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第一幕
[ヒマリside]妄信する国・前編(美島郷志)
しおりを挟むこの国の雰囲気にも慣れてきた。アスファルトで舗装された道を歩きなれている私にとってそれは、あまりにも不安定で落ち着かない足場だった。それが今では、足に触れた時にどこを歩いたらいいのかがわかるようになった。
「君も随分と馴染んできたね、ヒマリ。」
チェシャはお腹に携えた細剣をぶら下げながら、後ろ足だけで器用に歩行して先導してくれている。長靴を履いて猫が歩くさまは見ていて楽しいが、バランスがとりずらいのか、尻尾がよくふらふらしているのが気になる。
「そうだねー。でももうちょっとこう……豪華なイメージだったかなぁ。」
「豪華……装飾が凝っていたり、ということかな?」
「うん……なんかこう、綺麗な模様の飾りが、キラキラしていてパーッと!」
私が腕を勢いよく広げると、チェシャは気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「はは……そうだね、この国はどちらかというと、「飾る」よりも「掘る」という感じだね。ヒマリが想像しているお城はたぶん、ダイヤシティにあると思う。」
「本当!? ちゃんとあるんだそういうお城!」
お伽話の中だけだと思ってた!
「あるにはあるよ。スペードキングダムにも、小さいけど幾つか……。僕は写真で見ただけだけど、機会があったら行ってみるといい。」
「うーん……行く機会があるかなぁ?」
「そうだね……行こうと思えばいけなくもない……かな?」
正直心配だ。この世界がどうなっているのかとか未だによくわからないし、何よりも先が見えない。この先どうすればいいのかもよくわからない。とにかくお兄ちゃんを探したいけれど、何にも手掛かりになりそうなものがない。
(お兄ちゃん……無事だといいな。)
私とお兄ちゃん、二人が突如として巻き込まれた未曽有の大災害。亀裂に飲み込まれた私たちは、繋いだ手が離れるのと同じく分かたれてしまった。あの時もっと強く手を握っていれば……まだ少し、最後に触れた兄の手の感触が残っている。
死んで……ないよね? きっと私と同じようにどこかで……。
「ヒマリ……ヒマリ!」
「ひあぁっ!?」
ヒマリがぼーっとしていると、突然にチェシャがお尻をぽんぽんと叩いた。
「な、何するのっ!?」
「ぼーっとしていては危ない。……何か気になる事でもあるのかい?」
「えっと……なんでもない。それよりも、女の子のお尻を気安く触っちゃダメだからね!」
「ん? あぁ……すまない。何分背が届かない物だから。次からは気を付けよう。失礼した。」
「もうっ……。」
なんだか辱めを受けたみたいで気に入らないヒマリはふくれてしまう。
(チェシャは紳士なのかデリカシーがないのか、よくわからないなぁ……。)
そんな事もあったが、二人は順調に街中を歩いていった。歩きにくい道にも慣れた。またお尻を叩かれてはたまらないと、ちゃんと前を向いて歩く。
だが、そうしているうちにふと気が付いたことがあった。
「ねぇチェシャ……なんだかみんな元気ないね。」
「ん? そうかい?」
道行きすれ違う人達が皆、よく見れば下を向いて歩いている。誰かと話している時はとても気丈で賑やかだが、そうではなく、一人で一抱えの荷物を持って歩いている青年や、杖を突いて歩く老人も、みんな不思議と下を向いて歩いている。
そして、下を向いて歩く顔の表情が、心なしか陰って見える。
「なんだか疲れているみたい……。」
「……そうだね。ここの所景気もよくない。だがそれは仕方のない事だ。女王様も苦労している。」
「……そっか、そうなんだ……。」
なんだかお世話になってしまっている自分が申し訳ない。やっぱりバイトとか探した方がいいんじゃないかな……。
「おいジジイ! もたもたしてんじゃねぇ!」
ヒマリがまた物思いに更けようとした、その時だった。物がなぎ倒されるような大きな物音が周囲にどよめきを作る。気性の荒い男の声と、いつの間にか出来上がっていく蟠《わだかま》りが、勝手に場所を教えてくれる。
野次馬のように集まったヒマリは衝撃を受けた。ヒマリとそう歳の変わらない青年が、杖を突いた老人を突き飛ばしていたのだ。横たわったおじいさんは呻きながら眉をしかめている。
「ちょっと! おじいさんになんてことするの!?」
ヒマリはおじいさんの側に駆け寄ってその肩を支えた。おじいさんは小さな声でありがとう、と呟きながらヒマリの肩に縋り付く。
その様子を睨みつけた青年は、ヒマリを女だと侮って体を前のめりにして迫る。
「チンタラしてるからどかしただけだ! ただでさえ買える飯は限られてるんだ! 急いでもらわないと飢え死にしちまう!」
青年は威張りながら、露天の品台を指差しながら叫ぶ。
「これを見ろ! なんでこの店の商品が、台の上半分しか乗ってないかいないかわかるか!? これはこの国の女王が、国民に重税を課しているからだ! 自分だけいい思いをして、俺達が飢えて死んでもいいって見殺しにしてるんだ! お陰でこっちは腹ペコさ! イライラするのも仕方ねぇってんだ!」
「だからって、おじいさんを突き飛ばして言いわけないでしょ!」
「どうせすぐ死ぬじいさんを今殺したって変わりゃしねぇよ! むしろ死ぬまで食料が浮くってもんだ!」
「ッッ! こんのおっ!!……。」
ヒマリの中でなにかが真っ赤に燃え上がった。こいつ一発殴りたい! でも殴ってケンカになったら流石に怖いな……。そんな善悪の葛藤がバチバチとせめぎ合う。
(いいや! そんなのどうでもいいからとりあえずコイツぶん殴りたい!)
「何の騒ぎだ!?」
ヒマリが喰ってかかろうとしたその時だった。人だかりの向こうで、また若い男の声がした。
「しまった! ……ヒマリ! 急いでこっちへ!」
「チェシャ! でもこいつが!」
「駄目です! とにかく早くこっちへ!」
突然に焦りだすチェシャとは裏腹に、怒りを抑えきれずに睨み合うヒマリと青年。二人の間に火花が飛び交い、一触即発の状態だった。
それを唐突に横切ってきた、銀色の先端が切り落とす。
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