何故夢の跡に兵が

イスクラ

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戦の裏の争い

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「主に感謝を」
「人民のために」
 二人の男がグラスを手にし、各々の決まり文句をそれぞれの言語にて乾杯を行う。中身のワインを少し減らした後に、それぞれの社交辞令を始める。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。私どもからこういった場の提案をさせていただいたというのに、セッティングをそちらに任せてしまうとは」
「いえいえ、私も……いや私たちも、そろそろと思っていたところですから」
「……いやしかし、良い場所ですなここは」
招かれた赤服の男が、豪邸の窓を眺めている。
「でしょう?地平線まで続くこの平原を毎日見たくて、ここに建てさせたんです。……今日は、少々見えにくくなっていますが」
 招いた青服の男は、自慢げに話すものの、窓のほうを見ようともしない。日常の光景だからというよりは、その平原の現状から、目を逸らすようだった。
しかし赤服は、その様子を目に留めることなく、席を立ちグラス片手に窓へと進んだ。
「うーむ。やはり絶景ですな!」
「……その絶景というのは、何に対するもので?」
 普段の平原は、どこまでも続く新緑が風に揺られるさまを眺めることができる。しかし本日の光景は、規則正しく並ぶ赤と青の兵、硝煙と発砲光、砲弾が巻き上げる土煙といった有り様だった。
「あーいやいや、それはですな……もちろん普段の平原もさぞ壮大な景色なのでしょう。しかし、この比類なき大規模な会戦を、この特等席で拝見できる! というのは、何とも贅沢だと思いましてな」
「そうですか……満足いただけましたかな? ではそろそろ本題に――」
「いやいや、折角ですからもう少し見物とさせていただきたいと存じますな。それに、急いたところで、この会戦が終わらない限り、本来であれば本題にも進めないと思われますがね」
 赤服は、余裕の表情で問いかける。青服は、その問いに対して、笑みによる回答としたが、その顔に、微かな焦りを見せていた。
 永らく続いていた二大国間の戦争、海峡戦争は、本会戦にて決着がつくものと思われる。この海を挟んだ二大国間戦争の終結は、どのように転ぶとしても、近隣の状勢を、引いては国際社会を揺るがしなねない重要な事象となることは確実だろう。
 自国で始まる会戦。青服の交渉は有利とは言えず、なるべく不利な決着とならぬようにする必要があるといえる。
「……とはいえ、いつ終わるかわからない戦いのために、こうしてある程度の枠組みを抑えておこうという話でしょう?」
「おぉ、そうでしたな。これは失敬」
 対する赤服は、余裕綽々といった様子だ。
 この会戦において、赤服の国、帝国は勝たずとも問題ない。例え、痛み分けや際どい敗北であっても、大勢は揺らぐことなく赤服の国が優勢のまま、戦争終結が終結するだろう。
 また、件の会戦にいたっても、赤服が優勢。青服の国、共和国はまさしく窮地に立たされていた。
「まずは、戦後の国境についてですが、我々としては海峡の中心線を――」
「海峡?なんの話ですかな」
「我が国共和国と貴国を隔てる海について話しております。おや、もしや海をご存じでない?」
「ははは。ジョーク好きとお見受けしましたが、帝国は島国。海との縁は切っても切れぬもの。むしろ海を知らぬのは貴国のほうでは?」
「……」
「既に帝国は、大陸側の沿岸領土の全てを掌握し、貴国への認識を内陸国とすることもできる。しかし、我々も、いや陛下も鬼ではない。寛大な御心のもと、戦後は良好な関係を構築せよとのお達し。内陸国と規定するのは、貴国の反応によるところでしょうな」
譲歩をするような口振り。しかしこの文言の意訳は、さながら
「……代わりに我が国の植民地が欲しいと?」
「あーいやはや、要求をしたようで申し訳ありませんな」
「……」
「……ジョーク好きではありませんでしたか。単刀直入に申し上げますと、貴国本土を直接割譲する代わりに、南方大陸の6割と東方諸島の主要港を要求したく存じます」
「! 南方大陸と東方諸島の利益は、共和国の生命線。それのほとんどというのは、些か暴挙が過ぎませんか」
「これが暴挙というのなら、貴方方は本土の代わりに何を差し出してくれますかな? まさか、端金とは言いますまい」
「……戦後領土については一旦棚上げとしましょう。次に軍縮についてですが――」
「あーいやまたれよ。領土関連でもう一つある。貴国の北西地域に独立機運があることはご存じですな?」
「えぇ……まあ」
「その地域の独立を承認してしていただきたい」
「な!? 先ほどは本土に手を出さぬと――」
「えぇ我々は、ですがね。もとより本戦争は、北西地域の独立運動を貴国が武力をもって抑え込もうとしたことに端を発するもの。かの地域の努力は、認められるべきかと――」
「少々お待ちを。貴公は我々の警察力の行使を、戦争の発端としておりますが、この警察行為に介入してきた貴国が原因ではありませんか?」
「原因も何も、そのような状況を作り上げたのは、他でもない共和国側としか言えませんな。他地域の分離主義者を、かなり残虐な行為で圧殺したと聞いております。無論この話は、当時の北西地域の耳にも届いていたのでしょう。海を隔てているとはいえ、隣国の我々に助けを求めるのは自然なこと。我々はただ、帝国の正義を伸ばしたまで。海外領土割譲の条件は、あくまで制裁の範囲。本地域の独立は、言わば本戦争の目的だ」
「……話になりません」
「えぇ、全く同感ですな」
 雰囲気は、ご覧の通り最悪といった状態。目の置き所に困った赤服は、再び立ち上がり窓の外を眺めている。すると、青服を着た部隊がちらほらと逃げ出す様子があった。
「お! どうやら我が国が優勢のようですな。いいぞ! そのまま押し込め!」
 赤服は、あえて相手を挑発するが、青服は、それに乗ることはなく、その姿勢を変えることもなかった。本来、赤服が座っているであろう場所の一点を見つめている。
 座れよ、まだ続きだろう? と、訴えている虚ろな目に、どこか嫌な狂気さえ感じた。ばつが悪く感じた赤服は、素直に座り直したが、静寂にも嫌気がさしていた。
「……しかし、わからない。我が国は、最大限の譲歩を提示しているのにもかかわらず、貴国からは、歩み寄りさえ感じることができない。一体貴国は、この席で何をお求めに?」
帝国側の最大限の譲歩という文言は、悪いジョークのように聞こえる。しかし、二大国とはいえ、その力の差は歴然。ましてや革命直後の動乱をまとめきれていない共和国が、帝国から勝ちを取ることは無理な話だ。
外交通例上、最初の要求として無理難題を吹っ掛けることが常道だが、そうしないのは、帝国が日の沈まぬ国とされる所以である。だがその紳士心に、青服は一切の妥協も行わない。
「……我々共和国としては、この席を戦後条約締結の機会として見ておりません。戦争継続の意思を示す場としております」
 赤服は、隠す気もなく驚愕する。その顔は、嘲笑や落胆、困惑が織り混ざったような絶妙な表情となっていた。
「いやいや、私が言うのも不可思議ですが、交渉とは、それこそ外交は、一時の感情で臨むものではありませんぞ? それに貴公は、いや貴公らは一度窓の外を見るべきだ」
気がつけば窓の外は、会戦の場は、赤服がその大半を占めるようになりつつある。大勢は、決したようだ。
「今のうちに我々の譲歩を受け入れるべきかと。これ以上続けるとなると、手加減ができなくなる」
「いいや結構です」
「……何故、それほどまでかの地域に執着をするのか。分離主義に染まった場所に固執するよりも、先ずは、貴国の中枢をどうにかするべき――」
「中枢とは、どういった意味ですかな?」
青服の目の色が変わった。いや、変わったというより、その虚ろなめの深みが増したとするべきだろう。
「……意味も何も、政変直後のまとまりを――」
「我らが大統領の偉大なる思想に、間違いがあるとでも言うのか!」
 赤服は、驚きはしたものの、その姿勢を崩すことはなかった。交渉の場において萎縮は隙となる。また、青服の本性についても、知らないわけではなかった。
「いえいえ、政治信条というもは、様々な形があるものです。それはまた、完全な正解がないことを意味している。貴公らの考えが、完全に間違いがないとは言い切れ――」
「民主主義を愚弄する気か。ふん、腐った時代遅れの封建主義者どもには、理解できぬ話か」
取り繕う気は、なさそうだ。
「民主主義、ポピュリズムこそがこの世で最も完成された思想・国家システムだ。国民による国民のための政治、貴族や王家・宗教などという根拠のない支配階層によって、虚偽の論理が執行されない、民意によって正真正銘の正義が国に平等をもたらす! これを理解できぬとは、何とも憐れだ」
「その民意が、虚偽であったとしても?」
「……なんだと?」
「民意というものは、確かに政治において重要な要素だといえましょう。しかし、一つの国だとしても、全ての国民が同じ意思を持っているわけではない。その全ての民意を国政に、ましてや国際社会に反映するというのは到底不可能だ。政治というのは民意以外にも目を配ることは山ほどある。また時に、民意は一時的な暴走状態に陥る。いわゆる大衆主義、ポピュリズムだ。一時の感情を民主主義と謳うというのは、いかがなものかと思いますがね」
「だまれ! いまだ過去を棄てきれず王室という封建主義の看板を掲げ、諸地域を抑圧している封建主義者と我々は違う!」
「それに、貴公らの行いは、そもそも大衆意思と既に乖離しているように思える」
「ふん、何を言い始めたと思えば――」
「民主主義とは、元来、市民や国民が政治における最終決定権を持つ制度でなくはならない。だが、ほんの一瞬の反王室運動が過激な大衆意思となり、革命となった。その性質は政変ではなく、革命を扇動した一人の男、後の大統領と呼ばれる人間による独裁となり、王室体制よりも強権的な中央集権国家となるにいたった。イデオロギーとは、権力をどのように集め、どのように用いるかという手段に過ぎない。貴国は、まさしくこの例に当てはまりましょう」
「……何とでも言うがいい。こちらとしても、はなから理解して貰おうとは思っていない」
「そうですか。まあいずれにせよ、勝敗は我が帝国にあるも同然。総力戦体制をとられると厄介だが、こちらもそれなりの準備を――」
「お話し中、失礼します!」
 重苦しい話し合いの場に、もう一人赤服がドアから飛び出してきた。
「今は大事な交渉の最中だが?」
「緊急の伝令であります!  長官殿!」
「……そうか、わかった。大変申し訳ありませんが、少々お待ちいただいても?」
「……えぇ、構いませんよ」
突然の妨げによって、熱を帯びつつあった空気に、ブレイクタイムが挟まれた。
「それで、緊急の伝令とは?」
「は、実は……本国のほうで……また……」
「……なに? それは本当か」
「は、こちらの資料に……」
「そうか……わかったご苦労、下がってよろしい」
「は! 失礼しました!」
 足早にかつ規則正しい歩調で、若い赤服は部屋を後にした。
「時間をとらせてしまい、大変失礼しました。では、続きを――」
「隠さなくともよろしいのですよ。少なくとも、今の伝令については」
「……と言いますと?」
「盗み聞きをしたようで失礼。しかし、断片的な単語が一切聞こえなかったとしても、このタイミングでの緊急事態は把握している。大方、本土のほうで、反王室主義者の反乱が起きたといったところでしょう」
「最早、隠す気もありませんな。……陛下のお膝元で逆賊を手引きしたのは貴公らだな?」
「手引きとは人聞きの悪い。我々はただ、革命精神を持つ同志を助けたまでです」
「ようやく饒舌になってきたなブルーフロッグ。この混乱を利用し、いや陛下を危険にさらし、交渉を有利に進めようという魂胆というわけか。どこまでも卑怯でどす黒い腹を抱えていることか」
「赤いライムどもに言われたくはありませんね」
場は、今までにないほどヒートアップしていた。特に赤服の怒りは、迫真そのものだった。
「まあ、いいでしょう。そこまで理解しているのであれば、その先もおわかりですね? では現状回復の一時停戦案を――」
「何を言っているのかね? 最初に提示した譲歩案を、さらに譲歩することはしませんぞ」
「いやいや、交渉は一時の感情で臨むものではないと言ったのは、他でもない貴方ですよ? 貴国の本土は分離主義の温床となり、例の陛下とやらにも危険が迫っている。他国で会戦など、ましてや完全制圧に使える兵力は――」
「ないでしょうな。そうなっていればの話ですがね」
「なに?」
切り札を使い、勝ち誇っていた青服の表情が凍りつく。
「何を勘違いしていたのかは存じ上げないが、そもそも先の伝令は、反乱分子の鎮圧が終わったというものだ」
「は?」
「貴公らが、我が帝国の反乱分子にどれほどの金と労力を注ぎ込んだのかは知らん。ただこれだけ、はっきりとわかっている。貴公ら新参の大統領やら思想やらが、我ら帝国臣民の目と耳に届くことはない。一島国から、ここまでの帝国を築き上げ、慈悲ある統治のもと世界をまとめ上げようとする陛下を愚弄する人間はおらぬ。我らが陛下と、その忠実なる帝国に刃を向けるは、権力を欲する愚者のみぞ。そのような畜生どもに軽く対処できないようであったら、今の帝国はない」
「貴様、……謀ったな! 高を括る私を蔑むために、あのような子芝居を!」
「気を悪くしたと言うのなら謝罪しよう。しかし、私は確かめたかった。この卑劣な行為は、帝国臣民を思ってのことなのか、はたまた権力と欲のためなのかを。どうやら、後者で間違いないようだな」
「クソッ……」
「た、大変です外相!」
 決着が着きつつあった場に、今度は青服が慌ただしい様子で入り込んできた。
「なんだ騒々しい! 外相級の会合で無礼な真似を――」
「非常事態です! 我々ではもう手に負えません! 指示を!」
「……ッチ、さっさと話せ。さもなくば――」
「よければ、私から話しましょうか?」
 赤服は、飽きれともとれる表情を浮かべ、先ほど受け取った緊急伝令をヒラヒラとなびかせている。
「なっ?!」
「えー我々の情報によると、【共和国にて大多数の地方地域の分離及び大規模な反政府派反乱の兆しあり】とのこと。そこの君、この情報に間違いはないかね?」
「は、はい。間違いどころか、その、反政府派の反乱は初耳……です」
「な、な……」
 青服は、驚きと絶望のあまり言葉もでないようだ。
「はぁ~、だから政変直後は外でなく内側を優先すべきなんです。自負するわけではないが、我々帝国と全面戦争をしているときに内側にリソースを割く余裕があるとでも? 国際、いや政治の場で感情的に行動するとどうなるか、わかりきっていたことだと思いますがね」
「――だまれ! 何度大統領を蔑めば気が済むんだ貴様!」
「蔑むも何も、貴公らの指導者がやったことを言葉にしているだけだ」
「……わかったぞ。この分離反乱は、貴様らが手引きしたことだろう。ここまで帝国にとってうまい話はない。貴様らとて、我々と同じことをしているではないか」
「……えぇまあ、確かに。そのような工作を行おうとはしました」
「ふん、そのように隠さずとも――」
「しかしながら、工作を行わずとも同じ結果になると思いますがね」
「どういう意味だ」
「共和国内部の分離派や反政府派と接触したことは事実です。しかし、彼らは既に、貴公らの圧政から単独で抜け出せるほどの実力を保持している。ここまでとは、我々も予想外でしたがね。わざわざこの会戦まで待たずともよいと提案しましたが、『完膚なきまでにポピュリストどもを叩き潰す必要がある』と返答いただきましたよ。貴公も敬愛する大統領ではなく、自身の心配をした方がよろしい。戦後、我々が判断主体であった場合、理性的な処理をお約束しますが、彼らに捕まったとしたら……」
 もはや、自らの服よりも青ざめた顔を浮かべる男に、これ以上言葉を発する余裕はなかった。
「そろそろ我々は失礼させていただきますよ。まだまだ仕事が山積みでね。陛下のお達し通り、戦後は貴国と友好関係を築く必要がある」
 決した部屋のドアが三度開く。しかし、今度はゆっくりと厳かに。
「長官どの、そろそろお時間です」
「うむ、丁度終わったところだ。行くとしよう……願わくば、次は法廷でお会いしましょう」
 外では赤服たちが、勝利の歓声をあげている。これは、勝利による熱狂的な興奮というより、永らく続いた戦争の終結という安堵に近いものだった。それは、兵士のみならず、その家族や国民、皇帝、共和国の人間も例外ではない。
 共和国首都が反乱軍に制圧され、遂に旧政府は交戦勢力全てに対して無条件降伏を打診。終戦の報は、すぐさま世界を駆け巡り、永らく続いた緊張の終わりを、人々は祝福した。
 しかしある人物は、『終戦と敵国領内で聞いたとき、歓喜が辺りにこだましていた。しかしそれらは、今まで聞かないようにしてきた怒り狂う群衆の怒号のようにすら聞こえた』と、戦後裁判にて証言している。

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