ウサギのお話

桜花火

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出会いは突然に

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ふわぁ…。
鈍っていた感覚が段々と機能してくる。
耳を澄ませば遠くの方で、少し高くて、澄んでいて、囁き合うような小鳥のさえずりが聞こえてくる。
だんだん意識もはっきりしてきたので、起きてて障子を開けに行く。
空全体が淡く紫色に彩られ、とても幻想的だ。
出てきたばかりの弱い朝陽が、植物についた朝露をキラキラと真珠のように輝かせる。
しっとりとした空気を作り出し、風に流れてくる。庭に生えているミントの爽やかで、心地の良い匂いをまといながら、締め切られていた部屋の空気をさらってゆく。
「おはよう」
そう、無意識に部屋の一角に向かい、声をかける。
しかし、返事もないし、何もいない。

そうだ、もう、居なくなって1年経つんだ。
僕の、大好きな。


あの日は、雪が降ってすぐ晴れた、晴雪の日だった。
縁側に出ると、前日からの雪が、ふわりと積もり、雪景色が出来ていて、とても綺麗だった。
何をするでもなく、只雪景色を眺めていると、風が吹いたわけでもないのに、雪がひとりでに動いた。
しかも、太陽を受けてきれいな銀色に輝いている。
その時の僕は思った。
雪ってひとりでに動くのか?と。
そうしている間にも、モゾモゾと動いてあろう事か、こちらに進んできた。
為す術なく、只顔を青ざめて、その雪を見ていた。
その雪はどんどん近づいて、僕が後、三歩でも歩けば、手が届く程になった。
その時、ふと気づく。
雪が進んできた積雪に、くっきりと小さな動物の足跡が付いている。
しかし、肉球がない。
動物だということは分かったが、肉球がない動物ってなんだ…?
そう考えている内に、遂に、ジャンプして縁側に登ってきた。
こいつは…。
長い耳に、小さな尻尾、縁側まで飛んだジャンプ力。
白い、もふもふした毛に、澄んだ赤い目。
兎だった。
兎は、迷いなく、ひょこひょこと歩いて(と言うか、小さく跳んでいるようにも見える)膝の上で丸まった。
そして、撫でてやると
「プゥプウ」
と甘えた様に鳴いた。
僕は驚いた。
兎に、そこまで人懐こいイメージは無かったのだ。
けれど、それも浮かんだ感情によって上書きされた。
なにこれ、かわいい。
しかし、両方とも動かず十分ほど経った頃、先に限界が来たのは僕だ。
雪が止んでいるとはいえ、まだ冬だ。
体が冷えてきたのでうさぎに、悪いなと思いながらも、そっと膝から下ろす。
そして、障子を開け、家に入る。
ふと気になって障子を見ると、先程の小さな影が、障子の向こうにいる。
少し経てば、どこかに行くだろうか、と思い、一分ほど待った。
しかし、動く気配がない。
少し悩んで、障子を開けた。
兎は、嬉しそうに跳ねながら家に入ってきた。
「これから、宜しく」
と言い、しばらく考えて
「銀花」
と、呼んだ。
すると、意思が伝わったらしく、銀花は
「キュー」
と、返事をした。
ひとまず僕は銀花を動物病院に連れていくことにした。
理由は二つある。
一つ目は、ウサギは体調不良を隠すから。
弱肉強食の関係で、弱みを見せれば襲われてしまうので、いつでも元気であるかのように振る舞うのだ。
だから、出会ったばかりの僕には余計分からない。
そして二つ目の理由は、餌がないという問題が発生したからだ。
どんな餌を与えれば良いのか知らないから、ついでにその辺の情報も手に入れようと思ったのだ。
ここで、新たな問題に気が付いた。
兎は、抱っこが苦手なのだ。
「うーん、どうするかな…。」
そう悩んでると、あることを思い付き、物置に向かう。
そして、銀花の前に、少し細工をした籠を置いた。
これは、僕が一人暮らしなので、家が広いから、
「ちょっと置かせて」
と言って、母が置いて行ったペット用品の籠だ。
そして、籠にペットシーツを敷き、人参の皮を少しだけ剥き、入れた。
「入ってくれるか…?」
銀花は鼻で少しツンツンと突っついた後、籠のなかに入った。
「ありがとう、銀花」
と言う。
そうして、動物病院へと車で向かう。
結果として、銀花は何の病気もなかった。
一歳辺りの、ネザーランドドワーフという種類。
うさぎの中では小さい方で、小型犬とそう変わらないくらいの大きさだ。
寿命は、5~10年と言われた。
そんなことを思い出しながら、不思議な日だった、と言う感想で今日をまとめてしまった。
我ながら図太いのか、淡白なのかよく分からない。
ふと目に映る、濃いオレンジ色に目を細める。
いつの間にか夕方か。
そう思いながら、夕食を作る。
土鍋に昆布、すりおろした大根、豆腐、もやし、豚肉を入れる。
火にかけると、ぼんやりとした炎の明かりに照らされ、土鍋の繊細な模様が浮かび上がる。
蓋を開けてみると豚肉が淡い桃色になっていて、大根のみずみずしさが嗅覚からも伝わってきた。
仕上げにネギ、ごま油、ごま、ポン酢をかけるとすごくいい匂いがした。
雪鍋というものを自分でアレンジしたものだ。
大根がとてもみずみずしそうだ。
ふと、雪鍋と銀花を見比べ、笑った。
「この鍋、銀花と似てるな」
そういえば、これは今日二回目の感想だった。
「初めて見た時、雪と同化してたから急に動いてびっくりした。」
銀花は、分かったのか分からないのか、畳に丸まっている。
ん?畳…。
そして、ハッとした。
ウサギは、牧草、ペレットという、牧草が主成分のご飯、それと、歯の延びすぎを防ぐ、カジカジ棒、水が必要なのだ。
牧草にも2つ種類がある。
子ウサギ、妊娠中の母ウサギならアルファアルファという栄養たっぷりな牧草を与える。
けど、銀花は小さくなかったのでチモシーという牧草を与えることになった。
畳のい草が、チモシーと似ていたおかげで思い出せたと、ほっとしたのもつかの間。
銀花が、今から畳を噛るところだったのだ。
「すまん、今からチモシーを準備する。」
そして、準備していたチモシーを与える。
「待たせてごめんな。」
そういうと、銀花はすぐにモグモグしだした。
「プチプチ」
という音をたてながら、チモシーが銀花の口に吸い込まれる。
…何か似たような機械があった気がする。
紙が機械のなかに消えていく奴。
あ、シュレッダーだ。
そう思いながら、チモシーをひたすら口に放り込む銀花を見ると、笑いが込み上げてくる。
「ふふっ、こんな下らない日常なのに、銀花が居るだけで鮮やかになるんだな。」
そう言いながら、銀花の頭を撫でてやる。
そして、銀花の目を見つめながら、言った。
「うちに来てくれて、ありがとな。」
銀花が、どことなく、ドヤ顔をしているような気がした。


それも、1年前だったな…。
1年前、銀花に出会った。
それから、時は流れた。
四季を一回ずつ僕と一緒に堪能したあと、銀花は家から姿を消した。
出会った頃と同じ、冬の季節に。
それまでの間、色んなことがあった。
風景が思い浮かぶ。
あれは、去年の春のこと。
近くの丘まで、銀花と一緒に桜を見に行った。
若草と太陽の匂いを運ぶ、優しい風に頬を撫でられ、ふと空を見上げた。
視界に映ったのは、透けるように青く澄んだ空。
そして、さらに淡い色合いで空に溶けてゆく、自由に舞い踊る桜だった。
儚く、けれども地に飽和する最後の時まで優しい雰囲気を纏いながら、空を気まま旅する。
そんな桜を、2人で見あげていた。
自然の雄大さに、無意識のうちに息を飲んでいた。
だが、腕に抱かれたままだった銀花は散歩をしたくなったようで、「降ろせ~」と言わんばかりに僕の体を鼻で突っついてくる。
「ごめんごめん」
と言い、苦笑しながら草むらへ降ろす。
銀花は、草むらの感覚が新鮮だったようで、飛び跳ねたり、蝶々を追いかけたりで、楽しそうだ。
そんなのどかな風景を見ていると眠くなったので、草むらに寝そべる。
肌に伝わってくる柔らかな若草の感触と、香り、太陽の温かさを感じながら、眠りについていた。
それから少しして目が覚めると、お腹の上に銀花がいた。
花より団子と言わんばかりに、ふわりと舞い降りてきた桜を、食べようとしていた所だった。
そしたら、バッタがすごい勢いで草むらから飛び出してきた。
びっくりして、2人して飛び跳ねた。
銀花もびっくりしたはずなのに、直ぐに僕の前に出てきて、バッタからかばおうとしてくれたっけ。
すごく嬉しかったし、あんな小さな体で立ち向かうなんてかっこよかったな。
そんなことを思い出しながら、顔が綻ぶ。
それと同時に、視界がぼやけてく。
どんな時でも銀花はそばに居てくれた。
寂しいけど、家族の元にでも帰って、幸せに暮らしてるならいいな。
それ以上は、考えないことにした。
分かってはいるけど、受け止められないから。
きっと、また会いに来てくれる。
そう信じて、また会えることを祈った。
泣かないように俯いたが、溢れ出た涙が頬を流れて落ちていった。
寂しさと愛情と虚しさが、心の中を支配していく。
どうにもならず、
「またね」
と、宛もなく呟いた。
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