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処女とビッチが友達の恋愛相談に乗る の巻
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大学生の会話の九割は下ネタである。──と、波多野愛実は思う。
そりゃさすがに言いすぎかもしれないが、キャンパスで会話が盛り上がっている集団からは、ほぼ猥談か、半径五メートル圏内の恋愛スキャンダルの話しか聞こえてこない。しかし、同じネタで盛り上がっていても実体験が伴っているかどうかは、個々にかなりの差がある。大学入学時点ですでにかなり経験豊富な人もいれば、経験はゼロなのに下ネタだけはいくらでも口から飛び出すようになってしまった者もいる。──そう、愛実自身のように。
九十年代のモダン建築のようなカフェテリアは、すべての学生を受け入れる寛大さを顕示するかのようにキャンパスの中心部にどんと構えていた。広場に面した側は天井までガラス張りになっていて、本来なら開放感ある建物のはずだが、人がひしめき合っている今はそれも実感できない。ほとんどのテーブルはランチをとる学生で埋まり、絶えずざわめき声と食器のぶつかる音で騒がしい。愛実と、田中冬人、浅倉檸檬の三人も、その中で息苦しいランチを取るグループのひとつだ。
まだ入学して間もない四月だけれど、すぐ仲良くなったこの三人に、工学部機械工学科でついたあだ名は「機工科のパフューム」である。見た目だけなら美少女の愛実はともかく、男性である冬人と檸檬にとっては少々不可解なネーミングだ。小柄で中性的な顔立ちの檸檬はまだわかるが、冬人にいたっては、韓流ドラマにでもいそうな長身のハンサムだ。おっとりとした雰囲気が、人の目にはどこかかわいらしく映るのだろうか。なんにせよ、この三人が学科で目立つ存在であることは確かだった。
「やっぱりさあ、学食にしては思ったより安くねえよな」
そう言う檸檬はカレー、愛実はラーメン、冬人はカツ丼。ごく平凡な学食メニューは、味もごく普通だった。
「今日サークル見学とか行く?」
愛実の問いに、二人が首を振る。
「同居してる子と買い物があって」
冬人は同じ大学の他学部に通う幼馴染みと、ルームシェアをしている。
「俺はデート」
檸檬が言うと同時に、愛実と冬人は呆れたような「ああ」という声を漏らす。
「また? もー、入学してからあんたを迎えにくる女やら男やら、何人見たかわかんないわ」
「だって俺、人気者だから」
「人気者なのは本人じゃなくてアッチじゃん?」
愛実の軽口に、檸檬は「失礼な」と顔をしかめた。
「穴も棒も人気だもん」
檸檬のジェスチャーに「ウェー」という顔をする愛実の隣で、冬人は二人の会話を鼻で笑っている。かわいらしいイメージで見られているのと裏腹に、愛実と檸檬の会話はいつもこんな調子だ。食事時に向かないことこの上ない。けれどこの日はさらに、檸檬が聞いた。
「俺のことばっか言うけどさ、お前らはどうなの? 付き合ってる相手とかいないの?」
いつも一緒にいるとはいえ、まだ出会ったばかりで知らないことは多い。「いたらあんたらなんかとつるむか」と毒づく愛実の横で、どうせ冬人も首を振るだろうと思っていた二人は、次の言葉に目を丸くした。
「実は、微妙な関係の幼馴染みがいて……」
正直、冬人は三人の中でも特に恋愛に疎そうだと、愛実も檸檬も思っていた。
「冬っち、恋バナとかする人だったのか」
「幼馴染みってことは地元の子?」
問う愛実に、冬人はうなずく。
「地元の友達とルームシェアしてるって言ったでしょ。その子……」
冬人の言葉を遮って檸檬が驚きの声をあげる。
「冬っちのルームシェアの相手って女だったの!?」
「男だよ」
「はあ!?」
「檸檬だってバイなんだからそんな驚くことないだろ」
「俺のはパンセクっていうの。でもお前のそんな話聞いたことないもん。何、ゲイなの?」
「それが自分でもわからないから、微妙なんだよ……」
冬人は、幼い頃からずっと仲良くしてきたから、自分の気持ちが友情なのか、恋愛なのかわからないのだと言う。
「……でも……」
冬人がもごもごと口ごもる。
「え? なんて?」
「……キスはしてるんだ」
「は!?」
檸檬がまた声を上げた。
「子どもの頃に……」
ああなんだ、と檸檬が呟く。
「お互い意味もわからずに、あっちはお父さんがアメリカ人だったりもして、友情の延長みたいな感じでするようになっちゃって……」
その語尾に、愛実と檸檬は顔を見合わせる。「するようになっちゃって」、ということは、一度ではないということだ。
「でも中学生くらいになるとさ、」
「まあ、さすがにな」
お互いまずいと思ったのだろう、と檸檬は続きを予想した。
「なんかエスカレートしちゃって」
「はい?」
「長くするようになったというか」
「おいまさか、舌まで入れたとか言うなよ」
「いや……」
愛実は、いつも下ネタに加わらない冬人が対応できる話題なのかと、その顔を覗くけれど、冬人は気にする余裕もないようだ。
「……高校生になってから」
愛実と檸檬は、また顔を見合わせた。
「……ん? 何が。」
「え、だから、舌……」
三人の間を沈黙が走る。
「はああああ!?」
とうとう檸檬が立ち上がって叫んだ。
「そんでお前、今は一緒に住んで四六時中チュッチュしてんのか!? そりゃもう実質付き合ってるっつーんだよ」
「四六時中なんてしてないよ。夜寝る前だけだ」
「リア充爆発しろ」
騒がしいカフェテリアの中ではそれほど声も響かないが、突然立ち上がってそれなりの注目を集めている檸檬を、まあまあ、と座らせて、愛実が尋ねる。
「それでなんで冬っちは、恋愛だと確信できないのさ?」
「それは……」
少し考え込んだ後、冬人は話し出す。
「僕ら、普段遊んだり喋ったりしてる時は、すごく普通の友達って感じなんだよ。だから、わざわざ恋人になる必要あるのかわからなくて……」
「そりゃ友達同士みたいに遊ぶカップルだっているだろ。お前らの恋愛はそういうパターンなんだって思えばいいじゃん」
檸檬が意外にまともなことを言う。
「うーん、そうなのかな。他に恋愛経験もないから、何が恋愛で何がそうじゃないのか判断がつかなくて……」
しかし冬人は、まだ迷っているようだ。
ひとまず愛実と檸檬が出した結論は、「今度その幼馴染みと会わせろ」だった。内心の思惑は、愛実も檸檬も同じだ。どうやら恋愛に疎すぎて関係が進まなくなってしまっているようなので、自分たちが直接会って後押ししてやればいいんじゃないか、と。
「ところで……夜寝る前、とかぬかしてたけど、まさか一緒に寝てるなんて言わないよな……」
檸檬の探る視線に、冬人は目を逸らして答えた。
「だって大地が淋しがるから……」
「リア充爆発しろ」
愛実もさすがにもう檸檬を止めなかった。
「ふーくん見て!」
ベッドに腰かけてスマホを見ていた冬人の肩に、ほとんどぶつかる勢いで、大地がもたれかかってくる。示されたスマホ画面を見ると、大地の実家で飼われているトカゲの「タマ」の動画が流れていた。
「マムが送ってくれたんだ。ほらー、めちゃめちゃ可愛い顔してる」
正直、冬人にはトカゲの可愛さはあまりわからないけれど、大地の家で触れ合ううちに「タマ」にだけは少し愛着が湧いている。大きな目と笑っているような口が、なかなか愛嬌があるようにも思えてきた。
「元気そうでよかったね」
「うん!」
と強く頷きながら冬人を見る大地の笑顔に、冬人も思わず笑みがこぼれる。この無邪気な幼馴染みこそが、目下の冬人の悩みの種、名はラドラム大地。日本生まれの日本育ちだけれど、父がアメリカ人、母が日本人でバイリンガル、同じ大学の国際学部情報グローバル学科に通っている。
子どもの頃から一緒にいるのが当たり前で、高校も大学も当然のように同じところを目指して、一緒に上京し、一緒に部屋も借りて、当然のようにルームシェアを始めてしまった。
ここに来て今さら二人の関係の微妙さに戸惑うのも、おかしな話かもしれない。もしかしたら自分は、考えないように、疑問を持たないように、自ら蓋をしていたんだろうか。けれど、一緒に暮らすようになって、少しずつ何かが変わってきているような気がする。
「ふーくん、もう寝る?」
「うん、大地がシャワー終わったら寝ようと思ってた」
二人でベッドに入って、リモコン式の部屋の灯りを冬人が消す。ベッドはこの部屋に引っ越すときに、二人の親がお金を出し合ってプレゼントしてくれたものだ。同じ形の二つのシングルベッド。当初はその間にサイドチェストを置いていたけれど、二人暮らしが始まった夜、二人とも舞い上がって、眠ろうとしても話が尽きず、邪魔くさくなってサイドチェストをわきによけてベッドをくっつけてしまった。シンプルな形の二つのベッドは、上手い具合にピッタリくっついて、ちょうどダブルベッドのようになった。
翌日、大地は言った。
「ねえ、このままにしといてもいい? 一度くっつけたのを離すのって、なんか淋しい気がする」
だから二人は今も、ダブルベッドのようにくっついたベッドで一緒に眠る。境界線が曖昧になった布団の中で、大地がこちら側に体を向けて横たわっているのが、暗闇でもわかる。
「おやすみ、ふーくん」
「おやすみ、大地」
それからお互いに体を引き寄せ合って、ゆっくりと顔が近づく。どちらかがやめようとすれば、この習慣は終わるのかもしれない。……だけど、どうして終える必要があるのだろう?
暗闇の中で二人の唇が重なる。お互いの唇を愛撫し合って、それから離し、眠りにつく。
待ち合わせしたカフェテリア前に現れた大地は、快活なスポーツマン風の青年だった。
「ふーくん!」
軽く片手を挙げてやってきた彼は、彫りの深い顔立ちに、太陽のような明るい空気をまとっている。和服が似合いそうな冬人と並ぶと、なかなか好対照だ。
「二人のこと、ふーくんからよく聞いてるよ。会えてうれしい!」
人懐っこい笑顔で話しかけられると、なるほどこれは、大型犬のようで可愛いかもしれないと思う。冬人が溺愛するのも、少しわかる気がした。
「俺もちょうど仲良くなった学科の友達がいてさ、来れたら合流したいって言ってるんだけどいいかな?」
大地の問いに、冬人が
「ああ、二人もいいよね」
と何の気なしに答えた。愛実と檸檬は顔を見合わせる。
「……うん、いいよもちろん!」
「どうぞどうぞ!」
本当のところ、冬人と大地をくっつけるのに、事情を知らない第三者が入ってきたら邪魔になるかもしれないと思ったが、断るわけにもいかない。まあ、今日は初対面だし、とりあえず様子見か。愛実と檸檬はそんな判断を、瞬時に視線で交わした。
昼は混雑しているカフェテリアも、五限目の終わった今は、友達とお茶をしながら喋るのに利用する学生がちらほらいるくらいだ。それぞれ適当に飲み物を調達して席についたちょうどその時、「大地!」と呼ぶ高い声が、少し離れたところから聞こえた。
「こんにちは! 情報グローバル学科一年の六角映見です」
そう言って微笑んだのは、ポニーテールが爽やかな女性だった。
映見は、来て早々、冬人たち一人ひとりと握手を交わして名前を聞いた。面食らっている三人を気にも留めないのか、気付かないのか、さっと愛実の隣に座る。
(こういう時って、自分の知り合いの側の席を選ぶものでは?)
単純に、よりスペースが空いていたのが小柄な愛実と檸檬の側だったからだろうか。思いながらも愛実は、そのシンプルな選択にはちょっと好感を持った。テーブルを挟んで片側が冬人と大地、もう一方が檸檬、愛実、映見という並びになる。
「大地にこんな友達がいるなんて、知らなかったよ」
そう言う冬人が、この女子の登場に動揺しているのかどうか、愛実は読み取れずにいた。
「それがさ、実は昨日仲良くなったばっかりなんだ」
大地がおかしそうに話す。
「ごめんなさい、急で。どうしても、大地のふーくんに会ってみたくて」
『大地のふーくん』。その言い方に、愛実と檸檬は再び顔を見合わせる。
「昨日って、何かあったの?」
尋ねる冬人は、相変わらずのポーカーフェイスだ。
「そう、」
と、答えたのは、映見だった。
「先週の新歓の時に、先輩に絡まれたのを大地が助けてくれて。昨日授業で見かけてお礼を言ったら、話してるうちに意気投合して……」
「いろいろ共通点があってね」
大地が次いでそう言った瞬間、冬人の眉がぴくりと引き攣ったように見えた。
「……へえ、共通点って?」
「あー……えーと……」
そこでなぜか、大地が口ごもる。
「あ、私、去年までアメリカに住んでたの。進学のために単身で日本に来たんだ。両親は日本人で、向こうでも家庭の中は日本文化でね」
「そうそう! 俺も日本で育ったけど、家庭は半分アメリカンだったから、そういうところ共感するなあって……」
大地が言い終わらないかのうちに、愛実が声を上げた。
「えっじゃあ六角さん、一人で日本に来たの?」
映見は、少し嬉しそうな顔を愛実に向ける。
「うん。やっぱり私のアイデンティティは日本人だから、日本の文化をちゃんと体験したくなって、こっちで進学することにしたんだ」
「今は一人暮らし?」
「大学の学生マンションに住んでるよ」
「慣れなくて大変じゃない?」
「まあね……日本はいろいろルールが難しいよね」
女子二人の会話になってしまい、置いてきぼりになった男子三人はぽかんとしている。
「何か困ったことあったら言ってね。大地くんもいるけど、女子しかわからないこともあるしさ」
「うん! そう言ってくれるだけで嬉しいよ~ありがとう!」
映見はそう言って愛実にハグする。
「マナミって呼んでいいの?」
「うん、いいよ。エミちゃんでいい?」
「友達はエミーって呼ぶよ」
「じゃあ私もそうする」
「マナミはどういう字?」
愛実は、少し照れ笑いで答える。
「愛が実るって書いて、愛実」
「おお、それは……」
映見は急に眉をひそめた。
「愛実に恋した人は、あなたの名前を呼ぶ時に、愛が実ると勘違いしてしまうね」
そう言って微笑む映見と、「何それ~」と笑う愛実の間には、すっかり女同士の友情が結ばれてしまったようだ。
「まなちーん、なんでああいうことになるのさ」
その日の夜、檸檬は電話で愛実に苦情を言う。
「だってー、慣れない国で一人で生活してるなんて、ほっとけないよ」
「親切もいいけどさ、冬っちと幼馴染みをくっつける計画は?」
「ごめんてー。でもさ、ちょっと冬っち、嫉妬してたよね?」
そう切り出す愛実に、檸檬も前のめりになる。
「やっぱ? そう見えたよな?」
「エミーが『大地のふーくん』って言ってたのも妙に気になるよね」
「まなちん、エミーと仲良くなって探り入れてみろよ。あの女が大地くん狙ってんのかどうか」
たしかに映見の行動は、狙っている男子のランチにあえて空気を読まずに乱入する計算高い女子にも見えた。しかし愛実は、それとは違う何かを感じている。その何かがうまく言語化できない。「いいけどさ」とだけ檸檬に返して、愛実は映見の言動を思い返していた。
そりゃさすがに言いすぎかもしれないが、キャンパスで会話が盛り上がっている集団からは、ほぼ猥談か、半径五メートル圏内の恋愛スキャンダルの話しか聞こえてこない。しかし、同じネタで盛り上がっていても実体験が伴っているかどうかは、個々にかなりの差がある。大学入学時点ですでにかなり経験豊富な人もいれば、経験はゼロなのに下ネタだけはいくらでも口から飛び出すようになってしまった者もいる。──そう、愛実自身のように。
九十年代のモダン建築のようなカフェテリアは、すべての学生を受け入れる寛大さを顕示するかのようにキャンパスの中心部にどんと構えていた。広場に面した側は天井までガラス張りになっていて、本来なら開放感ある建物のはずだが、人がひしめき合っている今はそれも実感できない。ほとんどのテーブルはランチをとる学生で埋まり、絶えずざわめき声と食器のぶつかる音で騒がしい。愛実と、田中冬人、浅倉檸檬の三人も、その中で息苦しいランチを取るグループのひとつだ。
まだ入学して間もない四月だけれど、すぐ仲良くなったこの三人に、工学部機械工学科でついたあだ名は「機工科のパフューム」である。見た目だけなら美少女の愛実はともかく、男性である冬人と檸檬にとっては少々不可解なネーミングだ。小柄で中性的な顔立ちの檸檬はまだわかるが、冬人にいたっては、韓流ドラマにでもいそうな長身のハンサムだ。おっとりとした雰囲気が、人の目にはどこかかわいらしく映るのだろうか。なんにせよ、この三人が学科で目立つ存在であることは確かだった。
「やっぱりさあ、学食にしては思ったより安くねえよな」
そう言う檸檬はカレー、愛実はラーメン、冬人はカツ丼。ごく平凡な学食メニューは、味もごく普通だった。
「今日サークル見学とか行く?」
愛実の問いに、二人が首を振る。
「同居してる子と買い物があって」
冬人は同じ大学の他学部に通う幼馴染みと、ルームシェアをしている。
「俺はデート」
檸檬が言うと同時に、愛実と冬人は呆れたような「ああ」という声を漏らす。
「また? もー、入学してからあんたを迎えにくる女やら男やら、何人見たかわかんないわ」
「だって俺、人気者だから」
「人気者なのは本人じゃなくてアッチじゃん?」
愛実の軽口に、檸檬は「失礼な」と顔をしかめた。
「穴も棒も人気だもん」
檸檬のジェスチャーに「ウェー」という顔をする愛実の隣で、冬人は二人の会話を鼻で笑っている。かわいらしいイメージで見られているのと裏腹に、愛実と檸檬の会話はいつもこんな調子だ。食事時に向かないことこの上ない。けれどこの日はさらに、檸檬が聞いた。
「俺のことばっか言うけどさ、お前らはどうなの? 付き合ってる相手とかいないの?」
いつも一緒にいるとはいえ、まだ出会ったばかりで知らないことは多い。「いたらあんたらなんかとつるむか」と毒づく愛実の横で、どうせ冬人も首を振るだろうと思っていた二人は、次の言葉に目を丸くした。
「実は、微妙な関係の幼馴染みがいて……」
正直、冬人は三人の中でも特に恋愛に疎そうだと、愛実も檸檬も思っていた。
「冬っち、恋バナとかする人だったのか」
「幼馴染みってことは地元の子?」
問う愛実に、冬人はうなずく。
「地元の友達とルームシェアしてるって言ったでしょ。その子……」
冬人の言葉を遮って檸檬が驚きの声をあげる。
「冬っちのルームシェアの相手って女だったの!?」
「男だよ」
「はあ!?」
「檸檬だってバイなんだからそんな驚くことないだろ」
「俺のはパンセクっていうの。でもお前のそんな話聞いたことないもん。何、ゲイなの?」
「それが自分でもわからないから、微妙なんだよ……」
冬人は、幼い頃からずっと仲良くしてきたから、自分の気持ちが友情なのか、恋愛なのかわからないのだと言う。
「……でも……」
冬人がもごもごと口ごもる。
「え? なんて?」
「……キスはしてるんだ」
「は!?」
檸檬がまた声を上げた。
「子どもの頃に……」
ああなんだ、と檸檬が呟く。
「お互い意味もわからずに、あっちはお父さんがアメリカ人だったりもして、友情の延長みたいな感じでするようになっちゃって……」
その語尾に、愛実と檸檬は顔を見合わせる。「するようになっちゃって」、ということは、一度ではないということだ。
「でも中学生くらいになるとさ、」
「まあ、さすがにな」
お互いまずいと思ったのだろう、と檸檬は続きを予想した。
「なんかエスカレートしちゃって」
「はい?」
「長くするようになったというか」
「おいまさか、舌まで入れたとか言うなよ」
「いや……」
愛実は、いつも下ネタに加わらない冬人が対応できる話題なのかと、その顔を覗くけれど、冬人は気にする余裕もないようだ。
「……高校生になってから」
愛実と檸檬は、また顔を見合わせた。
「……ん? 何が。」
「え、だから、舌……」
三人の間を沈黙が走る。
「はああああ!?」
とうとう檸檬が立ち上がって叫んだ。
「そんでお前、今は一緒に住んで四六時中チュッチュしてんのか!? そりゃもう実質付き合ってるっつーんだよ」
「四六時中なんてしてないよ。夜寝る前だけだ」
「リア充爆発しろ」
騒がしいカフェテリアの中ではそれほど声も響かないが、突然立ち上がってそれなりの注目を集めている檸檬を、まあまあ、と座らせて、愛実が尋ねる。
「それでなんで冬っちは、恋愛だと確信できないのさ?」
「それは……」
少し考え込んだ後、冬人は話し出す。
「僕ら、普段遊んだり喋ったりしてる時は、すごく普通の友達って感じなんだよ。だから、わざわざ恋人になる必要あるのかわからなくて……」
「そりゃ友達同士みたいに遊ぶカップルだっているだろ。お前らの恋愛はそういうパターンなんだって思えばいいじゃん」
檸檬が意外にまともなことを言う。
「うーん、そうなのかな。他に恋愛経験もないから、何が恋愛で何がそうじゃないのか判断がつかなくて……」
しかし冬人は、まだ迷っているようだ。
ひとまず愛実と檸檬が出した結論は、「今度その幼馴染みと会わせろ」だった。内心の思惑は、愛実も檸檬も同じだ。どうやら恋愛に疎すぎて関係が進まなくなってしまっているようなので、自分たちが直接会って後押ししてやればいいんじゃないか、と。
「ところで……夜寝る前、とかぬかしてたけど、まさか一緒に寝てるなんて言わないよな……」
檸檬の探る視線に、冬人は目を逸らして答えた。
「だって大地が淋しがるから……」
「リア充爆発しろ」
愛実もさすがにもう檸檬を止めなかった。
「ふーくん見て!」
ベッドに腰かけてスマホを見ていた冬人の肩に、ほとんどぶつかる勢いで、大地がもたれかかってくる。示されたスマホ画面を見ると、大地の実家で飼われているトカゲの「タマ」の動画が流れていた。
「マムが送ってくれたんだ。ほらー、めちゃめちゃ可愛い顔してる」
正直、冬人にはトカゲの可愛さはあまりわからないけれど、大地の家で触れ合ううちに「タマ」にだけは少し愛着が湧いている。大きな目と笑っているような口が、なかなか愛嬌があるようにも思えてきた。
「元気そうでよかったね」
「うん!」
と強く頷きながら冬人を見る大地の笑顔に、冬人も思わず笑みがこぼれる。この無邪気な幼馴染みこそが、目下の冬人の悩みの種、名はラドラム大地。日本生まれの日本育ちだけれど、父がアメリカ人、母が日本人でバイリンガル、同じ大学の国際学部情報グローバル学科に通っている。
子どもの頃から一緒にいるのが当たり前で、高校も大学も当然のように同じところを目指して、一緒に上京し、一緒に部屋も借りて、当然のようにルームシェアを始めてしまった。
ここに来て今さら二人の関係の微妙さに戸惑うのも、おかしな話かもしれない。もしかしたら自分は、考えないように、疑問を持たないように、自ら蓋をしていたんだろうか。けれど、一緒に暮らすようになって、少しずつ何かが変わってきているような気がする。
「ふーくん、もう寝る?」
「うん、大地がシャワー終わったら寝ようと思ってた」
二人でベッドに入って、リモコン式の部屋の灯りを冬人が消す。ベッドはこの部屋に引っ越すときに、二人の親がお金を出し合ってプレゼントしてくれたものだ。同じ形の二つのシングルベッド。当初はその間にサイドチェストを置いていたけれど、二人暮らしが始まった夜、二人とも舞い上がって、眠ろうとしても話が尽きず、邪魔くさくなってサイドチェストをわきによけてベッドをくっつけてしまった。シンプルな形の二つのベッドは、上手い具合にピッタリくっついて、ちょうどダブルベッドのようになった。
翌日、大地は言った。
「ねえ、このままにしといてもいい? 一度くっつけたのを離すのって、なんか淋しい気がする」
だから二人は今も、ダブルベッドのようにくっついたベッドで一緒に眠る。境界線が曖昧になった布団の中で、大地がこちら側に体を向けて横たわっているのが、暗闇でもわかる。
「おやすみ、ふーくん」
「おやすみ、大地」
それからお互いに体を引き寄せ合って、ゆっくりと顔が近づく。どちらかがやめようとすれば、この習慣は終わるのかもしれない。……だけど、どうして終える必要があるのだろう?
暗闇の中で二人の唇が重なる。お互いの唇を愛撫し合って、それから離し、眠りにつく。
待ち合わせしたカフェテリア前に現れた大地は、快活なスポーツマン風の青年だった。
「ふーくん!」
軽く片手を挙げてやってきた彼は、彫りの深い顔立ちに、太陽のような明るい空気をまとっている。和服が似合いそうな冬人と並ぶと、なかなか好対照だ。
「二人のこと、ふーくんからよく聞いてるよ。会えてうれしい!」
人懐っこい笑顔で話しかけられると、なるほどこれは、大型犬のようで可愛いかもしれないと思う。冬人が溺愛するのも、少しわかる気がした。
「俺もちょうど仲良くなった学科の友達がいてさ、来れたら合流したいって言ってるんだけどいいかな?」
大地の問いに、冬人が
「ああ、二人もいいよね」
と何の気なしに答えた。愛実と檸檬は顔を見合わせる。
「……うん、いいよもちろん!」
「どうぞどうぞ!」
本当のところ、冬人と大地をくっつけるのに、事情を知らない第三者が入ってきたら邪魔になるかもしれないと思ったが、断るわけにもいかない。まあ、今日は初対面だし、とりあえず様子見か。愛実と檸檬はそんな判断を、瞬時に視線で交わした。
昼は混雑しているカフェテリアも、五限目の終わった今は、友達とお茶をしながら喋るのに利用する学生がちらほらいるくらいだ。それぞれ適当に飲み物を調達して席についたちょうどその時、「大地!」と呼ぶ高い声が、少し離れたところから聞こえた。
「こんにちは! 情報グローバル学科一年の六角映見です」
そう言って微笑んだのは、ポニーテールが爽やかな女性だった。
映見は、来て早々、冬人たち一人ひとりと握手を交わして名前を聞いた。面食らっている三人を気にも留めないのか、気付かないのか、さっと愛実の隣に座る。
(こういう時って、自分の知り合いの側の席を選ぶものでは?)
単純に、よりスペースが空いていたのが小柄な愛実と檸檬の側だったからだろうか。思いながらも愛実は、そのシンプルな選択にはちょっと好感を持った。テーブルを挟んで片側が冬人と大地、もう一方が檸檬、愛実、映見という並びになる。
「大地にこんな友達がいるなんて、知らなかったよ」
そう言う冬人が、この女子の登場に動揺しているのかどうか、愛実は読み取れずにいた。
「それがさ、実は昨日仲良くなったばっかりなんだ」
大地がおかしそうに話す。
「ごめんなさい、急で。どうしても、大地のふーくんに会ってみたくて」
『大地のふーくん』。その言い方に、愛実と檸檬は再び顔を見合わせる。
「昨日って、何かあったの?」
尋ねる冬人は、相変わらずのポーカーフェイスだ。
「そう、」
と、答えたのは、映見だった。
「先週の新歓の時に、先輩に絡まれたのを大地が助けてくれて。昨日授業で見かけてお礼を言ったら、話してるうちに意気投合して……」
「いろいろ共通点があってね」
大地が次いでそう言った瞬間、冬人の眉がぴくりと引き攣ったように見えた。
「……へえ、共通点って?」
「あー……えーと……」
そこでなぜか、大地が口ごもる。
「あ、私、去年までアメリカに住んでたの。進学のために単身で日本に来たんだ。両親は日本人で、向こうでも家庭の中は日本文化でね」
「そうそう! 俺も日本で育ったけど、家庭は半分アメリカンだったから、そういうところ共感するなあって……」
大地が言い終わらないかのうちに、愛実が声を上げた。
「えっじゃあ六角さん、一人で日本に来たの?」
映見は、少し嬉しそうな顔を愛実に向ける。
「うん。やっぱり私のアイデンティティは日本人だから、日本の文化をちゃんと体験したくなって、こっちで進学することにしたんだ」
「今は一人暮らし?」
「大学の学生マンションに住んでるよ」
「慣れなくて大変じゃない?」
「まあね……日本はいろいろルールが難しいよね」
女子二人の会話になってしまい、置いてきぼりになった男子三人はぽかんとしている。
「何か困ったことあったら言ってね。大地くんもいるけど、女子しかわからないこともあるしさ」
「うん! そう言ってくれるだけで嬉しいよ~ありがとう!」
映見はそう言って愛実にハグする。
「マナミって呼んでいいの?」
「うん、いいよ。エミちゃんでいい?」
「友達はエミーって呼ぶよ」
「じゃあ私もそうする」
「マナミはどういう字?」
愛実は、少し照れ笑いで答える。
「愛が実るって書いて、愛実」
「おお、それは……」
映見は急に眉をひそめた。
「愛実に恋した人は、あなたの名前を呼ぶ時に、愛が実ると勘違いしてしまうね」
そう言って微笑む映見と、「何それ~」と笑う愛実の間には、すっかり女同士の友情が結ばれてしまったようだ。
「まなちーん、なんでああいうことになるのさ」
その日の夜、檸檬は電話で愛実に苦情を言う。
「だってー、慣れない国で一人で生活してるなんて、ほっとけないよ」
「親切もいいけどさ、冬っちと幼馴染みをくっつける計画は?」
「ごめんてー。でもさ、ちょっと冬っち、嫉妬してたよね?」
そう切り出す愛実に、檸檬も前のめりになる。
「やっぱ? そう見えたよな?」
「エミーが『大地のふーくん』って言ってたのも妙に気になるよね」
「まなちん、エミーと仲良くなって探り入れてみろよ。あの女が大地くん狙ってんのかどうか」
たしかに映見の行動は、狙っている男子のランチにあえて空気を読まずに乱入する計算高い女子にも見えた。しかし愛実は、それとは違う何かを感じている。その何かがうまく言語化できない。「いいけどさ」とだけ檸檬に返して、愛実は映見の言動を思い返していた。
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