クルイアイ

くらうでぃーれん

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プロローグ


 目を覚ますと、目の前に大好きな人の顔が見えた。彼は仰向けで目をつむり、規則的な寝息を立てている。

 秋の気配が強まってきた空気に肌寒さを感じて、彼に抱きつく。肌に直接彼の体温を感じ、少しだけ寒さが和らいだ。
 首元に顔をうずめていると、ようやく彼も目を覚ましたようだった。ぼんやりとした瞳で隣で眠る彼女に目をやり、柔らかく頬を撫でてくれる。

「‥‥おはよ、マナ」
「おはよう。ユイくん」

 言って、ユイも体の向きを変えてマナを抱き締めた。

「ちょっと、寒くなってきたな」
「うん。でもユイくんとこうしてればあったかいよ」
「まあ、そうかもしれないけどさ」

 のっそりと布団から這い出て、寒さに身を震わせながらいそいそと服を着る。

 ユイとマナの2人が生活しているのは1Kの、2人で住むには少し手狭に思えるアパート。だがその窮屈さを望んだのはマナ自身だった。

 どうせずっとユイと一緒に居るのだから、1部屋以上は必要ない。実際、こうして2人で生活を始めてすでに2年が近づこうとしているが、マナは手狭さを感じたことなど一度として無かった。

 部屋の内装もいたってシンプル。玄関を入って左手にキッチン、右奥手がトイレで手前が浴室。そこを越えると6畳の洋室が1部屋あり、正面がベランダへ続く大窓、左手にシングルのベッド。窓を挟んで反対の壁側には小ぶりなラックとその上にテレビが置かれ、その手前には2人用のローテーブル、そして入口側には本棚があるという、それだけだった。押入れの中にも主に衣類が入れられているだけで、大きくスペースを余らせている。

 別に引っ越しが近いとか、荷物を増やさないよう努めているわけではない。マナにとっては、ユイさえいてくれればそれだけで十分だった。

 洗面所に2人並んでざばざばと顔を洗うと、ユイはそのまま朝食の準備を始める。
 朝食の準備が整うと、テレビはつけたりつけなかったり、その時の気分次第。マナにとってはユイ以外の情報は無駄でしかないし、ユイ以外の声は雑音でしかない。だからテレビも音楽も、人の声が聞こえるものは嫌いだった。

 今日はテレビはつけず、無音の中2人で並んでいただきます、と食事を開始した。向かい合わず並んで座るのはいつものこと。見つめ合う以上に、いつどんな時でも触れあっていたいから。

 食事を終えると、コーヒーを飲んで歯磨きをしていちゃいちゃして、それから出かける準備をする。

 ユイとマナは現在大学2年生。この同棲生活は、大学進学と同時に始めたものだった。
 学生の身分で同棲など両親には反対されそうなものだが、マナの両親は――大反対だった。

 2人が付き合い始めたのは高校からで、マナの両親とてユイの存在は知っていたが、さすがに生活を共にするというのは許容しがたかったそうだ。
 ではどうやってマナがこの生活を手にしたかというと、簡単な話。ほとんど両親と縁を切るようにして出てきただけだった。

 後悔も何もあるはずがない。マナはただ、何よりも大切なものを選んだだけ。生活は苦しくなったが、そんなものユイと一緒に暮らせることを考えれば苦でも何でもない。ユイの傍に居られることがマナにとっての最高の幸せであり、たった1つ求めていることなのだから。

 ユイとの同棲もそうだが、大学選びの時から両親は口うるさく反対してきていた。もっと自分の将来のことを考えて大学を選びなさい、とかなんとか。

 言われるまでもない。マナは将来のことを考えて、ユイについて来ているのだから。マナに必要なのは勉強だとか資格の取得だとかではなく、強いて言うなら花嫁修業なのだ。

 こうして一緒に暮らすことを将来のためと言わず何と言うのだろうか。親は何も分かってないとかなんとか言ってきていたが、分かってないのは親の方だ。マナにとってユイがどれほど大切な存在か、あいつらには全く分かっていない。

 肩掛け鞄の中身と今日の講義を確認し、簡単な準備を済ませてアパートを出ると、2人は自転車を並べて大学へと向かった。
 本当ならもっとユイに触れていたいから2人乗りをしたいところだが、警察に咎められるのはあまりに不愉快だし、非常に不本意ながらユイと別行動をとらなければならないことも時々はある。だから仕方なく大学に行くときは別々の自転車に乗るようにしていた。

 アパートを出たのは朝というには少し遅い、10時過ぎ。今日は2コマ目からの講義なので、時間には余裕がある。
 学校までは自転車で30分ほど。学生向けの住まいとしてはやや遠い場所に分類されるが、できるだけ周囲に人間が少ない場所を選んだ結果そこになってしまったのだった。

 大学に到着し自転車を停めると、マナはすかさずユイの腕にさばりついた。ユイはそれを黙って受け止めてくれる。
 マナはユイと全く同じ講義を受けているので、大学にいる間は常に一緒にいることができる。そもそもマナの大学進学の理由はそこにあるといっていいので、こうしてその目的を果たせている今の状況は最高の幸せである。

 そんな幸せな気分で講義室へ向かっていた時のこと。何やら耳に触る声が聞こえたかと思うと、食堂にでもいたらしい2人の女学生がこちらに、主にユイに気づいて明るい声を上げながら近づいてきた。
 その途端、マナの目が細く冷たく眇められる。

「おはよー水波みなみくん。次の言語学の講義出るんだよね」

 声をかけてきたのはショートカットの少女、陸瀬りくせ秋奈あきなという名前だが、マナはそんなものは覚えていなかった。時々ユイに近づいてくる鬱陶しい女という認識でしかない。

 ユイと同じバイト先に勤めているらしいが、それだけでユイと親しくなれたとでも勘違いしているのだろうか。少し、頭がおかしいのかもしれない。

 隣に居るもう1人の女は、よく知らないが陸瀬とよく一緒にいる友人。もちろんマナは、そんな情報すらよく知らないのだけれど。

「うん、出るよ。2人も?」

 ユイはそれに対して普通に受け答えをしている。本当ならユイにはマナ以外の誰とも会話などしてほしくなかったが、ユイはマナほど他人を拒絶するつもりはないらしい。ひどく不愉快ではあるけれど、マナにはユイの意思を妨げることはできなかった。
 本当に、ものすごく不愉快だけど。

「マナ、ちょっと痛い」

 気づくと、静かな表情のユイが優しくマナの手を握ってくれていた。思わずユイを掴む手に力が入ってしまっていたようだ。

「わ、ごめん、ごめんね、大丈夫?」

 力を緩めるとユイは表情を変えないまま、優しく頷いてくれる。マナは幸せな笑顔を浮かべて、歩みを進める。

 当然ながら、この不愉快はユイに向けられるものではない。ユイに対して愛情以外の想いを向けるなど、マナにはとてもできそうになかった。

 不愉快なのは当然この女の存在だ。どういうつもりでユイと仲良くしているのかは知らないが、今すぐぶん殴ってやりたい衝動をどうにか抑えつけ、静かにユイの体温だけを感じ続ける。

 講義室に到着すると、不愉快な2人組は他の友人がいる場所へと向かい、ようやく2人になれると、階段状に広がる席の一角に腰掛けた。

 そっとユイの肩に頭を乗せると、ユイは何も言わずマナの髪をいてくれる。ぎゅっと握ったユイの手は、今日もいつもと同じように温かかった。


 昨日も、今日も、明日も、これからもずっと、いつまでも、永遠に。
 マナはユイただ1人を愛し、ユイただ1人だけを求めていた。
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