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七、帰路
20、弟が兄を憎む理由
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ミッダワーラーに近付くにつれ、気温は上昇する。パールは手拭いをかぶり、その上に編み笠をのせた。
朝、町を出、昼頃乾いた畑の続く農村を抜け、その後二人はずっとこの草地を歩いていた。所々に立つ灌木は、枝を大きく広げた見慣れない木々たちだ。
旅人が踏みならして作った一本道が、草地を突っ切りはるか遠くまでのびている。道も、草の間に顔を出した地面も、乾いた土で覆われていた。
「ねえスイリュウ、どうして私がナヒーシャの城のクジューの塔に幽閉されてるって分かったの? お月様がなんか言ってた?」
パールは自分の妖力に期待を込めて、前をゆくスイリュウに尋ねた。
「月? 月がしゃべるのか?」
だが期待はあっさり裏切られた。
「俺は情報を集めに行った酒場で、あんたのうわさを聞いただけだ」
「それで名をあげようって、駆けつけたんだ」
スイリュウは前で小さくああ、とつぶやいく。
「ねえ、ヒノリュウさんのこと聞いても怒らない?」
「様」付けはやめておいた。
「別に。だが知ってどうする」
「だって興味あるもん。それに、妖怪の国まで名声が届くほどの立派な人なのに――」
「立派?」
尋ねる声にどこか険がある。
「う~ん、徳があるって聞くよー?」
「ふん。あんなだらしのない男がか」
だらしないの……?
パールは首をかしげたが、兄をやたらと敵視する弟の言葉だから信じられない。
「スイリュウが妙に嫌ってるから興味が湧くんだよ」
「ふん、出来のいい兄弟なんてぇのは、俺に限らず面白くないもんだろ」
「私、兄弟いないから」
そうか、とスイリュウは振り向く。
「でも親はちゃんといるんだろ」
「うん」
当たり前のようにうなずいてから、パールは少し口ごもった。
「もしかしてスイリュウは――」
「ああ。物心ついた頃に両おやとも死んだんだ」
そっか、と淋しそうにつぶやきながらパールは後ろで口の端をあげて何度も首を縦に振っていた。
な~るほど。それでこぉゆうひねくれた人間が出来上がったわけか。
自分のことは棚に上げて、全国の孤児に失礼な納得をする。そんなこいじわるいパールの胸中を察しもせずにスイリュウは、
「同情はいらん。俺の生まれた頃はちょうど黒死病が大流行したんだ。俺のような孤児がたくさん生まれた」
「黒死病?」
「ああ。からだじゅうに黒い斑点が浮き出るんでそう呼ばれている。かかると大抵は死に至る、恐ろしい流行りやまいだ。こいつのせいで、俺は親の顔もろくに覚えていない。ただ俺はガキの頃からこんな性格だから、親もあいつばかりかわいがっていたような覚えはあるがな」
スイリュウは兄の名を呼ぼうとしなかった。
「俺はあいつのように話せない、暗い男だ。俺といると気分が悪くなるから誰も近付かない。だがそれは、俺があいつの経験した環境を経験していないからだ。それなのにあいつはあのうっとうしい、俺の大嫌いな明るい笑顔を振りまいて俺に近寄ってくる。俺が余計影になるばかりだと知っているくせに」
スイリュウの静かな言葉から、怒りがちらちらと炎の舌を出した。
パールは黙っていた。また傷付けたくない、というのではなく、そんなへまをやらかして愚か者だと思われるのが嫌だった。
二人のうしろに落ちてゆく日は次第に赤くいろづき、埃っぽい大地を幻想的な世界へと変えてゆく。
「今日中に次の町へ着くの?」
パールは不安になる。何時間歩いても辺りの景色は一向に変わらない。
スイリュウは革袋から古びた羊皮紙を取り出した。四つ折りにしたそれを開くと、木炭で書かれた世界地図だった。
「わあ、地図なんて持ってたんだ」
パールは後ろからのぞき込む。
「地図も持たないで旅をしてたのか?」
「だって妖怪は鼻が利くから方向を間違えることなんて無いもん」
スイリュウは地図を指でたどりながら、
「ここを越えると大きな町、続いて小さな町に出る。そうすればミッダワーラーはすぐだ」
「そうしたら妖怪の国もすぐだね。で、その大きな町ってのにはあとどれくらいで着くの?」
「まあ」
スイリュウは畳んだ地図を革袋にしまいながら、
「今夜は野宿だな」
「ええええええっ!? やだぁ」
「仕方ないだろ。ここを越えるのがもっとも近道だったんだから」
「近道ってこたぁ、ちゃんと町をたどってゆく方法もあったってこと?」
「まああったが、そうすると倍近くかかる。俺は寝袋を用意してきたことだし、それなら野宿の方が――」
「私は持ってない。しかも夕食はどうすんの」
「さっきパンを多めに買った」
「またパン……。野生動物に襲われたりしない?」
「さっきからずっと歩いてて一度も行き会ってないじゃないか」
「でも遠くの川で水飲んでるみたいなの見えたよ」
「近付いては来なかっただろ。それに万が一の時には俺が斬ってやるから安心しろ」
どうあがいても野宿は必至だった。
道に転がる石につまずくほど空が暗くなる頃、二人は歩くのをやめ、辺りで一番大きな木の下で食事をとった。大きいと言っても高さはスイリュウの背丈ほどしかない。だが細い枝は長く、地面に届かんばかりにしだれている。その下に入ると、ふと、柔らかい枝に包まれたような心地がした。
パールはさんざんわがままを言って、スイリュウの寝袋を奪取すると、その中に入って目を閉じた。だが野宿など初めての経験だからなかなか寝付けない。
しばらくしてパールは寝袋から顔を出した。木の幹に背を持たせかけてスイリュウが目を閉じているが、寝ている気配はない。
「寒くない?」
夜になると、草地は昼間の暑さからは想像できないほど冷え込んだ。
「私の着物、もう一枚風呂敷ん中入ってんの、貸そうか?」
「いい」
目を開けたスイリュウは短く答えて、肩からはずし前にかけたマントをひきあげた。
「じゃあ私が着る」
パールは寝袋から上半身を出して、風呂敷包みに手を伸ばした。
朝、町を出、昼頃乾いた畑の続く農村を抜け、その後二人はずっとこの草地を歩いていた。所々に立つ灌木は、枝を大きく広げた見慣れない木々たちだ。
旅人が踏みならして作った一本道が、草地を突っ切りはるか遠くまでのびている。道も、草の間に顔を出した地面も、乾いた土で覆われていた。
「ねえスイリュウ、どうして私がナヒーシャの城のクジューの塔に幽閉されてるって分かったの? お月様がなんか言ってた?」
パールは自分の妖力に期待を込めて、前をゆくスイリュウに尋ねた。
「月? 月がしゃべるのか?」
だが期待はあっさり裏切られた。
「俺は情報を集めに行った酒場で、あんたのうわさを聞いただけだ」
「それで名をあげようって、駆けつけたんだ」
スイリュウは前で小さくああ、とつぶやいく。
「ねえ、ヒノリュウさんのこと聞いても怒らない?」
「様」付けはやめておいた。
「別に。だが知ってどうする」
「だって興味あるもん。それに、妖怪の国まで名声が届くほどの立派な人なのに――」
「立派?」
尋ねる声にどこか険がある。
「う~ん、徳があるって聞くよー?」
「ふん。あんなだらしのない男がか」
だらしないの……?
パールは首をかしげたが、兄をやたらと敵視する弟の言葉だから信じられない。
「スイリュウが妙に嫌ってるから興味が湧くんだよ」
「ふん、出来のいい兄弟なんてぇのは、俺に限らず面白くないもんだろ」
「私、兄弟いないから」
そうか、とスイリュウは振り向く。
「でも親はちゃんといるんだろ」
「うん」
当たり前のようにうなずいてから、パールは少し口ごもった。
「もしかしてスイリュウは――」
「ああ。物心ついた頃に両おやとも死んだんだ」
そっか、と淋しそうにつぶやきながらパールは後ろで口の端をあげて何度も首を縦に振っていた。
な~るほど。それでこぉゆうひねくれた人間が出来上がったわけか。
自分のことは棚に上げて、全国の孤児に失礼な納得をする。そんなこいじわるいパールの胸中を察しもせずにスイリュウは、
「同情はいらん。俺の生まれた頃はちょうど黒死病が大流行したんだ。俺のような孤児がたくさん生まれた」
「黒死病?」
「ああ。からだじゅうに黒い斑点が浮き出るんでそう呼ばれている。かかると大抵は死に至る、恐ろしい流行りやまいだ。こいつのせいで、俺は親の顔もろくに覚えていない。ただ俺はガキの頃からこんな性格だから、親もあいつばかりかわいがっていたような覚えはあるがな」
スイリュウは兄の名を呼ぼうとしなかった。
「俺はあいつのように話せない、暗い男だ。俺といると気分が悪くなるから誰も近付かない。だがそれは、俺があいつの経験した環境を経験していないからだ。それなのにあいつはあのうっとうしい、俺の大嫌いな明るい笑顔を振りまいて俺に近寄ってくる。俺が余計影になるばかりだと知っているくせに」
スイリュウの静かな言葉から、怒りがちらちらと炎の舌を出した。
パールは黙っていた。また傷付けたくない、というのではなく、そんなへまをやらかして愚か者だと思われるのが嫌だった。
二人のうしろに落ちてゆく日は次第に赤くいろづき、埃っぽい大地を幻想的な世界へと変えてゆく。
「今日中に次の町へ着くの?」
パールは不安になる。何時間歩いても辺りの景色は一向に変わらない。
スイリュウは革袋から古びた羊皮紙を取り出した。四つ折りにしたそれを開くと、木炭で書かれた世界地図だった。
「わあ、地図なんて持ってたんだ」
パールは後ろからのぞき込む。
「地図も持たないで旅をしてたのか?」
「だって妖怪は鼻が利くから方向を間違えることなんて無いもん」
スイリュウは地図を指でたどりながら、
「ここを越えると大きな町、続いて小さな町に出る。そうすればミッダワーラーはすぐだ」
「そうしたら妖怪の国もすぐだね。で、その大きな町ってのにはあとどれくらいで着くの?」
「まあ」
スイリュウは畳んだ地図を革袋にしまいながら、
「今夜は野宿だな」
「ええええええっ!? やだぁ」
「仕方ないだろ。ここを越えるのがもっとも近道だったんだから」
「近道ってこたぁ、ちゃんと町をたどってゆく方法もあったってこと?」
「まああったが、そうすると倍近くかかる。俺は寝袋を用意してきたことだし、それなら野宿の方が――」
「私は持ってない。しかも夕食はどうすんの」
「さっきパンを多めに買った」
「またパン……。野生動物に襲われたりしない?」
「さっきからずっと歩いてて一度も行き会ってないじゃないか」
「でも遠くの川で水飲んでるみたいなの見えたよ」
「近付いては来なかっただろ。それに万が一の時には俺が斬ってやるから安心しろ」
どうあがいても野宿は必至だった。
道に転がる石につまずくほど空が暗くなる頃、二人は歩くのをやめ、辺りで一番大きな木の下で食事をとった。大きいと言っても高さはスイリュウの背丈ほどしかない。だが細い枝は長く、地面に届かんばかりにしだれている。その下に入ると、ふと、柔らかい枝に包まれたような心地がした。
パールはさんざんわがままを言って、スイリュウの寝袋を奪取すると、その中に入って目を閉じた。だが野宿など初めての経験だからなかなか寝付けない。
しばらくしてパールは寝袋から顔を出した。木の幹に背を持たせかけてスイリュウが目を閉じているが、寝ている気配はない。
「寒くない?」
夜になると、草地は昼間の暑さからは想像できないほど冷え込んだ。
「私の着物、もう一枚風呂敷ん中入ってんの、貸そうか?」
「いい」
目を開けたスイリュウは短く答えて、肩からはずし前にかけたマントをひきあげた。
「じゃあ私が着る」
パールは寝袋から上半身を出して、風呂敷包みに手を伸ばした。
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