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第15話 牙を、解き放て
第15話・4 一緒に話していたのに
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「……リルくんを……殺さなきゃ、いけないの……?」
ラショウの声は、掠れていた。
空を仰げば、木々に散らばった血痕。
地面には龍の肉片、そして──その中心でなお暴れ続ける、リルのような龍。
「あんな……の、リルくんじゃないよ……」
「……ッ!!!」
アシュラは唇を噛み、腕を押さえた。
痛みはある。
けれど、それ以上に──心が、痛い。
(ほんの、数時間前までは……一緒に笑って、話していたのに)
『……ッ、……止めなきゃ……死ぬぞ。お前らが、じゃねえ』
『……リルがだ』
セセラの声はそれでも冷静だった。
──だが、どこか震えていた。
『今、あれだけの力を使ってるんだ。自分の体を龍に置き換えて戦ってるんだよ』
『……もう、時間の問題だ。壊れるのは……脳だ』
静寂が走る。
「……ッ……」
その場で歯を食いしばるレイラ。
「だったら……やめさせる」
「止める……私が……」
ゆっくりと、剣を持つ拳を握る。
その手から、ふわりと──蒼白い光が立ち昇った。
「……レイラちゃん……?」
ラショウの目が揺れる。
アシュラも、一瞬だけ瞳を潤ませた。
(これは……レイラの、龍……?)
(いや、でもあのときと比べて……)
確かにそれは、“龍化の兆候”に違いなかった。
だが──その光は、不思議なほどにあたたかく見えた。
怒り、悲しみ、願い、祈り。
全てを孕んだような、蒼白く優しい揺らめきが、レイラの全身から吹き上がる。
「……リルが……リルのままでいられるうちに……!」
震える声に、想いが滲んだ。
「私は……」
「…………っ……」
「……友達だから……ッ……!!」
足元の地面が微かに震え、空気が脈打つ。
レイラの瞳には龍と対峙するリルの姿が映っている。
そのまま、一歩。また一歩と進む。
──葛藤の中、止める手と信じたい心の間で揺れながら、光と闇の交差が頂点へと向かっていく。
「………………」
いつしか、戦場は静かになっていた。
異常個体・成れの果て──異型の龍はもう、動かない。
リルの暴走によって、その体は見る影もなく引き裂かれていた。
だが、その狩りを終えてもリルは止まってはいなかった。
「…………っ……」
(リル…………)
血に濡れたその人間と竜が融合したような姿が、ゆっくりとレイラの方へ振り向く。
「…………グル゙ル゙ル……ッ……」
仮面のような黒い甲殻から覗いた赤い瞳が、明らかに獲物を捉えていた。
「──っ……!!」
レイラは立ち止まる。
声をかけることも、もうできない。
ただ、リルが──襲いかかってきた。
「リルッ!!」
「リルくん!!!」
アシュラとラショウの叫びが重なる。
だが遅い。
咆哮と共に、鋭い爪がレイラを切り裂かんと迫る。
──その瞬間。
蒼白い光が、一閃。
レイラが持つ剣が、霊体のようなオーラで蒼白く包まれる。
それは、人を守る意志に呼応して、最後の力を宿した。
そして──レイラは。
「……ッ…………」
目を閉じたまま。
剣を勢いよく前に突き出した。
「……ごめん、リル…………」
──ズブッ……!!!
湿った音と、骨の裂ける音。
蒼白い刃が──リルの胸を貫いた。
「──ア゙、ッ……!゙ ……!? ッ……」
「…………!!!」
変異した剛腕が止まり、体がガクガクッと痙攣する。
血に染まったような紅い目が大きく見開かれ、咆哮が、途中で途切れた。
──バサッ……
翼が、崩れ落ちた。
角が、砕けた。
鱗が、剥がれ落ちた。
「…………」
その場に、人間のリルが倒れ込む。
「リルッッ!!!」
「だめっ、そんなっ……!! だめっ……!!!」
アシュラとラショウが、叫ぶように駆け寄る。
レイラは──その場で剣を手放し、呼吸を乱し、ただ立ち尽くしていた。
「っ……は……はっ……う……っ、あ……」
声にならない。
過呼吸で、酸素が入らない。
胸が締め付けられ、視界が暗くなっていく。
(殺、し、……殺しちゃった……私が、リルを……)
意識が遠のく中、地面が揺れた。
──轟音。
2台の輸送車が到着し、輸送班と救護班が駆け込んでくる。
「隊員の状態確認急げッ!!」
「負傷者3名、搬送優先──!!」
誰かが叫び、誰かがレイラを支える。
「血圧落ちてます! 過呼吸! 酸素投与を──!」
ラショウは、崩れ落ちるようにリルの傍に膝をつき、アシュラは唇を噛んで瞳を震わせた。
「ッ、……くそ、こんな……こんな結末……ッ……!!」
救護班が、血の海に倒れたリルに手を伸ばし──。
「……!?」
息を呑む。
「……生命反応、微弱……ですが……! あります! まだ……生きてます!」
「自己再生の兆候が……僅かに確認できる!」
だが、セセラの声は無線の先で低く呟かれた。
『…………それは生きてるって言っていいのかよ……』
──全員、返す言葉も無かった。
そして輸送班が、静かにリルの体を収容していく。
まるで──遺体を回収するように。
「………………」
開けた森に、風が吹いた。
誰も、もう──声を出せなかった。
◇
輸送車の中は、異様なまでに静かだった。
痛み、呻き、怒号、涙──どれも無い。
あるのは、深すぎる沈黙。
レイラ、アシュラ、ラショウ。
全員がストレッチャーに固定され、酸素マスクと点滴が取り付けられている。
意識は、あったり無かったり。
誰ひとり、完全に目を開けていられる者はいなかった。
「心拍確認──紫苑レイラ、出血多量、骨折、不整脈あり」
「西城アシュラ、血圧下降中、出血多量」
「西城ラショウ、裂傷、打撲、意識混濁」
「──全員帰還次第、緊急治療室へ!」
医療班の声が飛ぶ中、ただひとつだけ息をしていない存在が、別の車両に乗せられていた。
──リル。
仰向けに横たわったその胸は、上下していない。
呼吸停止。心拍もほぼ検出不能。
だが、生体スキャンに微かに映る再構築反応。
「……ッ、死んでないんだよな、これ」
研究員のひとりが、端末を覗き込みながら呟いた。
「でも……自己再生が発動してるってことは、エネルギーを使ってる。……限界を超えれば、再生そのものが止まる」
「もう既にそこまできてるかもしれない」
「目を覚ます保証は……?」
「無い」
車内の誰も、顔を上げなかった。
リルの搬送先は医療棟ではなく、龍因子の構造と脳神経を研究する専門部署──第七特殊解析棟。
過去に龍化暴走個体を多数解剖・解析してきた場所。
だが、生きたまま運ばれるケースは稀中の稀。
「この状態から人間に戻れた例は……あるのか?」
「……確認されていない。あって、戻れたかもしれなかったという例が1件のみ──」
言葉が、途切れる。
全員が思っていた。
──今回の件もその1件に含まれるのではないか。
そうして輸送車は拠点へと帰還していく。
リルは無言のまま白いシートに包まれ、冷たく無菌化された廊下の奥、普段は封鎖されている扉の向こうへと運ばれた。
その扉が閉じる音は──まるで、棺の蓋のようだった。
◇
帰還から数時間後、処置室。
レイラの瞼が微かに震える。
頬には乾き切っていない涙の跡。
「…………」
しかし、レイラの目が最初に探した“赤髪の姿”は、もうそこには無かった。
──第七特殊解析棟。
龍因子による肉体変異、それに伴う脳領域の異常活性、器官の再構築現象。
言わば、“龍化”という現象そのものを人間という素材から切り分ける研究棟。
リルはその最奥にある封鎖区画に運び込まれていた。
部屋の中央には、完全無菌の透明なカプセルのようなベッド。
ガラス製のケースで蓋をされたようなそのベッドは、コードを通す穴以外は内側から密閉され、外界の音も空気も遮断されている。
その中──リルは、動かない。
呼吸も脈も限界値を割り込んでおり、機械すら心停止に近い判断を下しかけていた。
だが、全身の深部で再生因子が微かに蠢いている。
「……なんて異常値だ。龍因子による生命維持反応が出ていなかったら、完全に死体として処理していた」
観察員のひとりが呟いた。背後に数人の研究員、そして上席の医療官。
「脳波は……? 活動してるのか?」
「……していない。限りなくゼロに近い。だが、電位スキャンでは脳全体に異常なエネルギー滞留が確認されている」
「夢でも見てるのか?」
「夢、というより……暴走の後遺症そのものだ。神経系統が今も龍化状態を維持しようとしている可能性がある」
ひとりの医師が眉をひそめる。
「このまま目を覚ました場合……再度の龍化、あるいは完全体への進行は?」
「……ありえる。彼が人間として目を覚ます保証は、どこにもない」
静寂が落ちた。
ひとりの女性研究員が、そっと端末を閉じる。
「彼の名前……紅崎リルだったよね。……この記録、どこまで公開すべき?」
誰も答えなかった。
それが意味するもの──“人間が兵器となる完成例”になる可能性すら孕んでいた。
その例が認められれば、保護観察・研究対象、それら全てを無視し、処分対象の危険個体となる。
リルの頬に伝う血の線はまだ乾いていない。
珠玉のひとつからは、止まりきらないほどの血液が染み出している。
まるで、それが彼の命を流し続けているかのように。
外の世界では仲間たちが心を失っている間、この研究室の中では──ひとつの命が、再生するのか壊れきるのか、ただ静かに見守られていた。
壁一面に張り巡らされた映像。
心電図、脳波、深部温度、因子濃度、血中成分、再生パターン、龍因子の活性率。
まるで人間ではなく、“変異体”を記録するための部屋。
「……活性化した龍因子が、まだ動いています。抑制されていないどころか、内側で“反応の自己修復”まで始めてる。通常の龍個体でもありえません」
主任研究員が背筋を正し、報告を終える。
だが、その言葉に対して背後から返事をしたのは──。
「『ありえない』は……もう、あの子には通じないだろう」
小さな、しかし場を支配するような声。
音も無く立っていたのは、所長シエリだった。
ピンク色のその瞳が、ガラスの中のリルの姿を見つめている。
その目は涼しげだが、明らかに動揺が滲んでいた。
「彼の龍因子密度……平均値の、8倍程。生体内で暴走後、自己修復しながら安定させている個体なんて、前例どころか論文すら存在しない」
「……所長……」
「つまり今ここにあるのは──前例を作っている人間、ということだ」
研究員たちが絶句したまま何も言えない中、部屋の扉がもう一度開く。
「……!」
そこに立っていたのは、見るからにやつれた姿のセセラ。
「薊野さん……」
白衣の下のタートルネックは皺だらけ。
体調不良ゆえの発汗のせいか髪は乱れ、眼の下にはくっきりと隈。
その体は微かに揺れており、歩みもふらついていた。
「……っ、んなジロジロ見んなよ……。俺が具合悪いのは、あんたらにとっちゃ日常茶飯事だろ……」
無理矢理口角を上げたセセラだったが、目は明確に充血し、乾いていた。
「……仕事なんて、正直してらんねーよ……」
「でも、行方もわかんねえ弟分が、こんなガラスの箱に突っ込まれてんのを見ねえフリは……できねえだろ……」
シエリはセセラを一瞥したあと、小さく囁く。
「……キミが来てくれて、よかった。……私も、震えていたから」
「…………」
無言のまま、セセラはリルへと視線を移した。
リルの体は、動かない。
ただ、口元のあたり──珠玉の埋まる箇所にだけ、微かに明滅する赤い点滅。
それは命の証か、それとも暴走の再燃か。
セセラの声は、僅かに掠れていた。
「リル……お前、俺らのこと……わかってんのか?」
返事は無い。
その沈黙は、あまりにも深く、重かった。
ガラスの中で、リルは死んだように眠ったまま。
血にまみれた傷跡が残り、爪痕が浅黒く硬直している。
顔にはまだ甲殻の痕が、薄く残っていた。
その姿を前にして、しばらくの沈黙ののち、セセラが口を開く。
「なあ先生……こいつ、レイラが暴走したとき、止めたんだよ」
「ああ、そう聞いている」
「『呑まれるな』って、言ったんだってよ。……バカが、笑えねえだろ……結局、自分が一番……呑まれてんじゃねえか」
セセラは掠れた笑いを零した。
しかしそれは、怒りと悔しさと虚しさが混ざった、壊れた音。
「……先生……リルってもう……人間じゃねえのかな」
「…………」
シエリは、ただ黙っていた。
その問いが、どれほど重いものかわかっていたから。
「俺さ、こいつのこと……何度も引っ張ってきた。無理に訓練させて、検査受けさせて……。……でも、リルはずっと『どうでもいい』って顔してたんだよな」
「…………」
「本当は……気づいてた。リル、別に無理にでも人間でいたいなんて、もう思ってなかったんじゃねぇかって」
静かに、しかし鋭く。
セセラは言葉を吐き捨てるように続けた。
「死ねる理由を探してたんじゃねえかって、思った。……俺たちのこと、仲間だなんて思わねえようにして……こいつ自身が、そういう自分でいようとしてたんじゃねえかな……」
シエリはしばらくガラスの向こうを見つめたまま──やがて小さな声で答える。
「……それでも、キミが傍にいたから。あの子は誰かの声に反応できる子になった。そうじゃなきゃ、あんなふうに……レイラの手で止まれないだろう」
「…………っ……」
セセラの目が揺れた。
「……戻れるのか、あいつ」
「生きている、という定義次第だ。だが……」
シエリはほんの少しだけ笑みを見せた。
だが、その瞳は確かに哀しみを湛えている。
「この世に戻してあげたいとは、思っている」
セセラは、それ以上何も言わなかった。
ただ、ガラスの中の弟分を見つめていた。
その指先が、微かに震えていた。
ラショウの声は、掠れていた。
空を仰げば、木々に散らばった血痕。
地面には龍の肉片、そして──その中心でなお暴れ続ける、リルのような龍。
「あんな……の、リルくんじゃないよ……」
「……ッ!!!」
アシュラは唇を噛み、腕を押さえた。
痛みはある。
けれど、それ以上に──心が、痛い。
(ほんの、数時間前までは……一緒に笑って、話していたのに)
『……ッ、……止めなきゃ……死ぬぞ。お前らが、じゃねえ』
『……リルがだ』
セセラの声はそれでも冷静だった。
──だが、どこか震えていた。
『今、あれだけの力を使ってるんだ。自分の体を龍に置き換えて戦ってるんだよ』
『……もう、時間の問題だ。壊れるのは……脳だ』
静寂が走る。
「……ッ……」
その場で歯を食いしばるレイラ。
「だったら……やめさせる」
「止める……私が……」
ゆっくりと、剣を持つ拳を握る。
その手から、ふわりと──蒼白い光が立ち昇った。
「……レイラちゃん……?」
ラショウの目が揺れる。
アシュラも、一瞬だけ瞳を潤ませた。
(これは……レイラの、龍……?)
(いや、でもあのときと比べて……)
確かにそれは、“龍化の兆候”に違いなかった。
だが──その光は、不思議なほどにあたたかく見えた。
怒り、悲しみ、願い、祈り。
全てを孕んだような、蒼白く優しい揺らめきが、レイラの全身から吹き上がる。
「……リルが……リルのままでいられるうちに……!」
震える声に、想いが滲んだ。
「私は……」
「…………っ……」
「……友達だから……ッ……!!」
足元の地面が微かに震え、空気が脈打つ。
レイラの瞳には龍と対峙するリルの姿が映っている。
そのまま、一歩。また一歩と進む。
──葛藤の中、止める手と信じたい心の間で揺れながら、光と闇の交差が頂点へと向かっていく。
「………………」
いつしか、戦場は静かになっていた。
異常個体・成れの果て──異型の龍はもう、動かない。
リルの暴走によって、その体は見る影もなく引き裂かれていた。
だが、その狩りを終えてもリルは止まってはいなかった。
「…………っ……」
(リル…………)
血に濡れたその人間と竜が融合したような姿が、ゆっくりとレイラの方へ振り向く。
「…………グル゙ル゙ル……ッ……」
仮面のような黒い甲殻から覗いた赤い瞳が、明らかに獲物を捉えていた。
「──っ……!!」
レイラは立ち止まる。
声をかけることも、もうできない。
ただ、リルが──襲いかかってきた。
「リルッ!!」
「リルくん!!!」
アシュラとラショウの叫びが重なる。
だが遅い。
咆哮と共に、鋭い爪がレイラを切り裂かんと迫る。
──その瞬間。
蒼白い光が、一閃。
レイラが持つ剣が、霊体のようなオーラで蒼白く包まれる。
それは、人を守る意志に呼応して、最後の力を宿した。
そして──レイラは。
「……ッ…………」
目を閉じたまま。
剣を勢いよく前に突き出した。
「……ごめん、リル…………」
──ズブッ……!!!
湿った音と、骨の裂ける音。
蒼白い刃が──リルの胸を貫いた。
「──ア゙、ッ……!゙ ……!? ッ……」
「…………!!!」
変異した剛腕が止まり、体がガクガクッと痙攣する。
血に染まったような紅い目が大きく見開かれ、咆哮が、途中で途切れた。
──バサッ……
翼が、崩れ落ちた。
角が、砕けた。
鱗が、剥がれ落ちた。
「…………」
その場に、人間のリルが倒れ込む。
「リルッッ!!!」
「だめっ、そんなっ……!! だめっ……!!!」
アシュラとラショウが、叫ぶように駆け寄る。
レイラは──その場で剣を手放し、呼吸を乱し、ただ立ち尽くしていた。
「っ……は……はっ……う……っ、あ……」
声にならない。
過呼吸で、酸素が入らない。
胸が締め付けられ、視界が暗くなっていく。
(殺、し、……殺しちゃった……私が、リルを……)
意識が遠のく中、地面が揺れた。
──轟音。
2台の輸送車が到着し、輸送班と救護班が駆け込んでくる。
「隊員の状態確認急げッ!!」
「負傷者3名、搬送優先──!!」
誰かが叫び、誰かがレイラを支える。
「血圧落ちてます! 過呼吸! 酸素投与を──!」
ラショウは、崩れ落ちるようにリルの傍に膝をつき、アシュラは唇を噛んで瞳を震わせた。
「ッ、……くそ、こんな……こんな結末……ッ……!!」
救護班が、血の海に倒れたリルに手を伸ばし──。
「……!?」
息を呑む。
「……生命反応、微弱……ですが……! あります! まだ……生きてます!」
「自己再生の兆候が……僅かに確認できる!」
だが、セセラの声は無線の先で低く呟かれた。
『…………それは生きてるって言っていいのかよ……』
──全員、返す言葉も無かった。
そして輸送班が、静かにリルの体を収容していく。
まるで──遺体を回収するように。
「………………」
開けた森に、風が吹いた。
誰も、もう──声を出せなかった。
◇
輸送車の中は、異様なまでに静かだった。
痛み、呻き、怒号、涙──どれも無い。
あるのは、深すぎる沈黙。
レイラ、アシュラ、ラショウ。
全員がストレッチャーに固定され、酸素マスクと点滴が取り付けられている。
意識は、あったり無かったり。
誰ひとり、完全に目を開けていられる者はいなかった。
「心拍確認──紫苑レイラ、出血多量、骨折、不整脈あり」
「西城アシュラ、血圧下降中、出血多量」
「西城ラショウ、裂傷、打撲、意識混濁」
「──全員帰還次第、緊急治療室へ!」
医療班の声が飛ぶ中、ただひとつだけ息をしていない存在が、別の車両に乗せられていた。
──リル。
仰向けに横たわったその胸は、上下していない。
呼吸停止。心拍もほぼ検出不能。
だが、生体スキャンに微かに映る再構築反応。
「……ッ、死んでないんだよな、これ」
研究員のひとりが、端末を覗き込みながら呟いた。
「でも……自己再生が発動してるってことは、エネルギーを使ってる。……限界を超えれば、再生そのものが止まる」
「もう既にそこまできてるかもしれない」
「目を覚ます保証は……?」
「無い」
車内の誰も、顔を上げなかった。
リルの搬送先は医療棟ではなく、龍因子の構造と脳神経を研究する専門部署──第七特殊解析棟。
過去に龍化暴走個体を多数解剖・解析してきた場所。
だが、生きたまま運ばれるケースは稀中の稀。
「この状態から人間に戻れた例は……あるのか?」
「……確認されていない。あって、戻れたかもしれなかったという例が1件のみ──」
言葉が、途切れる。
全員が思っていた。
──今回の件もその1件に含まれるのではないか。
そうして輸送車は拠点へと帰還していく。
リルは無言のまま白いシートに包まれ、冷たく無菌化された廊下の奥、普段は封鎖されている扉の向こうへと運ばれた。
その扉が閉じる音は──まるで、棺の蓋のようだった。
◇
帰還から数時間後、処置室。
レイラの瞼が微かに震える。
頬には乾き切っていない涙の跡。
「…………」
しかし、レイラの目が最初に探した“赤髪の姿”は、もうそこには無かった。
──第七特殊解析棟。
龍因子による肉体変異、それに伴う脳領域の異常活性、器官の再構築現象。
言わば、“龍化”という現象そのものを人間という素材から切り分ける研究棟。
リルはその最奥にある封鎖区画に運び込まれていた。
部屋の中央には、完全無菌の透明なカプセルのようなベッド。
ガラス製のケースで蓋をされたようなそのベッドは、コードを通す穴以外は内側から密閉され、外界の音も空気も遮断されている。
その中──リルは、動かない。
呼吸も脈も限界値を割り込んでおり、機械すら心停止に近い判断を下しかけていた。
だが、全身の深部で再生因子が微かに蠢いている。
「……なんて異常値だ。龍因子による生命維持反応が出ていなかったら、完全に死体として処理していた」
観察員のひとりが呟いた。背後に数人の研究員、そして上席の医療官。
「脳波は……? 活動してるのか?」
「……していない。限りなくゼロに近い。だが、電位スキャンでは脳全体に異常なエネルギー滞留が確認されている」
「夢でも見てるのか?」
「夢、というより……暴走の後遺症そのものだ。神経系統が今も龍化状態を維持しようとしている可能性がある」
ひとりの医師が眉をひそめる。
「このまま目を覚ました場合……再度の龍化、あるいは完全体への進行は?」
「……ありえる。彼が人間として目を覚ます保証は、どこにもない」
静寂が落ちた。
ひとりの女性研究員が、そっと端末を閉じる。
「彼の名前……紅崎リルだったよね。……この記録、どこまで公開すべき?」
誰も答えなかった。
それが意味するもの──“人間が兵器となる完成例”になる可能性すら孕んでいた。
その例が認められれば、保護観察・研究対象、それら全てを無視し、処分対象の危険個体となる。
リルの頬に伝う血の線はまだ乾いていない。
珠玉のひとつからは、止まりきらないほどの血液が染み出している。
まるで、それが彼の命を流し続けているかのように。
外の世界では仲間たちが心を失っている間、この研究室の中では──ひとつの命が、再生するのか壊れきるのか、ただ静かに見守られていた。
壁一面に張り巡らされた映像。
心電図、脳波、深部温度、因子濃度、血中成分、再生パターン、龍因子の活性率。
まるで人間ではなく、“変異体”を記録するための部屋。
「……活性化した龍因子が、まだ動いています。抑制されていないどころか、内側で“反応の自己修復”まで始めてる。通常の龍個体でもありえません」
主任研究員が背筋を正し、報告を終える。
だが、その言葉に対して背後から返事をしたのは──。
「『ありえない』は……もう、あの子には通じないだろう」
小さな、しかし場を支配するような声。
音も無く立っていたのは、所長シエリだった。
ピンク色のその瞳が、ガラスの中のリルの姿を見つめている。
その目は涼しげだが、明らかに動揺が滲んでいた。
「彼の龍因子密度……平均値の、8倍程。生体内で暴走後、自己修復しながら安定させている個体なんて、前例どころか論文すら存在しない」
「……所長……」
「つまり今ここにあるのは──前例を作っている人間、ということだ」
研究員たちが絶句したまま何も言えない中、部屋の扉がもう一度開く。
「……!」
そこに立っていたのは、見るからにやつれた姿のセセラ。
「薊野さん……」
白衣の下のタートルネックは皺だらけ。
体調不良ゆえの発汗のせいか髪は乱れ、眼の下にはくっきりと隈。
その体は微かに揺れており、歩みもふらついていた。
「……っ、んなジロジロ見んなよ……。俺が具合悪いのは、あんたらにとっちゃ日常茶飯事だろ……」
無理矢理口角を上げたセセラだったが、目は明確に充血し、乾いていた。
「……仕事なんて、正直してらんねーよ……」
「でも、行方もわかんねえ弟分が、こんなガラスの箱に突っ込まれてんのを見ねえフリは……できねえだろ……」
シエリはセセラを一瞥したあと、小さく囁く。
「……キミが来てくれて、よかった。……私も、震えていたから」
「…………」
無言のまま、セセラはリルへと視線を移した。
リルの体は、動かない。
ただ、口元のあたり──珠玉の埋まる箇所にだけ、微かに明滅する赤い点滅。
それは命の証か、それとも暴走の再燃か。
セセラの声は、僅かに掠れていた。
「リル……お前、俺らのこと……わかってんのか?」
返事は無い。
その沈黙は、あまりにも深く、重かった。
ガラスの中で、リルは死んだように眠ったまま。
血にまみれた傷跡が残り、爪痕が浅黒く硬直している。
顔にはまだ甲殻の痕が、薄く残っていた。
その姿を前にして、しばらくの沈黙ののち、セセラが口を開く。
「なあ先生……こいつ、レイラが暴走したとき、止めたんだよ」
「ああ、そう聞いている」
「『呑まれるな』って、言ったんだってよ。……バカが、笑えねえだろ……結局、自分が一番……呑まれてんじゃねえか」
セセラは掠れた笑いを零した。
しかしそれは、怒りと悔しさと虚しさが混ざった、壊れた音。
「……先生……リルってもう……人間じゃねえのかな」
「…………」
シエリは、ただ黙っていた。
その問いが、どれほど重いものかわかっていたから。
「俺さ、こいつのこと……何度も引っ張ってきた。無理に訓練させて、検査受けさせて……。……でも、リルはずっと『どうでもいい』って顔してたんだよな」
「…………」
「本当は……気づいてた。リル、別に無理にでも人間でいたいなんて、もう思ってなかったんじゃねぇかって」
静かに、しかし鋭く。
セセラは言葉を吐き捨てるように続けた。
「死ねる理由を探してたんじゃねえかって、思った。……俺たちのこと、仲間だなんて思わねえようにして……こいつ自身が、そういう自分でいようとしてたんじゃねえかな……」
シエリはしばらくガラスの向こうを見つめたまま──やがて小さな声で答える。
「……それでも、キミが傍にいたから。あの子は誰かの声に反応できる子になった。そうじゃなきゃ、あんなふうに……レイラの手で止まれないだろう」
「…………っ……」
セセラの目が揺れた。
「……戻れるのか、あいつ」
「生きている、という定義次第だ。だが……」
シエリはほんの少しだけ笑みを見せた。
だが、その瞳は確かに哀しみを湛えている。
「この世に戻してあげたいとは、思っている」
セセラは、それ以上何も言わなかった。
ただ、ガラスの中の弟分を見つめていた。
その指先が、微かに震えていた。
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