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浮上

0.13 たった一瞬で消えていくから

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———————— カチャ


 ドアの方から音がした。はっとした。琉央さんだ、と思った。

 鈍い体を必死に動かして、急いで移動させた荷物を元に戻す。後ろに落ちた荷物を適当に上に乗せ直した。

 琉央さんに怒られるかな。勝手に荷物を触るなんて。何て言い訳しよう。

 ぐるぐる頭の中で考えながら、勢い良く振り返った。

「誰……?」

 そう、思わず口に出た。

 目の前にいたのは、琉央さんではなかった。

 白い薄ら桃色がかったメッシュの髪をした、男の子がドアの前に立っていた。

朱鷺色ときいろの目が暗がりの中からに光っている。見えるのは右目だけで、左目は髪に隠れて見えない。

 そして、白い髪と肌に赤いものが点々と飛び散っているのが見える。着ている黒いコートにも同じようにシミがこびりついている様に見えた。

 返り血だろうか。咄嗟にそう思って恐怖で背筋が凍った。

「ねぇ」

 声をかけられる。少年の様な、でも声変わりした後の不思議な高さの声だった。

「君…………、誰?」

 驚いたような、怪訝そうな顔でその人が首を傾げる。そして、少しずつ、確実に間合いを詰められる。

「オレは……———— 」

 言いかけた。けれど、一瞬でその声は物理的に閉ざされた。

「———— っ!」

 ドンッ、と背中に強い衝撃があった。

 一瞬遅れて、火傷でただれた皮膚が引き裂かれるように痛んだのを感じた。

 苦しい。

 馬乗りにされて、首を真っ向から思い切り掴まれたのを数秒して認識した。

 息がだんだん出来なくなる。

 けれど、手加減されているのを感じる。あとほんの少しで息が途切れる。ギリギリで加減されているみたいだ。

 あと少しで殺される気配がする。冷や汗が噴き出す。細いピアノ線みたいな手だと思った。

「君は誰?」

「———— ……っ」

「…………僕たちの住処をどうやって調べ出した?」

「—————— っ」

「君は……どうやってここまで来たの?」

「—————— 」

「君は…………?」

 オレは言葉を発する事が出来ない。喉の奥から、ひゅうっと息が漏れる音がする。

「まぁ」と、彼が言う。

 ぼやける視界の端で、光る朱鷺色の右目が、怖い程虚に見えた。

「……調べれば、わかることだね」

 一気に喉が締め付けられる。息が止まる。身体中の力が抜けていく。

「ここは立ち入り禁止だ、少年」

 意識が、一瞬遠退いた。



「シュン」

 琉央さんの声が聞こえた気がした。

 その瞬間喉の締め付けが緩んで、オレは思いっきり息を吸う。

「っ……げほっ、げほっ……く……けほっ」

 頭に一気に血が昇る。喉の粘膜が空気に触れて、痛くて大きく咽せた。

「琉央……」

 オレに馬乗りになったまま、その人が驚いたようなぼっとしたような顔で琉央さんを見ていた。

 そして「取り敢えず上から降りろ」と琉央さんに促されて、はっと気が付いたようにその人がオレの上から降りた。

「真っ先にここに帰ってくると思わなかった」

 琉央さんは少し、けれど多分すごく困った顔でオレに近寄って、咽せるオレをゆっくり起こしてくれた。

「大丈夫?」と尋ねられて、オレは咽せながら何回か頷いた。

「ごめん、悪い事をした。気が利かなかった」

 琉央さんの言葉に、オレはよく分からなくて今度は首を横に振る。

「誰?」

 眉間にシワを寄せたその人が、オレを指差して琉央さんに尋ねるのが見えた。

 怖い。

 咽せながら、改めてまじまじと見る。人形みたいな顔だ。肌が透き通るほど白くてぞっとする。何歳なんだか分からないし、ともすれば男女どちらかもよく分からない。

 怯えるオレを他所に、琉央さんは小さく溜息を吐いた。

「今日来る予定だった新人だよ」

「えっ!」

 物凄く驚いた顔だ。そして少し間をおいて、その人が急に申し訳なさそうな顔になってオレを見た。

 さっきまでの恐ろしい人形みたいな顔とは打って変わって、いたずらをして怒られたあとの犬みたいなわかりやすい顔だ。

 なんて表情がころころ変わる人なんだろう。

「なんだっ……そうだったの……。あんまりにも、その…………、驚かせたね。本当に、本当にごめんね。えっと、ここは誰も入れないようにしていたから、つい……」

 その人はオレの隣に正座して、しきりにオレに謝ってくる。

 オレはその変わりように、一言「いや」と呟くことしか出来なかった。

「君は後で魁に叱られろ」琉央さんが言った。

「……琉央は僕を叱らないんだね」

「僕がいくら憤慨して、努めて語気を強めても、君には何も伝わらない」

「さみしい事言う……」

「どっちが」

 琉央さんとそうやって言い合う姿を眺めながら、オレはぼうっとそこに座り込む事しか出来なかった。

 よもや、この人がオレの相棒になるとは。

 この時のオレは、全く想像もしていなかったのだ。
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