上 下
20 / 41
七、帰路

20、弟が兄を憎む理由

しおりを挟む
 ミッダワーラーに近付くにつれ、気温は上昇する。パールは手拭いをかぶり、その上に編み笠をのせた。

 朝、町を出、昼頃乾いた畑の続く農村を抜け、その後二人はずっとこの草地を歩いていた。所々に立つ灌木かんぼくは、枝を大きく広げた見慣れない木々たちだ。

 旅人が踏みならして作った一本道が、草地を突っ切りはるか遠くまでのびている。道も、草の間に顔を出した地面も、乾いた土で覆われていた。

「ねえスイリュウ、どうして私がナヒーシャの城のクジューの塔に幽閉されてるって分かったの? お月様がなんか言ってた?」

 パールは自分の妖力に期待を込めて、前をゆくスイリュウに尋ねた。

「月? 月がしゃべるのか?」

 だが期待はあっさり裏切られた。

「俺は情報を集めに行った酒場で、あんたのうわさを聞いただけだ」

「それで名をあげようって、駆けつけたんだ」

 スイリュウは前で小さくああ、とつぶやいく。

「ねえ、ヒノリュウさんのこと聞いても怒らない?」

 「様」付けはやめておいた。

「別に。だが知ってどうする」

「だって興味あるもん。それに、妖怪の国まで名声が届くほどの立派な人なのに――」

「立派?」

 尋ねる声にどこか険がある。

「う~ん、徳があるって聞くよー?」

「ふん。あんなだらしのない男がか」

 だらしないの……?

 パールは首をかしげたが、兄をやたらと敵視する弟の言葉だから信じられない。

「スイリュウが妙に嫌ってるから興味が湧くんだよ」

「ふん、出来のいい兄弟なんてぇのは、俺に限らず面白くないもんだろ」

「私、兄弟いないから」

 そうか、とスイリュウは振り向く。
 
「でも親はちゃんといるんだろ」

「うん」

 当たり前のようにうなずいてから、パールは少し口ごもった。
 
「もしかしてスイリュウは――」

「ああ。物心ついた頃に両おやとも死んだんだ」

 そっか、と淋しそうにつぶやきながらパールは後ろで口の端をあげて何度も首を縦に振っていた。

 な~るほど。それでこぉゆうひねくれた人間が出来上がったわけか。

 自分のことは棚に上げて、全国の孤児に失礼な納得をする。そんなこいじわるいパールの胸中を察しもせずにスイリュウは、

「同情はいらん。俺の生まれた頃はちょうど黒死病が大流行したんだ。俺のような孤児がたくさん生まれた」

「黒死病?」

「ああ。からだじゅうに黒い斑点が浮き出るんでそう呼ばれている。かかると大抵は死に至る、恐ろしい流行はやりやまいだ。こいつのせいで、俺は親の顔もろくに覚えていない。ただ俺はガキの頃からこんな性格だから、親もあいつばかりかわいがっていたような覚えはあるがな」

 スイリュウは兄の名を呼ぼうとしなかった。

「俺はあいつのように話せない、暗い男だ。俺といると気分が悪くなるから誰も近付かない。だがそれは、俺があいつの経験した環境を経験していないからだ。それなのにあいつはあのうっとうしい、俺の大嫌いな明るい笑顔を振りまいて俺に近寄ってくる。俺が余計影になるばかりだと知っているくせに」

 スイリュウの静かな言葉から、怒りがちらちらと炎の舌を出した。

 パールは黙っていた。また傷付けたくない、というのではなく、そんなへまをやらかして愚か者だと思われるのが嫌だった。

 二人のうしろに落ちてゆく日は次第に赤くいろづき、埃っぽい大地を幻想的な世界へと変えてゆく。

「今日中に次の町へ着くの?」

 パールは不安になる。何時間歩いても辺りの景色は一向に変わらない。

 スイリュウは革袋から古びた羊皮紙を取り出した。四つ折りにしたそれを開くと、木炭で書かれた世界地図だった。

「わあ、地図なんて持ってたんだ」

 パールは後ろからのぞき込む。

「地図も持たないで旅をしてたのか?」

「だって妖怪は鼻が利くから方向を間違えることなんて無いもん」

 スイリュウは地図を指でたどりながら、

「ここを越えると大きな町、続いて小さな町に出る。そうすればミッダワーラーはすぐだ」

「そうしたら妖怪の国もすぐだね。で、その大きな町ってのにはあとどれくらいで着くの?」

「まあ」

 スイリュウは畳んだ地図を革袋にしまいながら、

「今夜は野宿だな」

「ええええええっ!? やだぁ」

「仕方ないだろ。ここを越えるのがもっとも近道だったんだから」

「近道ってこたぁ、ちゃんと町をたどってゆく方法もあったってこと?」

「まああったが、そうすると倍近くかかる。俺は寝袋を用意してきたことだし、それなら野宿の方が――」

「私は持ってない。しかも夕食はどうすんの」

「さっきパンを多めに買った」

「またパン……。野生動物に襲われたりしない?」

「さっきからずっと歩いてて一度も行き会ってないじゃないか」

「でも遠くの川で水飲んでるみたいなの見えたよ」

「近付いては来なかっただろ。それに万が一の時には俺が斬ってやるから安心しろ」

 どうあがいても野宿は必至だった。

 道に転がる石につまずくほど空が暗くなる頃、二人は歩くのをやめ、辺りで一番大きな木の下で食事をとった。大きいと言っても高さはスイリュウの背丈ほどしかない。だが細い枝は長く、地面に届かんばかりにしだれている。その下に入ると、ふと、柔らかい枝に包まれたような心地がした。

 パールはさんざんわがままを言って、スイリュウの寝袋を奪取すると、その中に入って目を閉じた。だが野宿など初めての経験だからなかなか寝付けない。

 しばらくしてパールは寝袋から顔を出した。木の幹に背を持たせかけてスイリュウが目を閉じているが、寝ている気配はない。

「寒くない?」

 夜になると、草地は昼間の暑さからは想像できないほど冷え込んだ。

「私の着物、もう一枚風呂敷ん中入ってんの、貸そうか?」

「いい」

 目を開けたスイリュウは短く答えて、肩からはずし前にかけたマントをひきあげた。

「じゃあ私が着る」

 パールは寝袋から上半身を出して、風呂敷包みに手を伸ばした。
しおりを挟む

処理中です...