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第06話、ジョルダーノ公爵子息ユーグ殿の趣味

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 男装も三日目―― 兄として過ごすのも慣れてきた今日、私はジョルダーノ公国へ向かっていた。

 帝都の宮殿で転移魔法陣を使い帝国直轄地の最西へ移動したあと、そこからは馬車で公国の都へ向かう。砂ぼこりまで日焼けしそうなほど陽射しが強い。

 いまの私は兄として振舞えるので魔術師五人を使い、豪奢ごうしゃな八頭立て馬車ごと転移した。八頭の馬に複数の御者、そして金で飾られた重厚な馬車に乗った私たち四人が一瞬で移動できるのだから、帝国魔術師のレベルの高さがうかがえる。

 四人というのは―― 遠出するなら妻にも伝えるべきだと思い、ミシェルに公国訪問を告げたところ、

「私もジョルダーノ公国、見てみたいです!」

 と言い出したのだ。不慣れな宮殿内では肩身もせまかろうと思い、結局私とニーナにミシェルとメイを加えた四人の旅となった。

「見てください、セザリオ様! 一面の麦畑!」

 いつもの裏声みたいな声をさらに高くして、ミシェルが馬車の窓から外を指さす。もう一方の手は私の手に重ねたまま。そういえばミシェルって意外と指が長いのね……

「ジョルダーノ公国ってこんなに田舎だったんですね」

 身もふたもないことを言うのはニーナ。

「今度は等間隔に低い木が並んでいますよ!」

 ミシェルのはしゃいだ声に遠くを見やる私。

「あれはおそらくオリーブ畑だな」

 と言いながらふと視線を戻すと、私たちの向かいに座ったニーナとメイも手をつないでいる。えっ、なんで!? メイから見たらニーナはニーノという美少年小姓で―― いやでもニーナがまんざらでもなさそうなのはなぜかしら?

 混乱する私をよそに、

「メイ、ジョルダーノ公国、気に入りました?」

「メイはぁ、帝都のほうが好きですねぇ」

 二人の世界を作り上げている。

「私も――」

 とミシェルが耳もとでささやいた。「セザリオ様のいらっしゃる都が一番です」

 いつもと違う低い声にドキっとする。

 えぇ? この胸の高鳴りはどういうこと!?



 ジョルダーノ公爵は私たちを丁重にもてなしてくれた。突然の婚約破棄が手紙一通ですまされるのはあんまりだと憤慨していたのだろうが、まさか皇太子が直接、皇女の容態を説明しに来るとは思っていなかったのだろう。昨日使者が戻ってから急ごしらえしたと思われるやや練習不足な楽団が壮麗な音楽を奏で、贅を尽くしたごちそうが振る舞われた。

 公爵自身は饒舌な方だったが、ご令息のユーグ殿は青白い顔をしてほとんどしゃべらない。肖像画の面影がないわけではないが、内省的な美青年を期待してやって来たら神経質な臆病者だった、くらいの差がある。



 食事が終わるとユーグは私に、宮殿内を案内したいと言い出した。当然のようについてこようとしたミシェルたちに、

「皇太子妃殿下はどうぞ我が王宮庭園をご覧になっていてください。三十種類をこえる花が咲き乱れて、大変きれいでございます」

 と伝え、使用人に案内させようとする。

「ミシェル、大丈夫か?」

 ちょっと気になって彼女の腕を抱き寄せるようにすると、

「おやさしいセザリオ様、メイもおりますし、ご心配なく」

 と、あいさつするように腰を落とし、なぜか私の胸のあたりに顔をうずめた。

 ちょっと! 私のうっすらとしかない胸に額を押し付けないでください! とも言えないし――

 困っている私に気付いて離れてくれたが、その頬には満足そうな笑みを浮かべている。

 なんなのかしら、この美少女!?

 うしろでクスっと笑った気配がして振り返ると、ニーナがあわてて真顔を作っている。目が斜め上を泳いでるし。

 だが、湿った冷たいものに手をにぎられて、私は我に返った。

「セザリオ皇太子殿下……、こんなに美しい方だったとは――」

 ユーグが私の手をにぎりしめて、じっとみつめてくる。もしや男装がバレたのかとも思ったが、

「あなたは僕がこれまでに出会ったどの男性より美しい……」

 うっとりと私の顔をみつめている。そりゃあ私はそんじょそこらの男たちより美しいでしょうけど!

 手汗の冷えた両手で私の手を包んだまま、自分の顔に近づけて、

「ああ、私の婚約者があなたならよかった――」

 とつぶやいた。

 ああ、そっち。それは女嫌いと噂も立つでしょう。とはいえ私も時々ミシェルにときめいてしまうから、人のことはあまり批判しないでおこう。

「あの、ユーグ様、やや無礼が過ぎるのでは――」

 横から声をかけたのはニーナ。手の甲にすりすりと頬をすり寄せられて固まっていた私に気付いてくれた。

「あーっ、申し訳ありません! 白くてすべすべしていたものですから、つい――」

 つい、じゃないわよ。うんざりする私に、

「セザリオ殿、その冷たいまなざし素敵です! その目で私をののしって下さい。この無礼者、と――!」

 無理無理無理!

「えーっとユーグ殿、宮殿内を案内していただけるのではなかったかな?」

 なんとか彼の興味をらそうとする私。

「ぐふっ、そうでした」

 ユーグはニタニタと笑った。あ。嫌な予感がする……



「これは―― 拷問部屋!?」

 案内された部屋に一歩足を踏み入れて、私は思わず声をあげた。

「まさか」

 とユーグは軽蔑するように吐き捨てる。「僕は暴力を好まない平和主義者だ」

 ……あっそう。でも棚に並んでいるのはどう見ても兄が好みそうな拘束具や猿ぐつわなんですけれど――。私には使い方の分からない、けれど知りたくもない器具もたくさんある。

「服の上からで構わないので、このロープで僕を縛ってくれませんか?」

 立ち尽くしていた私に長いロープを渡そうとするユーグ。

「遠慮します」

 私は速攻お断りする。「妻をいつまでも放っておきたくないので、そろそろ彼女の待つ庭園へ案内してくれませんか」

 こんな空気の重い部屋にいたくない。ミシェルの愛らしい笑顔に癒されたい。

「はぁ、残念だ。妃殿下のことを愛していらっしゃるのですね」

 ため息をついたユーグは心底、残念がっている様子だ。

「ミシェルは―― 春の陽射しのような女性で、私の心をあたためてくれるのです」

「僕なら―― 春の庭で石を持ち上げると隠れているナメクジのように、あなたの知らない世界を見せて差し上げられるのに。石の下を見たときの新鮮な驚きのような」

 それって全然うれしくないタイプの驚きじゃない!?

「私でなくとも、趣味の合う相手は見つかりましょう」

 私の言葉に、長い廊下を歩くユーグはうつむいて、

「いままで出会えなかったのです。だからいつも一人で楽しんできた。先ほど楽団の演奏を聴いたでしょう? 彼らの演奏プレイは完璧ではなかったかも知れないが、異なる楽器同士が響き合う良さがある。ソロプレイは寂しいですよ」

 変な掛け言葉はやめていただきだい。

 横暴な父に婚約を取り消されて良かったと、私はつくづくかみしめたのだった。
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