51 / 67
二章
五十話
しおりを挟む
放課後。俺は、普段通り旧校舎に向かっていた。もちろん部活動を行うためである。
卒業までまだ時間はあるが、それでも長い訳ではない。そろそろ見納め時かと思うとなかなかに感慨深いものがある。反面、脳裏にはどうしてもパーカーがしがみついていて、到底離れてくれそうにない。朝礼の後から、焼けるような胸騒ぎは延々と続いていた。朝からどうにも調子が悪い。ストレスが溜まっているのかもしれなかった。
不安の素が多すぎる。板垣の心境、佐久間のメール、母親の容態、そして父親の不安定さ……。
そんな中、良くも悪くも岸本は相変わらずだった。旧校舎の扉を開くと、彼はなにやら平行して作業を行っていた。
「おお、柿市。早速だけど手伝ってほしいのだ」
「いいけど……なんでこんなたくさん作ってるんだ」
「お主、もう忘れたのか」
呆れたようにため息をつかれる。
「『ワイルドな木箱』だぞ。今朝開封してみたら、依頼がたんまりと入っていたのだ。忙しくてかなわん」
わざとらしく額を拭いながらも、彼は嬉しそうだった。「ワイルドな木箱」は、卒業製作を承るべく岸本が設置したリクエストボックスだ。まさか本当に依頼があるとは思わなかったが……。得意分野での頼みごとなら悪い気はしない。
「もちろん俺も手伝うよ。どんな依頼が来てるんだ?」
「えーっと……」
岸本は一旦作業する手を止め、散らかっている紙を見た。
「『髭を生やした岸本さんの自画像』『廃部になる美術部』『和式トイレ』『ゴミ箱に入った岸本さんのイラスト』『シークレットブーツ』……」
あれよという間に心地よさは吹き飛び、怒りがスープの如く煮えたぎる。
みんながみんな暇な輩ではないことは分かっているものの、この学校には失望した。わざわざこんなことをしてまで美術部を貶めたいのだろうか?
更に悪いことに、岸本はゴミ箱に入った自画像を描き始めていた。わざわざ傷まで描かれているあたりに工夫が感じられ、余計にイラつく。
「破いちまえ、そんな自画像」
怒号を発しながら、岸本が手掛けている作品を取り上げる。
「何をするんだ」
驚いて目を見張る岸本の前で、自画像を引き裂いた。紙吹雪となった作品が、緩やかに宙を舞う。
唖然と口を開く岸本が腹立たしい。
「な、何てことを。依頼の品が」
「なにが依頼の品だ。こんなもん描くだけ時間の無駄だ」
「頼まれたのにつくらないなんて無責任ではないか」
開いた口が塞がらない。
岸本が馬鹿なのは前から知っていたが、まさかここまでとは思わなかった。もはや馬鹿を通り越して滑稽だ。いい道化だ。
責任? 頼まれた訳じゃない。紙を入れた連中はからかってるだけなのに。
「いいか、こいつらはな。俺たち美術部を馬鹿にしてるんだぞ。そんな連中のために作品をつくる必要などない」
馬鹿でも分かりやすいように、ゆっくりと話して聞かせる。すると岸本は、珍しく神妙な表情になって紙を見つめた。
「そんなことはずっと前から分かってる」
彼は意外なセリフを吐いた。
「腹も立っているし、ジョージ・グロスのように振る舞いたい。久しぶりにひどい気分だよ」
勢いを削がれ、俺は黙って岸本の言葉に耳を傾けるしかなかった。自分の中に注がれたガソリンは、為す術もなくどこかへ吸収されていった。
岸本の膝が震えている。いや、正確には貧乏揺すりをしているのだろう。
口調からはいつもの調子が消え去り、代わりにこびりつくような怒りが滲み出ている。今にも目が充血しそうだ。
「しかし、いくら怒り狂おうと彼らには何も伝わらない。握りこぶしと握手はできない」
岸本は紛れもなく激昂していた。それでも彼は、粛々と理念を説き続ける。
「芸術家は作品をもって己を表現する生き物だろう? こっちの表現を見て、少しでも考えを改めてもらえれば儲けものだ」
そこでようやく、岸本は口をつぐんだ。俺の反応を窺っているようにも見える。
しかし、なかなか口を開く気持ちになれない。今の岸本が、普段の彼とは別人のように思えたからだろうか。
俺が言葉を発しないでいると、岸本はキャンバスを放置したまま立ち上がった。
「……外の空気を吸いに行ってくる」
ドアを開ける前に振り向いた眼差しには、悔しさの入り交じった悲壮感が宿っていた。
俺が破ってしまった自画像に描かれていた無数の傷。あれが全てだったのだろうか。
卒業までまだ時間はあるが、それでも長い訳ではない。そろそろ見納め時かと思うとなかなかに感慨深いものがある。反面、脳裏にはどうしてもパーカーがしがみついていて、到底離れてくれそうにない。朝礼の後から、焼けるような胸騒ぎは延々と続いていた。朝からどうにも調子が悪い。ストレスが溜まっているのかもしれなかった。
不安の素が多すぎる。板垣の心境、佐久間のメール、母親の容態、そして父親の不安定さ……。
そんな中、良くも悪くも岸本は相変わらずだった。旧校舎の扉を開くと、彼はなにやら平行して作業を行っていた。
「おお、柿市。早速だけど手伝ってほしいのだ」
「いいけど……なんでこんなたくさん作ってるんだ」
「お主、もう忘れたのか」
呆れたようにため息をつかれる。
「『ワイルドな木箱』だぞ。今朝開封してみたら、依頼がたんまりと入っていたのだ。忙しくてかなわん」
わざとらしく額を拭いながらも、彼は嬉しそうだった。「ワイルドな木箱」は、卒業製作を承るべく岸本が設置したリクエストボックスだ。まさか本当に依頼があるとは思わなかったが……。得意分野での頼みごとなら悪い気はしない。
「もちろん俺も手伝うよ。どんな依頼が来てるんだ?」
「えーっと……」
岸本は一旦作業する手を止め、散らかっている紙を見た。
「『髭を生やした岸本さんの自画像』『廃部になる美術部』『和式トイレ』『ゴミ箱に入った岸本さんのイラスト』『シークレットブーツ』……」
あれよという間に心地よさは吹き飛び、怒りがスープの如く煮えたぎる。
みんながみんな暇な輩ではないことは分かっているものの、この学校には失望した。わざわざこんなことをしてまで美術部を貶めたいのだろうか?
更に悪いことに、岸本はゴミ箱に入った自画像を描き始めていた。わざわざ傷まで描かれているあたりに工夫が感じられ、余計にイラつく。
「破いちまえ、そんな自画像」
怒号を発しながら、岸本が手掛けている作品を取り上げる。
「何をするんだ」
驚いて目を見張る岸本の前で、自画像を引き裂いた。紙吹雪となった作品が、緩やかに宙を舞う。
唖然と口を開く岸本が腹立たしい。
「な、何てことを。依頼の品が」
「なにが依頼の品だ。こんなもん描くだけ時間の無駄だ」
「頼まれたのにつくらないなんて無責任ではないか」
開いた口が塞がらない。
岸本が馬鹿なのは前から知っていたが、まさかここまでとは思わなかった。もはや馬鹿を通り越して滑稽だ。いい道化だ。
責任? 頼まれた訳じゃない。紙を入れた連中はからかってるだけなのに。
「いいか、こいつらはな。俺たち美術部を馬鹿にしてるんだぞ。そんな連中のために作品をつくる必要などない」
馬鹿でも分かりやすいように、ゆっくりと話して聞かせる。すると岸本は、珍しく神妙な表情になって紙を見つめた。
「そんなことはずっと前から分かってる」
彼は意外なセリフを吐いた。
「腹も立っているし、ジョージ・グロスのように振る舞いたい。久しぶりにひどい気分だよ」
勢いを削がれ、俺は黙って岸本の言葉に耳を傾けるしかなかった。自分の中に注がれたガソリンは、為す術もなくどこかへ吸収されていった。
岸本の膝が震えている。いや、正確には貧乏揺すりをしているのだろう。
口調からはいつもの調子が消え去り、代わりにこびりつくような怒りが滲み出ている。今にも目が充血しそうだ。
「しかし、いくら怒り狂おうと彼らには何も伝わらない。握りこぶしと握手はできない」
岸本は紛れもなく激昂していた。それでも彼は、粛々と理念を説き続ける。
「芸術家は作品をもって己を表現する生き物だろう? こっちの表現を見て、少しでも考えを改めてもらえれば儲けものだ」
そこでようやく、岸本は口をつぐんだ。俺の反応を窺っているようにも見える。
しかし、なかなか口を開く気持ちになれない。今の岸本が、普段の彼とは別人のように思えたからだろうか。
俺が言葉を発しないでいると、岸本はキャンバスを放置したまま立ち上がった。
「……外の空気を吸いに行ってくる」
ドアを開ける前に振り向いた眼差しには、悔しさの入り交じった悲壮感が宿っていた。
俺が破ってしまった自画像に描かれていた無数の傷。あれが全てだったのだろうか。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる