半監禁結婚

にくだんご

文字の大きさ
上 下
1 / 24

何不自由なく育ったのですが、それがいけなかったのかも知れません。

しおりを挟む
初夏の暖かい日差し、生温い風にじわじわと汗をかいていた。
このご時世、外出と言っても散歩くらいしか出来ない。大学ももう1年半行っていない。せっかく作った友達も、連絡を取るのがお互い億劫になる。遊びたいね、飲みたいねなどの社交辞令もネタを尽きてしまった。

ニュースでは若者の外出が減らない、20代の重症化率が増えている、などの話ばかりである。母はそれを見る度私に気をつけなさいと言う。私は先週あなたとランチに行ったきり外出は散歩のみであると言うのに。

私は4人兄妹の2番目、長女として生まれた。妹が2人、兄が1人である。兄はスポーツマンでサッカー部では中学高校ともに関東大会に出た。反面勉強は苦手なようで、名前を言われてもピンとこない大学を卒業後、就職活動を経て営業として父の会社に勤めることになった。
私はと言うと、運動が好きではあったが母は兄を見て私に部活をさせる事を拒んだ。高校ではサークルのような軽音部に入り、週1度の活動以外は塾に通った。仲のいい友達が1人だけ出来たが、これと言った思い出も残らず、滑り止めのそこそこの大学で生活を送っている。
妹2人は双子で、母はとても可愛がっている。末っ子には好きな事をさせたいと言っており、中学生の妹達はそれぞれバスケ部とバレー部に入った。

母は比べるのが好きだ。私には男の子の幼馴染がいるのだが、小さい頃から〇〇くんの方が足が速いだの、華ちゃんの方が勉強が出来るだの。私は私のほうができないと言われた事はこっそり努力をし、私のほうができると言われた事は自慢しないようにした。
目立つのが嫌だった。というより、目立とうとする事が良くないと潜在的に感じていた。
目立てば目立つほど母の期待値は上がるのだ。兄を見てそれを学んだ。兄は関東大会を経て地元で一躍有名になったが、大学受験就職活動共に上手くいかなかったことで母は物凄い落胆をした。途端に瑞稀は全然ダメだったからねと言い。私に期待が向いたのだ。

教育に熱心、心配性、過保護、自慢や噂が好き。悪い人ではないのだ。悪くは言えない。ただ、息苦しいだけなのだ。

私はその息苦しさを、祖父母の家で聴くCDや、棚いっぱいに並ぶ映画を楽しんで発散していた。自分の部屋の本棚は、見えやすいところに実用書を置き、天井に近い棚には大好きな漫画を置く。母は背が低いので、上の方は見えないのだ。

友達はと言うと、高校で出来た友達1人のみであゆ。自由人だが頭が良く、指定校推薦で私より偏差値が五つ高い学部へと入った。
母はその友達を大事にするように言ってきた。昔から友達を厳選されてきた。私は友達に嫌な思いをさせるわけにはいかないので、自分から作る努力をしなかった。

父はシングルマザーの祖母に育てられたため、学業にお金を割けず高卒で仕事を始め、自分で起業した。
仕事が軌道に乗ると、母と結婚したそうだ。自分で今の地位を築いたという自信からか、堂々としており今時珍しい亭主関白という感じだ。母は対照的に何不自由なく育ち、お金に困った事はないという。
「だからあなた達にも不自由な思いはさせたくないの。」
それが口癖だった。なんでも与えてあげる。そういうスタイルを大切にしていた。

身の上話はこのくらいにして、可哀想とは言えないが、なんとなく惨めな私の人生がガラリと変わってしまう出来事について話したい。
しおりを挟む

処理中です...