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後編
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短くて長い間の後、彼は立ち上がった。
「…………来るって言ってたから、昼ご飯、作ってあるんだ。食べるよね?」
「いいの?」
「うん。そのために作ったから」
ありがとう、と答えて、台所へ向かう彼の背中を目で追いかける。
レンジで料理を暖め直し、私用のマグカップにココアを入れる。
彼の席には、コーヒーの入ったマグカップが置かれたまま。
彼が席につくと同時に私は言った。
「いただきます」
「召し上がれ、お嬢様」
彼は、おどけたように笑う。この会話も最後だろう。そう思うと、目の奥が熱くなった。
私は、目の前の食事を口へ運ぶ。
その味は、とても優しくて、やっぱり好きだったなと思うのだ。
「美味しい」
「それは良かった」
私は、最後の一口を口へと運ぶ。もう食べ終わる。そう思うと、手を動かすのがゆっくりになるのを感じた。
「ごちそうさまでした」
もう何も残っていない皿を彼は見つめる。
「お皿洗い、しちゃうね」
「うん。ありがとう」
私は、彼の横を通り抜け、台所へ。
スポンジに洗剤をつけ、皿を洗っていく。洗剤、切れそうだなとぼんやり考えながら手を動かしているうちに、洗い終わった。
それを水切りかごに置き、手を拭くと、彼が後ろに立っていた。
「どうしたの?」
「…………何でもない。帰りは何時の電車?……ここには泊まらないだろ?」
「17時台のに乗るつもり。それしかないから」
田舎の電車の本数は、都会のそれと比べ物にならないくらい少ない。
「じゃあ、あと三時間くらいか」
彼は、時計をちらっと確認する。
「うん」
「そっか……」
沈黙が気まずくて、何か話題を探そうとした私は、口を開いた。けれど、そこから音が溢れることはなかった。
「三年か……」
ぽつりと落とされた言葉。
私は、彼の方を見た。
「楽しかった」
彼は、私を見て言った。その目は、どこか遠くを見ているようだった。
「……うん」
「どこかで、この先もずっと一緒にいるような気がしてた」
彼はそれだけ言って立ち上がると私のマグカップにココアをいれてくれた。私はそのカップを受け取りながら言う。
「ありがとう」
彼は自分の席へと戻り、コーヒーを啜る。そして、また他愛もない話をぽつぽつとする。最後だからだろうか、彼は饒舌で、話をしながらも、私の一挙一動を逃さないでいるように感じた。
それに気づかないふりをして、話に相槌をうつ。
……彼の癖も、好きな食べ物も、全部、覚えておこう。誰より好きだった、この人のことを。
彼を見つめ、私は強く心に刻む。
「もうこんな時間か……」
彼が呟くように言ったのを聞いて、私は時計を見た。
針は、16時30分を示していた。
「そうみたいね」
「……駅まで送るよ」
「大丈夫。一人で帰れるから」
私はそう言って椅子から立ち上がった。荷物を持ち、玄関へと歩く。
「……忘れ物はない?」
「……ないはず」
「そっか」
彼は、私の言葉に頷くと、玄関へと見送りに来た。
「今まで、ありがとう。楽しかった」
私は、彼の目を見る。その目が微かに揺れ、伏せられた。
「こちらこそ、ありがとう」
私は、ドアノブに手をかける。
「気をつけてね」
「……うん」
「元気でね」
「あなたもね」
「うん」
私は扉を開き、外に出た。そして、ドアが閉まる直前で呼ばれて振り返る。
ドアの隙間から伸びた手が頭を撫でた。
初めて彼の家に来た日も、帰り際にそうされたことを思い出した。
手が離れ、ドアは閉まる。
私は、閉まったドアに背を向けた。
名残惜しさを誤魔化すように、一歩ずつ踏みしめるように歩いた。
駅に着き、切符を買う。まだ電車が来るまで少し時間があるようで、私はホームのベンチに腰を下ろす。
頭の中には、彼のことばかりが浮かんでいた。
彼と過ごした時間、交わした言葉、触れ合った体温……。その全てが愛おしかった。
私の方から別れを切り出したくせに、なんて未練がましいのだろう。
三年という時間は、私たちから恋を消しても、情を育てるのには十分すぎたのだ。
涙が溢れたけれど、拭うことはしなかった。きっと気づかないから大丈夫だろうと高を括って、滲む視界で空を見上げる。笑えるほどに綺麗な青空だった。
「…………来るって言ってたから、昼ご飯、作ってあるんだ。食べるよね?」
「いいの?」
「うん。そのために作ったから」
ありがとう、と答えて、台所へ向かう彼の背中を目で追いかける。
レンジで料理を暖め直し、私用のマグカップにココアを入れる。
彼の席には、コーヒーの入ったマグカップが置かれたまま。
彼が席につくと同時に私は言った。
「いただきます」
「召し上がれ、お嬢様」
彼は、おどけたように笑う。この会話も最後だろう。そう思うと、目の奥が熱くなった。
私は、目の前の食事を口へ運ぶ。
その味は、とても優しくて、やっぱり好きだったなと思うのだ。
「美味しい」
「それは良かった」
私は、最後の一口を口へと運ぶ。もう食べ終わる。そう思うと、手を動かすのがゆっくりになるのを感じた。
「ごちそうさまでした」
もう何も残っていない皿を彼は見つめる。
「お皿洗い、しちゃうね」
「うん。ありがとう」
私は、彼の横を通り抜け、台所へ。
スポンジに洗剤をつけ、皿を洗っていく。洗剤、切れそうだなとぼんやり考えながら手を動かしているうちに、洗い終わった。
それを水切りかごに置き、手を拭くと、彼が後ろに立っていた。
「どうしたの?」
「…………何でもない。帰りは何時の電車?……ここには泊まらないだろ?」
「17時台のに乗るつもり。それしかないから」
田舎の電車の本数は、都会のそれと比べ物にならないくらい少ない。
「じゃあ、あと三時間くらいか」
彼は、時計をちらっと確認する。
「うん」
「そっか……」
沈黙が気まずくて、何か話題を探そうとした私は、口を開いた。けれど、そこから音が溢れることはなかった。
「三年か……」
ぽつりと落とされた言葉。
私は、彼の方を見た。
「楽しかった」
彼は、私を見て言った。その目は、どこか遠くを見ているようだった。
「……うん」
「どこかで、この先もずっと一緒にいるような気がしてた」
彼はそれだけ言って立ち上がると私のマグカップにココアをいれてくれた。私はそのカップを受け取りながら言う。
「ありがとう」
彼は自分の席へと戻り、コーヒーを啜る。そして、また他愛もない話をぽつぽつとする。最後だからだろうか、彼は饒舌で、話をしながらも、私の一挙一動を逃さないでいるように感じた。
それに気づかないふりをして、話に相槌をうつ。
……彼の癖も、好きな食べ物も、全部、覚えておこう。誰より好きだった、この人のことを。
彼を見つめ、私は強く心に刻む。
「もうこんな時間か……」
彼が呟くように言ったのを聞いて、私は時計を見た。
針は、16時30分を示していた。
「そうみたいね」
「……駅まで送るよ」
「大丈夫。一人で帰れるから」
私はそう言って椅子から立ち上がった。荷物を持ち、玄関へと歩く。
「……忘れ物はない?」
「……ないはず」
「そっか」
彼は、私の言葉に頷くと、玄関へと見送りに来た。
「今まで、ありがとう。楽しかった」
私は、彼の目を見る。その目が微かに揺れ、伏せられた。
「こちらこそ、ありがとう」
私は、ドアノブに手をかける。
「気をつけてね」
「……うん」
「元気でね」
「あなたもね」
「うん」
私は扉を開き、外に出た。そして、ドアが閉まる直前で呼ばれて振り返る。
ドアの隙間から伸びた手が頭を撫でた。
初めて彼の家に来た日も、帰り際にそうされたことを思い出した。
手が離れ、ドアは閉まる。
私は、閉まったドアに背を向けた。
名残惜しさを誤魔化すように、一歩ずつ踏みしめるように歩いた。
駅に着き、切符を買う。まだ電車が来るまで少し時間があるようで、私はホームのベンチに腰を下ろす。
頭の中には、彼のことばかりが浮かんでいた。
彼と過ごした時間、交わした言葉、触れ合った体温……。その全てが愛おしかった。
私の方から別れを切り出したくせに、なんて未練がましいのだろう。
三年という時間は、私たちから恋を消しても、情を育てるのには十分すぎたのだ。
涙が溢れたけれど、拭うことはしなかった。きっと気づかないから大丈夫だろうと高を括って、滲む視界で空を見上げる。笑えるほどに綺麗な青空だった。
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