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浮上

0.06 思い出を植え付けるように

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「もぉ~、今日だって言ってあったじゃ~ん」

 しばらくして、魁さんの声が厨房の奥から聞こえてきた。そして、もう一人分「悪かったよ」と今度は低い声が聞こえてくる。

「俺下っ端だから誰もいないと心許ないよ」

「下っ端? 何処が。僕よりよっぽどちゃんとやってる」

「そーぉ?」

「そうだよ」

 少しして奥のドアが開いて、そこからティーセットを持った魁さんが出てくる。そしてその後ろから、赤いメガネをした背の高いグレーの髪を真ん中分けのボブにした綺麗な男の人が一緒に入ってきた。

 Tシャツにスキニー姿の魁さんと違って、その人は白い薄汚れたツナギを着ている。

 魁さんが慣れた手つきでお茶を配って、さっき座っていた席に座る。隣にツナギのその人も静かに腰掛けた。

琉央るおくん、この子が今日からよろしくする子だよ」

 魁さんがそう言ってオレを紹介してくれる。

「どうも」と会釈すると、少し遅れて「あぁ」と低い声で返事が返ってきた。

 なんだか怖い間だった。しかも無表情。魁さんと対照的で、何を考えているんだかわからない顔だ。

 オレが固まっていると魁さんが楽しそうにくすくす笑いながら「ほら」とその人を肘で小突いた。

「琉央くん、自己紹介。どーぞ」

「調子が狂う。やめてくれ」

 そう言いながら、その人は小さくため息をついた。

「僕はつとう琉央るお。今日からよろしく」

 オレは、あ、と素っ頓狂な声を出しながら「暁星一也です。よろしくお願いします」と口早に呟いた。

 すると、傳さんは「ふーん」と言いながらオレのことを無表情でじっと見つめてくる。

 気まずい。オレは思わず奥歯を噛んだ。

「琉央くん」魁さんが机に肘をつきながら傳さんに声をかける。

「好きな食べ物」

「は?」

「はやく~、自己紹介して。はい、琉央くんの好きな食べ物は?」

 傳さんは納得のいかない表情をしながら少し思案するように目線を机の端に逸らした。

「……しょうゆ味のもの」

「あははは~っ、知ってた~~」

 傳さんの言葉に魁さんはけらけらと笑って「あははは! 面白いでしょ? この人」とオレに言った。オレはイマイチ頭が追いつかなくて眉間にシワを寄せて首をかしげる。

「そんなに面白い?」傳さんが言った。

「え、だって味だよ? 面白くない?」

「不思議な人だね君は」

「そだねー不思議だねー。そんな不思議な俺なんかが相棒で琉央くんも不思議な人だよ~」

「そもそもここにいるやからは全員好事家の皮をかぶった摩訶不思議な奴ばっかりだろう」

「確かに~、ウケんね」

 オレは相変わらずその会話に追いつかなくて眉間にシワを寄せる。それでも、なんとなく魁さんが気を遣ってくれたんだということがわかって、少し申し訳ない気持ちになった。

 下を向いていたら、ひとしきり笑った魁さんが「そうだ」と思い付いたように呟いた。

「ごめんね、一也」

 不意に名前を呼ばれて、慌てて姿勢を正す。

「あと1人いるんだけど、今外に出てるの忘れてた。戻ってきたら紹介するね。その人がここのリーダーだから」

「リーダー……」オレが小さく呟くと、魁さんは「大丈夫だよ~」と笑った。

「リーダーって言っても大柄なおじさんとかじゃないから。一応男だけど~……どっちかっていうと俺たちの中で一番なよなよしてるかも、ウケる」

「アイツに怒られる」

「何言ってんの琉央くん。シュンちゃんだよ? 大丈夫大丈夫~」

 魁さんと傳さんの会話にオレは「へぇ」と相槌を打ってその姿を想像した。

 なよなよ、というのはどういう事なんだろうか。考えてはみたけど、そもそも、これからオレがする仕事の内容自体よく分からなくて、正解にたどり着く事ができなかった。

 それに目の前の二人からも、仕事の内容は全く見当がつかなかった。

 国の機密に関わるような仕事であるらしい。なのに、一人は派手な見た目だし、もう一人はどちらかというとエンジニアや技術屋のような印象だ。
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