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ミルクティーはとびきり甘くして

彼女と俺 2

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 鏑木が働きだして、早くも一年が過ぎた。俺に対する失礼極まりない態度で接客なんてできるのだろうかと心配だったけれど、人の懐に入るのがうまいようで、鏑木のおかげで常連客が増えたように感じる。

「なあ、鏑木よ。俺の顔はそんな怖いか?」

 ランチタイムが終了し、賄いを頬張る鏑木に問いかける。

「店長、残念ながら熊のように怖いですよ。笑顔の練習したほうがいいです」

 ああでも、と鏑木は口元のソースを拭って話を続ける。

「あの子のこと見てほんわかしてる店長はちょっとかわいいです」
「は? かわいい? 俺が?」

 鏑木に詰め寄ると「その顔は怖いって」とデコピンを食らわされた。

「なんか、優しい顔してるんですよ。あ、店長。新しい情報仕入れたんですけど、知りたいですか?」

 どうせまた大した情報じゃないんだろうと思いながらも、彼女のことをもっと知りたいという気持ちもあり、曖昧に頷く。

「ランチメニューの中では、オムライスが好きだと言ってました。あとミルクティーを飲む時間は至福の時、だそうです」

 鏑木はパチンとウインクをした。
 彼女は俺が作ったオムライスが好き。
 俺が淹れたミルクティーを飲む時間が至福の時。
 それは、すごくいいな。
 もしも、目の前で俺が作ったオムライスを食べて、ミルクティーを飲んで、あの笑顔を見せてくれたら。

 カシャッという音に鏑木のほうを向くと、スマートフォンを構えて満足そうにしている。「めっちゃいい顔撮れましたよ」と今しがた撮影したのであろう写真を見せてくる。間違いなく俺の顔だったが、締まりがなく、だらしない顔をしていた。

「これです。この顔超かわいい」

 こんな顔で彼女を見つめていたのかと思うとぞっとする。怖がられるのと気持ち悪がられるのならどちらがマシだろうか。……どちらも最悪だ。

◇◇◇
 その日、彼女は店に来なかった。もちろんずっと見張っていたわけではないが、鏑木からのうっとうしい報告もなかったし、来ていないのだろう。風邪でもひいたのだろうか。それとも別の店で食事を済ませたのだろうか。ぼんやりとしながら皿洗いを終わらせる。

「店長、牛乳切れてますよ。なしでディナーやります?」
「……いや、買ってくる」

 正直、牛乳が必要なメニューはさほどない。最悪「今日は牛乳切らしてます」で乗り切ることもできる。でも、もしかしたら彼女がディナータイムに来て、ミルクティーを頼むかもしれない。そう思ったらちゃんと準備しておきたいと思った。……来るかどうかなんてわからないのに。

 ディナータイムまで三十分。駅前のスーパーに駆け込んだ。
 牛乳売り場はなぜかスカスカで、最後の一本がさみしそうに残っていた。手を伸ばそうとした瞬間、小柄な女性がそれをひょいと持ち上げてカゴに入れてしまった。

「あああっ」

 思いがけず大きな声が出てしまい、牛乳をカゴに入れた女性が振り返った。……彼女だった。一歩近づくと、彼女は怯えたような表情で俺を見上げた。

 やっぱり彼女も俺の顔が怖いんだな。もしかしたら、俺のことを知ってて、笑いかけてくれるんじゃないかって期待している自分がいた。でも現実はそう甘くなくて、胸がどうにも苦しくなった。
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