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友達の流儀

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「……なぁに、これ」
「えとか屋の特選エビカツパンだ」
「それは見たらわかるんだけども」
 朝一番。やってくるなり机にエビカツパンを置いた僕に、崇峰は困惑気味な声を上げた。
「やる」
「なんで」
「前ボヤいていただろ。いつも売り切れてるって」
「……わざわざ買ってきてくれたんだ?朝から並んで」
「通り道だからな」
 それに今日は、弁当当番で早起きだったし。
 努めて平生を装いながら会話しているものの、先刻から嫌な汗が止まらない。こんなのは初めてなのだ、同い年に借りのようなものを作ってしまうだなんて。「お兄って本当に友達いなかったんだね……」と言う悪口と共に、妹に頂いたアドバイス通りにしてみたが。本当にこの方法が、正しい借りの返し方なのか。
「じゃ、ありがたくいただくわ。いくらだった?」
「いやいやいやいや、待て待て、お金をいただいたら意味が無いだろう」
「え、なんで」
「なん──なんでと言われても……」
 腕を組んで、逡巡する。逡巡して、僕は「僕がそうしたいから」と言った。
「こう、これはお前に対する埋め合わせのようなものなので、お前からさらに何かを頂くと意味がないと言うか……気持ちの問題だ」
「…………」
「…………あれだ。僕のせいでお前は、友人関係を一つ失っただろう」
 言いながら、人差し指同士をこね合わせる。口に出してみて、自分の胸に支えていた後ろめたさの正体を知る。
 友人だとか何だとか。僕自身は欲する余裕こそ無かったので、その正しい価値を知らない。けれども本来それは、尊ばれるべきものだと理解している。
それを他人に投げ出させる一端となってしまったのは、良心が痛む。僕という男は、思いやりに溢れた文明人であるからして。
 ストンと胸に落ちた納得にウンウンと頷くと、崇峰は「気にしなくて良いのに」と片眉を上げた。
「俺のあれは損切りみたいなもんだし」
「損……もしかしてお前、友達と縁切る事を損切りって呼んでるか?」
「無闇に不必要な敵を作る時点で胡乱。挙句、人的価値を正しく評価できないとなれば、いよいよそいつを身内に置いとくのはお断りだ」
「……怖いやつだな、お前。あと買い被りすぎだ。僕はβだぞ」
「お前こそ、自分の価値を低く見積もりすぎだぜ」
 前髪を弄りながら、崇峰は間延びした声で言う。
「例えば警察やら自衛隊やらの安定性が重視される職。あとは李下に冠を何とやら、ってやつなのか、ことさら社会的信用が重要視される政治家連中。そんなふうに、近年は、ヒートやらフェロモンの影響を受け辛いβの方が適している、なんて言われる職種も多い」
「お、おお……」
「何より、その努力家気質は稀有で得難い才能だ。この学校で一桁代の順位をキープなんて、中々できる事じゃない」
 木の葉のようによく回る舌だ。何だかβという性別が妙に崇高な物のように思えてきて、わけもなくペタペタと自分の頬を触った。
その傍で、ジャラジャラと小銭を机に置く崇峰。
「あとほら、金返すよ」
「な、なんで。どうして。僕の話を聞いていたか?」
「貧乏人から金巻き上げる趣味はねんだわ」
「い、言うじゃないか……」
 中々に強烈な右フックだった。打撃の重さに仰反る僕に、崇峰はフフンと鼻を鳴らす。
「それより人見くん。友達を失った痛みを、エビカツパンで埋め合わせようだなんて。おかしな話じゃないかね?」
「そ、そうなのか?すまない、そう言うのには明るくなくて──」
 謝罪しながら、脳内で歯軋りをする。
 恨むぞ妹!こちとら恥を忍んで教えを乞うたと言うのに。
 目を白黒させれば、崇峰は耐えられないというように吹き出した。
「あのね人見くん。人との繋がりで負った痛みは、人との繋がりでしか癒せないんだよ」
「つまり?」
「人見くんが俺の友達になるべきじゃない?」
 僕の肩に手を置いて、上目遣いのまま小首を傾げる。その声音に、わけもなくゾワゾワと背筋に悪寒が走った。
「いや、それは────」
「いや?いやだなんて、遠慮すんなよ。俺が、トモダチの流儀ってのを教えてやるから」
「教える……教えるって何だ」
「そらもう、手取り足取りよ」
 細められた黒目に、僕は眼前の男に深入りしたことを既に後悔し始めていた。
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