抜けるような青空

笠原久

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第四章

旅路3

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 リックはシュゼットを抱きかかえたままだった。何かあったら、すぐに逃げられるように、というつもりなのだろう。事前に心配ないと伝えられていても、リックの警戒心は薄らぐことがなかったようだ。

 シュゼットはあえてそのことにはふれず、されるがままになっていた――口で説明するよりも、実際に会って話したほうが早いと思ったからだ。

「お客人ですか?」

 柵の向こうからやって来たクニークルスは七人で、空挺手に対する歓迎としては少々過剰なくらいだった。普通はひとりかふたり、多くても三人だ。

 隊長格と思しい、うさぎの耳を生やした男は戸惑った表情で、リックに抱きかかえられているシュゼットを見つめた。

 両者のあいだの距離は遠く、通例とは異なって互いに声を張り上げないとならないくらい離れていた。普通はもっと近づいて柵越しに会話するのだが、今回はフェーレースと空挺手が一緒にいるのだから仕方ないのだろう。

 シュゼットは苦笑まじりでうなずいてみせた。

「ええ、そうよ。ご覧のとおり、ふたりで旅をしているの」

「人間とフェーレースが……ですか?」

「珍しいでしょう? でも意外と助かるのよ」

 リックは緊張した面持ちでクニークルスたちを見つめていた。相手は全員丸腰で、弓も矢筒も下げていなかった。距離だけは開けてあるが、これは逃げるためだろう。

 シュゼットたちが暴れても、すぐに逃げられるように準備をととのえているのだ。最初から戦う気がない辺り、さすがはクニークルスと言えた。

「失礼ですが、あなたは地上暮らしの人間――ではないのですよね?」

「一応浮遊島の人間だけれど、地上で過ごすことのほうが多いわ」

「それだと合流するときに支障をきたすのでは? 彼はフェーレースでしょう? 浮遊島へは入り込めないはずですし、一緒に旅をするなら――」

「あらかじめ、合流する降下大山を決めておけば問題ないわ。日数はだいぶズレることになるけれど、今回は」

 と言ってシュゼットは背後を振り返った。世界の壁とでも称すべき雄大な降下大山がそこにはあった。

「あそこがわたしの降りる場所だと伝えておいたのよ。で、この子にはしばらく山の下で野営をして待ってもらう予定だったわけ。もっとも、今回はすぐに合流できたから野営の必要はなかったのだけれど」

 クニークルスはいぶかしげな顔だ。

「地上で過ごすことのほうが多いとおっしゃいましたが、光石はどうされているんです?」

「自分で作るわ。白光石だけじゃなく、赤光石もね」

 クニークルスたちがどよめいた。互いに顔を見合わせ、驚いた顔でシュゼットを見る。

「わたしにとっては、上に戻る必要はあまりないのよ。光石は自分で補充できるし、せいぜい浮遊島のみやげ物を手に入れるくらいかしら?」

 シュゼットは抱きかかえられたまま、かばんに手を突っ込んで大きな写真を取り出した。浮遊島の景色を魔術で転写したものだ。

 柵のあいだに手を突っ込んで、クニークルスたちに差し出してみせる。

 相手は躊躇する素振りを見せていたが、やがて隊長格の男がゆっくりと慎重な足取りで近づいてきて(ほかの六人は少しだけ後退して身構えていた――いつでも逃げられるように)、写真を手に取った。

「拝見しましょう」

 男はすぐに顔をほころばせた。

「なかなかいい風景ですね」

「ちょっとした手違いで、都市の写真はないのだけれど――」

「いえ、浮遊島の田舎風景は珍しいですから、むしろ稀少価値が高いくらいですよ」

「喜んでもらえたのなら幸いだわ。ほかにも色々持っているから」

 シュゼットは抱きかかえられたまま、浮遊島の雑貨屋で買ったものの一部を見せた。写し絵、絵皿、お菓子のたぐいを見せると、クニークルスたちは歓声を上げた。いつの間にか、離れていたクニークルスたちも近寄っている。

「これで今夜の宿をお願いしてもいいかしら? 明日には発つわ」

「ずいぶんと短いですね? お急ぎの用事でも?」

「ええ、ちょっとね……。それに」

 シュゼットはくすりと笑った。

「わたしたちみたいな怪しい輩が長期滞在するよりはいいでしょう?」

「いえ、それは……申しわけありません。決してあなた方を不快にしようと思ったわけではないのですが」

「わかってるわよ。空挺手とフェーレースの二人組なんて、どう見てもワケありの連中だし、ひょっとしたら厄介事を持ち込まれるかもしれない……いくら穏和なクニークルスといえども、警戒するのは当然のことだわ」

「恐縮です」

 クニークルスは申しわけなさそうに頭を下げた。

「謝る必要はないわ。『事情持ち』であることは確かだからね。ただ、あなたたちの里に迷惑をかけるつもりはないし、約束どおり明日には出て行く。だから、今日ここで一泊することを許可してもらえないかしら?」

「少々お時間をいただいても?」

「里長に話を通すのね?」

「もともと事情を聞いてこい、という指示でしたので」

「じゃ、しばらく待たせてもらうわ」

 シュゼットは笑みを浮かべた。

「でも、できるかぎり早くしてくれるとうれしいわ。わたし、山から降りてきたばかりなのよ。これでも結構疲れてるの」

「かしこまりました。では、来客用のあずま屋にご案内しましょう」

 隊長格の男は背を向けて歩き出した。まわりのクニークルスたちもついて行く。リックは半信半疑な表情で首をかしげた。

「入ってもいいの?」

 隊長格の男は振り返って、

「ええ、どうぞ。跳び越えてしまってかまいませんよ」

 リックは膝を曲げて軽く跳躍すると、自分の背丈よりも高い柵をあっさりと跳び越えてふわりと着地した。

 シュゼットは抱きかかえられたまま、田畑のあいだに作られた畑道を通って、あずま屋までおもむいた。野良仕事の休憩所として建てたものなのだろうが、今は誰もおらず、とても静かだった。

 シュゼットはリックの腕のなかから降りると、木製のイスに腰掛けて一息ついた。

「ようやくひと心地つけそうだわ」

 するとリックが難しい顔をして自分の両腕を見た。

「ひょっとして、僕ってあんまり乗り心地よくないの?」

「まあ……あの高速移動はぞんがい疲れるというか、神経をけずるのは確かかしら?」

「そ、そうなんだ……?」

 リックはなぜだかショックを受けたような表情だ。

「その分、圧倒的に速く移動できるんだから気にすることじゃないでしょう?」

「あのさ……でも僕、シュゼットが大丈夫なように遅めの速度で走ってたつもりなんだけど――」

「あれで速度を抑えてたの?」

「うん、本当はもっと速く走れたけど、手加減なしだとシュゼットの負担になりそうだなって思って」

「あなたなりに気を遣ってくれてたのね」

 シュゼットはほほえんでリックの頭をなでた。

「ま、ほら、座りなさいな」

「うん……」

 リックは浮かない顔で、シュゼットのとなりに腰を下ろした。

「ほら、元気を出して。あなたの気遣いはとてもうれしいし、立派な行ないよ?」

「でもシュゼットは……」

「本当に無理なら、わたしははっきり『もっと遅く走って』と要求するわよ。言わなかったのは、このくらいなら気疲れするだけで特に問題はないと判断したからで……あなたが気に病むようなことじゃないの」

 それに、とシュゼットは自分の胸にリックを抱き寄せて、猫耳に唇をくっつけた。

「今回は『急ぎ』でしょう?」

 小声でささやくと、リックは目を丸くした。

「うん、そうだね。多少の無茶は……ありなんだよね?」

「あくまでも行動に支障がない範囲で、だけどね。ましてや自分が死ぬような状況に追い込まれてしまうような無茶はご法度よ? 死んだら元も子もないんだから」

「肝に銘じておくよ」

 まじめな顔でリックはうなずいた。

「おふたりはずいぶん仲がいいんですね」

 残ったクニークルスのうち、髪の長い女がそう言って話しかけてきた。隊長格の男はすでに里長のもとへと向かっていた。ほかのクニークルスたちが、髪の長い女に咎めるように見た。

 髪の長い女は慌てて、

「あ、ごめんなさい。あの、別に詮索するつもりはないんですが、少し気になってしまって……。ご気分を害されたのなら謝ります」

「気にしてないわ。実際珍しいんだもの。そりゃ無関心とはいかないでしょう」

「ありがとうございます」

 髪の長い女はうれしそうに頭を下げた。

「ああ、そうだ。ちょっと訊きたいんだけれど、この里にフェーレースっているかしら?」

「この里で暮らしているフェーレースでしたら、ふたりほど――」

「さっき会ったな」

 突然、背後から話しかけられて、シュゼットは面食らった。振り向くと、巨大なバッファローを肩に担いだフェーレースの男が立っていた。

「里で暮らしてらっしゃるフェーレースのうちのひとりですよ。今、お帰りですか?」

 髪の長い女が笑顔で男を出迎えた。

「意外と早く獲物が見つかったんでな」

「どこかで会ったかしら?」

 シュゼットは怪訝な表情で、バッファローを担ぐフェーレースの男を見た。

 リックが不安そうな顔でシュゼットの服の裾を何度か引っぱり、

「この人、さっき森で狩りをしてた……」

「ああ、あのときのフェーレース。つまり、大きな獲物ってのはバッファローのことだったのね? 確かに大きいわねぇ。体重は八〇〇カルクス(およそ一二〇〇キログラム)くらいはありそうかしら?」

 別名バイソンとも呼ばれる大型の獣だ。この男が狩ったのはオスのバッファローで、長く湾曲した角がシュゼットのひじから先くらいあった。

 体長もシュゼットの倍以上ある。肩に担いでいる男よりも、バッファローのほうがはるかに巨体だった。

「俺の存在に気づいていたのか?」

「わたしは気づかなかったけれど、この子が」

 男に見つめられると、リックはさっとシュゼットの背中に隠れて、うかがうように男に目を向けた。頭頂部の猫耳が、思いっ切りうしろを向いている。

 警戒心を隠そうともしていなかった。

「クニークルスの里で生まれ育ったフェーレースを見るのは、初めてか?」

「この子、フェーレース自体ほとんど見たことがないのよ。あなたがここで暮らすフェーレースだから、こういう反応をしているわけじゃないわ」

 男はいぶかしげに眉根を寄せた。

「ちょっと事情があってね。ほら、リック、そういう反応は失礼よ」

「ん……ごめんなさい」

 リックはうつむいた。が、すぐに上目遣いで男を見て、

「あの、ずっとここで暮らしてるの――ですか?」

「あらたまる必要はないぞ。俺はこの里で暮らすフェーレースだ。俺からすれば、客人はお前たちのほうで、むしろ……無作法を咎められるのは俺のほうだな」

「まだ正式に客人として受け入れられたわけじゃないけどね」

「許可は下りるだろう。でなければ里のなかへ招かれることはない」

 男はリックを見て笑みを浮かべた。

「まださっきの質問に答えていなかったな――ああ、そうだ。俺はクニークルスの両親から生まれた先祖返りでな。生まれたときからずっとここで暮らしている。両親も健在だよ。家族みんなで住んでるんだ」

「そういえば、先祖返りって地上の民ならどの種族でも起こり得るんだっけ……」

 リックはつぶやくように言った。

「どうだ、驚いたか?」

 リックは首を振った。男は笑った。

「あなた、どうして森にいたの?」

「狩りに決まっているだろう?」

 男は自分の肩に担いだ獲物を示した。

「肉なら、近場の里のフェーレースやカニスが持ってきそうなものだけれど」

「持ってくるさ。ただ、うちの家族に肉が大好物なやつがいてな。足りなそうだから、俺が補充しに行ってたんだ」

「ふぅん? やっぱり畑仕事よりも狩りのほうが向いてるのかしら?」

「そりゃあな。細かい作業より、俺は森で獲物を狩るほうが気楽だよ。なにせフェーレースだからな」

 男はくるりと背を向けると、里の中心部に向かって歩き出した。

「じゃあな、ぼうず。いつまでいるのか知らんが、何か用があったら来い」

「うん、まぁ……気が向いたら」

 男は歩きながら快活に笑った。

「意外と人見知りに育っちまったらしいな」

「人見知りじゃないよ!」

 リックがむっとした様子で反論すると、

「ああ、そうだな。――俺は、ちょっと馴れ馴れしすぎるとよく叱られるよ」

 男は獲物を担いだまま器用に手を振って歩き去った。リックは不満そうな顔で男の背中を見送り、ぼやくように言った。

「あの人、苦手……」
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