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第一幕
[ヒマリside]覚悟と決別・後編(美島郷志)
しおりを挟む喉の奥から空へと駆ける、特大のファルセット。縦横無尽に大空を駆け巡る歌声は、青々とした草原を薙ぐそよ風を受け止めた者達の耳に響き渡る。
その時、悲しみに震えるスノウの手が止まった。
「これは……。」
青空の下に響くその歌は、拙いながらも感情を目一杯露わにしていた。メロディラインは低めだが、歌詞はどんな苦しみにも果敢に立ち向かう勇気の力強さを感じさせる。
折れない心、この歌の芯にあるのはそれだ。それはこの国をずっと支えてきた女王の生きざまそのものであり、それは女王の心にも響いていた。
白い雲が散らばる青い空に歌声を捧げるヒマリの姿は、かつての女王が悲しみを吹き飛ばすためにしていた事と同じであった。過去の自分の姿を重ね、哀色の希望の歌を、全身を震わせて歌い上げるヒマリは、今の女王にはあまりにも眩しく見える。
昔にも、同じような事があった。
その光景が蘇ってきたせいで、女王は瞼の奥から溢れてくるものを抑えきれない。
「どうして……どうしてあなたがそんなことするのよ……。」
女王にとってそれは皮肉だった。諦めて整理をつけていたはずの気持ちが燃え尽きないまま、種火を残して灯されていたのだ。どうしようもなく燃え上がったそれは、女王の冷え切った胸の内を熱く焦がす。
「ジョーカー……あなたはまだ、私を連れて行ってはくれないのね……。」
焼けつく胸の内を押さえ、愛しい人の顔を思い浮かべた。怒った顔、笑った顔、真剣な顔、その人の表情を一つ一つ思い浮かべる度に、その思いは燃え上がってくる。
いつの間にか氷漬けにされ閉じ込められていたそれは、女王の瞳の中で轟々と燃え上がった。
「……スノウ、やはり国はあなたに任せるわ。」
「お姉さま!!」
笑みを浮かべた女王の言葉に、スノウは驚嘆して声を上げた。スノウは女王の涙で、自分の決断を思い直してくれると確信していた。だからこそ、その決断が変わらないことに驚く他なかった。
しかし、女王の表情をよく見れば、スノウは自分の言葉を飲み込まざるを得なかった。
女王の笑みは、遥か先の野望を見る凛々しさを取り戻していた。
「スノウ、よく聞きなさい。私はこれからヒマリと一緒に各国を回って、奴らと戦うための力を集めてくる。私が国を離れれば、国境付近にいるあいつらが何をしてくるかわかったものじゃないわ。だからこのまま、私を国から追い出しなさい。私の狙いを、奴らに悟られないように。」
それはあまりにも危険だった。付き人はどこからか現れたヒマリだけ。自分にはセブンに合流し、新しい国を作るフリをして戦いの準備をしろと言うのだ。未だにセブンの真意が見えない中で、これを実行するのは二人に危険が伴いすぎる。
スノウの心は不安で澱んでいた。だが、こんなに輝いた姉の瞳を裏切る訳にはいかない。今まですべてを奪われ真っ黒に澱んでいた彼女の瞳は、今ようやく輝きを取り戻し前へ進もうとしている。
「……私は、お姉さまを信じてよろしいのですか?」
スノウは内にあった最後の疑心を言葉にして女王にぶつけた。たった一つの歌声で、たった一人の見ず知らずの少女の歌で、一時の気の迷いかもしれない大きな決断を、今まで共に歩んできたからこそわかる、その底知れぬ苦しみを払えたのだろうかと。
そんなスノウに、女王は親指で押さえる中指に力を込めて、女王の額目がけて解き放った。中指は見事にスノウの額に直撃し、当たった箇所を真っ赤にする。
「ジョーカーの夢はまだ終わってないわ! 例えジョーカーがいなくても、私たちがその夢を繋いでいく! そうでしょ、スノウ!」
自信満々の無邪気な笑顔。スノウがずっと見てきた、皆を笑顔にしてきた女王の輝きがそこにあった。
スノウはその笑顔を瞼の裏に焼き付け、大きく息を吸い込んでためこんだ。後方から聞こえる雄叫びの合唱が、ヒマリの小さな勇気の歌を飲み込んでいく。
スノウは溜め込んだ息を、ゆっくりと深く吐いて、女王の覚悟を受け取った。
刹那、青白く輝きだした草原は瞬く間に真っ白に染め上げられる。
「私がお姉さまを足止めします! 今のうちに皆でお姉さまを捕えなさい!」
スノウが後方から迫るセブンたちに向けて、高らかに号令する。女王はそれに力強く頷くと、一目散にヒマリに向けて駆け出した。
歌う事に集中するヒマリの腕をかっさらい、その手を強く握って駆けていく。
「女王様!? どこへ行くんですか!?」
「ついてらっしゃいヒマリ! これからはあんたが私の付き人よ!」
「ええ!? お国はどうするんですか!? それにセブンさんやスノウ様も!」
「そんなもの……私には知ったこっちゃないわよ!」
「ええええええええええっ!!?」
さっきと言っていることがまるで違うし、何がどうなっているかが全くわからない。だけれど、先程までとは打って変わった女王様の表情は、見ていてとても楽しくなってくる。
「女王ハート! これでも喰らいなさい!」
背後から叫んだのはスノウ様、声に反応して後ろを振り向こうとすると、振り返りざまに冷たい何かが頬を掠めた。
「ねぇ女王様!? 今何か飛んできたんですけど!!」
「ちゃんと避けなさい! スノウは本気で狙ってくるわ! それぐらいしてもらわなきゃ困るけどね!」
「一体なにがどうなってるんですかぁーーーっ!!」
先導する女王様に付いて行きながら、必死に追っ手からの追撃をかわす。山道はデコボコしていて走りにくく、思ったようには進めない。
「えっと、これからどこに行くんですか!?」
「隣国の「ダイヤシティ」よ! 「ダイヤの騎士」は、あの戦いの中で最も奪われた力が少なかったわ! あいつらなら力になるはずよ!」
女王様が隣国へ……という事は、これは本気で逃避行になるみたいだ。武器も持たず丸腰の私たちに、この道なりは苦しい。
「ハート! 覚悟しろ!」
不安に駆られる私の背を、ハートのタトゥーを首筋に入れた男が捉えた。彼は後ろから大きく振りかぶり、私目がけて何かを投げつけてきた。
「女王様! セブンさんが何かを投げて!」
「それは受け止めておきなさい!」
「わかりましっ……って受け止めるんですか!?」
女王様からの意外な返答に驚いている隙に、真っ直ぐ私に向かって飛んできたそれをモロに受け止めてしまう。
何かが流れ込んでくる感覚。冷たく、ひんやりとしているが、それがどこか温もりを帯びていて優しい。
「うわあああっ……あれ? 何だろうこれ? まるで何かを私に教えてくれているような……。」
流れ込んでくる何かの感覚。しかし全く知らない物ではない。それは確かにどこかで見たことのある柔らかな自然の感触。ひんやりしていても、真っ直ぐな優しさを帯びたこの感じは……。
「セブンからの贈り物よ。ありがたく受け取っておきなさい。」
「贈り物? ……もしかしてギフト!?」
「もしかしなくてもセブンの贈り物よ。せっかく人が詩人っぽく伝えてあげたのに……あなたはもっと空気を読みなさい!」
命がけの逃亡劇中に叱られてしまった。というかセブンさんがギフトを使えたというのが驚きだ。今まで使ってる所見たことないのに。
「……でも、なんでセブンさんがギフトを?」
「だから言ってるでしょ! 私には知ったこっちゃないわって! それとヒマリ! その堅苦しい喋り方やめなさい! 私の事は「ハート」と呼ぶこと! いい!?」
そう言う女王様の表情は、まるで正解を導き出した子供のように晴れやかだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
走りゆく二人の背中を見送った騎士の隣に、雪のような肌の女性が立ち並んだ。彼女は不安そうに両手を合わせて胸に寄せている。
「大丈夫でしょうか……私の力が役に立てばよいのですが……。」
彼女は自分の贈り物を、彼の贈り物の力を使って大事な友人に託した。彼女が贈り物を使えなくなるわけではないので、大事な姉との約束を違えることもない。せめて、心が一つにあることは忘れないでいて欲しかった。だからこそ、自分の贈り物を新たな友に預けたのだ。
それでも不安な物は不安だ。だがそれを、騎士は無粋だと鼻で笑う。
「心配ありません。女王様の事ですから、たくましくやっていくでしょう。」
「……そう、ですね。お姉さまのことです。きっと目的を果たして帰ってきてくださりますわね。」
騎士の言葉に、新たな国の女王として頷いた。後ろを振り返れば、大事な姉から預かった宝物たちがいる。
「……みんな、お姉さまを送り出してくれてありがとう! お姉さまが戻るまで、私が皆を守ります!」
女王は振り返り、この場に駆けつけてくれた民たちに声高に宣言した。
全て芝居だったのだ。女王の心の内をセブンを介して知った民衆が、セブンの策で女王に奮起を促したのだ。
他の国ではこうはいかなかっただろう。全ては、みんなが女王を愛しているからこそだ。
「……さぁ、帰りましょう! 私たちの国へ!」
新たな女王は、送り出した希望の背中を照らす陽に向かって、未来を待つための第一歩を踏み出したのだった。
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