ジャンク・ボンド~気になるアイツは、強すぎてランク外になったようです~

銀崎 暁樹

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プロローグ

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 「ち、血が吸いてぇ……!」


 “それ”は、静寂を保とうとしていた暗闇の帳を、無惨に切り裂きながら、声を疾らせていた。

 真夜中の為か、誰もいない石畳の道路の真ん中で、薄暗く不規則に明滅している街灯と、街中に張り巡らされたパイプから漏れる蒸気によって、辛うじてそのシルエットが現れた。


 人型……ではある。が、何処かおかしい。


 猫のように縦長の黒眼。獣のように鋭い牙が、荒ぶる呼吸と共に見え隠れする。

 そして背中に蝙蝠のような翼が、冷え冷えとする夜気を掻き混ぜ、気流を乱していた。

 そんな異形の存在が、例の如く、喉の渇きを潤そうと血を求めて、さ迷っていたのだ。


眼球が無秩序に左右に振られ、眠る街並みが切り取られていく。


 いや、比喩ではない。


 異様に長い十本の爪を軽く宙に舞わせた途端、乱雑に並べられた住宅の数々が、まるで積木崩しの如く、瓦解していったのだ。


 古いレンガ造りの民家の屋根達が、まるで薄い紙のように軽々と宙に舞う。


 今の今まで夢心地だった住人が飛び起き、不気味に見下す満月を、恐る恐る、いや呆然と見上げていた。――直後、月光が消失し、暗闇が存在感を増した。


 いや、違う。そうじゃない。


 自然では有り得ない流れの強風と共に、奴は満月を背景にして、物凄い速度でこちらに急接近――吸血鬼が牙を涎で濡らしていたのだ。

 吸血鬼がターゲットを見定めて、白目を黄金色に発光――まさしく、目の色を変えて歓声を上げた。


笑いが止まらない。


 「ヒャッヒャッヒャ! 血だ……!」


 未だに頭に血が回っていない住人は、「な、何だぁ!?」と声を上げるだけで精一杯だった。

 結局、ベッドから抜け出る暇なく、牙の餌食となるしかなかった。

 血を吸われた住人の顔からは赤みが消え失せ、上から青が重なり、そして白くなっていった。だが、未だに事切れてはいない。口がパクパク動いていたからだ。


 吸血鬼は、首筋より流れ出る鮮血を吸いながら、住人が朽ちていくのを嬉しそうに眺めていた。

 しかしその表情は、紅い液体を味わう内に、歪んでいった。


 どうやら想像していた鉄の味ではなかったらしい。

 一言でいうなら、

 「……マズイ」

 ようだ。


 吸血鬼が眉間に皺を寄せながら、住人を無造作に放り投げた。

 大の大人が軽々と放物線を描きながら、三階建ての建物の高さに到達した途端、重力に抗いきれずに、急降下し地面に激突。

 土埃が辺りに充満する中、住人のくぐもった声が漏れていく。


 「う……わぁ……う……」


 それを見下しながら、吸血鬼が毒付いた。


 「……お前、何人殺した?」


 その問いに、吐血しながらも、驚きを隠せない住人がいた。


 「な……」


 その答えに、吸血鬼が楽しさと嫌悪を織り交ぜながらロ角を吊り上げた。


 「俺は、悪人の血を吸わねぇのがポリシーなんだよ。――汚れを知らねぇ奴の方が旨ぇからな!」

 「……」


 住人がもう何も言えなくなったことなど構わず、吸血鬼は続けた。


 「お前も相当、“他人の血を吸って来た”ってか……?」


 その言葉を待たずして、住人の全身の水分が一気に抜け落ち、皺だらけの皮膚より骨格が露わになり――結局、干乾びるしかなかった……。

 直後、吸血鬼が視線をぐるりと巡らした。


 ――口直しに、誰かいねぇかな。


 とは思いながらも、流石に皆逃げ出しているだろうし……いや、一人いるぞ。


 良く見ると、隣の住宅で呑気に大イビキをかきながら、涎を垂れ流している女が一人。

 だらしなく腹を掻きながら、何か寝言をほざいている。


 「あぁ? ステーキ三〇枚目? そりゃあ、食べるに決まってるでしょっ!」


 ――いや食べ過ぎだろっ!


 急に、ツッコミ役に回ってしまった吸血鬼が、息を荒くしていたが、女の寝姿を嬉しそうに目を細め出した。


 だらしない寝姿に反して、くびれのある胴体から伸びる肢体はスラッと長かった。

 ましてや、筋肉質ではなく、かといって無駄に脂肪が付いている訳でもない。

 そんな彼女は猫のようなしなやかさに、艶っぽさと活発さを兼ね備えていた。


 などと、吸血鬼がそこまで観察していたかは定かではないが、彼は別のものに目を奪われていた。


 ――む、胸デケェ……!


 吸血鬼が首筋ではなく、胸を見てしまうということは、相当の大きさらしい。

 寝返りを打つ度に、たわわに実った“それ”が豪快に揺れ動く。

 吸血鬼が思わず舌舐めずりをしながら、彼女にじりじりと近付いていく。


 最早、血を吸いたいのか、夜這いを掛けたいのか見分けがつかない。


 ピンと張り詰めた空気の中、聞こえて来るのは吸血鬼の規則的な足音と、彼女の呑気な寝息だけ――。

 吸血鬼の牙が、彼女の首筋を捉えた――立派な双球に手が触れているのも気付かずに。


 むにゅん。


 「……?」


 違和感を覚えて、一瞬動きを止めたが、気を取り直して構わず食事を再開した。

 牙が躊躇なく彼女の白い首筋に突き刺さっていった。

 その傷が深くなるにつれ、白かったはずの肌が赤く染まる。――その前に、強烈な往復ビンタが吸血鬼の視界を覆った。いつの間にか頬を痛みが襲っていた。


 ――人間ごときの攻撃をかわせないとは……!


 と、勝手に驚いている化物の耳に、彼女の言葉が入り込んだ。


 「……何、蚊?」

 「…………は?」


 ――んな、デケェ蚊いねぇよっ!


 つーか、蚊に往復ビンタって。

 本当は寝てないんじゃないの!? 

 本当は薄目開けてんだよ。

 内心ほくそ笑んでんだよ。

 化物舐めんなよ。化物上等! 

 ……でも往復ビンタ痛かったなぁ。

 怖いよぉ。

 人間の往復怖いよぉ。

 最終兵器だよぉ。


 勝手に、脳味噌が思考の糸に絡め取られる化物。

 その姿は、闇夜の主とは似ても似つかない、滑稽な光景だった。

 それでも、そんな格好悪い姿を誰も見ていないのだから、別に構わないのだが……。


 いや、

 「五月蝿いっ! ……あれ? もうこんな時間? 今日は“回収”の仕事入ってたのに。もしかして遅刻? ん? まぁ。いいか」


 寝起きが悪いのか、重そうな瞼を開けながら何とか起きた馬鹿が一人――しかし、こちらに気付いていないらしい。


 数分後――。 


 暫くして、彼女が目の前の吸血鬼に気付いたのか、馬鹿丁寧に頭を下げだした。

 床の上で正座までしている。


 「あっ。いたんですか!? どうもぉ。夜中に騒いですみません」


 彼女につられて、化物も恐縮する。


 「いやいや、こちらこそ」

 「今日は寒いですねぇ」

 「そりゃあ。屋根ないですからねぇ」

 「あっ。ホントだ。アハハハ……」

 『ハハハ……』


 妙に和やかな雰囲気が周囲を包んでいき、二人はいつまでも笑い合いながら過ごしていきましたとさ。

 めでたし。めでたし……。


 「――って、違ぁぁぁう……!」


 吸血鬼が全身全霊のノリツッコミを実行――街全体を震わした。

 直後、酸素を取り込もうと、肩を激しく上下させていた。


 それを見て、彼女が一言。


 「……お忙しい方なんですね」


 それを聞いて、吸血鬼の怒りがとうとう爆発した。


「誰のせいだと思ってるんだっ!」


 突然、背中の翼が異様な速度で蠢いたかと思うと、たちまち竜巻を作り出していた。

 最早、さっきまでとは違う。黄金色だった目が今度は赤色に発光――まさに“戦闘態勢”に入ったと言うべきか。――と、認識している場合ではない。


 眼前の化物が一瞬にして消えたのだ。


 「!」


 何が起きたのか理解できぬまま、まるで天空に吸い上げられるような感覚に襲われる。

 その証拠に、周囲の建物を巻き上げたかと思うと、一気に粉砕される。

 それと同時に、視界が目まぐるしく左に流れていく。


 どうやら、空気の渦に巻き込まれてしまったらしい。


 目が回るどころか、脳が、意識が絞り上げられてしまう。

 もちろん、人一人もがいたところで、竜巻の脅威から逃れられる訳もない。

 風圧によって全身の筋肉が鉛のように重くなっていく。

 おかげで、舞い上げられた瓦礫が、体の自由を封じるように飛んで来たが、回避できなかった。

 直後、鈍い痛みと共に鮮血が迸った。竜巻が紅く染まった。

 無数の傷口からの熱が、意識を剥がしに掛かる。

 そんなぼやけた視界の中で、奴は何が楽しいのかロ角を吊り上げていた。


 「シャァァァ……!」

 「――!」


 彼女が驚きのあまり目を剥いた。

 この状況から抜け出そうと心だけが焦る。

 聴覚を麻痺させるほどの竜巻の風音が、さらに判断力を狂わせ、恐怖心もまた増殖していく――はずだった。

 少なくとも、吸血鬼はそう思っていた。

 大量の空気の流れが、鎌鼬の如く、彼女の身体を次々に切り付けていく。

 呼吸もままならない。


 「…………」


 徐々に動きを止めていく彼女を視界に入れて、吸血鬼が目を細めたかと思うと、竜巻の遠心力を利用し飛行速度――いや、攻撃力を増して――飛び掛かった。


 「ハッ! ここまで弱れば抵抗出来ないだろっ!」

 「……」


 しかし彼女は、観念したのか何も言わず竜巻に身を任せていた。

 そして、その首筋に二本の牙が漸く……突き刺った。

 やっと目的を果たせた達成感か、吸血鬼が味わうように、ゆっくりゆっくりと血を吸い上げていく。

 液体が喉を通る度に、脳が活性化していくのが分かる。

 靄の掛かった視界が一気に晴れるように、疲労を畜積していた身体が瞬時に回復するように、毎回毎回最高の快感が襲い――自我が崩壊しそうになる。


 「……」


 吸血鬼がうっとりと目を瞑っている。

 竜巻は既に収まり、地べたでゆっくりと食事を楽しんで――いなかった。


 「……?」


 吸血鬼の眉間に、皺が深く刻まれた。

 鉄の味どころか、何の味もしない。

 当然、快感ではなく強烈な嫌悪が、身体中を駆け巡る。


 「!」


 防衛本能が即座に反応し、彼女を全力で地面に投げ付けた。

 直後、喉が、胃袋が、頭が――全身が焼け付くような痛みが急襲する。


 いや、違う。


 痛みだけでなく、本当に身体が焼け爛れて来たのだ。

 自分の手足が徐々に爛れていく様を見つめながら、化物が驚き、怒り、そして何かに気付いた。


 血の味がしないのは、人間ではないのか、それとも――、


 「……お前、何体殺した?」


 “我々”の返り血を何度も浴びたか。

 その問いに、無造作に打ち捨てられていたはずの彼女の身体が、むくりと起き上がり、こちらに鋭い眼光を向けていた。

 さっきまでの、おっとりとした彼女が嘘のようだ。


 冷笑が視界に映り込んだ。


 「さぁ。何体殺ったか……。だって、アンタ達――“バグ”――を“回収”するのが仕事だもの」

 「お、お前、“リュウランゼ”か?」


 化物が朽ちていくのを見下し、楽みながら、ロ角を吊り上げた。


 「いや、ただの“回収屋”。アンタなら、高く売れるかも。さあ。……そろそろ、茶番は終わり」


 直後、吸血鬼が金縛りにあったが如く、微動だにしなくなってしまった。


 「お、お前一体何をした!?」


 しかし彼女は鼻を鳴らすだけ。


 「私だって、ただ竜巻の中を泳いでいた訳でもないんだよ?」


 良くみると、髪の毛一本よりも細い糸が、月光に光る度に存在感を増しながら、吸血鬼を絡め取っていたのだ。

 その糸には意思があるかのように、身体を徐々に絞り始め、強引に軋しませ、さらに関節を無視して、骨を“あらぬ方向”へと折り曲げていく。


 あまりの痛みに、思わず悲鳴を喉から絞り上げてしまった。


 「くぅ……うわぁぁぁ……っ!」


 とうとう、苦痛と共に血を吐きながら、地面をのた打ち回り始めた。

 しかし、彼女は見下すだけ。


 「……さあ。私の糸で、綺麗に舞ってちょうだい」


 彼女が、闇夜より冷たく、地獄の底にいるように低く発した。


 その瞬間――、

 「き、貴様……」

 その後吸血鬼は、言葉を途切らせてしまった。

 漆黒だったその肉体が、鮮血に染まっていった……。

 しかしその様を視界に入れながらも、彼女は表情を一切変えない。瞬きすらしなかった。


 ――いや、口元だけを綻ばせた。


 「貴様じゃないわ。“糸師いとし”のユズハよ」


 彼女――ユズハの言霊が周囲に漂うのを待たずして、吸血鬼の身体が粉々に吹き飛んでしまった。

 しかし彼女は、その夥しい返り血を浴びながらも、眉一つ動かすことはなかった……。

 いや、僅かに嘆息を漏らした。


 「刻み過ぎちゃった。これじゃあ。売り物にならないわね」


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