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陰謀篇
第50話 課題──完遂
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本格的な農業改革が始まって一年。私は自室で報告書の山を消化していた。領民たちが新しい農業の方法に慣れたからだ。既に私が口出しする必要がないほどで、今の私の仕事は書類整理が殆どだ。
農業改革の実験は順調に進み、領民たちも新たな農業技術を身に付けつつある。その結果、施行地は過去にない豊作に恵まれ、それぞれの領が抱えていた食糧難問題が解決するのも時間の問題と言える段階まで回復した。
干魃が続いて作物の出来が悪かった地域はモリンガの活躍もあり、今では王国でも有数の裕福な領に様変わりしていた。モリンガの栽培方法も確立したので、農業改革の具体案公布と共に全国的に移植する予定だ。
適度に雨が降って収穫量が安定していた領は他の追随を許さないほど発展し、王国の食料自給率の半分を担っている。目下の問題は、裕福になったことで他の領から移住を希望する民が増え、他の貴族たちからの苦情が殺到していることだ。これは農業改革の具体案公布と共に鎮火するだろう。
そして最も目覚ましい発展を遂げたのが、メフィアに任せていた除塩作業をしていた地域だ。元より収穫量が少ないのを補うための漁業が存在していた地域だが、漁法は潜って捕まえたり浅瀬の魚を銛で突いたりと原始的だった。そこで簡単な船の作り方と漁業網や釣り針の知識を与えたところ、自分たちで漁船を作り上げてしまった。
結果、漁獲量は急増し、王国内で魚を食べる文化が急激に広まった。もちろん生魚を食べられるのは鮮度の問題があるので海に隣接する領でのみだが、干し魚だけでも王国の食料自給率に大きな影響を与えた。そして漁業が軌道に乗ってきた頃に除塩作業が終了。農業改革が本格的に始動し、農作物の収穫量も激増した。
「フレイア、そろそろ休まないと……。目の下の隈も酷いよ」
ルーシーが心配そうな表情で覗き込んできた。その両手には紅茶と砂糖たっぷりのマカロンが乗ったプレート。
「この山を終わらせてからね。ねぇ、山の麓の施行地から報告書が届いていないみたいだけど……」
私は話を流そうとしたが、ルーシーはそれを許さず休憩を挟むように言った。私が休憩をしている間に書類の仕分けをしてくれるそうだ。確かに書類が仕分けされていれば仕事の効率も上がりそうだ。何せ、私の眼前に聳え立つ書類の山は緊急の物か、そうでない物かすら分けていない。仕事の効率が悪いことこの上ない。
「……そうだね。お願い」
休憩する姿勢を見せると、ルーシーは満足そうに笑みを浮かべて慣れた手付きで書類を分け始める。私はその様子を眺めながらマカロンを食べ始めた。書類仕事が増え始めた頃から度々見られている光景だ。
コンコンコン……
ノックの後に姿を現したのはホカホカの湯気が昇っている布を手にしたメフィア。メフィアは私が休憩しているのを見て驚いた様子だ。
「先にルーシーさんが来ていましたか」
「うん。少し前に紅茶と砂糖たっぷりのマカロンを持って」
「蒸し布は持ってきていないのですか?」
「そうだね」
「では私が持ってきた蒸し布は無駄にはならなそうですね」
そう言って温かい蒸し布を手渡される。私の目を休ませるためだ。以前一度だけ蒸し布を持ってきて欲しいと言ったことがある。以来、ルーシーと示し合わせたかのようなタイミングで持ってくるようになった。一度気になって聞いてみたが、特に話したりしているわけでもなく、完全に偶然なのだそうだ。私は礼を言って受け取ると、長椅子に深く腰掛けながら目元を温める。
「ハァ……」
目元が温まり段々と眠くなってくる。最近あまり眠れていないのも一因だろう。しかし今眠ってしまうと折角ルーシーが仕分けてくれた書類の消化が滞ってしまう。寝てはいけないと自分に言い聞かせる。しかし、早く蒸し布を退かさなければならないと思ってはいるが、このまま寝てしまいたいという考えも頭の片隅にある。私の中で理性と本能が葛藤した。さながら脳内の天使と悪魔のようだ。
「少しだけ仮眠を取った方が効率が良いと思いますよ」
「でも……起きれる自信がない」
「少ししたら起こします」
見かねたメフィアの提案はまさに悪魔の囁きそのものだった。どれだけ騒がれようと絶対に起きられないと思いながらも、起こしてくれると言うのだから大丈夫だろうと思い込みたくなる。
「……そうする」
結局、本能には勝てなかった私は長椅子に横になった。メフィアはベッドで寝るように言ったが、そればかりは譲れない。ベッドで寝たら本格的に起きられなくなりそうで怖かった。長椅子で寝ていれば一縷の望みも賭けられるが、ベッドに入ってしまえば勝率はゼロだ。
寝てはいけないと意識しなくなった途端、意識が遠のいていく。私はスーッと暗闇に沈むように意識を手放した。
「すぐに眠りましたね」
メフィアの発言にルーシーが溜息を吐いて答える。
「うん。特に最近は殆ど寝ていないみたいだったし。このままだと身体を壊すから休んで欲しいって言っても聞いてくれないし……」
「そんなところが王女殿下らしいとも言えますが、侍女である身からすれば、不摂生にもほどがあります」
二人は長椅子で眠るフレイアを見て心配そうな表情を浮かべた。何よりも大切な主が目の下に濃い隈が出来るほど無理をしている様子を見るのは心が痛む。そして、自分たちには何の手伝いも出来ない歯がゆさに苛まれる。
「この課題が終わったら王女殿下を労りましょう。王女殿下の好物を作って、目一杯眠らせて、城下町に遊びに行くのも良いかもしれませんね」
メフィアの提案にルーシーは驚いた。普段は少しでも危険な可能性があることには反対していたのに、今日は城下町に遊びに行こうとまで言い出したのだ。
「貴女、本当にメフィア?」
「何を馬鹿な事を言っているのですか。確かに城下町に遊びに行くことに不安がないとは言いませんが、最優先は王女殿下の心身の健康です」
その言葉を聞いてルーシーは嬉しそうに頷いた。
「王女殿下。二刻後に開始です」
「ハァ……いよいよね。何か緊張してきたわ」
私は書類を抱えるように持って、自分に気合を入れる。今日はお母様から課題を出されてから一年十一ヶ月。期限の二年まで後一ヶ月を切った。
私の実験は評価が高く、施行地がたった四つしかないにも関わらず、王国内の食料自給率を大幅に上昇させている。すでに課題の既定値は超えているので、学園の平民入学に関する制度は導入確実だ。そして今日は、私の実験方法と結果の詳細を貴族たちに公開するパーティーを催すことになっている。
ここ数年の食料自給率の上昇で、貴族たちは完全に私の能力を信用している。一部の馬鹿たちはまだお祖母様から功績を譲って貰っているだけだと宣っているが、それを信じる者は殆ど居ない。
「行きましょう」
私はルーシーとメフィアを引き連れてパーティー会場に踏み込んだ。私たちが入ると貴族たちが注目する。
「皆様、本日はお越し頂き感謝致します。本日は私の研究の詳細とその結果を公表致します。自領で実践するか否かは皆様自身が決めることなので関与いたしません。ただ、皆様の自領自治に貢献できる情報だと、自信を持って宣言致します」
貴族たちは新たな農業方法に興味津々のようすで、早く話を進めて欲しいとばかりに盛大な拍手をする。
「まず────」
そこからは予定通り、実験内容と結果の報告をした。革新的な農業方法の数々に感嘆の声を上げる貴族たち。自分で考えた物ではないので少しばかり申し訳ない。そんな思いを心の片隅に持ちながら、説明は続いた。
数辰刻後。私はベッドに飛び込んでいた。実験の情報を全て公開した後、貴族たちは更に詳しい情報を知ろうと詰め寄ったり、自分たちの娘を侍女候補にと紹介してきた。何とも自分勝手な輩だ。次々に迫りくる貴族たちへの対応で、私の疲労はピークに達していた。
「王女殿下。ご就寝は身体を清めてからになさってください。湯浴みの用意が出来ております」
私はメフィアに支えられながら浴場へ向かう。
「王女殿下、明日からはゆっくり休めます。暫くはのんびり過ごして、目の下の隈が完全に取れる頃に城下町に遊びに行きましょう。王太后陛下から許可は頂いております」
眠ってしまいそうな私の身体を洗いながら、メフィアは静かに言った。その言葉で意識が覚醒する。
「城下町に?!」
「はい。ルーシーさんと私も一緒に行けるように取り計らって頂けました」
「やったぁ!」
あまりの嬉しさに興奮すると湯船の湯が大きく揺れ、大量に溢れた。当然、近くで私の身体を洗っていたメフィアはびしょ濡れだ。
「……ごめん」
「わかって頂けたのなら幸いです」
ジト目のメフィアに謝ると、メフィアはルーシーを呼んで代わりに私の身体を洗って欲しいと言い、着替えに出ていった。
農業改革の実験は順調に進み、領民たちも新たな農業技術を身に付けつつある。その結果、施行地は過去にない豊作に恵まれ、それぞれの領が抱えていた食糧難問題が解決するのも時間の問題と言える段階まで回復した。
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適度に雨が降って収穫量が安定していた領は他の追随を許さないほど発展し、王国の食料自給率の半分を担っている。目下の問題は、裕福になったことで他の領から移住を希望する民が増え、他の貴族たちからの苦情が殺到していることだ。これは農業改革の具体案公布と共に鎮火するだろう。
そして最も目覚ましい発展を遂げたのが、メフィアに任せていた除塩作業をしていた地域だ。元より収穫量が少ないのを補うための漁業が存在していた地域だが、漁法は潜って捕まえたり浅瀬の魚を銛で突いたりと原始的だった。そこで簡単な船の作り方と漁業網や釣り針の知識を与えたところ、自分たちで漁船を作り上げてしまった。
結果、漁獲量は急増し、王国内で魚を食べる文化が急激に広まった。もちろん生魚を食べられるのは鮮度の問題があるので海に隣接する領でのみだが、干し魚だけでも王国の食料自給率に大きな影響を与えた。そして漁業が軌道に乗ってきた頃に除塩作業が終了。農業改革が本格的に始動し、農作物の収穫量も激増した。
「フレイア、そろそろ休まないと……。目の下の隈も酷いよ」
ルーシーが心配そうな表情で覗き込んできた。その両手には紅茶と砂糖たっぷりのマカロンが乗ったプレート。
「この山を終わらせてからね。ねぇ、山の麓の施行地から報告書が届いていないみたいだけど……」
私は話を流そうとしたが、ルーシーはそれを許さず休憩を挟むように言った。私が休憩をしている間に書類の仕分けをしてくれるそうだ。確かに書類が仕分けされていれば仕事の効率も上がりそうだ。何せ、私の眼前に聳え立つ書類の山は緊急の物か、そうでない物かすら分けていない。仕事の効率が悪いことこの上ない。
「……そうだね。お願い」
休憩する姿勢を見せると、ルーシーは満足そうに笑みを浮かべて慣れた手付きで書類を分け始める。私はその様子を眺めながらマカロンを食べ始めた。書類仕事が増え始めた頃から度々見られている光景だ。
コンコンコン……
ノックの後に姿を現したのはホカホカの湯気が昇っている布を手にしたメフィア。メフィアは私が休憩しているのを見て驚いた様子だ。
「先にルーシーさんが来ていましたか」
「うん。少し前に紅茶と砂糖たっぷりのマカロンを持って」
「蒸し布は持ってきていないのですか?」
「そうだね」
「では私が持ってきた蒸し布は無駄にはならなそうですね」
そう言って温かい蒸し布を手渡される。私の目を休ませるためだ。以前一度だけ蒸し布を持ってきて欲しいと言ったことがある。以来、ルーシーと示し合わせたかのようなタイミングで持ってくるようになった。一度気になって聞いてみたが、特に話したりしているわけでもなく、完全に偶然なのだそうだ。私は礼を言って受け取ると、長椅子に深く腰掛けながら目元を温める。
「ハァ……」
目元が温まり段々と眠くなってくる。最近あまり眠れていないのも一因だろう。しかし今眠ってしまうと折角ルーシーが仕分けてくれた書類の消化が滞ってしまう。寝てはいけないと自分に言い聞かせる。しかし、早く蒸し布を退かさなければならないと思ってはいるが、このまま寝てしまいたいという考えも頭の片隅にある。私の中で理性と本能が葛藤した。さながら脳内の天使と悪魔のようだ。
「少しだけ仮眠を取った方が効率が良いと思いますよ」
「でも……起きれる自信がない」
「少ししたら起こします」
見かねたメフィアの提案はまさに悪魔の囁きそのものだった。どれだけ騒がれようと絶対に起きられないと思いながらも、起こしてくれると言うのだから大丈夫だろうと思い込みたくなる。
「……そうする」
結局、本能には勝てなかった私は長椅子に横になった。メフィアはベッドで寝るように言ったが、そればかりは譲れない。ベッドで寝たら本格的に起きられなくなりそうで怖かった。長椅子で寝ていれば一縷の望みも賭けられるが、ベッドに入ってしまえば勝率はゼロだ。
寝てはいけないと意識しなくなった途端、意識が遠のいていく。私はスーッと暗闇に沈むように意識を手放した。
「すぐに眠りましたね」
メフィアの発言にルーシーが溜息を吐いて答える。
「うん。特に最近は殆ど寝ていないみたいだったし。このままだと身体を壊すから休んで欲しいって言っても聞いてくれないし……」
「そんなところが王女殿下らしいとも言えますが、侍女である身からすれば、不摂生にもほどがあります」
二人は長椅子で眠るフレイアを見て心配そうな表情を浮かべた。何よりも大切な主が目の下に濃い隈が出来るほど無理をしている様子を見るのは心が痛む。そして、自分たちには何の手伝いも出来ない歯がゆさに苛まれる。
「この課題が終わったら王女殿下を労りましょう。王女殿下の好物を作って、目一杯眠らせて、城下町に遊びに行くのも良いかもしれませんね」
メフィアの提案にルーシーは驚いた。普段は少しでも危険な可能性があることには反対していたのに、今日は城下町に遊びに行こうとまで言い出したのだ。
「貴女、本当にメフィア?」
「何を馬鹿な事を言っているのですか。確かに城下町に遊びに行くことに不安がないとは言いませんが、最優先は王女殿下の心身の健康です」
その言葉を聞いてルーシーは嬉しそうに頷いた。
「王女殿下。二刻後に開始です」
「ハァ……いよいよね。何か緊張してきたわ」
私は書類を抱えるように持って、自分に気合を入れる。今日はお母様から課題を出されてから一年十一ヶ月。期限の二年まで後一ヶ月を切った。
私の実験は評価が高く、施行地がたった四つしかないにも関わらず、王国内の食料自給率を大幅に上昇させている。すでに課題の既定値は超えているので、学園の平民入学に関する制度は導入確実だ。そして今日は、私の実験方法と結果の詳細を貴族たちに公開するパーティーを催すことになっている。
ここ数年の食料自給率の上昇で、貴族たちは完全に私の能力を信用している。一部の馬鹿たちはまだお祖母様から功績を譲って貰っているだけだと宣っているが、それを信じる者は殆ど居ない。
「行きましょう」
私はルーシーとメフィアを引き連れてパーティー会場に踏み込んだ。私たちが入ると貴族たちが注目する。
「皆様、本日はお越し頂き感謝致します。本日は私の研究の詳細とその結果を公表致します。自領で実践するか否かは皆様自身が決めることなので関与いたしません。ただ、皆様の自領自治に貢献できる情報だと、自信を持って宣言致します」
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「まず────」
そこからは予定通り、実験内容と結果の報告をした。革新的な農業方法の数々に感嘆の声を上げる貴族たち。自分で考えた物ではないので少しばかり申し訳ない。そんな思いを心の片隅に持ちながら、説明は続いた。
数辰刻後。私はベッドに飛び込んでいた。実験の情報を全て公開した後、貴族たちは更に詳しい情報を知ろうと詰め寄ったり、自分たちの娘を侍女候補にと紹介してきた。何とも自分勝手な輩だ。次々に迫りくる貴族たちへの対応で、私の疲労はピークに達していた。
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私はメフィアに支えられながら浴場へ向かう。
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眠ってしまいそうな私の身体を洗いながら、メフィアは静かに言った。その言葉で意識が覚醒する。
「城下町に?!」
「はい。ルーシーさんと私も一緒に行けるように取り計らって頂けました」
「やったぁ!」
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