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ある街角の物語 その1
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1960年、昭和35年8月、西武池袋線の富士見台の駅。
一段高くなった駅のホームから藤子不二雄こと金子俊夫はあたりを見回した。
駅前通りには古ぼけた家が並ぶだけで家の後ろには畑しかなかった。
のどかな田園風景が広がり、すぐそばの草地には乳牛が数頭草を食んでいた。
「本当にここは東京なのかな?」
金子が焼けつくような真夏の陽射しを浴びながら線路沿いに10分程歩くと、治美の新居が見えて来た。
治美の新居は畑の真ん中に建てられた二階建ての白いコンクリート造りのモダンな家だった。
屋上にはペントハウスもあり、広い芝生の庭には池と大きな物置小屋が建っている。
金子は鉄パイプ製の門の扉を開けると10メートルも歩いてから玄関のベルを鳴らした。
「いらっしゃい」
すぐにドアを開けて笑顔の雅人が金子を出迎えてくれた。
「応接室は編集者が使っているからペントハウスに行きましょうか」
金子は雅人の後をついて長い廊下を歩いて行った。
左側のドアを開けると一、二階が吹き抜けになった大きな部屋で、金子も見覚えがあるアシスタント達が漫画原稿を描いていた。
みんな必死の形相で漫画を描いていて誰も二人の方を見向きもしなかった。
「ここが仕事場です。二階は手塚先生だけの仕事場です」
雅人と金子は螺旋階段を上がって二階に行くと、机とテレビが置いてあり床には布団が引いてあった。
「相変わらず手塚先生は寝ながら漫画を描いているのですか?」
「ええ。いつも座りっぱなしだと腰が痛いので楽な姿勢で描いていますよ。本物の手塚治虫はステレオでクラシックを聞きながら描いたそうですが、治美はテレビの音を聞きながら描いています」
「この前日本医科大学の教授が命名した『ながら神経症』ってやつですね」
「治美がいませんね。ペントハウスの方かな?」
二人が螺旋階段をさらに上ってペントハウスに行くと、赤いベレー帽をかぶり黒縁メガネをした治美が床に寝転んで居眠りをしていた。
「おい、起きろよ。金子さんが来てくれたぞ」
雅人が治美の肩をちょっと揺さぶると、パッと治美が目を覚ました。
「金子さん!いやあ、どーもどーも!お待ちしていました」
「お久しぶりです、手塚先生。お疲れのようですね」
「貧乏暇なしですよ、ワッハッハー!金子さん、サンデーの『海の王子』、大好評ですね」
「ありがとうございます。先生の『0マン』もいよいよ物語が佳境に入りましたね。私、昔読んだはずなのに毎週ワクワクして読んでいます」
「『0マン』は年内に終らせて来年からは『キャプテンKen』の連載をします。読者クイズで『キャプテンKen』の正体を募集するんですよ」
「知ってますよ。沢山の応募があった中、二人だけ『キャプテンKen』の正体を当てた子がいたんでしょ。私も応募しようかな」
「金子さんはダメですよ。読んだことあるんだからズルしちゃダメよ」
「ハハハハ!」
「あー、お二人とも楽しくマニア談義をしているところ悪いのだが…」
雅人が二人の間に割って入った。
「マニアでなく『オタク』って呼んでよ」
「手塚先生。まだその呼び方は日本にはないですよ、70年代まで待たないと」
「あら、そうなの?いっそ『オタク』って呼び名も手塚先生が考えたことにしちゃおうかな。もう日本のマンガもアニメもすべて手塚先生が作ったことにしちゃおうよ」
「それはいいアイデアですね。でしたら未来世界のいろんなことも予言していったらどうですか。スマホとかインターネットとかAIとかの用語や概念を先生の漫画の中に取り入れるんです」
「さすが金子さん!そうしたら手塚先生がより一層神格化されるわね!」
「ちょっと待てよ!」
再び雅人が二人の話を止めた。
「今日はそんな話をしに来たわけじゃないでしょ。お二人ともお忙しいのですから早く本題に入りましょう」
「はいはい。そうでした、そうでした。この時代のアニメに詳しい金子さんに助言してもらうために来てもらったのよね。わたしは手塚先生の漫画のことしか知らないから」
「わたしもアニメの歴史と言っても手塚先生関連のことしか知りませんよ」
「それで充分ですよ。よろしくお願いしますね、金子さん」
治美と金子はそれぞれのコミックグラスを起動し操作を開始した。
「えーと、まず年表によると昭和36年に手塚先生は自分のプロダクションである手塚プロダクションに動画部を設立します。翌年に動画部を『虫プロダクション』と改名、4月に虫プロ第一スタジオが完成するわ。そこで実験作『ある街角の物語』の映画班と商業用アニメ『鉄腕アトム』のテレビ班を作るそうよ」
早口で喋る治美の言葉を雅人は手早くメモしていった。
「そして、昭和37年11月5日、銀座のヤマハホールで第一回虫プロダクション作品発表会で『ある街角の物語』と『鉄腕アトム』を発表します!」
「おおっ!」
金子が興奮して拍手をした。
「『ある街角の物語』は38分のカラー映画で、第17回毎日映画コンクール、第1回大藤信朗賞、年第17回芸術祭奨励賞、第13回ブルーリボン教育文化映画賞を受賞します」
「この映画は治美のコミックグラスの中に動画ファイルがあるんだよな?」
「うん。だから丸々トレースすることはできるわ」
「だったら治美がストーリーボードさえ描いたら、後は優秀なスタッフを集めて何とかなりそうだな」
「次に『鉄腕アトム』は昭和38年1月1日にフジテレビ系で日本初の30分テレビアニメシリーズとして放送を開始するわ。でも、金子さん、アトムのアニメってどうして絵が白黒なの?」
「テレビがモノクロ放送しかやっていないからですよ」
「あっ、そっか!じゃあセル画も白黒でいいから楽だわね。そしてアトムは昭和41年12月31日に最終回を迎えます。全193話で最高視聴率40.7%、平均視聴率は27.4%」
「私はリアルタイムでアトムの最終回『地球最大の冒険』は観ましたよ。地球を滅亡から救うため、単身ロケットを抱えて太陽に突っ込んでいくアトムの後ろ姿!泣いたなあ!」
「えっ!?アトムって最後、殺しちゃうのか?」
雅人が驚いてメモの手を止めた。
治美と金子は何をいまさらといった表情で雅人を見た。
「『西遊記』でヒロインのリンリンを殺そうとした時は怒られちゃったからね。自分の作ったアニメだったら誰にも文句言われないでしょ」
「いや、視聴者が文句言うだろうが。金子さんだってアトムが死んで当時悲しかったのでしょ?」
「日本初のテレビアニメの主人公を最終回で殺してしまうなんて手塚先生の面目躍如ですね!素晴らしい!」
相談する相手を間違えたかもと雅人は不安を覚えるのだった。
一段高くなった駅のホームから藤子不二雄こと金子俊夫はあたりを見回した。
駅前通りには古ぼけた家が並ぶだけで家の後ろには畑しかなかった。
のどかな田園風景が広がり、すぐそばの草地には乳牛が数頭草を食んでいた。
「本当にここは東京なのかな?」
金子が焼けつくような真夏の陽射しを浴びながら線路沿いに10分程歩くと、治美の新居が見えて来た。
治美の新居は畑の真ん中に建てられた二階建ての白いコンクリート造りのモダンな家だった。
屋上にはペントハウスもあり、広い芝生の庭には池と大きな物置小屋が建っている。
金子は鉄パイプ製の門の扉を開けると10メートルも歩いてから玄関のベルを鳴らした。
「いらっしゃい」
すぐにドアを開けて笑顔の雅人が金子を出迎えてくれた。
「応接室は編集者が使っているからペントハウスに行きましょうか」
金子は雅人の後をついて長い廊下を歩いて行った。
左側のドアを開けると一、二階が吹き抜けになった大きな部屋で、金子も見覚えがあるアシスタント達が漫画原稿を描いていた。
みんな必死の形相で漫画を描いていて誰も二人の方を見向きもしなかった。
「ここが仕事場です。二階は手塚先生だけの仕事場です」
雅人と金子は螺旋階段を上がって二階に行くと、机とテレビが置いてあり床には布団が引いてあった。
「相変わらず手塚先生は寝ながら漫画を描いているのですか?」
「ええ。いつも座りっぱなしだと腰が痛いので楽な姿勢で描いていますよ。本物の手塚治虫はステレオでクラシックを聞きながら描いたそうですが、治美はテレビの音を聞きながら描いています」
「この前日本医科大学の教授が命名した『ながら神経症』ってやつですね」
「治美がいませんね。ペントハウスの方かな?」
二人が螺旋階段をさらに上ってペントハウスに行くと、赤いベレー帽をかぶり黒縁メガネをした治美が床に寝転んで居眠りをしていた。
「おい、起きろよ。金子さんが来てくれたぞ」
雅人が治美の肩をちょっと揺さぶると、パッと治美が目を覚ました。
「金子さん!いやあ、どーもどーも!お待ちしていました」
「お久しぶりです、手塚先生。お疲れのようですね」
「貧乏暇なしですよ、ワッハッハー!金子さん、サンデーの『海の王子』、大好評ですね」
「ありがとうございます。先生の『0マン』もいよいよ物語が佳境に入りましたね。私、昔読んだはずなのに毎週ワクワクして読んでいます」
「『0マン』は年内に終らせて来年からは『キャプテンKen』の連載をします。読者クイズで『キャプテンKen』の正体を募集するんですよ」
「知ってますよ。沢山の応募があった中、二人だけ『キャプテンKen』の正体を当てた子がいたんでしょ。私も応募しようかな」
「金子さんはダメですよ。読んだことあるんだからズルしちゃダメよ」
「ハハハハ!」
「あー、お二人とも楽しくマニア談義をしているところ悪いのだが…」
雅人が二人の間に割って入った。
「マニアでなく『オタク』って呼んでよ」
「手塚先生。まだその呼び方は日本にはないですよ、70年代まで待たないと」
「あら、そうなの?いっそ『オタク』って呼び名も手塚先生が考えたことにしちゃおうかな。もう日本のマンガもアニメもすべて手塚先生が作ったことにしちゃおうよ」
「それはいいアイデアですね。でしたら未来世界のいろんなことも予言していったらどうですか。スマホとかインターネットとかAIとかの用語や概念を先生の漫画の中に取り入れるんです」
「さすが金子さん!そうしたら手塚先生がより一層神格化されるわね!」
「ちょっと待てよ!」
再び雅人が二人の話を止めた。
「今日はそんな話をしに来たわけじゃないでしょ。お二人ともお忙しいのですから早く本題に入りましょう」
「はいはい。そうでした、そうでした。この時代のアニメに詳しい金子さんに助言してもらうために来てもらったのよね。わたしは手塚先生の漫画のことしか知らないから」
「わたしもアニメの歴史と言っても手塚先生関連のことしか知りませんよ」
「それで充分ですよ。よろしくお願いしますね、金子さん」
治美と金子はそれぞれのコミックグラスを起動し操作を開始した。
「えーと、まず年表によると昭和36年に手塚先生は自分のプロダクションである手塚プロダクションに動画部を設立します。翌年に動画部を『虫プロダクション』と改名、4月に虫プロ第一スタジオが完成するわ。そこで実験作『ある街角の物語』の映画班と商業用アニメ『鉄腕アトム』のテレビ班を作るそうよ」
早口で喋る治美の言葉を雅人は手早くメモしていった。
「そして、昭和37年11月5日、銀座のヤマハホールで第一回虫プロダクション作品発表会で『ある街角の物語』と『鉄腕アトム』を発表します!」
「おおっ!」
金子が興奮して拍手をした。
「『ある街角の物語』は38分のカラー映画で、第17回毎日映画コンクール、第1回大藤信朗賞、年第17回芸術祭奨励賞、第13回ブルーリボン教育文化映画賞を受賞します」
「この映画は治美のコミックグラスの中に動画ファイルがあるんだよな?」
「うん。だから丸々トレースすることはできるわ」
「だったら治美がストーリーボードさえ描いたら、後は優秀なスタッフを集めて何とかなりそうだな」
「次に『鉄腕アトム』は昭和38年1月1日にフジテレビ系で日本初の30分テレビアニメシリーズとして放送を開始するわ。でも、金子さん、アトムのアニメってどうして絵が白黒なの?」
「テレビがモノクロ放送しかやっていないからですよ」
「あっ、そっか!じゃあセル画も白黒でいいから楽だわね。そしてアトムは昭和41年12月31日に最終回を迎えます。全193話で最高視聴率40.7%、平均視聴率は27.4%」
「私はリアルタイムでアトムの最終回『地球最大の冒険』は観ましたよ。地球を滅亡から救うため、単身ロケットを抱えて太陽に突っ込んでいくアトムの後ろ姿!泣いたなあ!」
「えっ!?アトムって最後、殺しちゃうのか?」
雅人が驚いてメモの手を止めた。
治美と金子は何をいまさらといった表情で雅人を見た。
「『西遊記』でヒロインのリンリンを殺そうとした時は怒られちゃったからね。自分の作ったアニメだったら誰にも文句言われないでしょ」
「いや、視聴者が文句言うだろうが。金子さんだってアトムが死んで当時悲しかったのでしょ?」
「日本初のテレビアニメの主人公を最終回で殺してしまうなんて手塚先生の面目躍如ですね!素晴らしい!」
相談する相手を間違えたかもと雅人は不安を覚えるのだった。
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