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八、再会
27、誰かのために祈るとき
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屋台のカウンターの向こうから飛び出してきたのは、まぎれもないなつかしい顔だった。
青い着物に猫の手足、剃り上げた頭にかわいらしい耳。そしてやんちゃを絵に描いたような、いたずらっ子の笑顔。
「クリスタ!」
「パール!」
ふたりはお互いの事情も聞かず、とりあえず抱き合って再会を祝した。
「パールぅ、さみしかったよぉ」
「よしよし。ってなんであんたは国にも帰らず――」
言いかけたパールの顔から笑みが消える。
「とりあえず話はあとにしよう。クリスタ、この人を頼みたいの」
パールは車の荷台に横たわったままのスイリュウに目を向けた。彼に近付いたクリスタは何も尋ねかった。
「小さな部屋と壺が必要だ」
振り返ったクリスタは、いつものくりくりとした瞳の奥に、十代目龍厳寺和尚としての厳しくもやさしい光を宿していた。
木の扉に背中を押しつけて、正座したパールは一心に祈り続けていた。
クリスタを働かせ食べさせてくれていた、屋台を引いている夫婦の家だ。この扉の向こう、小さな寝室のベッドには今もスイリュウが眠り続け、クリスタの祈祷が続いている。
お願い、スイリュウを助けて。
パールはぎゅっと目を閉じたまま、強く合わせた手に額を押しつけた。
私もう二度と、族長にさせてなんて祈んない。だからスイリュウを助けてあげて。
自分の力で叶えられることと、他力本願しか出来ないことがある。族長になるための苦労は惜しまない、だが今苦しむスイリュウのために自分が出来ることは、ひたすら祈ることだけ。その祈りはナヒーシャの城、クジューの塔に閉じこめられたときより強かった。
パールは初めて、誰かのために祈っていた。
悪化されては胸くそ悪い、そんな気持ちはもう消え失せている。ただ、さっきまで横にいた誰かが、永遠に手の届かないところへ行ってしまうことが怖かった。声が聞けなくなることが恐ろしかった。
長い時間が経過した。静かになったり大きくなったりして続いていたクリスタの読経がやんでいた。
扉の取っ手に手をかける音がして、パールは飛び跳ねるように立ち上がる。
扉が開いて、数珠を手に部屋から出てきたのはクリスタひとり。何か訊こうとして、パールは声をつまらせた。
クリスタは扉を開けたまま、目でパールに中に入るよううながす。
「どうしたの、パール、もう大丈夫だよ」
沈黙を破ったその声に、パールの暗い不安も破られた。地獄で仏の声を聞いたごとく、違う世界から届いた声のようだった。
「ほんとう?」
「はっはっはっ。龍厳寺の水晶殿に調伏できぬ魔など無いわ!」
クリスタの陽気な声に、パールは心の底から安堵した。
「スイリュウ!」
部屋に駆け入る。戸棚の奥の小さなベッドで、スイリュウは身を起こしたところだった。頬には自然な血色が戻り、青い瞳にも光がある。
「良かった、スイリュウ、死んじゃわないで良かった!」
パールは思わず、彼の首に両腕をまわして抱きしめた。
クリスタが再びベッドの横に戻ってくる。
「えへへ、パール嬉しい?」
「うん、ありがと、クリスタ。ほんとにありがと」
握ったクリスタの両手を何度も上下させて、パールはいく度も礼を述べた。
「良かった、スイリュウ、元気になって」
と、再び肩を抱く。
「熱も下がったね」
体を離して肩に手を置いたまま顔をのぞき込むと、スイリュウはちょっと赤くなっていた。
「あんた、パールっていうのか?」
視線をはずしたまま尋ねる彼に、うなずき一礼する。
「ねこまんま族の真珠の子。パールって呼んで。よろしく」
「俺は銀の騎士スイリュウだ。もうすぐ金の騎士になるつもりだがな」
ちょっと笑って右手を差し出す。パールはその手をしっかりと握った。
ベッドの足元にある棚の上に、ふたをされた壺が乗っている。この中にスイリュウを苦しめた魔が封印されており、あとで聖なる川に流して浄化するそうだ。
三人はその晩をミッダワーラーで休んでから妖怪の国へ帰ることにした。パールは今までの旅やスイリュウに出会った経緯などを話し、クリスタはミッダワーラーにとどまっていた理由を話した。パールの特徴を街中の人に話し、今日まで待ち続けたのだ。
「オレ、一文も持ってなかったんだよ。船は行きみたく荷物にまぎれて乗り込んで、誰かの子供って振りしてればすむけれど、港までは丸一日歩き通しだろ? 途中でなんにも食べられないんじゃあ……」
「何言ってんだよ! この家で働かせてもらってたんなら、路銀くらいもらえばいいじゃんか」
「でもオレが妖怪の国に戻ってパールが連れ去られたこと話したら、パールは決して族長になれないんじゃねぇかと思って…… オレと別れるときおめぇ言ってたろ、いつか妖怪の国に帰って立派な族長になるって」
パールは何も言えなくなった。確かそれが、クリスタと交わした最後の言葉だったはずだ。
「でも、妖怪の国の一大事だったんだよ。私が戻ってこられたからいいようなものの――」
「何言ってんでぃ、パールが戻ってこられねぇはずねえだろ! ぜってぇ戻ってくるって信じてたから、オレは待ってたんでぃっ!」
「そだね」
パールは笑った。
「私が悪い神様の手下なんかに負けるはずない。クリスタ、おまえの判断は正しかったよ」
ベッドの上で、スイリュウは思わず苦笑した。
「誰が倒したと思ってる」
そして翌朝、三人は妖怪の国へ向け旅立った。
青い着物に猫の手足、剃り上げた頭にかわいらしい耳。そしてやんちゃを絵に描いたような、いたずらっ子の笑顔。
「クリスタ!」
「パール!」
ふたりはお互いの事情も聞かず、とりあえず抱き合って再会を祝した。
「パールぅ、さみしかったよぉ」
「よしよし。ってなんであんたは国にも帰らず――」
言いかけたパールの顔から笑みが消える。
「とりあえず話はあとにしよう。クリスタ、この人を頼みたいの」
パールは車の荷台に横たわったままのスイリュウに目を向けた。彼に近付いたクリスタは何も尋ねかった。
「小さな部屋と壺が必要だ」
振り返ったクリスタは、いつものくりくりとした瞳の奥に、十代目龍厳寺和尚としての厳しくもやさしい光を宿していた。
木の扉に背中を押しつけて、正座したパールは一心に祈り続けていた。
クリスタを働かせ食べさせてくれていた、屋台を引いている夫婦の家だ。この扉の向こう、小さな寝室のベッドには今もスイリュウが眠り続け、クリスタの祈祷が続いている。
お願い、スイリュウを助けて。
パールはぎゅっと目を閉じたまま、強く合わせた手に額を押しつけた。
私もう二度と、族長にさせてなんて祈んない。だからスイリュウを助けてあげて。
自分の力で叶えられることと、他力本願しか出来ないことがある。族長になるための苦労は惜しまない、だが今苦しむスイリュウのために自分が出来ることは、ひたすら祈ることだけ。その祈りはナヒーシャの城、クジューの塔に閉じこめられたときより強かった。
パールは初めて、誰かのために祈っていた。
悪化されては胸くそ悪い、そんな気持ちはもう消え失せている。ただ、さっきまで横にいた誰かが、永遠に手の届かないところへ行ってしまうことが怖かった。声が聞けなくなることが恐ろしかった。
長い時間が経過した。静かになったり大きくなったりして続いていたクリスタの読経がやんでいた。
扉の取っ手に手をかける音がして、パールは飛び跳ねるように立ち上がる。
扉が開いて、数珠を手に部屋から出てきたのはクリスタひとり。何か訊こうとして、パールは声をつまらせた。
クリスタは扉を開けたまま、目でパールに中に入るよううながす。
「どうしたの、パール、もう大丈夫だよ」
沈黙を破ったその声に、パールの暗い不安も破られた。地獄で仏の声を聞いたごとく、違う世界から届いた声のようだった。
「ほんとう?」
「はっはっはっ。龍厳寺の水晶殿に調伏できぬ魔など無いわ!」
クリスタの陽気な声に、パールは心の底から安堵した。
「スイリュウ!」
部屋に駆け入る。戸棚の奥の小さなベッドで、スイリュウは身を起こしたところだった。頬には自然な血色が戻り、青い瞳にも光がある。
「良かった、スイリュウ、死んじゃわないで良かった!」
パールは思わず、彼の首に両腕をまわして抱きしめた。
クリスタが再びベッドの横に戻ってくる。
「えへへ、パール嬉しい?」
「うん、ありがと、クリスタ。ほんとにありがと」
握ったクリスタの両手を何度も上下させて、パールはいく度も礼を述べた。
「良かった、スイリュウ、元気になって」
と、再び肩を抱く。
「熱も下がったね」
体を離して肩に手を置いたまま顔をのぞき込むと、スイリュウはちょっと赤くなっていた。
「あんた、パールっていうのか?」
視線をはずしたまま尋ねる彼に、うなずき一礼する。
「ねこまんま族の真珠の子。パールって呼んで。よろしく」
「俺は銀の騎士スイリュウだ。もうすぐ金の騎士になるつもりだがな」
ちょっと笑って右手を差し出す。パールはその手をしっかりと握った。
ベッドの足元にある棚の上に、ふたをされた壺が乗っている。この中にスイリュウを苦しめた魔が封印されており、あとで聖なる川に流して浄化するそうだ。
三人はその晩をミッダワーラーで休んでから妖怪の国へ帰ることにした。パールは今までの旅やスイリュウに出会った経緯などを話し、クリスタはミッダワーラーにとどまっていた理由を話した。パールの特徴を街中の人に話し、今日まで待ち続けたのだ。
「オレ、一文も持ってなかったんだよ。船は行きみたく荷物にまぎれて乗り込んで、誰かの子供って振りしてればすむけれど、港までは丸一日歩き通しだろ? 途中でなんにも食べられないんじゃあ……」
「何言ってんだよ! この家で働かせてもらってたんなら、路銀くらいもらえばいいじゃんか」
「でもオレが妖怪の国に戻ってパールが連れ去られたこと話したら、パールは決して族長になれないんじゃねぇかと思って…… オレと別れるときおめぇ言ってたろ、いつか妖怪の国に帰って立派な族長になるって」
パールは何も言えなくなった。確かそれが、クリスタと交わした最後の言葉だったはずだ。
「でも、妖怪の国の一大事だったんだよ。私が戻ってこられたからいいようなものの――」
「何言ってんでぃ、パールが戻ってこられねぇはずねえだろ! ぜってぇ戻ってくるって信じてたから、オレは待ってたんでぃっ!」
「そだね」
パールは笑った。
「私が悪い神様の手下なんかに負けるはずない。クリスタ、おまえの判断は正しかったよ」
ベッドの上で、スイリュウは思わず苦笑した。
「誰が倒したと思ってる」
そして翌朝、三人は妖怪の国へ向け旅立った。
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