復讐を誓った亡国の王女は史上初の女帝になる

霜月纏

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陰謀篇

第36話 男爵家断罪──心の傷

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「嫌ぁっ! 来ないで…………触らないでっ!」


 暗い部屋にメフィアの叫び声が響く。その声に驚いて私は寝ていた長椅子から転げ落ちた。


「痛ぁっ!」


 急いでベッドへ向かうとメフィアがうずくまって過呼吸を起こしていた。


「フィー! 落ち着いて! ゆっくり息を吸って!」

「フ、フレイア様っ…………あの人たちがっ……あの人たちがっ……!」

「大丈夫よ、フィー。ここに彼らは居ないわ。だから大丈夫。さぁ、ゆっくり息を吸って」


 私は取り乱して縋り付くメフィアの背中を擦り、気分を落ち着かせる。しかし過呼吸はなかなか収まらない。


「大丈夫よ。私がすっと側に居る」


 私がそう言ってメフィアを優しく抱きしめると、メフィアの呼吸は徐々に落ち着いていく。


「本当に……側に居てくれますか?」

「勿論よ。私が貴女を護るわ。だから安心して眠って」


 そう言ってゆっくりとメフィアをベッドに横にした。暫くして再び眠りだしたメフィアは翌朝まで私の袖を掴んで離さなかった。





 翌朝、目を覚ますと閉じられているカーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。隣にはまだ穏やかに寝息をたてているメフィアが居た。


それにしても、いつベッドに入ったのかしら?


 私の記憶ではメフィアを落ち着かせた後は袖を掴まれてベッドの側から離れられず、ルーシーに用意させた椅子に座っていたはずだ。しかし今はベッドの中でメフィアと一緒に寝ている。


「とにかく、そろそろ起きなきゃ」


 私は袖を掴むメフィアの手をそっと外して部屋を出た。


「王女殿下、おはようございます」


 部屋を出ると待ち構えていたようにメイド長が立っている。


「おはよう」

「ご朝食は如何致しますか?」

「三人分を部屋に運んで頂戴。それとルーシーを呼んで」

「畏まりました」


 ルーシーが来るまでの間に朝食を軽く摘む。今日は悠長に食事をしている時間はない。暫くすると部屋の扉を叩く音がした。


「王女殿下、ルーシーでございます」

「入って」

「失礼致します」


 ルーシーはメフィアを起こさないように静かに部屋に入ってくる。扉が閉まる音もさせず、足音も聞こえない。


「メフィア嬢の容態は?」

「酷く怯えて憔悴しているわ。昨日も夜中に飛び起きて過呼吸になってた」

「いくら精神的に強くても結局は十歳の少女だから、気が抜けた途端に今まで我慢していた反動が来たんだろうね」

「えぇ……」


 ルーシーは私と話をしながら手早くコルセットを締めた。メフィアを男爵家の元から助けて三日。メフィアは悪夢に魘され睡眠もままならない。頻繁に悪夢で飛び起きては昨日のように過呼吸を起こした。ときには過呼吸で気絶することもあった。


「フレイア、出来たよ」

「ありがと」


 私はサイネリアの鮮やかな青を基調としたドレスを着て、普段は付けない青い薔薇の髪飾りとイヤリングをした。


パァン…………!


 私の頬と両手がジンジンと熱を持つ。


よしっ! 気合は十分!


「今日は男爵家が登城する日。何があっても彼らをこの部屋に近づけないで」

「わかってる」


 私はまだ寝ているメフィアの額を優しく撫で、布団をかけ直した。


「ルーシーはフィーと一緒にゆっくり朝ごはん食べて。私は行ってくる」


 そうルーシーに伝えてメフィアを起こさないように静かに部屋を出た。





ギィィッ


 謁見の間の前につくと衛兵が扉を開けた。


「フレイアでございます」


 入り口でカーテシーをして挨拶をする。


「入りなさい」

「失礼致します」


 謁見の間には男爵家一同が揃っていた。お祖母様は最奥の中央にある玉座に座って私たちを見下ろしている。そのとなりではライザー侯爵が羊皮紙を筒状に丸めた物を持って立っている。


「座りなさい」

「ありがとうございます」


 私は勧められた通りに男爵家と向かい合わせに並ぶ椅子に座った。


「これより、ネイズーム男爵家の裁断を始めます。まずはライザー侯爵、第一王女フレイアによるネイズーム男爵家長女メフィア嬢の保護に関する申し立ての詳細を」

「はい。三日前、王女殿下が────」


 ライザー侯爵がことの詳細を淡々と読み上げる。その中には男爵家の者から日常的に身体的虐待を受けていたと言うものはあったが、性的虐待を受けたというものはなかった。裁断の内容は公式に残ることを考慮してのことだろう。


「────以上です」

「まずは男爵家側の主張を聞かせて貰いましょう」


 男爵家の代表は男爵本人のようだ。立ち上がった男爵は固い表情を浮かべていた。


「まずは謝罪をさせて頂きます。この度は王城を騒がせたことを深くお詫び申し上げます。ですが間違ったことはしていないと主張します。娘に対して行ったことは全て虐待ではなく教育です」


ぬけぬけと……


 男爵は緊張した面持ちで主張した。しかし悪びれている様子は全く見えない。


「次に王女の主張を」

「はい。まず、男爵に質問をする許可を頂きたく存じます」

「許可します」


 男爵側は緊張した面持ちではあったが、嘲りの感情が見え隠れしていた。考えていることは聞かなくても表情からわかった。王族と言えど所詮は子供。口で勝てるはずがない。そんな考えが透けて見える。貴族なのに考えていることが丸わかりで良いのかと思うほどわかりやすかった。


「男爵、全ての質問に正確に答えるように。正確に答えられない場合は答えられない理由を提示しなさい」


 お祖母様が前提条件を男爵に提示し、男爵はそれに頷いた。


「まずは男爵家の基本的な教育方法を伺っても?」

「一度で習得できれば褒美を与え、三度でも習得できなければ食事を抜きます。四度目からは習得するまで鞭の使用を許可しています」

「なるほど。飴と鞭を活用した合理的手法ですね」


 私が男爵を擁護するような発言をすると、男爵は思った通りとでも言いたげに笑ってみせた。


「その通りでございます。流石は王女殿下、ご理解頂いたいるようで……」

「ではメフィア様の成績はどうだったのでしょうか」

「酷いものでした。最初は真面目に励んでいるようでしたが習得が遅く、途中から投げやりになっていきました。そのうち次女のメアリにも劣る状況になり、メアリを次期領主に指名してから荒んでしまって……」


 悲しそうに目を伏せ、仕方なく鞭を振るったのだと主張する男爵。それも自身の責任はメフィアを上手く躾けられなかったことだとでも言わんばかりの話しぶりだ。


大した役者だわ


「使用を許可しているのは鞭のみですか? 殴る蹴るなどの暴力を振るうことは許可していますか?」

「え……きょ、許可していません」


 男爵は答えにくそうに言った。王太后陛下・・・・・の前で自身の娘が他者に辱められることを黙認していたなどとは口が裂けても言えない。しかし事実では虐待で殴る蹴るなどは日常茶飯事なはずだ。言いにくいのは王太后に嘘をつくことになるからだ。


「そうですか。侍医の話によると、メフィア様の身体には鞭以外にも殴る蹴るなどの暴行をされた形跡、鈍器を投げつけられたような傷跡があったそうですが、許可されていないということは家庭教師が越権行為をしているか、男爵が見て見ぬ振りをしていたことになります」

「それは……」

「次にメフィア様を次期領主から外したのであれば前妻の実家に送るのが慣例となっていますが、何故送らなかったのですか?」

「その……」

「使用人に話を聞いたところ、男爵はメフィア様は嬲られているのを見ると大層興奮したそうですが……」

「興奮などっ……!」


 下衆な話だが、男爵はメフィアが使用人に虐げられるのを見るたびに恍惚とした表情を浮かべたそうだ。ときには下半身にテントを張ったりもしていたと言う。


「そうですか? 男爵邸内に仕える使用人は全員で二十名。そのうちの十五名が証言しています。流石にこれほど多くの人に勘違いされているとなれば、もはや勘違いではなく事実です」

「ぐっ……」


 男爵は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


「これらの情報とメフィア様の錯乱の様子から、メフィア様は男爵家で虐待を受けていたと主張します」


 私の断言に焦りだす男爵。子供とは言え王族に虐待と断定されるのは拙いと気づいたのだろう。そしてこの場で最も立場の高いお祖母様に釈明する。


「お、王太后陛下! これは断じて虐待などではありません!」


 私はお祖母様の前で言い逃れできないように詰めにかかる。ただでさえ先程の問答でお祖母様の男爵に対する信用は地に落ちている。ここで反撃の余地もなく叩き潰す。


「メフィア嬢の身体に残った無数の痣や傷跡について説明できますか?」

「本人が不注意で怪我をしただけです」

「なるほど。つまり不注意で自ら鈍器の軌道に身を乗り出したと? 自分の頬や背中を殴り、腹や胸を蹴ったと?」

「……」


 私は侍医から報告された痣の部位を明確にして聞いた。自分で自分の身体を全力で蹴ることなど出来ないし、自分で背中を殴ったり腹を蹴るなどは人体の構造上不可能だ。男爵は答えられずに黙り込む。私は更に追い詰めるために質問を続ける。


「例え男爵の仰った通りで、本人の不注意が原因の怪我だったとして、何故治療を受けさせないのですか? 治療を受けていれば多少の痣はあったとしても、身体中に痣が出来ている状態にはならないのでは?」

「そ、それは……」

「メフィア嬢が憔悴している理由は? 貴方たちが来ると怯えている理由は?」

「……っ…………」

「もう結構です……ハァ……」


 何一つ答えられない男爵と私の問答を遮ったお祖母様の目は、既に真相を見極めているように澄んでいた。


「ネイズーム男爵。貴方はメフィア嬢を虐待していましたね?」

「違います、王太后陛下! 確かに躾ける過程で厳しくなりすぎたことはあったかも知れませんが、断じて虐待ではありません! 全て教育です!」


 お祖母様の言葉に男爵は焦って弁明しようする。


「ならば何故、先程の王女の質問に答えなかったのですか。納得させることの出来る理由がないのであれば素直に過ちを認めなさい」

「……っ…………」

「これ以上の問答は無駄です。王命を下します。メフィア嬢は男爵家から籍を抜き、メフィア嬢に関する全ての権限を第一王女フレイアの物とする。今後、王女の許可なくメフィア嬢に危害を加えた者は王女への叛意を持っているとして厳刑に処す。これを以て男爵家の長女虐待に対する処罰とする」


虐待で処罰されないなんて……


 そもそも虐待で処罰されることは珍しい。大抵は被害者の籍を保護者の家から抜き、新たな保護者を探すだけだ。そして保護者は自身の護るべき家族を虐げたとして社交界で誹りを受ける。

 しかし言ってしまえばそれだけなのだ。確かに面子を大切にする貴族にとっては屈辱以外の何物でもないだろうが、そもそも男爵程度の貴族に興味を持つ貴族は少なく、噂されたとしても短い間だけ。普通ならそれほど必死になってメフィアを留める理由はない。

 しかし、今の男爵家にはメフィアを引き止めなければならない理由がある。それは、メフィアが男爵家の数々の犯罪について詳細に調べ、証拠を集めて纏め上げているからだ。そして男爵家一同の様子を見ると、それに気づいているのは男爵一人のようだ。


「王太后陛下がそう仰るのであれば……」


 男爵は苦虫を噛み潰したかのような表情で渋々引き下がったが、フィローニアはやっと前妻の娘を追い出せると喜んでいるのか、嬉しそうで自信満々な笑みを浮かべている。恐らく王女暗殺を指示した罪もメフィアに全て押し付けるつもりなのだろう。基本的に籍が抜ければ連座にも関係なくなる。籍さえ抜けてしまえば、連座に巻き込まれる心配がなくなるのでメフィアに罪を押し付けられると考えているのかも知れない。


「次に男爵家にかけられた多くの嫌疑について審議します」

「け、嫌疑?」


 とぼける男爵と状況を飲み込めていないフィローニアとメアリ、状況を察してきて青ざめるカリス。


「職務放棄、公文書偽造、国税の横領、誘拐、人身売買、麻薬の密造と密売、武器の密輸による国家転覆疑惑……叩けば埃が出るどころか、そもそも埃を叩いていたのではないかと思うほどの汚職ですね」

「記憶にありません。こう言ってはなんですが、私はたかだか男爵です。それほどの大罪を重ねられるほど度胸もありませんし、それだけの手腕があれば今も男爵位で燻っている訳がないとは思いませんか?」

「男爵、もう良いのではありませんか? 貴方は所詮は隠れ蓑に過ぎない。いつでも切り捨てられる蜥蜴の尻尾。自分のそのように扱う者を庇ってどうなると言うのですか?」


 男爵は悔しそうな悲しそうな表情を浮かべた。しかし何も言わない。既に自身が蜥蜴の尻尾であることを理解しているように俯くだけだった。


「男爵、証拠は既に揃っています。状況証拠、物的証拠、証言、その全てが貴方が罪を犯したことを示しています」

「……王太后陛下、私が裏に居る人間について話せば妻と子の命は見逃して頂けますか?」


 静かに聞いた男爵の目は死を覚悟している者の目だった。


「貴方の犯した罪で彼女たちが連座されることはないと約束しましょう」

「……私の裏に居る人物は…………うっ……ぐぅっ……」


 突然、男爵は地面に倒れて苦しみだす。目は見開かれ脂汗が身体中に浮かんでいる。


「毒よっ! 侍医を呼んで!」


 お祖母様が侍医を呼ぶように叫んだが、侍医が到着する頃には既に男爵は事切れていた。真っ赤になっていた顔が今では青白く、目や鼻、口、耳からは毒殺された者特有の黒い血が流れている。


「お、お父様っ……!」


 涙を流しながら駆け寄り、男爵の身体を揺するメアリとカリス。


「……毒の特定を急ぎなさい。捜査が終わったら男爵の死体は燃やし、遺骨は罪人墓に埋葬するように」


 お祖母様は阿鼻叫喚とかした謁見室の中で静かに指示した。


「……そんな…………フフッ……フフフ……」


 笑い出したのは男爵夫人のフィローニアだった。既に目の焦点は合っておらず、涙を流しながら笑っている。侍医が何を聞いても聞こえていないようで何も答えない。


「……夫人は壊れてしまいましたね。これでは話は聞けません。男爵家は爵位を返上し族滅に処します」

「なっ! 何故ですか、王太后陛下! 父との約束を反故にするおつもりですか?!」


 メアリが金切り声を上げる。


「いいえ、これは貴女の母フィローニアが不義密通を犯した罪、そして王女フレイアの暗殺を企てた罪による刑罰です。男爵の罪ではありません」

「それはメフィアの罪でしょう?!」

「夫人が暗殺を指示するように命じたことは既に調べがついています。メフィア嬢は男爵家から籍を抜かれた事と王女が助命を願い出たことを理由に罪を不問とします」

「そんなっ!」


 そのままメアリは気を失った。残されたのはカリスだけだ。


「……男爵家を代表して罪を犯したことを認めます。いかなる刑罰も受け入れる所存です」


 カリスは震える声で言った。その場に居る者は誰もが複雑そうな表情を浮かべていた。カリスは働き者で城内でも人気があった。そんな彼女の最後がこれほど悲惨になると、誰が予想できただろうか。


「男爵家の者を地下牢へ。明朝、地下牢で誰にも知られないように刑を執行しなさい」

「はい」


 お祖母様がライザー侯爵にそう命じた。それが今のお祖母様が与えられる最大の温情であり、出来る限り配慮でもあった。人知れず死ぬことにはなるが、誰に罵倒されることもなく、唾を吐きかけられることもない。罪人の死の中で最も静かな死に方だ。


「謀殺されて真実は闇の中……」


 嫌な終わり方だ。私は謁見室から退室すると、全てが終わったと伝えるためにメフィアの様子を見に行った。




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