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第3章 脱出 ~入社五年後 ふたたび~

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 夜中の三時過ぎ、北東京システムサービス最寄の練馬駅からタクシーに乗った大斗は、少しだけ思考が自由になった。目の前の仕事をやるしかないという世界から、これからどうしようか、白紙の状態から考えられるようになったのだ。あまりにも眠いので、アパートに帰って、まず眠りたかった。しかし、眠っていたら、会社の所長や営業の松田などがやってきて、すぐに連れ戻されてしまうだろう。眠いのを我慢して、夜が明ける前に遠くに行ってしまおうと思った。
 ほんの少し、職場に残されたキリンソフトの残りのメンバーのことが気になった。先日、リーダーの松橋が抜けたとき、同じキリンソフトのメンバーにしわ寄せが来た。だから、今回も同じようになってしまったら、申し訳ないと思ったのだ。しかし、困るのはあの河野だ。同期なのに、散々困って助けを求めても、一向に振り向いてくれなかった奴だ。あいつが困っても別に構わないと思った。冷たい気がしたが、あいつも困れば俺と同じようにあの場所から何とかして去るだろう。
 自宅のある府中までの間、タクシーの中で大斗は色々考えた。例えば、大阪や札幌、福岡などの地方都市に行ったらどうだろう。しばらくホテルに泊まって過ごすことになるだろうが、金が続かないだろうと思った。しかも、それらの都市には、キリンソフトの支店があるので、見つかってしまう可能性がある。
 いっそ外国に行こうかと思った。しかし、日本語以外話せない大斗が、頼るところもなく海を渡っていくのは無謀だと思った。日本国内でキリンソフトの支店が無い所と言えば、たいそう田舎になる。しかし、田舎だとホテルもあまり無いはずだから、生活するのが難しくなる。実家に帰って父親と暮らすのも嫌だ。父親のことを考えながら、ふと思いついたのは、父親の生まれた土地である、長崎県の離島の対馬(つしま)だ。大斗が幼いころに何度か行ったことがある。はるか昔に一家で佐賀に移住してきたから、今は親戚など頼れる人は誰もいないのだが、あそこは、島だから、ホテルも港の近くにあった記憶があるし、キリンソフトの支店もない。いいかもしれないと大斗は思った。

 アパートに着くと、預金通帳や年金手帳など重要なものを入れた箱を手に取り、部屋の全体を見渡した。必ず、身につけておかねばならない物は他になさそうだ。そして、便箋を手に取り「しばらく留守にします」と書いて、管理人室のポストに入れておいた。昔読んだ何かの本に、こうしておくと警察は探さないと書いてあったからだ。自分の意志でいなくなったのが確実だから、事件の可能性はないというわけだ。警察に探されてしまうと、すぐに見つかってしまうので、こうしておくのが良いと、タクシーの中で思ったのだ。
 あとは、携帯電話のGPSをオフにした。もっている携帯電話から位置を特定されたらたまらない。ただ、そこをオフにするだけで、本当に追跡不可能になるのか自信がなかったから、携帯電話は電源ごとオフにしておいた。
 鍵を閉めて、すぐに出かけた。キリンソフトの奴らは、大斗がいないことに気づくと、すぐにアパートに来るだろう。対馬に行くために、まずは福岡空港まで飛行機で行くのが良いだろう。しかし、朝の羽田空港や東京駅は、すでにマークされている気がする。大斗は静岡空港経由で行くことにした。営業所のある新宿には近付きたくなかったし、新幹線の主な停車駅にも近付きたくなかったから、ローカル線で熱海などを経由して静岡に行くルートを選んだ。静岡市内では、身をひそめながら行動していたが、何とか夕方の便で福岡に向けて出発できた。静岡を選択した事は、意表を突けたかもしれない。ここまで慎重に行動しているのを誰かに話したら「お前の被害妄想だろう」と言われそうだ。
 福岡に到着した時、飛行機の中で大斗は夢の中にいた。客室乗務員が右肩の前を、手で揺らしていた。もっと寝ていたいが仕方がない。起きて飛行機を降りて、到着ロビーに向かって歩いて行った。到着口が見えてきたとき、大斗はふと目の前に嫌なものを見た気がして、反射的に身を隠した。数人の男が、到着する人を一人一人怖い目でチェックしている。それが何なのか分かったとき、大斗はトイレに駆け込んだ。彼らは、キリンソフトの社章を襟元につけていたのだ。
 うかつだったと思う。大斗は佐賀県出身だから、福岡空港に来ると予想されることはあり得たのだ。ひょっとしたら自意識過剰なのかもしれない。彼らは、別の人を探しているのかもしれない。けれど、そうでないとも言い切れない。大斗は、三十分ごとに到着口をチェックしに行き、彼らがいないことを確かめに行った。しかし、彼らはずっといる。朝からずっといるのだろう。結局最終の飛行機が終わって、警備員のおじさんが「もう空港が閉まりますよ」と言いに来るまで、トイレから出ることができなかった。
 空港を出たら、すぐにタクシーに乗り、博多ふ頭に向かうように告げた。タクシーは値が張るが、地下鉄やバスなどに乗って、人目に触れる所にいるのを少しでも避けたかったのだ。真夜中に出港する対馬行きの船があるはずだったので、それに乗ろうと思っていた。
「博多ふ頭のどのあたりに行きますか?」と運転手に聞かれたとき、「壱岐(いき)行きの船が出ているところにお願いします」と答えた。船は、博多↓壱岐↓対馬の航路なので、おそらく同じ乗り場のはずだ。俺がタクシーに乗るのを、誰かが目撃していて、タクシーの会社に問い合わせたら嫌だから、少しでもごまかすために、対馬ではなく、壱岐と言った。こういう小さな積み重ねが、きっと結果を左右するのだ。
 午前零時過ぎに出港する船があり、それに乗り込むことができた。船に乗るときは、紙に氏名や年齢を書かないといけない。万が一、事故があったときに乗船者の特定をするためだそうだ。悪いことをしているわけではないので気が引けたが、大斗は偽名を書いて提出した。
 船の中は、広々としていた。各自が自由に場所を取って、寝転んでいる。大斗も同じように端の方に場所を取り、毛布をかぶって横になった。すぐに眠ることができた。

 フォーン、フォーンという、汽笛の音で目が覚めた。窓の外には、大きな島が見える。対馬に着いたのだ。それから十五分位待たされたのは、船の碇を下ろしたりするなど、客を下ろす為の準備があったからだろう。船から降り、厳原港から外に出ると、昔の記憶通り、殺風景だった。コンビニも銀行もない。朝早くて店が開いていないわけではない。建物自体がないのだ。ガソリンスタンドが一軒だけ見える。
 かすかな記憶を頼りに、港を出て左のほうに歩いていくと、商店街があった。朝六時くらいなので、どの店も開いていない。さらに歩いていくと、東京でもよく見掛けるチェーンのコンビニが一軒あった。幸いなことに開いていた。大斗はパンとおにぎりを購入して、飲み物と一緒に道端で食べた。
 少し離れたところに、三階建ての大きな建物が見えた。記憶にはない建物だ。近づいていくと、交流センターと書いてある。なんと無線LANのWiーFiが使えるらしい。しかし、大斗は携帯電話の電源を入れたくなかったので、WiーFiでインターネットを見るのは諦めた。
 差し当たり、今日泊まるところを探そうと思った。とりあえず眠りたいのだ。近くにホテルが数軒あったが、チェックインできるのは午後三時からだという。八時間以上、待たねばならない。仕方がないので、それまで近くをフラフラして時間を過ごした。やっと、午後三時まであと十分という時刻になった頃、もう待ちきれず、ホテルの受付に行ったら、受け入れてくれた。一泊分の料金を払うと、財布はほとんど空になった。明日ATMでお金を下ろさないといけない。大斗は部屋に入り、そのまま翌朝まで眠った。
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