3 / 3
幸福な微笑み3
しおりを挟む
ヨシコは涙を流していた。唇から伝わる体のほてり。このまま壊れるほど、狂うほどに、このほてった体を貫いて欲しいのに、もう生きる体力すら残り少ない。しかし、体の奥底から湧き上がる幸福の源泉を再生させ、魂の息吹を今一度ユウヘイのキスは思い起こさせてくれた。
唇を重ねあった時間はとても長く感じられた。永遠とも言えるような優しくゆるやかな時間だった。全身をめぐる血流が、ほてりとなって、ヨシコの体を潤す。死を間近にした人間でも、愛するものを求める体の欲求は静かに灯をつけるのだとヨシコは感じていた。
二人が唇をゆっくり離すとヨシコは言った。
「変わらない。変わりようもない。魂は、ユウヘイをちゃんと覚えている。こんなにも素晴らしいと思える。素敵なことだと思える。今日、ユウヘイにちゃんと会えてよかった」
ユウヘイはヨシコの言葉を受けて黙ったまま、また抱きしめた。
「このままユウヘイの腕の中で死んでいきたい」
「罪な女性だ」
「最後くらい、自分だけの人生に戻っても、いい」
ユウヘイは抱きしめた感触でヨシコの様子がわかっていた。骨ばってゴツゴツとした体になって骨と皮だけになったような印象を感じていた。いやがおうにも死期が近いことを訴えられているようで悲しみがあふれそうだった。それでも、変わらない魂の声を、しっかりと受け止めようと思った。
いくつもの断片がユウヘイの頭を通り過ぎる。初めてヨシコを抱いた日、二人ともどうしていいかわからなかった。本での微かな知識しかないまま二時間も苦戦した。初めて繋がりあった時、ヨシコは嬉し涙を流してユウヘイへと抱きつき、その身も心もすべてユウヘイに委ねた。それからは機会がめっきり少なく、女子寮の三階の窓へと排水パイプを伝って忍び込み、熱烈なキスを何度も交わし、一瞬の濃厚な時間を過ごした。そして時間になれば去るという日々を過ごした。
静かに体を離し、ゆっくりとヨシコを車椅子に座らせる。その時、エミがテラスへと入ってきた。
「あ、お母さん。呼んでるよ」
「ありがとう。エミちゃん」
エミは母親の微笑に気がついていた。それは友達同士の楽しく、嬉しいときに浮かぶ笑顔ではなく、女が静かに燃える幸福を胸に抱いたときに浮かべる笑顔だった。エミはその微妙な違い、内にこめた、底知れぬ幸福な微笑に気がついていた。ユウヘイがとても優しげな瞳でエミを見つめていた。
車椅子をエミが押して行こうとすると、ヨシコはユウヘイに「戻らないの?」と聞くと、ユウヘイは「少し、残らせて欲しい」と言った。エミは、どこか二人の微笑みの源泉が同じなのではないかと直感していた。
一週間後、ヨシコはこの世を去った。葬儀にはユウヘイの姿はなかった。
葬儀がひと段落して、エミは日が過ぎるごとに、徐々に母の死が実感できるようになっていた。それでも、どこか生きているような感じがして悲しみとぬくもりが同居していて変な気分だった。
エミは母親がテラスで見せた男との微笑を思い出していた。過酷ながんとの闘病の苦しみの表情から比べれば、どのような形であろうと幸福を抱いて最後にこの世を去れたのは、人間として最上の形なのではないかと思った。
何も話してくれなかったけれど、いじめられていた母が、あのような形で皆とわかりあうことができた。最後には最愛の人との再会も果たせた。面影もない父の姿を見られた。人の希望は、いつだって安易に捨ててよいものではないのだ。実際、周囲が諦めかけても母だけは諦めなかった。生きて、何かを伝えようとしていた。最後には、わだかまりも消え、満足して死ねた。宛先のわからない何十通もの手紙はすべて遺言により焼却したので手紙には何が書いてあったのかわからない。でも、生き抜くことの先に希望を見出すには、母のような慈愛を持たなければならないのだと、仏壇の写真を見ながら、お鈴を鳴らした。エミは静かに瞳を閉じて母を想った。
唇を重ねあった時間はとても長く感じられた。永遠とも言えるような優しくゆるやかな時間だった。全身をめぐる血流が、ほてりとなって、ヨシコの体を潤す。死を間近にした人間でも、愛するものを求める体の欲求は静かに灯をつけるのだとヨシコは感じていた。
二人が唇をゆっくり離すとヨシコは言った。
「変わらない。変わりようもない。魂は、ユウヘイをちゃんと覚えている。こんなにも素晴らしいと思える。素敵なことだと思える。今日、ユウヘイにちゃんと会えてよかった」
ユウヘイはヨシコの言葉を受けて黙ったまま、また抱きしめた。
「このままユウヘイの腕の中で死んでいきたい」
「罪な女性だ」
「最後くらい、自分だけの人生に戻っても、いい」
ユウヘイは抱きしめた感触でヨシコの様子がわかっていた。骨ばってゴツゴツとした体になって骨と皮だけになったような印象を感じていた。いやがおうにも死期が近いことを訴えられているようで悲しみがあふれそうだった。それでも、変わらない魂の声を、しっかりと受け止めようと思った。
いくつもの断片がユウヘイの頭を通り過ぎる。初めてヨシコを抱いた日、二人ともどうしていいかわからなかった。本での微かな知識しかないまま二時間も苦戦した。初めて繋がりあった時、ヨシコは嬉し涙を流してユウヘイへと抱きつき、その身も心もすべてユウヘイに委ねた。それからは機会がめっきり少なく、女子寮の三階の窓へと排水パイプを伝って忍び込み、熱烈なキスを何度も交わし、一瞬の濃厚な時間を過ごした。そして時間になれば去るという日々を過ごした。
静かに体を離し、ゆっくりとヨシコを車椅子に座らせる。その時、エミがテラスへと入ってきた。
「あ、お母さん。呼んでるよ」
「ありがとう。エミちゃん」
エミは母親の微笑に気がついていた。それは友達同士の楽しく、嬉しいときに浮かぶ笑顔ではなく、女が静かに燃える幸福を胸に抱いたときに浮かべる笑顔だった。エミはその微妙な違い、内にこめた、底知れぬ幸福な微笑に気がついていた。ユウヘイがとても優しげな瞳でエミを見つめていた。
車椅子をエミが押して行こうとすると、ヨシコはユウヘイに「戻らないの?」と聞くと、ユウヘイは「少し、残らせて欲しい」と言った。エミは、どこか二人の微笑みの源泉が同じなのではないかと直感していた。
一週間後、ヨシコはこの世を去った。葬儀にはユウヘイの姿はなかった。
葬儀がひと段落して、エミは日が過ぎるごとに、徐々に母の死が実感できるようになっていた。それでも、どこか生きているような感じがして悲しみとぬくもりが同居していて変な気分だった。
エミは母親がテラスで見せた男との微笑を思い出していた。過酷ながんとの闘病の苦しみの表情から比べれば、どのような形であろうと幸福を抱いて最後にこの世を去れたのは、人間として最上の形なのではないかと思った。
何も話してくれなかったけれど、いじめられていた母が、あのような形で皆とわかりあうことができた。最後には最愛の人との再会も果たせた。面影もない父の姿を見られた。人の希望は、いつだって安易に捨ててよいものではないのだ。実際、周囲が諦めかけても母だけは諦めなかった。生きて、何かを伝えようとしていた。最後には、わだかまりも消え、満足して死ねた。宛先のわからない何十通もの手紙はすべて遺言により焼却したので手紙には何が書いてあったのかわからない。でも、生き抜くことの先に希望を見出すには、母のような慈愛を持たなければならないのだと、仏壇の写真を見ながら、お鈴を鳴らした。エミは静かに瞳を閉じて母を想った。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
思いを込めてあなたに贈る
あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
真実の愛には敵いませんもの
あんど もあ
ファンタジー
縁談の相手に「自分には真実の愛の相手がいる」と言われて破談になってしまった私。友人達に聞いてもらって笑い飛ばしてもらいましょう!、と思ったのですが、話は予想外に広まってしまい……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる