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第四章:歌劇編Ⅰ/Ⅰ、交錯する思惑
08、レモと二人、愛の音楽室にて
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帝都魔法学園の音楽室は、数十人で合奏ができそうな広い部屋だった。天井画に描かれた天使たちは、音楽室らしく楽しそうに弦楽器を弾いたり、優雅に横笛を奏でたりしている。
置かれている楽器はチェンバロとポジティフオルガン。壁に備え付けられた本棚の前に椅子が重ねられているのが、いかにも学び舎の雰囲気だ。
「見てジュキ、あそこの部屋が師匠の研究室なの。よく質問しに行ったわ」
レモがなつかしそうに、窓から指さした。学園の連中に会いたくないと言っていたわりに、いざ来てみると楽しそうにしている。
「回廊のすぐ横の部屋?」
俺も窓からのぞいてみる。すぐ下には中庭が見え、その奥にほかの棟が立っている。
「そうよ。ま、思い出にひたってる場合じゃないわね!」
レモは窓辺から離れると、花柄の装飾が施されたチェンバロの屋根を開け、突き上げ棒で固定した。屋根の内側には春の草原でニンフたちが舞い踊るさまが描かれ、天井画に負けず劣らずといった華やかさだ。
「調律するからちょっと待っててね」
レモは手慣れた様子で、チェンバロ用の椅子の中からT字型の小さな器具を取り出した。座面が蓋になっていて、中に替えの弦や調律鍵を収納できるようだ。
「ジュキ、真ん中のドの音ちょうだい」
レモに言われた通り、中央ハ音を母音で歌う。レモは真ん中あたりの鍵盤を俺の声に合わせたあとで、五度やオクターブを弾きながら注意深く調律していった。
俺はそのあいだに支配人から受け取った楽譜をさらっておく。レモの言っていた通りA部分とB部分に分かれており、B部分の最後まで歌ったら曲頭に戻る、いわゆる「ダ・カーポ」形式のアリアだ。
レモが楽譜の指示よりゆっくりめに前奏を弾き始めた。
「ひゃあ難しい! このヴァイオリンのフレーズ、ちゃんと練習しないと指が動かないわ!」
「バスさえ楽譜どおり弾いてくれれば歌えるから平気だよ。省略してもらって」
俺自身も竪琴を弾きながら歌うとき、歌に集中したいとバスラインだけ弾いて、和音は省略することもある。
「最初からあきらめるなんて情けないこと、私の流儀に反するわね」
レモは瞳にメラメラと炎を燃やして、挑戦状をたたきつけるかのように楽譜を見据えた。相手が音楽でも負けず嫌いが発動するあたり、さすがレモ。
俺は自分の楽譜に目を落とし、
「歌詞の一行目に『荒波』って出てくるから、この速弾きヴァイオリン、嵐を表現してるのかな?」
「でしょうね。下降する十六分音符が何度も繰り返されて、大雨が海面に激しく打ちつけるみたいだもんね」
レモが前奏部分をもう一度弾く。激しくジャカジャカと鳴るチェンバロから、歌詞の主人公の怒りが伝わってくるようだ。俺は楽譜を見ながらA部分の詩を音読した。
「――我が運命は荒波に飲まれる小舟のよう
嵐に翻弄され、雷に打たれる
だが暴虐な簒奪者よ、狡猾な反逆者よ
どんな大雨もこの胸に燃ゆる怒りの炎は消せぬ――」
A部分の詩はこれだけ。一見短いように思えるのは、曲の中で同じ言葉が何度も繰り返されるためだ。
「なぁレモ、この歌詞の主人公、男だよな?」
楽譜に記された登場人物名を見て、俺は首をかしげた。でもソプラノ記号で記譜されているから、女声の音域なのだが――
「そうよ。皇后陛下は女性歌手がお好きだから、たとえ男性主人公の台本を扱っても、演じるのはいつも女の人なの。脇役に男性歌手が出るくらいなら許してくださるんだけどね」
「えぇ、それなら俺も男役がよかったな……」
「ジュキったら女装したうえで男装するの? いいわね、それ。じゅるり」
レモのよく分からねえツボを刺激したようだ。あまり知りたくないので深追いしないでおこう。
「と、とにかくレモ。まずはA部分から頼むよ。バスと歌のラインを弾いてもらえるかな?」
「おっけー。最初はゆっくり弾くわよ。私も初見だし」
「頼みます!」
というわけで俺たちは練習を始めた。
実質四日間でアリア一曲を仕上げねばならないから、俺たちは真剣に取り組んだ。
「あ~、ちょっと待って! 俺いつも、ここんとこ音程怪しいな……」
「バスに対して七度上だから取りにくいのよ。私が右手で歌メロ弾けばいいのね」
それからレモは、楽譜から視線をはずして俺を見た。
「でもジュキが歌ったら歌声魅了が発動するんだから、音程なんて多少違ったって皇后様は夢中になるんじゃない?」
「俺にクオリティ低いもん歌えってのか? そんなの音楽への冒涜だろ?」
うっかり語気が強くなってしまい、俺は慌てて謝罪した。
「ごめん、レモ――」
「ふふ、謝らなくちゃいけないのは私のほうね。ジュキはそれだけ歌うことに情熱を捧げているから、歌声魅了を授かったんだわ」
おそらくレモの言う通りだ。毎日剣の素振りをしていたとはいえ、俺は剣を振るうことそのものに喜びを見いだしてはいなかった。強くなって冒険者になって帝国中を旅して、親父みたいに美人なお嫁さんを見つけるんだ――という目的のための手段でしかなかったのだ。
「私、音楽に真摯に向き合うジュキがかっこよくて大好きなの」
「レモ、ありがとう……」
夢中になると周りが見えなくなる俺の欠点まで包み込んで、大好きと言ってくれるなんて―― レモはなんて優しい子なんだろう!
「俺もあんたのことが大好きだよ!」
「えへへ……」
レモが俺に向けるまなざしはとろけるよう。見つめ合う俺たちの耳に、教会の鐘の音が聞こえてきた。
「練習しなくちゃ!」
我に返るレモに、俺も慌てて楽譜をめくる。
「A部分は大丈夫そうだ。Bに行こう」
「Bは短調で、曲の速さも遅くなるわ」
レモがB部分を弾いてくれる。しっとりとしたおだやかな旋律が、空気を震わせる。
俺は楽譜を手に、歌詞を口ずさんだ。
「――雲間から差す陽射しに、僕は思い出す
あなたの魅力的な瞳から放たれる光を
そのまなざしはいつもこの胸をとらえて離さない
僕を縛るいとおしき鎖をたどって、あなたの元へ――」
「A部分では信頼していた将軍に裏切られた王子が憎しみを歌うけれど、B部分は一転、婚約者への愛を思い出すのよ」
レモが解説してくれる。
「詳しいんだな……!」
感心する俺に、
「なんか聞いたことあるなと思ってたんだけど、私このオペラ、帝都にいたころ観てるのよね」
「そうなの!?」
俺は驚いて問い返したが、考えてみれば不思議なことはない。レモは二ヶ月前まで、帝都にある魔法学園寄宿舎で暮らしていたのだから。
「で、どんなあらすじだったか覚えてる?」
俺の問いに、レモはチェンバロの前に座ったまま、上目づかいになって記憶をたどる。
「主人公は古代の国の王子。配下の将軍が敵国に通じていて裏切られたうえ無実の罪を着せられ、さらに愛する婚約者を人質にされてしまう。王子は人を疑うことを知らない純粋で優しい青年だったのだけれど、このアリアを歌う一幕の最後で将軍を討つことと、愛する女性を取り返すことを誓うのよ」
レモの解説を聞きながら、楽譜を見直す。
そういうストーリーなら、A部分で表現すべきは単純な怒りだけじゃないはずだ。彼は信じていた人物に裏切られ、愛する女性を危険にさらすことになったのだから、強い自責の念に駆られながら過去の自分の甘さを呪っているだろう。
俺自身、イーヴォの言葉を真に受けて自らダンジョンにおもむき、死と隣り合わせの恐怖を経験したときは、自分の子供じみた振る舞いを悔やみ自嘲した。
このオペラの主人公が怒る相手は必ずしも仇だけじゃない。純粋なままでは生きられない痛みも歌に、にじみ出てくるはずだ。
一方B部分では一転、愛する人の魅力的なまなざしを思い出し、賛美するのだ。でも婚約者である彼女は今、敵の手に落ちている――
「ああ、俺はレモを人質に取られたりしたら、心配で苦しくて生きている心地がしないよ……!」
「ジュキったら!」
レモが俺をいつくしむようにほほ笑んだ。
「私なら攻撃魔法で敵陣地をぶっ飛ばして、すぐにジュキの元へ戻ってくるわ!」
うん、そうだった。俺の愛する人は強いんだった……
─ * ─
次回『女の子として採寸されるとか恥ずかしすぎる』
オーディション用のワンピースを仕立てます♡
(ジュキちゃんの敏感なところが分かっちゃうかも!?)
置かれている楽器はチェンバロとポジティフオルガン。壁に備え付けられた本棚の前に椅子が重ねられているのが、いかにも学び舎の雰囲気だ。
「見てジュキ、あそこの部屋が師匠の研究室なの。よく質問しに行ったわ」
レモがなつかしそうに、窓から指さした。学園の連中に会いたくないと言っていたわりに、いざ来てみると楽しそうにしている。
「回廊のすぐ横の部屋?」
俺も窓からのぞいてみる。すぐ下には中庭が見え、その奥にほかの棟が立っている。
「そうよ。ま、思い出にひたってる場合じゃないわね!」
レモは窓辺から離れると、花柄の装飾が施されたチェンバロの屋根を開け、突き上げ棒で固定した。屋根の内側には春の草原でニンフたちが舞い踊るさまが描かれ、天井画に負けず劣らずといった華やかさだ。
「調律するからちょっと待っててね」
レモは手慣れた様子で、チェンバロ用の椅子の中からT字型の小さな器具を取り出した。座面が蓋になっていて、中に替えの弦や調律鍵を収納できるようだ。
「ジュキ、真ん中のドの音ちょうだい」
レモに言われた通り、中央ハ音を母音で歌う。レモは真ん中あたりの鍵盤を俺の声に合わせたあとで、五度やオクターブを弾きながら注意深く調律していった。
俺はそのあいだに支配人から受け取った楽譜をさらっておく。レモの言っていた通りA部分とB部分に分かれており、B部分の最後まで歌ったら曲頭に戻る、いわゆる「ダ・カーポ」形式のアリアだ。
レモが楽譜の指示よりゆっくりめに前奏を弾き始めた。
「ひゃあ難しい! このヴァイオリンのフレーズ、ちゃんと練習しないと指が動かないわ!」
「バスさえ楽譜どおり弾いてくれれば歌えるから平気だよ。省略してもらって」
俺自身も竪琴を弾きながら歌うとき、歌に集中したいとバスラインだけ弾いて、和音は省略することもある。
「最初からあきらめるなんて情けないこと、私の流儀に反するわね」
レモは瞳にメラメラと炎を燃やして、挑戦状をたたきつけるかのように楽譜を見据えた。相手が音楽でも負けず嫌いが発動するあたり、さすがレモ。
俺は自分の楽譜に目を落とし、
「歌詞の一行目に『荒波』って出てくるから、この速弾きヴァイオリン、嵐を表現してるのかな?」
「でしょうね。下降する十六分音符が何度も繰り返されて、大雨が海面に激しく打ちつけるみたいだもんね」
レモが前奏部分をもう一度弾く。激しくジャカジャカと鳴るチェンバロから、歌詞の主人公の怒りが伝わってくるようだ。俺は楽譜を見ながらA部分の詩を音読した。
「――我が運命は荒波に飲まれる小舟のよう
嵐に翻弄され、雷に打たれる
だが暴虐な簒奪者よ、狡猾な反逆者よ
どんな大雨もこの胸に燃ゆる怒りの炎は消せぬ――」
A部分の詩はこれだけ。一見短いように思えるのは、曲の中で同じ言葉が何度も繰り返されるためだ。
「なぁレモ、この歌詞の主人公、男だよな?」
楽譜に記された登場人物名を見て、俺は首をかしげた。でもソプラノ記号で記譜されているから、女声の音域なのだが――
「そうよ。皇后陛下は女性歌手がお好きだから、たとえ男性主人公の台本を扱っても、演じるのはいつも女の人なの。脇役に男性歌手が出るくらいなら許してくださるんだけどね」
「えぇ、それなら俺も男役がよかったな……」
「ジュキったら女装したうえで男装するの? いいわね、それ。じゅるり」
レモのよく分からねえツボを刺激したようだ。あまり知りたくないので深追いしないでおこう。
「と、とにかくレモ。まずはA部分から頼むよ。バスと歌のラインを弾いてもらえるかな?」
「おっけー。最初はゆっくり弾くわよ。私も初見だし」
「頼みます!」
というわけで俺たちは練習を始めた。
実質四日間でアリア一曲を仕上げねばならないから、俺たちは真剣に取り組んだ。
「あ~、ちょっと待って! 俺いつも、ここんとこ音程怪しいな……」
「バスに対して七度上だから取りにくいのよ。私が右手で歌メロ弾けばいいのね」
それからレモは、楽譜から視線をはずして俺を見た。
「でもジュキが歌ったら歌声魅了が発動するんだから、音程なんて多少違ったって皇后様は夢中になるんじゃない?」
「俺にクオリティ低いもん歌えってのか? そんなの音楽への冒涜だろ?」
うっかり語気が強くなってしまい、俺は慌てて謝罪した。
「ごめん、レモ――」
「ふふ、謝らなくちゃいけないのは私のほうね。ジュキはそれだけ歌うことに情熱を捧げているから、歌声魅了を授かったんだわ」
おそらくレモの言う通りだ。毎日剣の素振りをしていたとはいえ、俺は剣を振るうことそのものに喜びを見いだしてはいなかった。強くなって冒険者になって帝国中を旅して、親父みたいに美人なお嫁さんを見つけるんだ――という目的のための手段でしかなかったのだ。
「私、音楽に真摯に向き合うジュキがかっこよくて大好きなの」
「レモ、ありがとう……」
夢中になると周りが見えなくなる俺の欠点まで包み込んで、大好きと言ってくれるなんて―― レモはなんて優しい子なんだろう!
「俺もあんたのことが大好きだよ!」
「えへへ……」
レモが俺に向けるまなざしはとろけるよう。見つめ合う俺たちの耳に、教会の鐘の音が聞こえてきた。
「練習しなくちゃ!」
我に返るレモに、俺も慌てて楽譜をめくる。
「A部分は大丈夫そうだ。Bに行こう」
「Bは短調で、曲の速さも遅くなるわ」
レモがB部分を弾いてくれる。しっとりとしたおだやかな旋律が、空気を震わせる。
俺は楽譜を手に、歌詞を口ずさんだ。
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あなたの魅力的な瞳から放たれる光を
そのまなざしはいつもこの胸をとらえて離さない
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「A部分では信頼していた将軍に裏切られた王子が憎しみを歌うけれど、B部分は一転、婚約者への愛を思い出すのよ」
レモが解説してくれる。
「詳しいんだな……!」
感心する俺に、
「なんか聞いたことあるなと思ってたんだけど、私このオペラ、帝都にいたころ観てるのよね」
「そうなの!?」
俺は驚いて問い返したが、考えてみれば不思議なことはない。レモは二ヶ月前まで、帝都にある魔法学園寄宿舎で暮らしていたのだから。
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俺の問いに、レモはチェンバロの前に座ったまま、上目づかいになって記憶をたどる。
「主人公は古代の国の王子。配下の将軍が敵国に通じていて裏切られたうえ無実の罪を着せられ、さらに愛する婚約者を人質にされてしまう。王子は人を疑うことを知らない純粋で優しい青年だったのだけれど、このアリアを歌う一幕の最後で将軍を討つことと、愛する女性を取り返すことを誓うのよ」
レモの解説を聞きながら、楽譜を見直す。
そういうストーリーなら、A部分で表現すべきは単純な怒りだけじゃないはずだ。彼は信じていた人物に裏切られ、愛する女性を危険にさらすことになったのだから、強い自責の念に駆られながら過去の自分の甘さを呪っているだろう。
俺自身、イーヴォの言葉を真に受けて自らダンジョンにおもむき、死と隣り合わせの恐怖を経験したときは、自分の子供じみた振る舞いを悔やみ自嘲した。
このオペラの主人公が怒る相手は必ずしも仇だけじゃない。純粋なままでは生きられない痛みも歌に、にじみ出てくるはずだ。
一方B部分では一転、愛する人の魅力的なまなざしを思い出し、賛美するのだ。でも婚約者である彼女は今、敵の手に落ちている――
「ああ、俺はレモを人質に取られたりしたら、心配で苦しくて生きている心地がしないよ……!」
「ジュキったら!」
レモが俺をいつくしむようにほほ笑んだ。
「私なら攻撃魔法で敵陣地をぶっ飛ばして、すぐにジュキの元へ戻ってくるわ!」
うん、そうだった。俺の愛する人は強いんだった……
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