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第一話:予期せぬ少女の勧誘
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大石佑太は、自転車を所定の場所に停めて校舎に向かって歩き始めた。舗装されたアスファルトの道の上には、早朝のひんやりとした空気が漂っている。
辺りを見ると、同じく登校して来た他の生徒たちの姿もパラパラと目に入って来る。歩きながらさり気なく各々に目を配ってみたが、まだ名前も知らない顔がほとんどだった。
まだまだ寝足りないようなぼんやりとした顔、明るく溌剌とした顔、友人と親しげに話しながら時折笑みを見せる顔、様々だ。
やがて校舎の玄関口が視界に入り、佑太は扉を静かに開けて中へ入った。下駄箱でスニーカーを脱ぎ、上履きに履き替えて教室へ向かう。
佑太は春からこの、神奈川県横浜市内に校舎を構える私立・明成高等学校に通い始めた。佑太が振り分けられたのは一年六組。同じ中学の出身は自分の他に三名のみで、それ以外は全く新しい顔ぶれとの新生活が始まった。
入学式は昨日のことのように思えるが、あっという間に入学から一ヶ月半が経っていた。新入生一同、初めこそ周囲の様子を伺いながらソワソワして過ごしていたが、部活や性格、学力といった諸々の条件を元に、みな自然と自分の属するべきコミュニティを見つけ出し、徐々に学校生活は落ち着きを見せ始めていた。
佑太はと言えば、部活に入ることもなく気ままに高校生活を謳歌していた。クラス内にも同じように部活に入らず、汗水垂らすのとはまた別の形で、一度しか無い高校時代の青い春を満喫しようとする面々がいた。幸いにも佑太は、その中の男子と非常に馬が合った。
特に仲良くなったのが溝口慶太、仲本章人、小野光太郎の三人だ。この四人組は、自由な時間があれば必ずと言っていいほど行動を共にしてつるんでいた。授業の間の休憩時間には連れ立ってトイレに行き、昼は食堂やコンビニで一緒に腹を満たし、放課後は自転車を乗り回して宛もなく街をうろついた。
その四人で一緒にいる時間はこの上なく楽しく快適だった。リーダーシップがあり、終始威勢の良い慶太。話術が巧みで、盛り上げ上手な章人。マイペースで、どこか天然なところもある光太郎。
趣味も性格も違う四人だったが、一人一人がパズルのピースのようにぴったりとはまり、調和していた。ずっとこんな時間が続けば良いのにと、佑太はぼんやりと思っていた。
チャイムの電子音が静まり返る校舎内に響いた。
「そこまで。じゃあ、解答用紙を前に回してくださいね」
前で退屈そうに本を読んでいた初老の男性教諭が立ち上がり、クラス内の生徒たちに声を掛けた。
「ふう」
佑太は机の上に突っ伏して長い息を吐いた。三日間に渡る初めての中間テストを終え、佑太は机の上で開放感に包まれていた。解答用紙を前に送ると、左斜め前の席の章人がこちらを振り向いた。
「やっと終わったな」
「ね、長かった」
「これでしばらく勉強のことは考えなくて良いな」
章人はしみじみとした顔をわざとらしく大げさに浮かべて見せる。その顔は滑稽で、くすりとした小さな笑いがこみ上げてくる。
「カラオケでも行って思いっ切り騒ぎたいね」
「だな」
集まった解答用紙が入った包みを小脇に携えて男性教諭が教室から出ていくと、すぐに慶太と光太郎もこちらの席にやって来た。
「お疲れ」
「もう訳分かんなかったあ」
「ほんとな」
「そんなことどうでも良いだろ。今日はパーッと行こうぜ」
佑太たちは手早く荷物をカバンに詰め込み、いの一番に教室を出て行った。教室を出て長い廊下を先頭で歩き出した佑太は、窓の外に見える景色を眺めながら歩いた。終わりに差し掛かった春のからっとした陽射しが、色鮮やかな校内の庭に差し込んでいた。
「あっ、待って!」
廊下の突き当たりの角を曲がってすぐの所で、佑太は前から歩いて来ていた少女に唐突にぐいと手を掴まれた。
「えっ……!」
佑太は不意の出来事に戸惑いの表情を浮かべた。少女はそんな気持ちにはお構いなく、佑太の顔をじっと見つめていた。
「もしかして、きみ、大石佑太くん?」
「……そ、そうだけど?」
「ラッキー。私ちょうど君を探しに教室に行こうと思ってたところだったんだ」
「え……なんで?」
唐突なカミングアウトに佑太は驚きを隠せなかった。
俺を探してた?
一体何のために?
「ちょっとだけ、時間もらっても良いかな?」
「別に良いけど……」
「良かったあ」
少女は無邪気な笑顔を見せた。
「おいおい佑太。何だこれは」
「もしかして、もしかするんじゃないの」
周りの三人はこの状況にすかさず飛び付き、佑太を囃し立てた。悔しいが、その臨機応変な対応力は見事なものだと認めざるを得ない。
「いや、ちょっと待ってよ。俺は何が何だか……」
「良いって良いって。とりあえず俺たち先行ってるから! また後でラインくれよな」
三人は佑太とその少女を置いてそそくさと階段を降りて行った。人の気も知らないで呑気なものだ。まあでもこの際仕方がない。佑太は改めて少女と向き合った。
「……で、何の用なのかな?」
「うーんと……ここで立ち話もなんだから、ちょっと空いてる教室探して入ろっか」
少女はそう言うと佑太たちの来た角を曲がり、教室を一つ一つ見て歩き出した。佑太も仕方なくそれに従い、少女の後を追った。
「あ、ここ空いてる。ここにしよっか」
少女は『講習室B』と記載されたプレートの下でこちらに向かって手招きをした。佑太は誘われるままにその教室の中へと入った。ガラガラと扉を引き、後ろで少女が教室の戸を締めた。
佑太は適当に黒板の方に歩いて行き、教壇に軽くもたれ掛かりながら少女の方を見た。
「じゃあ、教えてもらおっかな。一体俺に」
「バスケットボール、好きだよね?」
食い気味な少女の問いかけに、佑太は虚をつかれた。
「え……?」
「バスケ。好きでしょ?」
驚きの感情に少し遅れながら、苦々しいものが胸の中にじわっと広がっていった。
「いや、勝手に決めつけられても……バスケなんか興味もないよ」
声が思わず上ずった。佑太は教壇に預けていた体を起こし、黒板の方に体を向けて少女から視線をそらした。自分でも気付かない内に、両の拳をぎゅっと握り締めていた。
「絶対ウソだ! だって……」
少女は右肩にさげていたバッグの中に手を入れて、一冊の雑誌を取り出した。
「これ、去年の九月の月刊バスケットボール」
そのまま雑誌の中をパラパラと開き、とあるページで手を止めた。佑太の中に芽生えていた嫌な予感は、この時点でほぼ確信に近いものに変わっていた。
「去年の全国中学生大会の特集ページがあるんだけどね、準優勝の竹早中学のエースで、大会の得点王にもなった選手の名前が……」
少女は紙面から視線を外して佑太の横顔をまじまじと見つめた。
「大石佑太」
佑太は口元を真一文字に結び、半ば睨むような顔で黒板を見つめていた。
「ここに写真も載ってる。間違いなく、これはきみ」
少女は佑太に近づき、黒板に向けられていた視線を遮って雑誌をぐいとこちらに見せてきた。佑太は言葉を返すことができずにいた。
「『優勝は逃したが、個人としての能力は傑出していた。間違いなく今大会のベストプレイヤー』って、記事にも書いてある。それほどの実力があるのに、何故かそれ以降すっかり姿を消して話題になった選手、大石佑太。まさか同じ高校に通ってるなんてね……この前偶然校舎内で顔を見かけた時はびっくりしちゃった」
「……だったら、何だって言うのさ」
「え……?」
「俺がその雑誌に載ってる選手だったとしても、そんなこときみには関係ないだろ」
佑太はぶっきらぼうに言い放った。
「関係大有りだよ!」
その佑太の言葉に、少女は声を大にして異を唱えた。
「ごめん、なにも説明してなかったけど、わたし鈴村未央って言います。いま、バスケ部のマネージャーをやってるんだ」
少女はようやく自らの素性を明かした。
「マネージャーとして、中学ナンバーワン選手だった大石くんを勧誘しない訳にはいかないよ。バスケをやめちゃった理由は分からないけど、ねえ、うちのバスケ部でもう一回バスケをやってみない? ていうか、お願いします! バスケ部に入ってください」
未央は胸の前で両手を合わせ、佑太にぺこりと頭を下げて懇願した。佑太はしばらくその姿をじっと見つめ、やがてゆっくりと口を開いた。
「ごめん、俺はもうバスケには関わらないって決めてるんだ」
「そんな……日本一の選手って言われるくらいなのに」
顔を上げた未央は、腑に落ちないという内面の感情を隠そうともせずに全身から滲ませていた。
「練習を一回見学に来てもらうのも、だめ?」
「いや……」
「お願い! 一回だけで良いから!」
そう言って顔の前で両手を合わせられると、無下に断るのも気が引けてくる。初対面であっても臆することのない未央の性格を、佑太は羨ましくさえも感じた。それでもやはり、ずっと距離を置いているバスケットコートに再び向かう気には到底なれなかった。
「悪いけど、俺のことは諦めて。もう決めたことだから」
そう言うと佑太は、残念そうな顔を見せる未央の横を通り抜け、教室を後にした。そのまま急ぎ足で下駄箱へと向かいながら、「どこにいる?」と慶太にラインを送った。ちょうど下駄箱から靴を取り出すタイミングで、慶太から「駅前のマック。早く来いよ」と返信が届いた。佑太はスニーカーに履き替えて玄関を飛び出し、自転車にまたがって駅前に向かってペダルを漕ぎ始めた。
自転車を停めて店内に入ると、すぐにテーブル席の三人の姿が目に入って来た。こちらに気付いた光太郎が手を上げて合図をくれる。
「どうだった? 告られたのか?」
席に着くなり章人がにやけた笑いを浮かべながら聞いてくる。無理もない、告白や付き合うと言った恋愛イベントは、この世代の少年・少女たちにとって最大の関心事だ。だが残念ながら、佑太は今回はその期待に応えることは出来ない。
「いーや、全くそんな浮ついた話じゃなかったよ」
「なんだ、つまんねえの。じゃ、むしろどんな話だったんだ?」
「んーまあ、どこか部活に入る気はあるのかって感じの話だったね。帰宅部で青春を満喫しますって言っといたよ」
佑太は少し事実をぼやかして話した。あまりこの話題を続けたくはなかった。
「へえ、すげえ、スカウトじゃん。でも何でまた佑太にピンポイントで?」
「あの子、バスケ部のマネージャーの鈴村未央だろ?」
光太郎が佑太と章人の話に割って入ってきた。
「ああ、それでか。佑太、昔ちょっとバスケやってたって言ってたもんな。でもそんな情報どこで仕入れて来たんだろうな」
「てかさ、ほんと可愛いよな、鈴村。もう学年内でもかなり有名らしいぜ」
「確かにそれは言えてる。ちらっとしか見れてないけど、目に焼き付いてるもんな」
「だろ? 俺もバスケやってたらなあ」
佑太にとっては好都合なことに、章人はバスケの話は脇に置き、光太郎の持ち出した俗な話題に飛びついた。話題はそのまま、学年内で可愛い女子は誰なのか、というテーマに移っていった。
男って単純な生き物だな。佑太は思った。
このまま未央との出来事が曖昧なまま流れ去って行くことを、佑太は心の中で密かに祈った。と同時に、珍しく会話に加わらずにコーラのストローを口に咥えてぼんやりとしている慶太のことが気にかかった。
「どうしたんだよ慶太、珍しく静かじゃん。もしかしてテストの出来が相当悪かったり?」
佑太は少しおちょくるような口調で慶太に話しかけた。
「……ん? ばーか、テストの出来なんかどうでも良いよ。ちょっと考え事してただけだよ」
「お、慶太が考え事? 珍しいじゃん」
すかさず章人が茶化しに入る。
「俺だって考え事くらいするに決まってんだろ」
「なあなあ」
再び光太郎が話に割って入った。光太郎のマイペースさはいつだって崩れない。
「あそこにいるの、うちのクラスの横山じゃない?」
光太郎が指差す方に三人は一斉に視線を向けた。見ると、明成高校の制服を来た女子四人がテーブル席にちょうど座る所だった。その女子四人組の中で、右奥の席に座ったのは確かに同じクラスの横山葉月だった。
「ほんとだ。横山って確かバスケ部だったよな。女バス、今日は練習休みなんだな」
章人が声のボリュームを幾分落としながら言い、続けて「そう言えば」と口にした。
「横山って、佑太と同じ中学だったよな確か?」
「……ん、ああそうだよ」
「横山も良いよなあ、スタイル良くて顔も整ってるし。人気出そうじゃない?」
「まあ横山はバスケ一筋って感じだからね。そういうの興味ないと思うよ」
「まじか。本気出したら読者モデルとかやれそうなのにな」
光太郎が呆けた顔で女子たちのテーブルを見ながら言った。佑太は「どうかなあ」と適当に会話を流した。
結局佑太たちはそのまま四人でだらだらと喋り、その後カラオケに繰り出して思い切り歌い騒いだ。未央との遭遇は予期せぬ出来事だったが、しばらく続いたテスト期間がやっと終わったのだ。テスト期間前と変わらない気ままな日々が戻って来た嬉しさと開放感を、佑太は存分に噛み締めていた。
辺りを見ると、同じく登校して来た他の生徒たちの姿もパラパラと目に入って来る。歩きながらさり気なく各々に目を配ってみたが、まだ名前も知らない顔がほとんどだった。
まだまだ寝足りないようなぼんやりとした顔、明るく溌剌とした顔、友人と親しげに話しながら時折笑みを見せる顔、様々だ。
やがて校舎の玄関口が視界に入り、佑太は扉を静かに開けて中へ入った。下駄箱でスニーカーを脱ぎ、上履きに履き替えて教室へ向かう。
佑太は春からこの、神奈川県横浜市内に校舎を構える私立・明成高等学校に通い始めた。佑太が振り分けられたのは一年六組。同じ中学の出身は自分の他に三名のみで、それ以外は全く新しい顔ぶれとの新生活が始まった。
入学式は昨日のことのように思えるが、あっという間に入学から一ヶ月半が経っていた。新入生一同、初めこそ周囲の様子を伺いながらソワソワして過ごしていたが、部活や性格、学力といった諸々の条件を元に、みな自然と自分の属するべきコミュニティを見つけ出し、徐々に学校生活は落ち着きを見せ始めていた。
佑太はと言えば、部活に入ることもなく気ままに高校生活を謳歌していた。クラス内にも同じように部活に入らず、汗水垂らすのとはまた別の形で、一度しか無い高校時代の青い春を満喫しようとする面々がいた。幸いにも佑太は、その中の男子と非常に馬が合った。
特に仲良くなったのが溝口慶太、仲本章人、小野光太郎の三人だ。この四人組は、自由な時間があれば必ずと言っていいほど行動を共にしてつるんでいた。授業の間の休憩時間には連れ立ってトイレに行き、昼は食堂やコンビニで一緒に腹を満たし、放課後は自転車を乗り回して宛もなく街をうろついた。
その四人で一緒にいる時間はこの上なく楽しく快適だった。リーダーシップがあり、終始威勢の良い慶太。話術が巧みで、盛り上げ上手な章人。マイペースで、どこか天然なところもある光太郎。
趣味も性格も違う四人だったが、一人一人がパズルのピースのようにぴったりとはまり、調和していた。ずっとこんな時間が続けば良いのにと、佑太はぼんやりと思っていた。
チャイムの電子音が静まり返る校舎内に響いた。
「そこまで。じゃあ、解答用紙を前に回してくださいね」
前で退屈そうに本を読んでいた初老の男性教諭が立ち上がり、クラス内の生徒たちに声を掛けた。
「ふう」
佑太は机の上に突っ伏して長い息を吐いた。三日間に渡る初めての中間テストを終え、佑太は机の上で開放感に包まれていた。解答用紙を前に送ると、左斜め前の席の章人がこちらを振り向いた。
「やっと終わったな」
「ね、長かった」
「これでしばらく勉強のことは考えなくて良いな」
章人はしみじみとした顔をわざとらしく大げさに浮かべて見せる。その顔は滑稽で、くすりとした小さな笑いがこみ上げてくる。
「カラオケでも行って思いっ切り騒ぎたいね」
「だな」
集まった解答用紙が入った包みを小脇に携えて男性教諭が教室から出ていくと、すぐに慶太と光太郎もこちらの席にやって来た。
「お疲れ」
「もう訳分かんなかったあ」
「ほんとな」
「そんなことどうでも良いだろ。今日はパーッと行こうぜ」
佑太たちは手早く荷物をカバンに詰め込み、いの一番に教室を出て行った。教室を出て長い廊下を先頭で歩き出した佑太は、窓の外に見える景色を眺めながら歩いた。終わりに差し掛かった春のからっとした陽射しが、色鮮やかな校内の庭に差し込んでいた。
「あっ、待って!」
廊下の突き当たりの角を曲がってすぐの所で、佑太は前から歩いて来ていた少女に唐突にぐいと手を掴まれた。
「えっ……!」
佑太は不意の出来事に戸惑いの表情を浮かべた。少女はそんな気持ちにはお構いなく、佑太の顔をじっと見つめていた。
「もしかして、きみ、大石佑太くん?」
「……そ、そうだけど?」
「ラッキー。私ちょうど君を探しに教室に行こうと思ってたところだったんだ」
「え……なんで?」
唐突なカミングアウトに佑太は驚きを隠せなかった。
俺を探してた?
一体何のために?
「ちょっとだけ、時間もらっても良いかな?」
「別に良いけど……」
「良かったあ」
少女は無邪気な笑顔を見せた。
「おいおい佑太。何だこれは」
「もしかして、もしかするんじゃないの」
周りの三人はこの状況にすかさず飛び付き、佑太を囃し立てた。悔しいが、その臨機応変な対応力は見事なものだと認めざるを得ない。
「いや、ちょっと待ってよ。俺は何が何だか……」
「良いって良いって。とりあえず俺たち先行ってるから! また後でラインくれよな」
三人は佑太とその少女を置いてそそくさと階段を降りて行った。人の気も知らないで呑気なものだ。まあでもこの際仕方がない。佑太は改めて少女と向き合った。
「……で、何の用なのかな?」
「うーんと……ここで立ち話もなんだから、ちょっと空いてる教室探して入ろっか」
少女はそう言うと佑太たちの来た角を曲がり、教室を一つ一つ見て歩き出した。佑太も仕方なくそれに従い、少女の後を追った。
「あ、ここ空いてる。ここにしよっか」
少女は『講習室B』と記載されたプレートの下でこちらに向かって手招きをした。佑太は誘われるままにその教室の中へと入った。ガラガラと扉を引き、後ろで少女が教室の戸を締めた。
佑太は適当に黒板の方に歩いて行き、教壇に軽くもたれ掛かりながら少女の方を見た。
「じゃあ、教えてもらおっかな。一体俺に」
「バスケットボール、好きだよね?」
食い気味な少女の問いかけに、佑太は虚をつかれた。
「え……?」
「バスケ。好きでしょ?」
驚きの感情に少し遅れながら、苦々しいものが胸の中にじわっと広がっていった。
「いや、勝手に決めつけられても……バスケなんか興味もないよ」
声が思わず上ずった。佑太は教壇に預けていた体を起こし、黒板の方に体を向けて少女から視線をそらした。自分でも気付かない内に、両の拳をぎゅっと握り締めていた。
「絶対ウソだ! だって……」
少女は右肩にさげていたバッグの中に手を入れて、一冊の雑誌を取り出した。
「これ、去年の九月の月刊バスケットボール」
そのまま雑誌の中をパラパラと開き、とあるページで手を止めた。佑太の中に芽生えていた嫌な予感は、この時点でほぼ確信に近いものに変わっていた。
「去年の全国中学生大会の特集ページがあるんだけどね、準優勝の竹早中学のエースで、大会の得点王にもなった選手の名前が……」
少女は紙面から視線を外して佑太の横顔をまじまじと見つめた。
「大石佑太」
佑太は口元を真一文字に結び、半ば睨むような顔で黒板を見つめていた。
「ここに写真も載ってる。間違いなく、これはきみ」
少女は佑太に近づき、黒板に向けられていた視線を遮って雑誌をぐいとこちらに見せてきた。佑太は言葉を返すことができずにいた。
「『優勝は逃したが、個人としての能力は傑出していた。間違いなく今大会のベストプレイヤー』って、記事にも書いてある。それほどの実力があるのに、何故かそれ以降すっかり姿を消して話題になった選手、大石佑太。まさか同じ高校に通ってるなんてね……この前偶然校舎内で顔を見かけた時はびっくりしちゃった」
「……だったら、何だって言うのさ」
「え……?」
「俺がその雑誌に載ってる選手だったとしても、そんなこときみには関係ないだろ」
佑太はぶっきらぼうに言い放った。
「関係大有りだよ!」
その佑太の言葉に、少女は声を大にして異を唱えた。
「ごめん、なにも説明してなかったけど、わたし鈴村未央って言います。いま、バスケ部のマネージャーをやってるんだ」
少女はようやく自らの素性を明かした。
「マネージャーとして、中学ナンバーワン選手だった大石くんを勧誘しない訳にはいかないよ。バスケをやめちゃった理由は分からないけど、ねえ、うちのバスケ部でもう一回バスケをやってみない? ていうか、お願いします! バスケ部に入ってください」
未央は胸の前で両手を合わせ、佑太にぺこりと頭を下げて懇願した。佑太はしばらくその姿をじっと見つめ、やがてゆっくりと口を開いた。
「ごめん、俺はもうバスケには関わらないって決めてるんだ」
「そんな……日本一の選手って言われるくらいなのに」
顔を上げた未央は、腑に落ちないという内面の感情を隠そうともせずに全身から滲ませていた。
「練習を一回見学に来てもらうのも、だめ?」
「いや……」
「お願い! 一回だけで良いから!」
そう言って顔の前で両手を合わせられると、無下に断るのも気が引けてくる。初対面であっても臆することのない未央の性格を、佑太は羨ましくさえも感じた。それでもやはり、ずっと距離を置いているバスケットコートに再び向かう気には到底なれなかった。
「悪いけど、俺のことは諦めて。もう決めたことだから」
そう言うと佑太は、残念そうな顔を見せる未央の横を通り抜け、教室を後にした。そのまま急ぎ足で下駄箱へと向かいながら、「どこにいる?」と慶太にラインを送った。ちょうど下駄箱から靴を取り出すタイミングで、慶太から「駅前のマック。早く来いよ」と返信が届いた。佑太はスニーカーに履き替えて玄関を飛び出し、自転車にまたがって駅前に向かってペダルを漕ぎ始めた。
自転車を停めて店内に入ると、すぐにテーブル席の三人の姿が目に入って来た。こちらに気付いた光太郎が手を上げて合図をくれる。
「どうだった? 告られたのか?」
席に着くなり章人がにやけた笑いを浮かべながら聞いてくる。無理もない、告白や付き合うと言った恋愛イベントは、この世代の少年・少女たちにとって最大の関心事だ。だが残念ながら、佑太は今回はその期待に応えることは出来ない。
「いーや、全くそんな浮ついた話じゃなかったよ」
「なんだ、つまんねえの。じゃ、むしろどんな話だったんだ?」
「んーまあ、どこか部活に入る気はあるのかって感じの話だったね。帰宅部で青春を満喫しますって言っといたよ」
佑太は少し事実をぼやかして話した。あまりこの話題を続けたくはなかった。
「へえ、すげえ、スカウトじゃん。でも何でまた佑太にピンポイントで?」
「あの子、バスケ部のマネージャーの鈴村未央だろ?」
光太郎が佑太と章人の話に割って入ってきた。
「ああ、それでか。佑太、昔ちょっとバスケやってたって言ってたもんな。でもそんな情報どこで仕入れて来たんだろうな」
「てかさ、ほんと可愛いよな、鈴村。もう学年内でもかなり有名らしいぜ」
「確かにそれは言えてる。ちらっとしか見れてないけど、目に焼き付いてるもんな」
「だろ? 俺もバスケやってたらなあ」
佑太にとっては好都合なことに、章人はバスケの話は脇に置き、光太郎の持ち出した俗な話題に飛びついた。話題はそのまま、学年内で可愛い女子は誰なのか、というテーマに移っていった。
男って単純な生き物だな。佑太は思った。
このまま未央との出来事が曖昧なまま流れ去って行くことを、佑太は心の中で密かに祈った。と同時に、珍しく会話に加わらずにコーラのストローを口に咥えてぼんやりとしている慶太のことが気にかかった。
「どうしたんだよ慶太、珍しく静かじゃん。もしかしてテストの出来が相当悪かったり?」
佑太は少しおちょくるような口調で慶太に話しかけた。
「……ん? ばーか、テストの出来なんかどうでも良いよ。ちょっと考え事してただけだよ」
「お、慶太が考え事? 珍しいじゃん」
すかさず章人が茶化しに入る。
「俺だって考え事くらいするに決まってんだろ」
「なあなあ」
再び光太郎が話に割って入った。光太郎のマイペースさはいつだって崩れない。
「あそこにいるの、うちのクラスの横山じゃない?」
光太郎が指差す方に三人は一斉に視線を向けた。見ると、明成高校の制服を来た女子四人がテーブル席にちょうど座る所だった。その女子四人組の中で、右奥の席に座ったのは確かに同じクラスの横山葉月だった。
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章人が声のボリュームを幾分落としながら言い、続けて「そう言えば」と口にした。
「横山って、佑太と同じ中学だったよな確か?」
「……ん、ああそうだよ」
「横山も良いよなあ、スタイル良くて顔も整ってるし。人気出そうじゃない?」
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