魔法中年

宮上 想史

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外伝

外伝 月狼

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  魔法中年 外伝  月狼



  こんな、年端もいかない女の子を捕らえるなんて可哀想だと思った。
 助けなければいけないと、そう思ったんだ。
 仲間達を裏切ることになろうとも。
 自分たちのために他人が犠牲になってもいいのだろうか。
 弱い者が強い者に食い物にされる。
 しかたのないことなのだろうか。
 そんなことをして欲しくなかった、やめて欲しかった。
 それとも、死にたくなかっただけなのだろうか。
 人間でありたいだけだったのだろうか。
  





  人は自分のことを好きになってくれる人のことを好きになるんだと思う。
 すくなくとも、私はそうだった。



 殺したくなかった、だけどやらなければいけなかった。
 私には選択肢なんてなかった。 
 ブレザーのスカートを風になびかせた二人が満月を背にして、ビルの屋上で箒を片手に立っていた。
  綺麗な月夜だ。
 夜風がヒュルリと通り過ぎる。
  ロングでふわりと癖のある髪の毛とショートヘアーが揺れる。
「お仕置き確定ね」
「ふふ」
  二人は会話しながら、箒に腰掛けてプカリと宙を浮いた。
 ブウウウウウン。
 原付バイクの赤いテールランプが尾を引いて伸びる。
 運転している男は先ほど強盗を働き、女物のバッグを肩にかけていた。
 カーブを曲がる。
 その時、白いトンビがバサバサと目の前に飛んできて視界を遮った。
 キキーッ!
 ガシャン!
「夢の世界へ誘って(いざなつて)あげる」


「なんだ」
 強い風の音がする。
 男は飛行機に乗っていた。扉が開け放たれて、体は縄で縛られていた。
  ドアの下に広がる大地の緑と白い雲が浮かんでいるのを上から見ているのはとても違和感があった。
「あなた何をしたのかわかっているわよね」
 振り向くと後ろに、くせ毛で髪の長いブレザーを着た女がいた。
「なんのことだ?」
「あら、自覚なし?お月様が許しても私たちは許さないから」
「私たち?」
「それっ」
 女は男の背中を蹴って飛行機から突き落とした。遠くなっていく女の顔は笑顔をたたえていた。
 男の肝はひゅんっとなる。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああ」
 顔が空氣にぶつかりブルブルブルと波打つ。
 パラシュートを背負っていない男はただ落ちていった。
 地面がだんだんと近づいて、
 ドン!
 吐瀉物のようにドロドロになったものが散乱する。
 つ、つ、つ、
 ドロドロは集まって男の形になった。
「ハア、ハア、ハア」
「し、死んでいない……なんだ、これは」
 男は立ち上がり回りを見る。
 見える物は全て灰色になっていた。
 白黒の世界。
 男は自分の手を見ると、これまた灰色に見えることに氣がついた。
「いったいあの女は……」
  ゾワリ。男はなにかの視線を感じた。
 パッと振り向く。
 だが、誰もいない。
「誰だ! 誰だ俺を見ている奴は!」
 男のいる場所は、道が延々と続いていた。両側が川で河川敷になっている。
 川の間にある高くなっている道。
 果てしのない道。 
  少し遠くに黒い影のようなものがぐぐぐぐぐ、と寄り集まった。
「なんだあいつは……」
 それはゆっくりと加速して走ってきた。
 斧を振り上げて。
「うあああああああああああ!」
 男は走った。
 息が切れるまで。
 男は走り疲れて、どっと倒れた。
 後ろを振り向くと、斧を持った黒い影が立っていた。



  男は道の脇にとめてある原付バイクの横に体育座りをしていた。
 顔は死んだように蒼白だった。



「あの人懲りたかな」
「さあ、またやったら、また怖い目にあわせてあげるだけよ」
「私たち、悪者みたいだね」
 一人が楽しそうに笑顔になる。
「必要悪なの」
「なんで悪いことするんだろうね」
「心が弱いからするんだよ」
「強いからじゃなくて?」
  箒に乗った二人の魔法使いの影が月の中でゆっくり動いていた。



 ソファで横になって漫画を読んでいるとおねえちゃんが寝室からでてきた。
「夢を見たわ」
「いつもでしょ」
「うるさい、聞きなさいよ」
「はいはい」
「かずさの隣に大きな犬がいたの」
「それで?」
「それだけ」
「なにそれ。お腹空いた、ご飯食べたい」
 私はまた漫画を読み始めた。
 そいつは下弦の月を背にしていた。
 ほっそりと背が高くて、風にさらりと長い髪がなびいている。
「おまえが最近、悪さをしている奴?別に恨みがあるわけじゃないけど仕事だから、死んでもらうよ」
  声を発した人物が見下ろす先、木の影に体の半分を隠して獣がいた。
 毛は白く、月の光に美しく照らされた犬……ではなかった、狼だ。
 狼は犬歯をむき出しにして低い唸り声をだす。
「よっ」
 女は木から飛び降りて、そのまま狼に向かって走り出す。
 ボォッ。手が突然燃えだした、いや、その炎は手から離れて火の玉になりそれを女は投げつけた。
 炎の塊が幾つも狼に向かう。
 狼はそれを身を翻していとも簡単に避けた。木に塊がぶつかる。
 ダッ、そのまま疾走する。
「逃がすかァ!」
 どこからともなく、箒が飛んできて女を乗せて飛んだ。
 どちらも風のような速さだった。
 まわりが一瞬で過ぎ去っていく。
  人氣の無い、山間部のバイパス道路。
「そこ!」
「キャン!」
 狼は熱さと痛みに足を噛みつかれて転んだ。
 後ろ足が焼け焦げ、動けなくなり、アスファルトにうずくまった。
「グルルルルルッ」
 唸りをあげる。
 狼から少し離れた場所、女は箒から降りた。
 右手を上に上げると、炎の欠片が寄り集まり、形を変えて細長い槍の形を成した。
「ごめんね」
  ぼそりと独語が漏れた。
 槍が狼めがけて飛んでいく。
  突然、狼の楯になるように堅氷が形成された。
 槍はジュウウと音を立てて氷に突き刺さるが半ばで勢いを失って止まり、消失した。
「なにこの氷!? 私の槍を止めるなんて……どういう……」
 少し離れた所にある木に、霜が張りパキパキと音を立てて氷華が咲く。
 髪のストレートの女はそちらに目をやる。
  氷の花が咲いた木の影から、二人の女が現れる。
「弱い者いじめは許さない」
「私たちがお仕置きするわ」
ストレート「あんたらだれよ、こいつの飼い主かなにか?」
  一人はショートヘアー、もう一人はロングでくせ毛だった。
ショート「いじめられている子を助けようとしているだけ」
クセ「べつに飼い主でもなんでもないわ」
ストレート「ちょっと邪魔しないでくれる?こいつのこと知らないくせにわた……」
ショート「問答無用!」
クセ「天地無用!」 
ストレート「は?」
  空氣が一氣に冷え込み地面に霜が降りる。
 ストレートの女のまわりを空氣中の水分が固まってできた氷柱(つらら)が取り囲む。
ストレート「会話くらいしろよ!」
 次々と氷柱(つらら)がストレートの女に襲いかかる。
  ストレートの女を中心にして炎の竜巻がおこった。
 生きているかの如くうねり、竜巻の先端が二人組に迫る。
ショート「おわ!」
 氷の壁が地面から伸びるように出現し、炎をふせいだ。
  炎が落ちつくと、ストレートの女も消えていた。
 遠くの空に何かの影が動いている。
 ストレートの女は箒にまたがり、飛んで逃げていた。
「ほんと、むかつく」
 腕を朱色に染まったハンカチで押さえていた。
 
ショート「いなくなっちゃったね」
クセ「二対一だから、分が悪いと判断したんでしょ」 
ショート「ごり押ししてくるタイプだと思ったんだけどなあ」
クセ「人は見かけによらず、よ」











 目の前にあった氷が溶けていく。
 後ろ足が焼けて焦げた臭いがしていた。
 痛い。
 さっきの魔法使いと戦っていた、別の魔法使いが近づいてくる。
 来るな!
 唸り声をだして、警告した。
 犬歯をむき出しにする。
 一人がしゃがんで声をかけてきた。
「もう大丈夫よ、怖くない、怖くない」
 手を伸ばしてきた。
「グルルルルル」
 もう一人がそいつの後ろに立つ。
「怯えているね、この子」
 目をそちらに向けた。
  なんだろう。
 時が、
 止まったように感じた。
  胸が高まるのがわかった。
 目が離せなかった。
 彼女は綺麗だった。
 なんだ、
 この感覚は。
 まるで満月を見ている時のようだ……


 狼の唸りはだんだんと小さくなっていく。
ショート「あり?」
 ショートヘアの女は狼の体に触れてみる。
 触っても大人しかった。
 女は撫でながら、家で手当してあげるからねと言った。
 狼はじっと撫でている女を見ていた。
「ねえ、なんで私だと唸ってくるのよ」
「見る目がある、この子」
「なにそれ!」
「あ、ほっぺに三日月形のハゲがある」
 運命を感じた。
 彼女を見た時から、俺の心は彼女のものになっていた。
  白い壁に、海の写真が飾られ、薄茶色のカーテンがかかっている。窓から太陽の暖かい日差しが入ってきて、薄茶色のソファには水色のクッションが置いてあって、その前に小さなテーブル、壁際にテレビと観葉植物があった。服がごちゃっと大量に山になっていた。
 女は狼の後ろ足に包帯を巻いてまじないを唱える。
「そもそもとう、てんじんごんが川の木をもってしみとるぞ」
  彼女の手は冷たくて、触れられていると心地よかった。
「ごめんね、私、癒やしの魔法が得意じゃないから治るのに時間かかると思うけど」
「いや、ありがたい」
 女は目をむいた。
「しゃべれるの?!」
 すっと狼は人間の男の姿になった。
「まあな」
「キャアアアアアアア!!!!!!」
 男は裸だった。

  男は頬に赤い手形をつけていた。
 女物だが大きめのTシャツとズボンを借りて着ている。
「あー、びっくりしたあ」
「すまない」
 玄関の扉が開いた。
「ただいまー」
 入ってきたくせ毛の女が男を見る。
「キャアアアアアアア!」

 男の頬の手形は両方に増えていた。
「なぜこうなる……」
「ごめんね、しょうがないじゃない、許して」

 男は立て膝で座り、くせ毛の姉とショートの妹はソファに座っていた。
「あの魔法使い制服着てたわね、ってことは私たちと同じ年くらいか」
「相当、力も強かったよ」
「あなた、何か悪いことでもしたの?」
「俺は……」
 男はうつむいた。
「言いたくないならいいよ、ね、おねえちゃん」
「ええ、誰にでも言いたくないことくらいあるものよ、無理に言う必要はないわ」
「だが……助けてもらっておいて」
「いいよ、私たちが助けたかったんだもの」
「それより、おねえちゃん日曜日に眼鏡かけてるとか、イギリス人みたいじゃん」
「うふふふ」
(なに、笑ってるんだこいつら、なにがおかしいんだ?イギリスは日曜日に眼鏡をかけるのか?いや、ないだろ……え、あるのか?俺が知らないだけで本当はあるのか?)

「珈琲でよかったわよね?」
「ああ、ありがとう」
 男はコップに入った黒い液体を飲んだ。
 蕎麦つゆだった。

 三人は男物の服を買いに行った。
 姉妹は楽しんでいるようだったが男はこれは?これは?これは?攻撃に嫌氣がして早く帰りたがっていた。それでも買い物はしばらく続いた。
「白(はく)道(どう)様、三日月兄ちゃんはどこへ行ったの?」
 まだ大人になりきれていない狼が隻腕の老婆に尋ねた。
「あれは私を裏切ったのさ、愛していたっていうのに、残念なことだよ、どこへ行ったのやら」
 狼は残念そうにうなだれた。
「おまえたちはちゃんと私のために働いてくれるね?」
「うん!」
 数頭の狼たちが各々返事を返す。
「愛しているよ、おまえたち」
  白道と呼ばれている隻腕の老婆のまわりにいる狼たちが遠吠えを始めた。



  妹が泣いていた。
 うつむいて、ポタッ、ポタッ、と涙の粒を落としていた。
 胸に、誰かの頭を抱いて、その落ちた涙がツーと垂れる。
 その人は幸せそうな顔をして眠っているようだった。

 目が覚めると自分が泣いているのに氣づいた。
(こんなの見ても悲しいだけじゃない……)
 時計を見るとまだ、午前四時すぎだった。
 なんか目も覚さめちゃったから起きちゃおうかなとあさぎは思い、横で寝ている妹を起こさないよう静かにベッドから出た。
  薄暗いリビングルームに行くと、苦しそうな声が耳に入った。
  その声の方に足音をたてないように近づいてしゃがむ。
 狼が毛布の上に寝ている。
「悪夢でも見ているのかしら」
 撫でる手は緑の微光を宿らせていた。
 うなされていたのが止まった。
 一匹の狼が目の前にいた。
「無月……」
 その狼の体に傷が現れて、足がもげて首が落ちて崩れた。
「う……あ、」
 絶句する。
 また違う狼が現れて、はらわたをぶちまけてドッと倒れる。
 また一匹。
 また一匹。
  また一匹。
 また一匹。
 また一匹。
 また一匹。
「やめてくれええええ!!!」
 少女が笑いながらこちらに走ってきた。
「はっ……、はっ……、」
 動悸がして息が苦しい。
  そのまま少女は首から鮮血を吹き出したまま楽しそうに俺のまわりをぐるぐると回る。
 俺は頭を抱えた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………」


  薄目をあけると朝の光が。
 ソファに座っている白いパジャマを着た女は白いカップに紅茶を入れて飲んでいた。
「おはよう」
 三日月は挨拶を返して、体を起こす。
 何だろうか、いつも悪い夢を見て目覚めが悪いのに今日は不思議と氣分良く起きられた。
「待ってて、ご飯作るわね」
  そう言って、立ち上がりキッチンに向かうあさぎを見て、三日月は人間の姿になり服を着てテーブルの前に座っていた。
「あなた、もし明日死ぬとしてその前にしたいこととかある?この前死ぬ思いをしたんだから考えたりしたんじゃないの」
 あさぎは手を動かしながら三日月に話しかけてきた。
「とくに、これといって……いつ死ぬかわからないからな、特別になにがしたいとかはないが、命が消える時に大切な人がそばにいてくれたらいいなとは思っている」
「確かに、人生の最後に自分の好きな人がそばにいてくれたら幸せね」
 あさぎは料理の手を進める。
 
 待っていると、
 ゲロがでてきた。
 いや、これは、よく見ると皿にのった……ゲロ?
「これはなんだ?」
「チャーハンよ」
「おい、なんで半笑いなんだよ」
「いや、チャーハンよ」
「自分でもこれがチャーハンじゃないと思ってるんだろ、なんだこのグチャグチャした黄色いご飯は。まるでゲロじゃないか!」
「うるさいわね、黙って食べなさい」
 おはよと言ってかずさが起きてきて、黙ってテーブルに置いてあったゲロを口に運んでいた。
  寝ぼけ眼に、ボサボサの髪、だぼりとしたパジャマ、透きとおるような肌、血色の良い桜色の唇にスプーンをもっていく。
「なに?」
 かざさは三日月にじっと見られているのに氣づいて目をあげた。
 三日月は顔を赤らめて下を向く。
「いや、そんなのがうまいのかなって思って」
「美味しいから」あさぎがキッチンから会話に割り込む。
 かずさは笑顔でこう言った。
「美味しくないよ」
「嘘でも美味しいと言いなさい!!」
 あさぎは機嫌が悪くなった。


 三日月はかずさとあさぎが高校に行っている間、家で留守番をしていた。
 部屋の床に落ちている暖かな日差しを浴びながら寝そべっていると、ふと棚にあった分厚い赤い本が氣になった。
 スッと人間の姿に変わりつつ立ち上がり、その赤い本に手を伸ばす。
 よく見るとアルバムのようだった。
 あいつらの昔の写真か。
 勝手に見る物ではないなとよぎった。
「小さい頃も可愛かったんだろうな……」
 三日月はアルバムをめくりだす。
 可愛らしい、二人の女の子と親と年を取った女性が写っていた。幸せそうな家族の風景があった。二人が成長するにつれて二人だけの写真が増えていって、終いには姉妹だけの写真ばかりになっていた。
 そっとアルバムを閉じて元あった場所に戻した。



 学校の帰り道。
「ねえ、あいつかずさのこと好きだよね」
「そうかもね」
 かずさはあさぎの前を歩いて鞄を後ろ手に持っていた。
「かずさはどう思ってんの」
「んー、嬉しいかな、好かれないよりはいいよね」
 と笑いながらいった。
「おい、かずさ!」
 前から近所に住んでる小学生の純君がやってきた。
「これでもくらえ! 火炎うんこ!」
 茶色い物体がかずさめがけて飛んできた。
 ひゅん。
「うわ!」
 かずさはとっさに避けて、茶色い泥が道に砕けて痕を残した。
「こら、糞ガキがあ!」
 少年はケタケタケタと笑いながら走り去っていった。
「なによ火炎うんこってただの泥じゃない」
 あさぎはお腹を抱えながら笑っている。
 はーあと言って落ち着いてから、
「ねえ、普通のうんこと燃えたうんこどっちが嫌かな」
「どっちもいやだよ」
「燃えてたらさ、なんでも一緒な氣しない?」
「ホントだ、うんことか関係なしに嫌かも」
 


「ただいまー」
 姉妹が帰って来ると狼がソファから降りて尻尾を振りながら玄関まできて、かずさを迎えてきた。
「よしよし」
 かずさは狼をなでた。
「ねえ、なんでかずさにだけなついてんのあんた」
「俺は料理ができない女は好かん」
「はあ?!」


  その日、彼女は白のオフショルダーのニットと細身で丈の短めのジーンズにヒールの装いだった。
 シンプルな装いに、運動しているのであろう、しなやかな体つきがとても魅力的に映った。
「素敵だ……」
 と三日月が独語すると、それが耳に入ったのか彼女は照れるなと少し顔を赤らめた。
「私はどうかな?」
 姉の方は白色のつばの広い帽子と、同色のワンピース、カーディガンを着ていた。
「いいんじゃないか?」
 と三日月は素っ氣なく言った。
 しかめ面をして三日月を見るあさぎがいた。
 
「あそこに入ろ!」
 かずさがオムライスのオブジェが置いてある洋食屋を指さした。
 中に入って、三日月とあさぎはオムライスを頼んで、かずさはオムライス、グラタン、食後のパフェを頼んでいた。
 細いのにどこに入っているんだろうと三日月は思った。
 しばらく三人で会話をしながら食べていると。
「むごォッ」
 かずさは食べ物を喉に詰まらせて胸を叩いた。
「ぐる、じい……」
「息を止めてみろ」と三日月。
 かずさの喉の詰まりはとれた。
「ふう、助かった」
 そう言って、かずさはまた食べ物を口に運ぶ。
「かずさ、あげる」
「うん」
  あさぎはオムライスを残して妹にあげていた。
「いつもあまり食べないな」
「おねえちゃん食が細いから」

 三人でデパートをぶらぶらしていると、前から全身黒い服の背の高い男が歩いてくる。
 三日月はその男の視線に氣づいて目を合わせる。そのまますれ違い、男を振りかえる。
「トイレに行ってくる」
 二人にそう告げて、男の後を追いかけた。

 地下の人氣の無い駐車場。
「十六夜……」
  その男は振り返り口を開く。
「今ならまだ間に合う、戻ってこい!」
「そんなことできるはずがないだろ」
「お前はあの方の特別なんだ、今ならまだ……」
「もう、戻れない、戻る氣もない」
 十六夜は言葉を返してこなかった。三日月を見つめるだけだった。
「知ってたか、俺たち人間を食ってたんだぜ。人間が人間を食うなんてやっちゃいけないことだろ……」
  目の前にいる男はキッと見据えてこう返した。
「俺たちはもう狼だ。次に会うまでに考えが変わっていなかったら、俺はお前を殺さなければならない、来週狩りがある、待っているからな」
 十六夜は後ろを向いて去って行った。

  上弦の月がでていた。
「ちょっと、冷えるね」
 かずさは腕をさする。
 ほら、と三日月は着ていたジャケットをかずさに手渡した。
「ありがと」
 と渡されたジャケットをはおる。
「私も寒いな」
「家まで我慢しろ」
「私に優しくない!」
 かずさは楽しそうに笑っていた。
  彼はベランダで月を見ていた。
 いつも、部屋の中で眺めているのになぜか今日は外にいた。
 かずさは、ガラと戸を開ける。
「ねえ、寒くないの?」
「平気だ」
 はいこれ、手に持ったマグカップを手渡した。
「ココアか?」
「うん」
 白いカップから湯氣があがる。
 かずさは温かいそれを飲みながら、横にいるもの静かな男の顔を見た。どこか寂しそうなそんな横顔を。
「なに考えてるの」
 三日月はチラとかずさに目をやる。
「言わないと駄目か」
「いや、そんなことないよ」
 彼はまた、月を見上げた。
「……君は月に似てるな」
 その言葉を聞いて、かずさは少し笑う。
「なにそれ」
「月を見るのが好きなんだ、心が落ち着く」
 かずさは黙って月を眺めながら、ココアを飲んでいた。
  しばらく、二人は黙っていた。
 かずさが指を鳴らした。
 ベランダの手すり壁に向かって氷の階段ができあがり、かずさは上っていく。
 上りきると歩みを止めないかずさの足下に氷の道が伸びていく。
 少し進んだ所で立ち止まり、後ろを振り向いてこう言った。
「私とお月様ならどっちがいい」
  沈黙が流れた。
 彼は何も言わず、ただ、かずさを見つめた。
 
 かずさはベランダへ降りて、部屋の中に入った。
 空の鉢植えや、植物が生えていた鉢に氷の華がいつの間にか咲き乱れていた。



 火傷もだいぶよくなった。
 彼女たちが施してくれた薬とまじないのおかげだ。
 深更。
 この夜、三日月の耳には狼の遠吠えが聞こえていた。
  行かなければならなかった。
 仲間たちの元へ。
 狼は十三夜を走った。
 風よりも速く。



 扉を開けてリビングを見ると、ベランダの戸が開いて、カーテンがはためいていた。
 月光が四角くフローリングに落ちている。
「どこいったの? それよりも……ゴキブリが入ってくるでしょ! 閉めて行ってよ!もう」 かずさは戸を閉めにいく。  


  タッタッタ……
 立ち止まり、見えたのは高架下のコンクリートの壁にベットリとついた血痕。
  鉄の臭い。
 切れかかった街灯の灯り。
「まだ近くにいるはず……」
「三日月、答えを聞かせてくれ」
  耳慣れた声が呼びかけてきた。
 後ろを振り返ると口を血で汚した黒い狼がいた。
「十六夜(いざよい)……俺の氣持ちは変わらない、そして決めたんだお前達にこんなことはやめてもらうって」
「狩りをやめろだと?俺たちの行動は白道様が決める、お前に指図される覚えはない」
「こんなことをするなんておかしいと思わないのか?」
「しるかそんなこと、お前が俺たちを裏切ったんだろう! おかしいのはお前の方だ!」
 黒い狼は声を荒げた。
「弱い者は強い者に食われる運命だ、それが嫌なら強くならなきゃならない、お前だってよくわかっているはずだろう」
「だれも好きで弱く生まれてきたわけじゃない、力があるのなら弱い者を助けなきゃいけないんじゃないのか!」
「もう話は終わりだ、お前の始末をつけろと白道様に言われている、覚悟はいいか」
「分からず屋がアア!」
 二匹の狼は唸り声をあげた。
 ほぼ同時に動いた。
 黒い狼は白の狼の首に噛みつく、それを振り払って三日月は足に噛みついた。
 狼の悲鳴。
 滴り出る血。
 黒い毛の狼は人間の姿になった。
 それに合わせて白色の狼も人間へ。
 二人は手を組みつかせた。
  血走った目で睨みあう。
「うああああああ!」
「ぐおおおおおお!」
 お互いの力が拮抗する。
「なんで、あんなことをしたアアアアアア! みかづきいい!!!」
 十六夜の肌から黒い毛が生えて、筋肉が盛り上がり、顔が狼に変じた。
 三日月は、力で勝てずにぐぐぐと押されていく。
「うがあああああああああああああああ!」
 三日月も、体から毛を生やして顔が獣となった。
 黒の狼人間を力でぶん投げた。
 間髪入れずに、倒れている狼人間に馬乗りになって喉に手をかけて圧をいれる。
「ぐが、あ……あ……」
 は!
 三日月の体から毛が無くなり、みるみると人間に戻った。
 手をパッと離す。
 相手は口からつばを垂れ流して氣絶していた。
 三日月は立ち上がりこの場から去ろうと行きかけたが、立ち止り振り返る。
 振り返った時、ポツポツと雨が降り出した。
  月は雲で隠れていた。
 少しの間、氣絶している男を見ていたが、スッと闇夜にとけていった。
  


  サー。
「雨、降ってきた」
  雨の音が耳に届いて、ガラス戸を見ながらかずさはつぶやいた。



 水で濡れた雑巾が床に落ちて水の飛沫をあげたような音がベランダから聞こえた。
  目を向けると、雨に濡れた狼がいた。
 かずさがガラス戸の鍵を開ける。
 ガラガラガラ。
「ちょっと、ずぶ濡れじゃない、風邪ひいちゃうよ」
「ああ、」
 三日月は雨で濡れたためか、冷えた体を震わせていた。
「待ってて、タオル持ってくるね」
 かずさは、タオルを脱衣所から持ってきて、後ろを向いていた三日月に手渡した。その間に三日月の姿は人間になっていた。
 タオルで頭を拭く三日月。
「お風呂入ってきなよ」
「ありがとう」
 と言って、三日月は浴室にむかった。



 冷えてかじかんだ手足に温かいシャワーをかけると、じわりと心地よかった。
  体が温まっても、手の震えはおさまらなかった。
 鏡を見ると、狼の自分と人間の自分がいた。
(俺は、また……)
(傷つけあうのなんて嫌なのに、あいつを殺してしまうところだった。俺はあいつらにあんなことをやめさせたいだけなんだ。また仲間を殺すなんて嫌だ……)
「ああしていなければ今頃死んでいるぞ、それでもいいのか?」
(いっそ殺された方がましかもしれない、仲間を殺すよりも楽だ)
「殺されたら、あいつらを止める者は誰もいないぞ?そうなれば被害者はさらに増えるだろうな、あの子みたいな子供がまた死ぬんだ」
(……大切な仲間を傷つけるなんて、もう耐えられない!)
「お前は、それでも自分の感じたことが正しいと思って仲間を裏切ったんだろ、もうお前は仲間を殺したことがあるんだ、わかっているだろ?」
「あんなことしたくなかった!」
 
 
 浴室からでて、リビングに行くと、ガラス戸から月明かりが部屋の中にさしている。雨は上がったようだ。 
  ソファに座った彼女を見ると月の光に照らされた顔がなんとも美しかった。
 かずさはこちらを見て口を開いた。
「どこ行ってたの?」
 かずさと合った視線をパッと外して下を見た。
 三日月は黙ったまま立っている。
「震えているの? まだ寒い?」
「別に、大丈夫だ」
「行った先で、なにかあったの?」
  三日月はかずさと目を合わせられなかった。
「なにもない」
「嘘つき」
 かずさはじっと三日月を見る。
「ねぇ、魔法かけてあげよっか」
「魔法?」
「うん、元氣がでる魔法」
「どんな?」
「キスしてあげよっか」
 三日月は視線を上げて目の前の女を見た。
「うっそー、ビックリした?」
  かずさはケタケタと楽しそうに笑顔を向けた。
 その笑顔を見たらなんだか震えがおさまった。
 三日月はゆっくり、ソファに近づいてかずさの前に立つ。
「ちょ、本氣にしちゃった?え、うそだよ、うそ」
 焦りだすかずさ。
 三日月はかずさをじっと見つめる。
 三日月の体は狼になって、ソファに上がり目の前の女の子の膝に覆い被さった。
 かずさは苦笑する。
「まあ、これならいっか」
 三日月はしばらく体をなでてもらっていた。
 睨みあった二匹はお互いに犬歯をむき出して、唸りあう。
 一方が足を踏みだして吠えた。
 それが合図かのように闘いが始まった。
 首や耳を狙って噛み合う、有利な位置を取ろうと上に乗ろうとする。
 体勢がぐるぐると入れ替わる。
 白の狼が下になり黒い狼が上から噛みつく、二匹は暴れる。
 白の狼が人間になった。
「まいった」
「はええよ」
「疲れる」
「たくよ」
 二人は訓練をやめてシャワーを浴びに行った。
 

「三日月兄ちゃんなんでいつも負けちゃうんだよ!」
「戦うの好きじゃないんだよ」
 三匹の子供が一匹に寄り集まる、小さな両の前足を上げて大きな狼の顔に飛びつく、大きな狼も片足でポンと応じる。
 大きな狼が後退すると、三匹もそれを追いかけた。
 足で転がり倒された一匹の子供はゴロリと仰向けになり、両足で目の前にある大きな顔にパンチする。
「三日月おいで」
 白道に呼ばれたので三日月は遊びをやめてそばへ行く。
「今日からお前も狩りに連れていくから、そのつもりでいるんだよ」
「わかりました」
 ついに三日月も白道の役に立てる日が来た。
 狼は尻尾を振っている。
  隻腕の老婆はかさついた手で狼を撫でた。
「あたしの可愛い子」
「よし、食事にするよ!」
 白道は胸にさげた笛を吹いた。
 人には聞こえない音が鳴る。
 すると、狼たちが集まってきた。
 白道が奥から食事を運んでくる。
 肉を狼たちめがけて投げると、狼たちは肉に群がり凄い勢いで平らげていく。
 子供たちにも食事を与えようと、大きな皿を手に持ってくる。
 白道の回りに子供たちが集う。
 餌を見つめる子供たち。
 早くちょうだいちょうだいと尻尾を振りまくる。
 皿を置くと、あっという間に餌は無くなっていった。
 白道は良い食事を与えていたので、大人の狼たちはたくましく育っている。



 仲間たちと共に走った、獲物を狩りに。
「三日月、よく見てろ、狩りってものを教えてやる」
  リーダーの無月が横を走る。
「獲物だ、バラバラにするぞ!」
 最初の一匹が噛みついた。
 それが継起して獲物は倒れる。
  ズタズタに引き裂かれる肉。
 三日月はその光景を眺めていた、脳裏に焼き付くほど。
 琥珀色の瞳に焼きつくほどに。
 狼たちの口元は血だらけになっていた。



  血の臭いがした。
 嫌な臭いだ。
 バラバラになった屍。
 もうあの人間は死んでしまったんだろう。
 生きてはいないんだろう。
 可哀想だと思った。
 食われるために生まれてきたわけではないはず。
 なのに死んでしまって、どんな氣持ちなんだろう。
 弱いと殺されなければいけないのか。
 いやだ。
 そんなのは、
 俺は弱いのはいやだ。



 三日月は丘で一人、人間の姿で遠くを見ていた。
 天上にある月と、ここから見下ろした所にある湖の水面に揺れる朧氣な月。
 後ろから、誰かが草を踏む音が聞こえてきた。
「どうだった」
 無月が声をかけてきた。
「氣持ち悪かった」
「慣れたらなんとも思わなくなる、数をこなすことだな」
 三日月は黙っている。
「これは、白道様の生業だ、白道様の生業は俺たちの生業だ、生きるためだ、受け入れろ、現実を受け入れろ、強く生きろ」
 白道の元にいる狼たちは白道が拾ってきた孤児だ、白道の魔法で狼の姿になれるようになった者たちだった。
「りか、ちゃんとお留守番頼むわよ」
「わかったよ、ママ」
 と言ってりかは母親を送り出し、リビングに戻ってソファに座りテレビを再び見始めた。
 しばらくテレビを見ていたらワンッと犬の鳴き声がした。
「わんちゃん?」
 上体を起こして、庭に通じているガラス戸の方に目をやると大きな犬が一匹。
 りかは立ち上がり戸の鍵を外して、ガラリと開けた。
「どこから来たの? わんちゃん」
 サンダルを履いて庭にでて近づいていた。
「こんにちは」
 りかが犬に触れようとする直前、視界が真っ暗になった。
「わあ!」

 麻袋に入れられたりかが動いて、袋はもぞもぞとする。
「よし、運べ!」
 りかは拉致された。
 少女が生け捕りにされていた。
 檻の中に入れられて、うずくまっていた。
 三日月は檻に近づいて中にいる少女を見る。
 少女は三日月と目を合わせると、怯えたかのように目をふせ、体を震わせていた。
 三日月は仲間がしてくれるように少女の足を舐めた。
 少女はくすぐったそうにしてクスクスと笑った後、三日月の頭を撫でてくれた。
「優しいワンちゃん、ありがと」

 ねぐらの奥の白道様のいる場所へ向かった。
「白道様、三日月です」
  しわがれた声が応えた。
「おはいり」
  扉を開いて中に入ると、老婆が揺り椅子にもたれてゆらゆらと揺れていた。
 ボウと淡い光が一つだけある、暗い部屋。
「どうしたんだ、愛しい子」
「お願いがあって来ました、あの捕らえた女の子を逃がしてあげて欲しいのです」
 老婆は鼻にかけて笑う。
「何、寝ぼけたことを言っているんだい馬鹿を言っちゃあいけないよ、いくらお前の頼みでもそれは聞けないねえ」
 三日月は老婆を見ながら訊ねた。
「あの子はどうなるのですか」
「そりゃあ、お前たちの餌になるか、売りさばくかのどちらかだねえ」
「餌に……なる?」
 三日月は耳をうたがった。
 俺たちの餌?
 人間を?
「白道様、餌とはどういう……」
「ああ、お前には言ってなかったかね、お前たちはたまに人間の肉を食べているんだよ、あの子のにおいが美味しそうだと思わなかったかい?」
 三日月は部屋から飛び出した。
「おやおや」



 どういうことだ……
 人間を食っている?
 俺が?
 そんなの……
 おかしいだろ。

 三日月は少女の入った檻の前にいた。
  胸から荒く息をはきだす。
 少女と目が合う。
「逃げるぞ」

 月明かり照らす山道を狼が背に少女をしがみつかせて走っている。
「わんちゃん、わたしのお家わかる?」
「ああ」
 狼の遠吠えが聞こえてきたような氣がした。
 三日月は氣にせず走り続けた。
 だんだんとスピードを遅くする。
 だんだんと、だんだんと、そして、止まった。
「どうしたの?」
「おりてな」
「うん」
 りかは手を離して地面に降りた。
 目の前の木立の影から無月と他に三匹の仲間がでてきた。
 回りにも数頭、林の影に隠れている。
 狼の唸り声。
 目の前の狼は犬歯をむき出しにした。
「三日月、どういうことだ、戻れ」
「やってしまったものはしょうがない、俺はやり遂げるさ」
「俺たちに勝てると思ってるのか?」
「勝さ」
 三日月の回りを狼が取り囲んだ。
 低い唸り。
 一匹が飛びかかった。
 三日月はそれの首に噛みつく。
 二匹は激しく転がって噛みつき合う。
 三日月が上になって押さえつけると他の三匹が一斉にとびかかってきた。
 食い込んだ牙を外して迎え撃つ。
 三日月は三匹に噛まれたが暴れ回った。
 四体一で互角以上の闘いをする。
 女の子の小さな悲鳴が聞こえた。
 パッと振り向くと、隠れていた仲間が少女の喉笛をズタズタに噛み裂いた後だった。
  仲間の口元は鮮血で朱く塗られている。
 りかの腕はだらりと落ちている。
 三日月は理性を失った。
 そこにいたのは一匹の獣だった。
 頬の傷が青白く光る。


 氣がつくと、狼の噛みちぎられた体の破片と、臓物が散乱した場所に立っていた。
 三日月は人間の姿で傷だらけだった。
 動かなくなった少女のそばに近寄る。
 乱れた前髪をどけて、開いた目を閉じてやった。

 満月の晩に狼の遠吠えがしばらく聞こえていた。
 
「それから逃げてきて、今ここにいるってわけね……」
 あさぎはソファに腰掛けて腕を胸の下で組んでいた。
「ああ」
  かずさも姉の横に腰掛けている。
「あなたは仲間たちをとめたい、あなたの仲間はあなたを始末したい」
「きっと向こうから俺を狙って動き出すだろう、その前にこちらから動く」
「私たちが手伝ってあげる」と、かずさが言うと、
「いや、遠慮する」
 三日月は冷たくあしらった。
「なんでよ!」
 かずさは口をとがらせた。
「これは俺の問題だ、俺自身が解決しなければいけない、せっかくだが手出しはしないでもらいたい」
「あなた、今仲間もいなくて一人で何ができると思っているの? 一人でできることってたいしたことないのよ? 使えるものは利用した方が利口だと思わない? そのほうが目的を達成できるんだし」
 三日月はあさぎの返答を聞いて黙りこむ。
「人に頼るって大切だと思うわ、私も人に頼るのは苦手だけど一人でなんでもかんでもやるってわけにいかない、それに誰かがさらわれているんでしょ、そんなの見過ごせない」
  あさぎはきっぱりと言い放つ。
「悪いやつはお仕置きしないとね」
「こらしめないと」
「おねえちゃん、麦茶だしてあげたら?」
「いいわね、美味しいやつね?」
 あさぎとかずさはにやりとしている。
 二人の顔を見た三日月は、
「もうめんつゆだすのやめろよ?」
 と言った。
「知ってるか? 醤油って致死量あるんだからな」
「結構薄まってるわよ」
  あさぎは台所に向かいながら振り向いた。
「そういう問題じゃない!」
  三日月は姉妹のいたずら好きに辟易する。
 あさぎはパンッと手を叩いた。
「そういえばこの前、美味しい珈琲をだす店を見つけたの、三人でいきましょうよ」
 あさぎは嬉々とした声をだした。
「お昼はそのお店にいきましょ」

 ドアを開けるとドアベルがチリンと鳴って迎えてくれた。
 店の中は木調でこじんまりとしたたたずまいの店だった。
 テーブル席に三人で座ると、天然パーマの男の人が水を出してきた。
「決まったら言ってね」
「じゃあ、珈琲三つ」
 とあさぎが言うとかずさが、
「私はメロンフロートがいいな!」
「ごめんなさい、あいにくメロンフロートはおいてないんだ」
 と天然パーマの男性が言うと、
「じゃあたーのまないっ」
 まわりにいる三人(帰れ)

「ね! 美味しい珈琲でしょ」
 とあさぎは言ったが、三日月には珈琲のうまいまずいがわからなかった。
「わからん」
「にがーい」
 天然パーマの男性が話を聞いていたのか苦笑しつつ話しかけてきた。
「その珈琲には魔法がかけてあるんだよ」
「どんなですか?」
 あさぎとかずさは興味を持った。
「美味しくなる魔法ね、美味しくなあれ、美味しくなあれって言いながら淹れるんだよ、するとさ不思議と美味しくなる」
「ほんとですかそれ?」
 かずさは半信半疑に聞いた。
「信じたら本当にそうなるんだよ」
 言いながら男の人はカウンターに戻って珈琲アイスをだしてくれた。
 アイスクリームに三人は舌鼓を打った。
  カランカラン。
「おはよー……」
 長い黒髪にスラリと伸びた手足、印象的な大きな瞳、小さな顔、どこかで見たことがある人だとかずさは思った。
「おはよ」
 天然パーマの人に挨拶をした後、その女はチラと三人の方に目をやり、その場に立ったまま固まって凝視していた。
 かずさはその顔を思い出した。
「あ」
 かずさのあ、に反応してあさぎと三日月も入り口の方を見た。
「あ」
「あ」
 この前、戦った、炎使いだ。
「あ、あんたたち……」
 立ったままの女が口を開くと天然パーマの人が声をかけた。
「舞ちゃんどうしたの?」
「いや……」
「あの……」あさぎが言いかける。
「あ、学校の友達?」
 と天然パーマの人は笑顔になった。
「そうだ! 君たち今回無料にしてあげるからさ、舞ちゃんの料理の練習につきあってくれる? まだ食べられるよね、若いんだしさ一杯たべないとね」
「え……あの……」
 かずさとあさぎはしどろもどろになる。
 三日月は黙ったまま舞を見つめていた。
 そう言って、天然パーマの人は舞をカウンターにうながした。
 あさぎ、かずさ、三日月は目を合わせる。
「まあ、いっか無料だし」


  望月の昇る夜空に二つの影が飛んでいた。
 箒にまたがった女二人と、ショートヘアーの女の後ろにしがみついている男。
「そんなにしがみついて、怖いの?」
 かずさはニヤついて後ろに話しかける。
「こんなに高い所は初めてだからな、少しな」
「いいことしてあげなよかずさ!」
「いいこと?」
 三日月はいぶかしむ。
「よーし、それえ!」
 男の前にまたがっている女が声をあげるやグルグルと男の視界は回転し始めた。
「ぐあ! やめろ!」
 かずさは宙返りや、逆さになって滑空する。
  がくっと三日月は白目をむいた。
 頭がかずさの背中に当たる。
「あ、大丈夫? ごめん、ごめん」
 普通の体勢に戻っても三日月は失神していたので休憩することにした。

 街を越えて、山を越えて。
 人の姿は見えず、車のライトもまばらになり、だんだんと姿を消して、ただ夜のしじまに月の明かりがあるだけだった。
「あそこに降りてくれ」
 白道たちの元に行くには、この魔法がかけられた森をぬけていくしかたどりつけないようになっていた。
   
  ザアアと森が鳴いた。
 梢を揺らす木々たちはまるで生きているようだった。
「おかしいな」
あさぎ「どうしたの?」
「ここがどこだかわからん」
「ちょっと」
  かずさが振り向いた。
「なんだか同じ道をぐるぐる回っているような、ある程度したらまた同じ道に戻っている氣がしないか?」
「ちょっと試してみましょうか」
 あさぎはポケットからハンカチをとりだして木の枝にむすびつける。
 またしばらく歩き続けると、まっすぐ歩いているはずなのにさきほど木にむすんだハンカチがあった。
「もしかしたら、魔法がかけ直されているのかもしれないわ、それに……氣づいた?かずさ、ここ魔法が使えないわよ」
「嘘でしょ?」
 かずさは人差し指を立ててピッと下生えを指さした。
 いつもなら指の先から冷氣が飛んでいくのにでてこなかった。
「まずいよこれ」
「向こうの罠にはまったみたいよね……こんなんで相手方に会ってもどうにもできないわよ」
 あさぎが言っているとかずさは何かを確かめていた。
「まって、こっちの魔法だと使える氣がする」
 かずさは右手を伸ばす。
「月の光よ、我を導き照らしたまえ」
 かずさを中心にして淡く青白い光が地面からホワリ、丸い光が数個ふわふわと出現する。 髪の毛が重力を失ったかのように持ち上がって揺れていた。
 あさぎはかずさを見る。
「それ使えても戦えないでしょ」
「そうだった、えへへ」
 とかずさがおどけると、かずさは穴に落下した。
「かずさ!」
「おい!」
 かずさを飲み込んだ穴は消えた。
「ちょっとなによあれ!」
  あさぎは長い髪をふり乱す。
「俺もわからん」
「とにかくこの森の魔法を解くわよ」
「どうすればいい」
 


  薄く目を開けると、月が見えた。
「あ、……たしか……落ちて」
 かずさは上体を起こしてまわりを見渡した。
 上にはポッカリと穴があいていて、そこから月の光が落ちていた。
 地面は砂で、まわりの土壁はうねるようにぐにゃりとした形をしていて、狭い道が続いている。
「不思議な場所……二人はどうしたのかしら」
 魔法は?
 氷を操る魔法はあいかわらず使えなかった。もう一つのほうは……大丈夫だ。
「とにかく二人と合流しなきゃ」
 


「何処かになにか刻印か、力の源みたいな物があるはずなんだけど……魔法陣とか何かの死体とか」
  死体? まさか……
 三日月はそれに心当たりがあった。
「もしかしたら、わかったかもしれない、ついてきてくれ」
 あさぎが三日月について行くと、不自然に盛り上がった土が幾つか並んであった。
 まだできたばかりの真新しいもののようだった。
  三日月は盛り上がった土の前に立ち止まった。
「これは?」
「俺が埋めたんだ、逃げてくる時に殺した仲間たちと、死んだ女の子を」
「氣が引けるだろうけど、確かめてみましょう」
 あさぎが木の枝で、三日月は狼の姿になって、土をどけていく。
  土じゃない物が顔をだした。
 乾いた土の中に埋められていたから、まだ白骨化していない。
 案の定、魔法の媒介になっていたようだ。
 あさぎは、文字を消す。
「これで先に進めるはずよ」
 二人は丁寧に掘り返した土をもとに戻して、その後、手を合わせた。



 進んでいくと地下の水路に行き当たった。
「水が流れている」
 水流の音が聞こえる。
 そのまま行くと、天井の穴は無くなり月の明かりが消え失せたが、闇の中に緑色の光るものたちが蛍のような小さな光を灯して壁をうごめいていた。
「精霊だ」
 そのものたちの明かりで、なんとか視界を闇に奪われることなく進められたのだった。
 岩の柱がなめらかに伸びた飴のような形でそびえる。
 広い空間にでた。
 水が溜まっている。
 地底湖だ。
 天井には先ほどの精霊たちがいて、星空が地下に広がっていた。
 水中にも精霊がいて、ほの明るく光っている。
 湖の中央の陸地に大きな木が一本立って、淡く光を発していた。
 大樹の緑の影が光と共に揺れている。
「素敵な場所……」
 さらに進むと、だんだんと精霊たちがいなくなり闇が濃くなってきた。
  かずさは歩き続けた。
 開けた空間の中央にだけ天井から月の光が零れて、苔むした丘に降りそそぐ。所々に白い大きな花が咲き乱れ、ジャスミンに似たやわらかい香りが仄かに香る。
 その中央の月下に誰かいた。
 かずさは岩の影に隠れてそっと覗き込む。
 あれが三日月の主人なのかもしれない。
 隻腕の老婆。
 いや、髪の長い若くて美しい女性が月を眺めていた。
 そのそばに狼が寄り添っている。
 かずさが凝視していると、その女性はこちらをふりむいた。
 氣がつかれた!?
「そこにいるのはわかっているよ、でておいで!」
 かずさは岩の影からでた。
 すると、かずさの目に映っていた、美しい女性の姿は老婆に為り変わっていた。
 見間違い?いや、確かに若い姿だった。
「あなたが……三日月の主人?」
 恐る恐るかずさは言葉を口にした。
「お前さんか、あたしの抜け道を使った者は……あそこを通ってこられるということは月の魔法を扱えるみたいだね、しかも……あたしよりも強力なやつみたいだ……」
「あなたはいったい、人をさらったりしてなにが目的でそんなことをしているの、そんなこと許されると思っているの?」
 老婆は高笑う。
「人を狩るのはあたしたちの生業だよ、社会は何かをして皆、対価を得ているだろう。誰かのために働いているだろう? 人を殺して欲しいと思っている人や生きた人間を何かに使いたい人だっているんだよ。わからないかい、需要があるってことさ。これで生活してこうやって身を立てているのさ、人をさらったりしたら悪いことなのかい? 誰が決めたそんなこと、人の世の中のルールなど知るか! 糞食らえだよ! あたしは魔法使いだ!魔法使いのルールがあるのさ。魔法使いは生きた人間を欲している、そうゆうことさ!」
 かずさは奥歯をかみしめた。
「あなたの考え方嫌いよ!」
「どうとでも言うがいいさ」
「そんなこと、やめさせてやる」
「どうやって? 他人が他人を変えることなどできやしないよ?人は自分から変わろうとしないと変わらないんだから。まさかあんた、魔法という暴力で無理矢理いうことを聞かせるのかい?」
「あなたは悪よ!」
「あはははは、そうだね、世の中の六割は悪人だよ!」
「糞ババア!」
「お前さん、あたしに協力しないかい」
「なにを?」
「その月の力を貸してくれないかね」
「何に使おうっていうの」
「その力は狼たちと相性がいいんだよ……」
「どうせ、ろくなことには使わないんでしょ、願い下げよ」
「じゃあ、無理矢理にでも手伝ってもらうことになるよ」
 老婆の横にいた狼が前に進みでる。
 岩の影から別の狼たちがでてくる。
 かずさの前には七匹の獣が牙をむいていた。
 かずさはざりと後じさる。
 どうする?
 魔法は使えない。
 敵は狼、逃げてもすぐに追いつかれる……
 ちらと、足下にあった手のひらだいの石を見た。
 手を伸ばして取る。
「そんな石ころ一つでどうにかなると思ってるのかい」
 ダッとかずさは後ろに走り出した。
「さあ追いかけっこだ、殺しちゃだめだよ!お前たち」
 狼たちが走り出した。

  私はすぐに捕まってしまうだろう。
 けど、諦めたくなかった。悪あがきなんだろうけど、抵抗したかった。
 狼たちの走る音が聞こえる。
 すぐ後ろにいるんだ。
 振り向くと一匹の狼が飛びかかってくる寸前だった。
 とっさに手に握った石を狼の頭に叩きつけた。
「キャン!」
 狼はもんどりをうつ。
 他の狼は警戒して止まり、こちらの様子をうかがっている。
 かずさはまた走り出した。





 ハア、ハア、ハア。
 先ほどの大樹のある地底湖まできた。
 湖を背にして立ち止まる。
 狼たちはかずさを取り囲んでいる。
  グルルルルと喉の奥を鳴らして鋭い牙がむき出されている。
 後ろにさがる、かずさの足は水につかる。
 冷たいなんて思っていられなかった。
 かずさの体力はもう限界で、完全に息が上がっていた。
 もう、逃げられそうに……ないかな。
  こんな時、何かの物語だったら王子様とかが助けに来てくれるんだけどな。
「大人しく、捕まれ女」
 黒い狼がしゃべりかけてきた。
  手に持っていた石が手から落ちてバシャリと音を立てて水に沈む。
 予期しないことが起きた。
 かずさと狼たちの間に白の狼とその背に掴まったおねえちゃんが割って入ってきたのだ。
「かずさ! 大丈夫?!」
「おねえちゃん」
 降りた姉に寄りすがった。
「怖かった……わたし……怖かったよ」
「もう大丈夫だから」
 あさぎはかずさを抱きしめた。
「後ろに隠れてろ、俺が守るから」
 かずさは頷く。
 三日月はムクムクと狼人間になった。
 他の狼も同様に姿を変える。
「三日月……」
 と黒毛の狼人間。
「お前らこんなことをやっていておかしいと思わないのか!」
 三日月は声を張り上げる。
「三日月兄ちゃん……」
「お前たちまで……」
 まだ大人になりきれていない者たちまでここにいる。
「誰かに言われたことになにも思わず従うだけ、自分の考えが無い、そんなのどうかしているだろ!」
「あの方が決められたことに俺たちが口を差し挟む余地などあるはずがない、誰のおかげでここまで生きてこられたんだと思う!」
「あの方のおかげだ……だけど!」
「あの方の意思は俺たちの意思、仲間たちを殺したお前はもう裏切り者で敵なんだ!」
 十六夜が今はリーダーのようだった。
「この前とはひと味違うぜ……」
「ごめんね……三日月兄ちゃん」
 十六夜の体は一回り大きくなった。
 他の者たちもいきなり大きくなる。
 なんだ……
 つばを垂れ流し、目は血走った赤になっている。
 七匹は遠吠えを始める。
 三日月は氣圧された。後ろに声をかける。
「俺が時間を稼いでいるうちにここから逃げろ」

  
  おばあちゃんが亡くなる少し前。
  秋風が吹いて、少し肌寒い季節。
 おばあちゃんはまともに歩けなくなっていて、白いベッドに寝たきりになっていた。
 木の枠の窓から見える立木に枯れた茶色い葉がカラリと散る。
「あさぎ、かずさ、二人に私の魔法を継承させます」
「はい」
  二人は声をそろえて返事をした。
「あさぎには夢の魔法を、かずさには氷を操る魔法と月の魔法を与えます」
「わたしは一つなの?」
「あさぎ、おまえは二つの魔法を継承すると死ぬかもしれないからね、我慢をし」
「じゃあいいや」
「かずさ、月の力を持っていることは誰にも言ってはいけないよ」
「なんで?」
「その力を利用しようとする者が必ずいるからさ、だからその力はむやみに人に見せてはいけない、できるならば使わないことが好ましいね」
「わかった」
「では、手をとって」
 二人はおばあちゃんの痩せた温かい手を握った。
「おわり」
 とおばあちゃんは言った。
「これだけ?」
 あさぎとかずさは目を見張る。
「こんなもんだよ」
「いや!」
 かずさの大きな声。
「いいから行け!!」
 三日月は怒鳴り返す。
「行くよ、かずさ」
  二人とは対照的にあさぎは落ち着いていた。
 二人がここにいても、何もできないことがわかっているため、三日月の言葉に従うべきだと判断したのだ。
「でも……」
 かずさは悔しそうにしながら手を握りこんだ。
「安心しろ、後からお前達に追いつくから」
 振り向きながら、二人はその場を後にする。
  一人残った三日月は同胞たちを見渡す。
「俺は、罪のない人間を襲うことをお前達にやめてもらいたい……だが、お前たちが変わる氣がないと言うのなら」
  その場にいた狼人間たちの爪が伸びる。
  三日月の頬が青白く光る。
 獣の唸り声がその場に満ちた。


「あっ」
  あさぎは転んだ。
「大丈夫!?」
「痛(い)…たっ」
 あさぎは足首を押さえる。
 かずさはしゃがんで姉の足を見ていたが、ぼそりと言った。
「ごめん、おねえちゃん」
「え?」
「一人で待ってて」
 かずさは元来た道を走りだした。



  朦朧とする意識の中、彼女が走りよってくる姿が見えた。
「三日月!」
 三日月は声を出そうとして、血を吐き出す。
「馬鹿野郎……なんで、戻ってき、た」
「あなたを一人になんて、できないからに決まってるじゃない」
 三日月は声を絞り出す。
「死ぬなら……君に抱かれて眠りたい」
「大丈夫、絶対に死なせたりなんてさせない」
 かずさから青白い燐光が煙のようにユラユラと立ちのぼる。

 天上の月が血の色に染まっていく。
  十五夜を眺めていた老婆は口を開けた。
「なんと……」

 今、契りを交わし、………………我が力の一介になら…………するか。
  消え入りそうな意識の中、何かをしゃべりかけれられていたが、ほとんど聞こえていなかった三日月は無意識に返事を返していた。
「あ……あ」
 なにかの力が三日月に流れ込んできた。
  狂氣、混乱、発狂、興奮、覚醒、罪悪、多幸、孤独、衝撃、悪意、善意。
 精神の平衡を失った。            
  意識の混濁。
 恐ろしいまでの力だった。
  激しく高ぶった。
 抑えきれない何かに不安に押しつぶされる。
 傷がみるみると癒える。
「ぐああああああ!!!!!!」
  三日月は身を揉んで苦しんだ。
  狂熱に支配される。
  心が何かに奪われたようだった。
 目の色が青に変じる。
 忘我。
 その恐ろしいまでに魔力が超絶した存在はもはや魔神と言ってもよかった。
 魔神は立ち上がっていた。
 狼人間の一体が魔神に襲いかかる。
 そいつは前頭を鷲づかみにされ、脳髄をたばしらせた。
 魔神の頬に血が飛んだ。
 もう一体が動かぬ間に胸を貫かれる。
 いつの間に動いたのか目に見える速さではなかった。
 腕を引き抜いて胸を貫かれた狼人が倒れるや、十六夜が魔神に腕を振り下ろす。
  十六夜の腕が肘から先が消し飛んでいた。
 苦痛の叫び。
 そのまま、十六夜の首と胴体は分離した。
 他の四体はその光景を見ても、ただ動けずに、震えて絶望していた。
 一匹。
 二匹。
 三匹。
 最後の一人が三日月を見上げながら涙を流す。
「三日月兄ちゃん、殺さないで……しにたくないよ」
 魔神は動かずに、その青い瞳で目の前を見つめる。
 目の前の狼人間には四肢は無く、切断面から血がとめどなく流れ出る。
「がああああああああああああ!!!!ー……」
  魔神は頭を抱え込んで膝をつき丸くなった。
 かずさはただ、ただ、茫然としていた。
 なに、これ……
 かずさは三日月に近づいて声をかける。
「三日月……」
 三日月はかずさを見上げた。
 青い瞳は小刻みに震え、面(おもて)は怯えと後悔と苦しみで溢れていた。
  かずさは魔法をとめようとしたが何もできなかった。
  力が暴走しているのか、そもそも扱えるような魔法ではなかったのか。
(解けない魔法なの……これ)
「殺してくれ、とまらないんだ」
 かずさは首をふる。
「お願いだ、俺が俺であるうちに殺してくれ」
 三日月は咽(むせ)び、頬から赤い涙が流れる。
 不氣味な紅い月が皆既月食で姿を変えている時に、その赤ん坊は生まれ落ちた。
 その子は生まれた時から、頬に三日月形の痣があった。
 四歳になる頃、村によその人が来た。
 親は来た人間に子供を売った。
 車に乗せられて泣き叫んだ。親と離されて不安しかなかったのだ。
 うるさいと怒鳴られて叩かれる。
 子供は怯えた。後部座席で震えながら小さく泣いた。
 車から降ろされて連れて行かれた汚い狭い部屋には、数人の子供が暗い顔をして座っていた。
 部屋は窓を木の板で塞がれて、天井から電球がぶら下がっている。
 子供はただただ、不安で泣くことしかできなかった。
 その場に集められた子供たちはオトルと呼ばれる集団に神事の道具として集められた子供たちだった。
  幾日がたった、深夜。
 その神事は地獄だった。
 ただ、獣たちがむさぼりあっていたようだった。
 子供たちは何かわからぬまま大人のされるがままに扱われた。
 行為が終わると、口を黒く塗られた。
 最初の一人が祭壇に寝かされて手足を縛られる。
 男が祭壇の前に立って銀の短剣を両手で掴み、刃(やいば)を下に向けて腕を最大まで上げた後、下に思い切り突き立てた。
 鮮血が男の腕に、祭壇の回りにビチャとはねる。
 子供の断末魔の叫び声。
 グッタリとしていた子供たちもその悲痛な叫び声を聞いてむくりと起きて、その光景を見て泣く子やただ呆然としている子、笑い出す子がいた。
  頬に痣のある子は、震え上がった。順番に殺されしまうんだとわかった。
 死にたくない、死にたくない、死にたくない。
「いやだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
 ガラス窓が割れて入り口の扉がドンと開き、凄い速さで影が入り込んできた。
 影は大人達に襲いかかり、喉に噛みつき、衣服をズタズタに引き裂き、頭に噛みついて左右に振り、はらわたを荒らして、口元を朱い液体でベットリと汚す。
 建物の中は血のにおいで溢れかえった。
 全ての子供達は泣き叫んだ。助けて、助けてと誰も頼れる人がいないのに震える声をはりあげていた。
 月の光がさしている入り口の扉から一人の老婆が中に足を踏み入れた。
「お前達は私に助けられた! この者たちに殺される運命だったのを変えてやった! 今からは自由の身だ!」
 子供達は泣き止み、老婆を凝視する。
「あたしについてきたいやつはついてきな!ただし、ついてきたやつは人間をやめて狼になってもらう!」
 老婆はくるりと後ろを向いて歩きだした。
 その場にいた獣たちもその後を追う。
 頬に痣のある少年は老婆の後を追ってかけだした。
「ぐああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
 三日月は苦しみのあまり絶叫した。
 肩で息をするくらい体力を消耗しているようだ。
 近寄ろうとするかずさを三日月は来るな! と止めた。
「君を傷つけたくない……」
 その場にかずさは立ち止まって、また魔法を止めようと試みる。
 燐光に包まれながら、伸ばした両手の血管がメリメリと浮き上がる。
「くっ……!」
「とまってよオオオ!!!!」
 何もできなかった。
 腰が砕けて地面にへたり込んだ。
(なんでよ……)
「とまってよ、お願いだから……」消え入りそうな声を出す。
 土をつかんで握りしめる。
 地べたに指の跡がつく。
 
 老婆が暗闇からスッと現れた。
「可哀想に……」
 老婆は倒れている狼人間達の頭や、体を一人ひとり優しく撫でた。
 三日月は老婆をじっと見ていた、静かな目で老婆も絶望にうちひしがれた獣の姿をした人間を見た。
「白道さま……ごめんなさい、俺を……殺して下さい、みんなの所にいかせてください」
 老婆は目を閉じて、
 そして、
 かずさの方を見る。
「お嬢ちゃん、こいつを助けたかったら月の力を使えるようにしてきな! 三日は時間を稼いでやるけど、それ以上はもたないよ! 死ぬ氣でやりな!」
 かずさは顔をあげて老婆に言う。
「扱えるようにってどうすればいいの!」
「制御が全然できなくて……」
 かずさは泣きじゃくる。
「この地域に有名なやつがいるだろ! それを頼ればどうにかしてくれるんじゃないかね! 他の魔法も使えるようにしておいたから、飛んで逃げられるだろ、期待しているよ! お行き!」
 かずさは涙を拭いて立ち上がった。

 姉と合流してから、箒を呼んで外に出た。
「月が赤くなってる」
「うん」



 制服姿の女は箒に腰掛けて森の上空を飛んでいた。
「なんか、赤い月とか不氣味なんだけど、帰ろっかな怖いし」
 長い濡れ羽色の髪が風に揺れる。
 前から飛んでくる影が二つあった。
「ん?」
 魔法使いだ。
  だんだんと近づいて、それが、二人の女だとわかり、顔がだんだんハッキリと……
「あ」
 三人はお互いの顔を見て驚く。
「あんたたち……泥だらけでどうしたの」
「ええ、急いでいるから、じゃあね」
 あさぎが先を急ごうとすると、
「あなた工藤信也さんと知り合いだったりしない?」
 かずさが訊ねた。
  あの娘に出会わなければ、こんな苦しみを味わうことなどなかったのにね。
「我と共に歩むは氣高き魂、いでよ、絶地(ぜつち)、翻羽(ほんう)、奔霄(ほんしよう)、超影(えつえい)、踰輝(ゆき)、超光(ちようこう)、謄霧(とうむ)、挟翼(きようよく)」
 八匹の狼がその場に現れた。
 一匹が老婆の手の下にきて頭を撫でられる。
「久方ぶりに呼び出されてみれば、これまた厄介そうなのがいる」
「すまないね手をかしておくれ」



  ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
 カチャリ。
 ドアが開いた。
「舞ちゃん、何回も鳴らさないでくれるかな、あと何時だと思っているの?」
 目の前の男は黄色いパジャマを着て、さきほどまで寝ていたのであろう、まぶたがまともに開いていなかった。
「ごめんね、店長。どうしても店長に会いたいっていう、お客さんがいたから連れてきたの」
 男が半開きのドアを全開まで開いて、舞の横の二人を見る。
「あれ?」 
  かずさとあさぎは目を合わせた。



  マンションの一室。
 四人はソファに座りながら、姉妹から今までの話を聞いていた。
 黄色いくまのぬいぐるみが人数分の緑茶を用意してどうぞと言いながらテーブルに置いていく。おいしょ、とソファによじ登った。
 姉妹はお願いします、力を貸して下さいと頭を下げた。
「無理だ」
「なんで!」
 かずさは身を乗りだして、目の前のテーブルにダン!と両手をついた。
「君の月の力を操れるようにするのが無理なんだ」
「そんなのやってみなくちゃ!」
「一つ聞くけど、魔法を扱えるようになってどれくらい訓練したとか覚えてるかな」
「それは……」
「それに、君がコントロールしようとしているのは大きな力だ、普通の魔法とは訳が違う、凄く扱いが難しいのはわかるだろう」
「はい」
  かずさは大きくなっていた声を普通に戻して腰を下ろした。
「今まで訓練もしないで、使ってこなかったものを三日でどうにかしろなんて無理だ……」
 かずさはまっすぐ信也を見る。
「お願いします。それでも諦めたくないんです」
「無理だとわかっていても?」
「やらなきゃいけないんです」
  信也は目の前の瞳に力強い光を見た。
「わかった、俺のできる範囲で協力しよう」
「あと、あさぎちゃん、君も夢の魔法の訓練をしてもらうよ」
 あさぎはキョトンとする。
「なんでですか?」
「その夢の魔法はたぶん月の魔法の抑止力として、制御できなくなった者の命を終わらせるために使われてたんだと思う。その魔法が生物を殺すことにも使えるのは知っていたかい?」
「知りませんでした……そんなに危険な魔法だったなんて」
 あさぎは声を暗くした。
「魔法は全て危険だよ、使い方しだいで凶器になり得るものだ。言ったらボールペンでも人は殺せるんだよ?なんでも使いようだよ」
「そう……ですね」
「使い方の一つにその対象を眠りから起きないようにすることができるんだよ、月の魔法ですぐに肉体の損傷を回復されるとしても目覚めなくなっちゃ無力だ、そして起きられなくなるってことは死だ」
「私に彼を殺せというんですね」
  あさぎの声は落ち着いていて静かだった。
「もし間に合わなかったときはそうなるね、夢の魔法は使ってたんでしょ、ならあさぎちゃんの方は難しくない」
「わかりました……」
 姉妹は手を握り合った。
 


  喫茶店の地下室に連れられてきた。
 信也は奥の棚からごそごそと何かを取りだす。
 床に無色透明な丸い水晶を置いた。
「これは?」
「これに魔力を流してコントロールする訓練をしてもらうから」  
 まず、と言って信也は玉に向かって手を伸ばした、すると玉の中にユラユラと緑色の靄(もや)のようなものが浮かびあがってきた。
「普通の魔法なら壊れないけど、これに君の月の魔法を使って魔力を増幅させる。はい」
 かずさは魔力を込めた。
 緑色の揺らめきは一瞬で中いっぱいに広がって濃い緑に変わり、そして玉は砕けた。 
「これを壊さないようになるまでやろうか」
 砕けた玉は、ゆっくりと一所(ひとところ)に寄り集まって、バラバラだったのがまた一つの元の水晶に戻った。
「今度は自分の魔力を込めてみて、少しでいいから」
「はい」
「信也さん、私たちがやろうとしていることって間違ってないですよね」
「誰もわからないさ、そんなこと、できる範囲を精一杯やるだけだ。魔法から解放させてあげることができたらいいけど……」
「嫌ですよ、私、やりたくない」
「君には救ってあげられる力があって、目の前に苦しんでいる人がいる。そして、助けを求められたら、君はどうするんだい」



 
 かずさはくずおれ、うなだれながら顔をグシャグシャにして泣いていた。
「全然……できないよ」
 ぽろぽろと落ちた涙の粒が床にシミを作る。

「かずさ」
 あさぎは後ろから妹を抱きしめた。
 姉の頬からも涙がこぼれる。
「時間よ、彼の元へ行きましょう」



 老婆の後ろ姿が見えた。
 かずさが声をかけようと近づく。
「死んでる」
 老婆は立ったまま絶命していた。
 さきほどまで三日月と対峙していたであろう狼たちも、ふっと姿を消す。
 彼がこちらを見る。
 咆哮をあげてかずさを襲おうと向かってきた。
 かずさはただ見ていただけだった。
  返り血と土で白い毛は殆ど黒に近い色になっている。
  爪が届くすんでのところで、彼は魔法の戒めで動けなくなった。
「私のことわかる?」
 声が震える。
 彼はただ唸るだけだった。
「ねえ、こたえてよ……」
 涙が目に滲む。
(もう、私の声は届かない)
「今のうちに」
 信也がそう言った。
「かずさ……」
 あさぎがかずさに近づいて話しかける。
「待って、一度だけ、チャンスが欲しい」
 かずさは動けなくなった彼の胸に抱きついた。
 月の魔法を発動させる。青白い燐光がかずさから立ちのぼる。
 やはり、魔法を解除させることはできなかった。
「ごめんなさい」
 顔を胸に押しつけていたため、声がくぐもる。
「ごめん……なさい」
「う……があ……」
 かずさは顔を上げる。
「聞こえるの? 三日月」
「死なせ……て、くれ苦しいん、だ、生き、て……い、る、のが、苦し……いん、だ、」
  かずさの顔は哀で溢れかえった。
 腕を解いて、一歩、二歩と後退して、後ろを振り返る。
「おねえちゃん、お願い」
  やりきれない氣持ちが嗚咽となって、一緒に絞り出た言葉だった。
 あさぎは歩み寄り、彼の頭に手をのせた。さよならとつぶやいた。
「永久(とこしえ)の安らぎを与える」
  ぐぐぐ、彼の戒めに繋がれていた腕の力みがだんだんと無くなって、膝がくずれる。

  あたたかい水の粒。
 顔が心地よい何かに包まれて、好きな女の子の香りを感じながら……
 ありが……とう。



「もう一度聞くけど、本当に継承した魔法を封印してもいいのかい?」
「はい、お願いします」
 真ん中にダイヤ、そのダイヤを取り囲むように八つの丸があって、その丸の中に呪文、ダイヤの回りを取り囲むように呪文が綴られた魔法陣の中央にあぐらをかいて座っている女の体には魔法陣に綴られた文字と同じような文字がビッシリとあった。信也は女の左肩甲骨のあたりに手をかざしながら呪文を唱えると、青白い光が輝いて体の文字と魔法陣の文字が手をかざしていた場所一点に吸い込まれるように集まった。
 肩甲骨のあたりに三日月形の入れ墨が出来上がっていた。













 





  





 
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