夢幻宵祭り ~自らに呪いをかけ鬼となった、とある少女の物語~

綾森れん

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三章、夢 ――Stardust――

01.夢を忘れられないすべての人に

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 軒下のきしたで揺れる風鈴の向こうに、果てしない宇宙が広がっている。水割りのグラスを揺らせば、氷が澄んだ音色を奏でる。家人は寝静まった零時過ぎ、織江おりえは柱に寄りかかり、縁側でひとり空を見上げる。ぽっかり浮かんだ三日月に、まもるくらいの年の頃、お気に入りだった絵本を思い出す。三日月へと続く、星の階段が見えるような気がする。ある晩、月の兎が星の階段を下りてきて、ベランダから女の子を空へ連れ出す。だけどその子は淋しがり、やがて家へ帰りたいと泣き出して、兎を困らせてしまう。

(今のわたしなら、帰りたくないと泣き出すだろう。夜明けを恐れ、誰にも止められない場所へ行きたくて)

 ――お日様が追いかけてくる! 西へ西へ、早く早く――

 ふと見上げた庭の木に、小さな白い着物姿、裾から手に取る曼珠沙華、花びら一枚指に乗せ、ふっと吹けば織江の前に降り立って、見慣れた夫の姿となる。目を丸くする織江へ、

「祭りの晩は訳の分からぬことを言ってすまなかった」

 目をこすり、織江は夫と、枝の上の子供を見比べる。

「守は今夜も、俺たちが仲直りする夢を見ているだろう。を張ってすまなかった、もう鬼退治なんて馬鹿なことは言わないから、アパートに戻って三人で暮らそう」

 織江は強く目をつむり、それからもう一度開いて枝の上の子供を見上げた。テレビで見た「オニ」が、目の前に現れたのだ。しかも花びらを夫の姿に変え、その幻を操っている。様々な怪奇現象の報道など、視聴率狙いのいんちきだと思っていたのに。

 だがよく見れば、子供は片手で額を押さえ痛みをこらえている。角の生えたこめかみから流れる血に気付き、織江は立ち上がる。

「もうやめて」

 幻をすり抜け木の下に走った。血に染めた袖から片目をのぞいて、オニは不思議そうに織江を見下ろしている。「夜響が見えるの?」

「怪我してるじゃない、おりてらっしゃい」

 両手を差し出す。この子が、夫が夢中になって追い、守が遊んでもらったと喜んでいた夜響やきょう。織江は夜響を縁側に座らせる。

「今まで一度も、夜響に気付かなかったのに」

「そうだった?」

 傷口に、ティッシュペーパーをそっとあてながら、聞き返す。

「なんで夜響にやさしくするの? 駄目だよ、夜響はね、ひどいことしたんだよ」

 何か言いかけた夜響を置き去りに、織江は救急セットを取りに行く。戻ってくると夜響はまだ、何か言い淀んでいる。

「うちの守に縄跳び教えてくれたでしょ、あの子すごく喜んでたわ」

「ほんと?」

 ありがとね、と微笑むと、

「だから戻ってきたんだ。守くんの幸せは、所長の幸せだし」

 自分に言い聞かせるように呟いた。温泉で、守の話をしながら見せた、広松の笑顔を思い出す。

 織江は応急処置を施し、ガーゼを白い髪で隠してやる。そっと頭を撫でてやると、夜響は淋しそうにした。「所長のこと――旦那さんのこと、嫌わないで。夜響からも、鬼退治なんてやめるように言うから」

 膝を抱え涙をこらえて、そんなことを言う。

「違うの」

 織江は首を振り、夜響の肩を抱き寄せるようにたたいた。「わたしは夫を趣味から引き離したいんじゃない、夢を捨てさせたいのではないの。わたしの夢を認めて欲しいの」

 夜響はきょとんとした目でみつめている。

「わたしは進学塾の講師、あの人にとっての仕事は義務で時間を奪うものだけど、わたしにとってはとても楽しくて、苦しいときもあるけど、感動を与えてくれるものなの」

 話すうち、その目は輝いてくる。

「あなたくらいの年の生徒たちは大人でも子供でもない、不思議な魅力に満ちていて飽きることがない。わたしが一生懸命になれば、あの子たちもちゃんとついてきてくれる。わたしの話に耳を傾けてくれるし、学校であったことや趣味の話を、一生懸命してくれる。そんなかわいい生徒たちが夢の志望校に受かると、もう嬉しくて夢中になってしまうのよ。だけどね、これは守が大切じゃないとか、家庭が嫌いとか、そんなことではないの。家が一番ほっとできるし、守ほどあったかい気持ちにさせてくれる子はいないもの」

「そういうこと、所長に話した?」

「夫に?」織江は首をひねる。「仕事をやめろって言われると、頭に血がのぼって、ちゃんと話しているのかどうか」

 苦笑する織江に、夜響は難しい顔で考える。

「きっと所長は、理想の家庭を作りたいんだ」

「そう。あの人の頭の中には、理想の女性が住んでいるのね。だけどわたしは生身の人間だから、あの人と同じように夢があって、自由を欲したりもするのよ」

「自由になりたいって――」

 夜響はじっと、遠い自分の心をみつめている。「みんな思うことなんだ」

「人とのつながりの中で生きているんだもの。制約があるから望みが湧くし、望みがあるから叶った喜びもある。ほんとに自由な場所って、頭の中だけかもね」

 織江は笑った。夜響はうん、とうわの空で返事をする。じっと、考えている。

「夜響は、頭の中の嵐を現実に起こしたかったの」

「それで夜も眠りたくない子供たちに夢を見せてくれた。体ばかり大きくなって、わたしもとおるも子供だわ」

 いつの間にか、織江は広松を夫と呼ばない。

「夜響の姿は、夢を捨てられない全ての人に見えるのね」

 見上げた夜空に、子供の頃見た兎がいる。

「わたしの中にも、オニはまだ住んでいる。自分勝手で欲張りで、人の気持ちも考えない。だけどすごく素敵な思い付きをする」

 夜響は、覚えていないくらい昔にお母さんにしたように、ころんと横になって織江の膝に頭を乗せた。手に負えない鬼っ子の額をいとおしそうに撫でながら、織江はずっと遠い夜空をみつめていた。
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