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05★アルベルトの潜伏作戦(※アルベルト視点)
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(※アルベルト視点です)
十歳の俺は湖畔の離宮から一切装飾のない馬車に乗り込んだ。車内には俺のほかに三人の近衛兵が座っていた。
「これからは我々が殿下をお守りします」
近衛兵たちは一人一人自己紹介をしたあとで、付け加えた。
「ただし聖職者のふりをして」
一番若い近衛兵のダリオが兵帽を脱ぐと、その頭は剃髪になっていた。
「よく似合うでしょ?」
ダリオは自分の頭を指さして笑わせようとしてくれたが、俺は急な状況の変化に不安しかなかった。
「王宮に帰るんでしょう?」
カーテンの隙間から車窓の景色を確認する俺に、もっとも貫禄のある近衛兵――マッシモさんが首を振った。
「いいえ、殿下。我々は大聖堂に向かっています。でも、ご安心ください。大教主様には手紙で事情が伝えられていますから」
「大教主様って大叔父様? 今後は大叔父様が僕の父上代わりってこと?」
「いえ、殿下――」
マッシモさんは苦しげに打ち明けた。
「殿下は今後、貧しい農村からやってきた少年カストラートを演じなければなりません。大教主様が一介の少年の世話をしていたら怪しまれてしまいます。大教主様が心から信頼する音楽監督を頼ってください」
音楽監督がどんな人物なのか尋ねる前に、ダリオが声をひそめた。
「大教主様が心から信頼するっていうか、心から愛するっていうか――」
「口を慎め! 殿下の前だぞ」
叱られたダリオは肩をすくめた。
「ったく貧乏人っていうのはとんでもねえよな。明日のパンのために息子を手術台に送るたぁ」
「言葉に気をつけろと言っているだろう」
マッシモさんは再び注意してから、俺に向き直った。
「カストラート歌手たちは大抵、貧村の出身です。彼らは最下層の出自を明かしたがらない。でも、だからこそ殿下が身を隠すには都合がよいと、陛下はお考えなのです」
マッシモさんが苦しそうに口元を歪めたが、幼い俺には彼が何に耐えているのか、よく分からなかった。
それまで黙っていた三人目の近衛兵――ファブリツィオが、ため息をついてうなずいた。
「出身の村や両親のことを尋ねられてごまかしても、怪しまれることはありませんからね」
「ですから殿下、今後我々が殿下と呼ぶことは許されません。何か偽名を考えていただきたい。たとえば――リッカルド、フェデリーコ、ジャコモ……」
マッシモさんは指を折りながら、思いつくままに名前を挙げていく。
何でもいいよと答えようとしたとき、リラの花咲く庭園で俺を見上げる愛らしい少女の姿がまぶたの裏によみがえった。彼女は快活に、「アル、一緒に遊びましょう」と誘ってくれた。
「アルカンジェロって名前にするよ」
もう一度リラに会ってアルと呼ばれたいから――
ロムルツィア王国の都は海に浮かぶ島の上にある。大陸から見える程度の距離だが、海が天然の濠となって鉄壁の守りを固めている。
車中で庶民の服に着替えた俺は、馬車を降りると近衛兵三人に囲まれて小舟に乗った。
やがて舟は王都の運河に入り、大聖堂を囲む煉瓦壁に近づいていく。壁の端に設けられた木戸から中に入り、俺たちはこっそり大聖堂の裏庭にたどり着いた。
出迎えてくれたのは、中年女性のようにでっぷりと太った鼻眼鏡の聖職者だった。
「彼は大聖堂の音楽監督です」
マッシモさんが教えてくれる。
「お待ちしておりました」
柔和な笑みを浮かべた音楽監督は声も年配の女性のようだった。俺はすぐに彼がカストラートなのだと悟った。
俺の部屋は、大聖堂の敷地内に建つ修道士たちの寄宿舎内に用意された。俺の出自を知っているのは大教主様と音楽監督、それから三人の近衛兵が化けた修道士だけだ。ほかの修道士たちは、俺を大聖堂が引き取った歌手の卵だと信じている。
俺はすぐに、城下の子供たちが所属する聖歌隊に加わることになった。
初日、俺は新しい名前で自己紹介した。
「皆さん、こんにちは。僕はアルカンジェロ・ディベッラです」
だが途端に下町のガキどもは笑いころげた。
「こいつ、『皆さん』って言ったぜ!」
「『僕』だってよーっ!」
「僕ちゃんはどこの貴族の坊ちゃんですかぁ? ぷぷぷっ」
貧村出身という設定なのに、一言しゃべっただけで貴族とからかわれるのはまずい。王族然とした立ち居振る舞いや言葉遣いを直すべく、なるべく彼らに染まるよう努力しなければ。
聖歌隊員となって最初の大きな仕事は数日後にやってきた。
第三王子アルベルトのための鎮魂礼拝だ。俺は自分自身の追悼ミサのためにレクイエムを合唱することになった。
大教主様から、亡くなった第三王子のために鎮魂の歌を捧げよと命が下ったとき、俺は意味が分からなかった。だが、ほかの子供たちの前で不用意な発言をしては危険なことくらい、心得ていた。
練習後、子供たちが大聖堂から出て行ったあとで、俺は楽譜を整理している音楽監督に近づいた。
俺に気付いてふと眉を上げた音楽監督は、人好きのする優しい微笑で俺を見下ろした。
「アルカンジェロ、戸惑うのも無理はありません」
何も尋ねていないのに、彼は俺が訊きたいことを察していた。大きな木の譜面台に楽譜を置いて、俺の背丈に合わせて腰をかがめた。
「年齢から推察されるのを防ぐため、今回毒殺されたのはジルベルト殿下ではなくアルベルト殿下だと発表されたのです」
彼のやわらかい声が衝撃的な情報を語った。
「これは最大の秘密です。宰相も騎士団長も知りません」
音楽監督は太い人差し指を自分の唇の前に立てた。
命を守るために知られてはならないのだと、十歳の俺にも理解できた。
だが同時に、言葉にならない不安に襲われた。
――僕、死んじゃったんだ……
音楽監督は俺の恐怖心をとかすように、大きな腕で抱きしめてくれた。
「怖いですよね。私たちがなんとしても、あなたをお守りします」
鎮魂礼拝当日、俺は大聖堂上階の聖歌隊席から自分の葬列を見下ろしていた。棺の中に収められているのはジルベルト兄様の遺体だろう。だが人々は香の煙の中で、俺の名を呼んで涙を流していた。
十歳の俺は湖畔の離宮から一切装飾のない馬車に乗り込んだ。車内には俺のほかに三人の近衛兵が座っていた。
「これからは我々が殿下をお守りします」
近衛兵たちは一人一人自己紹介をしたあとで、付け加えた。
「ただし聖職者のふりをして」
一番若い近衛兵のダリオが兵帽を脱ぐと、その頭は剃髪になっていた。
「よく似合うでしょ?」
ダリオは自分の頭を指さして笑わせようとしてくれたが、俺は急な状況の変化に不安しかなかった。
「王宮に帰るんでしょう?」
カーテンの隙間から車窓の景色を確認する俺に、もっとも貫禄のある近衛兵――マッシモさんが首を振った。
「いいえ、殿下。我々は大聖堂に向かっています。でも、ご安心ください。大教主様には手紙で事情が伝えられていますから」
「大教主様って大叔父様? 今後は大叔父様が僕の父上代わりってこと?」
「いえ、殿下――」
マッシモさんは苦しげに打ち明けた。
「殿下は今後、貧しい農村からやってきた少年カストラートを演じなければなりません。大教主様が一介の少年の世話をしていたら怪しまれてしまいます。大教主様が心から信頼する音楽監督を頼ってください」
音楽監督がどんな人物なのか尋ねる前に、ダリオが声をひそめた。
「大教主様が心から信頼するっていうか、心から愛するっていうか――」
「口を慎め! 殿下の前だぞ」
叱られたダリオは肩をすくめた。
「ったく貧乏人っていうのはとんでもねえよな。明日のパンのために息子を手術台に送るたぁ」
「言葉に気をつけろと言っているだろう」
マッシモさんは再び注意してから、俺に向き直った。
「カストラート歌手たちは大抵、貧村の出身です。彼らは最下層の出自を明かしたがらない。でも、だからこそ殿下が身を隠すには都合がよいと、陛下はお考えなのです」
マッシモさんが苦しそうに口元を歪めたが、幼い俺には彼が何に耐えているのか、よく分からなかった。
それまで黙っていた三人目の近衛兵――ファブリツィオが、ため息をついてうなずいた。
「出身の村や両親のことを尋ねられてごまかしても、怪しまれることはありませんからね」
「ですから殿下、今後我々が殿下と呼ぶことは許されません。何か偽名を考えていただきたい。たとえば――リッカルド、フェデリーコ、ジャコモ……」
マッシモさんは指を折りながら、思いつくままに名前を挙げていく。
何でもいいよと答えようとしたとき、リラの花咲く庭園で俺を見上げる愛らしい少女の姿がまぶたの裏によみがえった。彼女は快活に、「アル、一緒に遊びましょう」と誘ってくれた。
「アルカンジェロって名前にするよ」
もう一度リラに会ってアルと呼ばれたいから――
ロムルツィア王国の都は海に浮かぶ島の上にある。大陸から見える程度の距離だが、海が天然の濠となって鉄壁の守りを固めている。
車中で庶民の服に着替えた俺は、馬車を降りると近衛兵三人に囲まれて小舟に乗った。
やがて舟は王都の運河に入り、大聖堂を囲む煉瓦壁に近づいていく。壁の端に設けられた木戸から中に入り、俺たちはこっそり大聖堂の裏庭にたどり着いた。
出迎えてくれたのは、中年女性のようにでっぷりと太った鼻眼鏡の聖職者だった。
「彼は大聖堂の音楽監督です」
マッシモさんが教えてくれる。
「お待ちしておりました」
柔和な笑みを浮かべた音楽監督は声も年配の女性のようだった。俺はすぐに彼がカストラートなのだと悟った。
俺の部屋は、大聖堂の敷地内に建つ修道士たちの寄宿舎内に用意された。俺の出自を知っているのは大教主様と音楽監督、それから三人の近衛兵が化けた修道士だけだ。ほかの修道士たちは、俺を大聖堂が引き取った歌手の卵だと信じている。
俺はすぐに、城下の子供たちが所属する聖歌隊に加わることになった。
初日、俺は新しい名前で自己紹介した。
「皆さん、こんにちは。僕はアルカンジェロ・ディベッラです」
だが途端に下町のガキどもは笑いころげた。
「こいつ、『皆さん』って言ったぜ!」
「『僕』だってよーっ!」
「僕ちゃんはどこの貴族の坊ちゃんですかぁ? ぷぷぷっ」
貧村出身という設定なのに、一言しゃべっただけで貴族とからかわれるのはまずい。王族然とした立ち居振る舞いや言葉遣いを直すべく、なるべく彼らに染まるよう努力しなければ。
聖歌隊員となって最初の大きな仕事は数日後にやってきた。
第三王子アルベルトのための鎮魂礼拝だ。俺は自分自身の追悼ミサのためにレクイエムを合唱することになった。
大教主様から、亡くなった第三王子のために鎮魂の歌を捧げよと命が下ったとき、俺は意味が分からなかった。だが、ほかの子供たちの前で不用意な発言をしては危険なことくらい、心得ていた。
練習後、子供たちが大聖堂から出て行ったあとで、俺は楽譜を整理している音楽監督に近づいた。
俺に気付いてふと眉を上げた音楽監督は、人好きのする優しい微笑で俺を見下ろした。
「アルカンジェロ、戸惑うのも無理はありません」
何も尋ねていないのに、彼は俺が訊きたいことを察していた。大きな木の譜面台に楽譜を置いて、俺の背丈に合わせて腰をかがめた。
「年齢から推察されるのを防ぐため、今回毒殺されたのはジルベルト殿下ではなくアルベルト殿下だと発表されたのです」
彼のやわらかい声が衝撃的な情報を語った。
「これは最大の秘密です。宰相も騎士団長も知りません」
音楽監督は太い人差し指を自分の唇の前に立てた。
命を守るために知られてはならないのだと、十歳の俺にも理解できた。
だが同時に、言葉にならない不安に襲われた。
――僕、死んじゃったんだ……
音楽監督は俺の恐怖心をとかすように、大きな腕で抱きしめてくれた。
「怖いですよね。私たちがなんとしても、あなたをお守りします」
鎮魂礼拝当日、俺は大聖堂上階の聖歌隊席から自分の葬列を見下ろしていた。棺の中に収められているのはジルベルト兄様の遺体だろう。だが人々は香の煙の中で、俺の名を呼んで涙を流していた。
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