……』
「一体、どうして――」
あまりの衝撃に、ディミトリスの報告書を持つ手が、ぶるぶると小刻みに震える。
エーヴァとの結婚式の日、ラーシュを見かけたディミトリスは、家令に引き出物を届けさせた。
いつまでもフラフラせず、しっかり現実を見つめるように、というディミトリスからの忠告のつもりだった。
その後に届けられた報告書には、しごく平穏な内容が記されていたので、ディミトリスはすっかり安心していた。
ラーシュは自堕落だった生活態度を改め、職場でもリーダーに復帰し、健康面も良好になったとあった。
上長たちも「番との関係が落ち着いたらしい」と話していたと、書いてあったのだ。
「それなのに、なにがあったんだ……運命の番との間に」
ディミトリスが額に手をやり、苦し気な声を出す。
あれ以降、踏ん切りをつけたラーシュと運命の番は、円満に過ごしていると思っていた。
「旦那さま、これは私の想像でしかないのですが」
家令が前置きをして、ディミトリスに話しかけた。
「該当人物は、かなりエーヴァさまに心を残されているようでした。わたしがお会いしたときも、とても思いつめた目をしていて、それは哀れなほどでした。――そのことで運命の番との間に、亀裂が入ったのではないでしょうか?」
「しかし、朝から晩まで抱いていたのだろう?」
「それはあくまでも出会い頭に発情し、そのまま発情期に入ってしまった当初だけだったのでしょう。現に、運命の番は隣人と浮気をしています」
「つまり、この『相手にされなかった』というのは、肉体的な関係を持ってもらえなかったという意味か」
ディミトリスが文面を確認しながら、言葉を繋ぐ。
獣人にとって野生は、当たり前に生まれ持つものだ。
そして運命の番とは、その野生が強く希求するもの。
それに抗うだけの何かが、ラーシュにはあったのだ。
「愛していた、ということか。それほどまでに、エーヴァを」
ディミトリスも家令も、血まみれの現場に落ちていた包丁が、エーヴァに向けられるはずだったとは知らない。
その禍事からエーヴァを護るために、ラーシュが命を懸けてアンネを殺したことも、分かるはずがなかった。
しかし――。
「見事だな」
ディミトリスはラーシュを讃えた。
野生という本能から解き放たれ、理性に生きた男を。
「だが、このことはエーヴァには知らせたくない。いずれ耳に入るとしても、出産を終えたばかりの今は駄目だ」
「かしこまりました。そのように取り計らいます」
家令に任せておけば、エーヴァの周りから確実にこの情報を取り除いてくれる。
ディミトリスは信頼する家令に頷いて見せると、もう一度、報告書に目を落とした。
「ラーシュ、きっと君は、エーヴァを想いながら死んだのだろう。エーヴァは僕が必ず幸せにする。だから安心して、眠れ」
◇◆◇
それから2年が経った。
セイリオは順調に成長し、エーヴァは育休を終えて職場へ復帰している。
今日は完治したロマナが退院すると聞いて、エーヴァはマリトと一緒に、身内だけの快気祝いの準備をしている。
パーティ会場となる談話室を花で飾っていると、ニコラと手をつないだセイリオが、トテトテと歩いてやってきた。
白くてふわふわした髪の間に、同じく白くて丸い耳がぴこぴこ動く。
ディミトリスに似た緑の瞳は、まっすぐにエーヴァに向けられていた。
「おかーしゃ、これ!」
そう言って、水色の花を手渡してくる。
庭師に切ってもらったのだろう、セイリオが握りやすい長さに揃えられていた。
エーヴァがあちこちに花を飾っているのを見て、お手伝いがしたかったに違いない。
「いい子ね、セイリオ。とてもキレイな花をありがとう」
エーヴァに褒められたのが嬉しくて、笑顔のセイリオはエーヴァに抱き着く。
セイリオのふかふかした柔らかい体を抱き上げ、よしよしと頭を撫でてやると、くふふとエーヴァの胸元でくぐもった笑い声がした。
2歳になったセイリオは、おしゃべりも達者になってきた。
「準備はこれくらいにして、そろそろ出迎えに行きましょうか。ディミーが、ロマナを連れ帰ってくる頃よ」
マリトがパンパンと手を叩き、準備の終了を知らせる。
エーヴァも、ニコラやマリトと一緒に玄関に向かった。
歩きたがりのセイリオに歩幅を合わせていたら時間がかかったようで、すでに玄関にはロマナとディミトリスがいた。
そして何故か、ロマナはかかりつけ医のベンジャミンと腕を組んでいる。
「あら、ベンジャミン先生もパーティに参加してくれるの? にぎやかなのは大歓迎よ!」
嬉しそうにするマリトに、ディミトリスが苦笑いをしながら付け加える。
「ちょっと事情があってね。せっかくだから、飾り付けをした談話室で話そう」
またしても歩きたがったセイリオを、ディミトリスがヒョイと肩車して連れて行く。
セイリオは肩車が大好きなので、してもらえると途端に大人しくなる。
今もディミトリスのたてがみのような金髪を掴み、高い視界に目をキラキラさせていた。
「へえ、ディミトリスって、子煩悩だったのね」
初めて見るディミトリスの姿に、ロマナが感心している。
「僕も、我が子がこんなに可愛いとは、知らなかったよ」
にやけるディミトリスに、ふーんと呟いたロマナは、意味ありげにベンジャミンを見上げた。
エーヴァたちが飾り付けた談話室には、使用人たちが軽食と炭酸水を並べていて、いつでも乾杯ができる雰囲気だった。
お酒がないのは、アルコール依存症を克服したロマナを慮ってだ。
みんなにグラスが行き渡り、ディミトリスの掛け声で緩やかな快気祝いのパーティが始まる。
「それで? 事情っていうのは、何なの?」
「それは私の方から申し上げます」
黒縁メガネをクイクイ持ち上げていたベンジャミンが、ワクワクしているマリトの質問に答えるようだ。
「実は、私がロマナさんに恋をしてしまったのです。既婚者であると分かっていましたが、この想いを消すことが出来ませんでした」
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