クルイアイ

くらうでぃーれん

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1・愛と憎悪

1-1


 マナは淡々と仕事をこなしていた。

 学校からほど近いコンビニの制服に身を包んだマナは最低限の微笑だけを顔面に張り付け、必要に迫られたときだけ渋々「いらっしゃいませ」と悪い感情を乗せないように声を出す。もちろん、明るい感情は気を付けるまでもなく乗っていない。

 マナはアルバイトをしなければならなかった。
 理由は平凡にして単純、お金が無いからだ。

 先述の通りマナは両親の許可を得ることなく、ユイとの同棲を強行している。無許可というだけならまだしも、この2年間一切実家と連絡を取っていないほどその関係は決裂を極めている(取れないようにしている、と言ったほうが正しいかもしれない)。
 そのためマナは仕送りはおろか、大学の学費すらも両親から得ることはできていなかった。

 マナは、ユイさえいれば後は何もいらないと思っている。
 しかし煩わしいことに、生活の様々な部分でお金というものは不可欠だった。

 だからマナは渋々ながらもバイトをすることにした。

 そこまではまだ良かったのだが、未だに納得しきれないのがユイと別のバイトをしているという点だ。
 そしてそれはなんと、ユイが提案したことだった。

 ユイの言うことは何だって正しいと思うし、大抵のことはユイに従う。けれどさすがに、こればかりは大反対だった。
 絶対にユイと一緒がいいとかなり長時間言い合いをした。もちろん険悪になどなるはずもなく、マナが抗議していたのはずっとユイの腕の中だったけれど。

 ユイの言い分は、少しくらい離れる時間があったほうが一緒に居られる時間をもっと幸せに感じることができるから、ということだった。

 それに関しては、マナも全てを否定する気はない。確かに少しでもユイと別行動を取った後、再びユイに抱きつく瞬間はこの上なく幸せに感じる。

 が、どう考えたってずっと一緒に居る方が良い。瞬間的な幸せは大きくなるかもしれないが、それでもずっと一緒のほうがもっと幸せに決まっている。

 それに恐らく、ユイにはそれ以外の本当の理由があったのだろう。マナを諭しながらもその説明はどこか無理があるように感じられ、マナの反論に対して時々論点をずらされているようにも感じていた。

 けれどユイが隠し事をしているのであれば、それには絶対何か理由があるのだ。そしてそれは、マナの為のことであるに違いない。だってユイもマナと同じく、いつだってマナのことだけを考えてくれているのだから。

 だからユイのその行動自体には、何を言うつもりもない。ただとにかく、ユイと一緒にいられる時間が減ってしまうということが納得いかないのだ。

 マナは最後まで駄々をこねたが、結局押し切られる形で別々に働くことになってしまったのだった。何をどう言ったところでユイにお願いされてマナが断れるはずがないのだから、悔しながら結果は最初から決まっていたと言っていい。

 そんな経緯もありつつ、ユイが側にいてくれないバイト中のマナは基本的に不機嫌だ。言うまでもなくユイに怒っているわけではなく、ユイがいないこの空間が不快でならないというだけの話。

 ちなみにマナのバイトのペースは週2程度。当然その程度では貯金を駆使したところで生活費と学費を賄うことなど不可能だが、足りない部分はユイが補ってくれていた。

 ユイはマナと違って普通に家を出てきている。そのため学費は家が出してくれるらしいし、多少は仕送りももらっている。それでも2人の貯蓄は減少の一途を辿っているが、卒業まではどうにか持ちこたえられそうだった。ユイに頼りきりの今の状況は、少しくらいは負い目もないこともないのだが、それ以上に心地よくもあった。

 ともかくそんな事情もありつつ、マナは今日も笑顔を張り付け不機嫌だった。

 そしてそんなマナの隣には、「いらっしゃいませ~」と語尾に♪でもついていそうなほど無駄に楽しげな声を上げている女性がひとり。

 緩やかなウェーブをまとった長い黒髪に、透けるように白い肌。決して背の高くないマナとさほど変わらない身長で、おっとりとした表情が崩れた所など見たことが無い、年中気楽そうなその女。
 最近になってようやく、氷雨ひさめというその名前をネームプレートを確認する前に思い出せるようになってきた、マナと同じコンビニで働く従業員だ。

 始めは腹黒い女なのかと思っていたが、どうやら本当に天然で頭の中に花畑が広がっているような女らしい。その柔らかい雰囲気は従業員・客を問わず人気があるようだが、マナにはどうでもよかった。

 彼女はロングスカートをふわりと揺らしながら、いつものように客と取りとめのない会話を交わしている。かなりの人数の相手をしているというのに、ひとりひとりとの会話を覚えているだなんてマナからすればもはや狂気だ

「マーナちゃん、また表情が強張ってるわよ。せっかく可愛いんだから、もっと笑顔でいた方が素敵よ?」

 一通り客が捌けたところで、いつも間にか氷雨がマナの隣に立っていた。彼女はいつも身が軽いというか、ふわふわしているというか。どことなく浮世離れしているというか、現世離れしているというか。本当に生きた人間なのかどうか、時折疑わしくなるほどだ。

「ほらほら、何かのはずみですぐ睨んじゃう癖もなくしたほうがいいわ。もっと柔らかい表情ができるようになれば、きっとモテモテになれるわよ」
「興味ないです」

 すげないマナの返答にも、氷雨はあらあらとさして気にしていなさそうに微笑んだ。

「だめよマナちゃん。もっと楽しそうにしてなきゃ、周りの人まで楽しくなくなっちゃうわよ」
「どうでもいいです」

 ユイさえ笑っていてくれれば、それ以外などどうでもいい。マナの態度が気に入らなければ近寄らなければいいだけの話。というかそもそも、近寄ってほしくない。

 圧倒的な拒絶の態度を見せるマナにも、氷雨は全くめげる様子もなく楽しそうに笑っていた。全くもって、何が楽しいのか理解できない。この女の頭の中には本当に花畑が詰まっているのではないだろうか。

 そうこうしているとレジに客がやって来て、マナが積極的に対応することなどないため大抵は氷雨に丸投げである。

 しかし2人以上来てしまった場合、マナももう一方のレジで対応しなければならなくなる。以前それでも無視し続けていたら、怒られて鬱陶しかった。

 マナが無言のまま空いたレジへと移動すると、気づいた客がこちらにもやってくる。

「‥‥いらっしゃいませ。‥‥‥‥‥‥430円です」

 いつも通り、視線を落としたまま最低限の言葉で対応する。ポイントカードのことなど聞くはずもないし、弁当の温めも客から言わない限り何も言わない。ペットボトル1本だけだろうと、とりあえず袋に突っ込んでおく。

 時折不愉快げな視線を向けられることもあるが、全て無視。むしろ、こちらの方がよほど不愉快だ。どうしてお前らなどの為に何かしてやらなければならないのか。仕事だから、という当たり前の理屈はマナには通用しない。

 しかし「コンビニ店員は態度が悪い」という印象は思いのほか多くの人々の間で浸透しているのだろう。そんなマナに態度にも、文句をつけてくる客はそう多くない。

 マナが言葉と愛想を控え目にレジを打っていると、1人の男がレジに立った。30代半ばくらいの、太っているが体格は良さげな男で、黒いスーツに身を包み、背は高くないが態度のせいで大きく見える。そしてやたら悪い目つきで睨むようにちらりとマナに視線を向けた。ひどく、気分が悪かった。

 男はやや乱暴に缶コーヒーと弁当、お菓子をレジに置くと、マナの背後のカウンター内にあるそれらに目もくれずにぼそぼそと聞き取りづらい、不機嫌さを露にした声で呟いた。

「タバコ」

 そしてそれに続く言葉はない。

「‥‥‥‥番号は」

 マナは顔を上げず、不機嫌さを極力押し殺した声で手元の商品のバーコードを読み取りながら返す。

 男は「いい加減覚えろよ」とでも言いたげな視線でマナを睨みつけ、大きく舌打ちしてから吐き捨てるようにタバコを示す番号を答えた。

 それだけ大きな声が出せるなら最初から出せ、と思う。タバコのバーコードを読むと客側のレジ画面に『私は20歳以上です』というタッチパネルのボタンが表示される。

「‥‥‥‥画面のタッチをお願いします」

 一拍置いてから仕方なくマナが言うと、しかし男は手を動かさず視線だけ動かしてマナを睨みつける。

「見れば分かるだろうが」
「押してもらわないと、会計ができません」

 なにも、嫌味で言っているわけではない。酒・タバコをレジに通すと必ず表示されるものだし、実際その画面のボタンを押さなければ会計に移ることができない。レジから身を乗り出して店員が画面をタッチすることもできなくはないが、マナにはそんなことをしてやる気はさらさらなかった。

 男はもう一度舌打ちすると、殴りつけるように画面のボタンを押した。

 マナは冷えきった表情で仕事を進めながら、しかしその腹中は業火の如く煮えくりかえっている。全ての商品を叩き潰したくなるのを必死に堪え、缶コーヒーで男の顔面を殴りつけるのを理性で抑え、可能な限り無言で会計を進める。

 放り投げるような札を拾って、決して触れないように指先だけで釣りを返す。会計が終わると、男は無言で店を出て行った。マナは無言でそれを見送り、その背中にようやく怒りを込めた視線をぶつけた。
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