19 / 31
塔と鎖
しおりを挟む
広場に着いたそのとき、鐘の鳴る音が聞こえる。
昨日の女の子が、鐘を鳴らしているのだろうか。
それは彼女の仕事なのだろうか。
それとも、もっと別の理由があるのだろうか。
ぼくは知らない。
だが、知ってどうなるわけでもないのだ。
意識を切り替えて、進もうとする足を、呼び止める声があった。
塔に寄りかかるように幕屋は張られている。
その中から、威勢のいい声で坊主、と呼びかけられたのだ。
顔を向けると、恰幅のいい男が幕屋から体を乗り出して、こちらを見る。
旅商人のボードラだ。
「何か買っていくかい」
彼はそう言ったが、彼についての用事はつい昨日済ませてしまった。
ないよ、と答えると、幕屋の中へその巨体を引っ込める。
彼のいる方向に進むと、何かと面倒になりそうだ。
ぼくは、塔を反対側から廻る事にした。
塔の表面は白いレンガに覆われている。建てられてあまり年月が経ってはいないのか、レンガの中にはまだ新品のような色を残しているものもある。
形は円形の柱で、頂上には鐘があるのだろう。
あの女の子は、そこからの景色を朝から夕暮れまで眺めているのだろうか。
いや、昨日と時のように時折抜け出して仕事のときだけ戻ってきているのかもしれない。
この村で最も高いところから見下ろせば、さぞ綺麗だろうと思う。
レンガを見つめながら塔に沿って歩くと、昨日の扉に行き当たる。昨日は何の変哲もなかった扉には、幾重もの鎖が掛けられ、錠がなされて封印されている。
変だな。
これじゃ、女の子が外に出られないじゃないか。
何か、できないだろうか。
そう思ったとき、ボンザに預けた短剣が頭に浮かぶ。
あれなら、この鎖を切れるかもしれない。
そう思った、そのときだった。
「小僧。余計な事を考えるのは、止せ。」
そう後ろから声が掛けられたのは。
振り返ると、鍛冶屋の店先で椅子に座っているはずの老人が、すぐ後ろに立っていた。
ぼくはボンザが鍛冶屋から外に出ているところなんてこれまで見たことがなかったから。
目の前に音もなく現れた老人に、驚いてしまう。
体勢が崩れて、石畳に尻餅をつく。
ボンザはそんなぼくの姿を見て、小さく笑みを零した。
ボンザは、鍛冶屋の椅子に座ると、小さくため息を漏らす。
「小僧。お前は知らないのだな。この地に伝わる伝承を。」
そうして続けて口を開こうとした。
しかし、その口は声を発する前に、小さく震え、そして閉ざされる。
見ると、ボンザの目には涙が浮かび、その手は小さく震えている。
「ボンザさん。どうしたの。」
そうぼくが聞くと、我に返ったのかボンザは首を振るとなんでもない、とそう言った。
そうしてボンザはぼくの目を見て、にやりと笑ったが、その笑みにどこか寂しげなものが混じっているように感じた。
「短剣は、出来ているぞ。」
心臓が、ひときわ高く鳴る。
持ってきてもいいか、そう念入りにボンザはぼくに問うた。
「これから持ってくる剣には、かつての匂いは微塵も含まれてはいないだろう。この剣を持ち続けてゆく限り、お前の中の回想は、次第に死んでゆく。」
分かっている。
昨日の夕陽と同じだ。
遂げられなかった痛みは、時間と共に過ぎ去って、いつかなかったものになってしまうのだろう。
「小僧。それでもお前は、この短剣を取るか。」
ぼくは、ボンザの目を見る。
黒いその目は鏡のようで、ぼくの心を、そのまま映し出す。
ぼくは首を縦に振る。
失いたくはないのなら、せめて信じていよう。
あの人が生きている事を。
ボンザはぼくの目を見返すと、納得したように頷く。
分かった、という声と共にボンザは立ち上がり、店の奥へ歩いてゆく。
ぼくはその姿が店の影に飲まれるまで、微動だにせずに見ていた。
塔の上で、私は眺めている。
青空の下を、黒雲が埋め尽くしてゆくその光景を。
音はしない。
しかし、草原に増えて行くそれらは、一つの意思でもあるかのように一方向へ進み続ける。
すなわち、私の村へ、やってくる。
あれらが何なのかは、分からない。
でも、何か、おぞましいものを感じる。
目を凝らそうにもそこに見えるのは、一面の黒い鋼の群れ。
草原の中を進むもの。
中空を飛ぶもの。
それらに生きているような特徴は見えない。
すなわち、獣のような爪や毛皮、人の肌のようなものをそれらは有していない。
ただ、金属のような表皮が、生きているかのようにこちらに向かってくる。
ああ、空を飛ぶあれらは見たことのある部位を持っている。
翼だ。
鳥のようなそれではない。
そう、蝙蝠のような羽。
地を駆ける獣でもなく、天に遊ぶ鳥たちにもなれない。
暗闇に紛れて生きる、紛い物の生き物。
「同じ、ね。」
あれらはこの村に来て、何をもたらすのだろう。
あんなに低く飛ぶのなら、塔に立つ私はあの飛ぶものの背中に乗れるかもしれない。
それを考えると、少し、楽しみだ。
「連れて行ってはくれないかしら。」
その呟きはどうしようもない孤独の中で発されたものだった。
しかし、どういうことか。
さっきから、戸のほうで物音がする。
何かを押し当てているのか、戸に掛けられた鎖が音を立てる。
次の瞬間、そのうちの一つが、音を立てて、砕ける。
驚いた。
その鎖は村長の命によって作られた私への咎だ。
しかし、村長が一度自分の決めた罰を取りやめるとは考えられない。
では、誰が。何のために。
一つ、また一つと、鎖は切断されてゆく。
そのうちに、私の胸に、一つの恐れがやってくる。
昨日、連れ戻されるときに村長の従者の言っていた言葉が、鮮明によみがえったからだ。
この村では、私たち一族を快く思わないものたちも存在する。
腕の力や、剣によってわれわれをよそに追いやろうと考えているものもいる。
力のないお前は、この塔にいることでそれらの危害から守られているのだと。
そのときはなんとも思わなかった。
もしや、と思ったのだ。
もしや、そのような人が今鎖を断ち切り、塔の中へ踏み込もうとしているのではないか。
私は恐怖で動けなくなる。
相手は、鎖を断ち切るほどの剣と腕力を持っている。
素手の私にはどうする事もできない。
私は塔の頂上で、力なく座り込む。
そうして静かに、涙は頬を流れ始める。
最後の鎖が断ち切られるそのとき、
私は遠くで、人の叫び声がするのを聞いた。
昨日の女の子が、鐘を鳴らしているのだろうか。
それは彼女の仕事なのだろうか。
それとも、もっと別の理由があるのだろうか。
ぼくは知らない。
だが、知ってどうなるわけでもないのだ。
意識を切り替えて、進もうとする足を、呼び止める声があった。
塔に寄りかかるように幕屋は張られている。
その中から、威勢のいい声で坊主、と呼びかけられたのだ。
顔を向けると、恰幅のいい男が幕屋から体を乗り出して、こちらを見る。
旅商人のボードラだ。
「何か買っていくかい」
彼はそう言ったが、彼についての用事はつい昨日済ませてしまった。
ないよ、と答えると、幕屋の中へその巨体を引っ込める。
彼のいる方向に進むと、何かと面倒になりそうだ。
ぼくは、塔を反対側から廻る事にした。
塔の表面は白いレンガに覆われている。建てられてあまり年月が経ってはいないのか、レンガの中にはまだ新品のような色を残しているものもある。
形は円形の柱で、頂上には鐘があるのだろう。
あの女の子は、そこからの景色を朝から夕暮れまで眺めているのだろうか。
いや、昨日と時のように時折抜け出して仕事のときだけ戻ってきているのかもしれない。
この村で最も高いところから見下ろせば、さぞ綺麗だろうと思う。
レンガを見つめながら塔に沿って歩くと、昨日の扉に行き当たる。昨日は何の変哲もなかった扉には、幾重もの鎖が掛けられ、錠がなされて封印されている。
変だな。
これじゃ、女の子が外に出られないじゃないか。
何か、できないだろうか。
そう思ったとき、ボンザに預けた短剣が頭に浮かぶ。
あれなら、この鎖を切れるかもしれない。
そう思った、そのときだった。
「小僧。余計な事を考えるのは、止せ。」
そう後ろから声が掛けられたのは。
振り返ると、鍛冶屋の店先で椅子に座っているはずの老人が、すぐ後ろに立っていた。
ぼくはボンザが鍛冶屋から外に出ているところなんてこれまで見たことがなかったから。
目の前に音もなく現れた老人に、驚いてしまう。
体勢が崩れて、石畳に尻餅をつく。
ボンザはそんなぼくの姿を見て、小さく笑みを零した。
ボンザは、鍛冶屋の椅子に座ると、小さくため息を漏らす。
「小僧。お前は知らないのだな。この地に伝わる伝承を。」
そうして続けて口を開こうとした。
しかし、その口は声を発する前に、小さく震え、そして閉ざされる。
見ると、ボンザの目には涙が浮かび、その手は小さく震えている。
「ボンザさん。どうしたの。」
そうぼくが聞くと、我に返ったのかボンザは首を振るとなんでもない、とそう言った。
そうしてボンザはぼくの目を見て、にやりと笑ったが、その笑みにどこか寂しげなものが混じっているように感じた。
「短剣は、出来ているぞ。」
心臓が、ひときわ高く鳴る。
持ってきてもいいか、そう念入りにボンザはぼくに問うた。
「これから持ってくる剣には、かつての匂いは微塵も含まれてはいないだろう。この剣を持ち続けてゆく限り、お前の中の回想は、次第に死んでゆく。」
分かっている。
昨日の夕陽と同じだ。
遂げられなかった痛みは、時間と共に過ぎ去って、いつかなかったものになってしまうのだろう。
「小僧。それでもお前は、この短剣を取るか。」
ぼくは、ボンザの目を見る。
黒いその目は鏡のようで、ぼくの心を、そのまま映し出す。
ぼくは首を縦に振る。
失いたくはないのなら、せめて信じていよう。
あの人が生きている事を。
ボンザはぼくの目を見返すと、納得したように頷く。
分かった、という声と共にボンザは立ち上がり、店の奥へ歩いてゆく。
ぼくはその姿が店の影に飲まれるまで、微動だにせずに見ていた。
塔の上で、私は眺めている。
青空の下を、黒雲が埋め尽くしてゆくその光景を。
音はしない。
しかし、草原に増えて行くそれらは、一つの意思でもあるかのように一方向へ進み続ける。
すなわち、私の村へ、やってくる。
あれらが何なのかは、分からない。
でも、何か、おぞましいものを感じる。
目を凝らそうにもそこに見えるのは、一面の黒い鋼の群れ。
草原の中を進むもの。
中空を飛ぶもの。
それらに生きているような特徴は見えない。
すなわち、獣のような爪や毛皮、人の肌のようなものをそれらは有していない。
ただ、金属のような表皮が、生きているかのようにこちらに向かってくる。
ああ、空を飛ぶあれらは見たことのある部位を持っている。
翼だ。
鳥のようなそれではない。
そう、蝙蝠のような羽。
地を駆ける獣でもなく、天に遊ぶ鳥たちにもなれない。
暗闇に紛れて生きる、紛い物の生き物。
「同じ、ね。」
あれらはこの村に来て、何をもたらすのだろう。
あんなに低く飛ぶのなら、塔に立つ私はあの飛ぶものの背中に乗れるかもしれない。
それを考えると、少し、楽しみだ。
「連れて行ってはくれないかしら。」
その呟きはどうしようもない孤独の中で発されたものだった。
しかし、どういうことか。
さっきから、戸のほうで物音がする。
何かを押し当てているのか、戸に掛けられた鎖が音を立てる。
次の瞬間、そのうちの一つが、音を立てて、砕ける。
驚いた。
その鎖は村長の命によって作られた私への咎だ。
しかし、村長が一度自分の決めた罰を取りやめるとは考えられない。
では、誰が。何のために。
一つ、また一つと、鎖は切断されてゆく。
そのうちに、私の胸に、一つの恐れがやってくる。
昨日、連れ戻されるときに村長の従者の言っていた言葉が、鮮明によみがえったからだ。
この村では、私たち一族を快く思わないものたちも存在する。
腕の力や、剣によってわれわれをよそに追いやろうと考えているものもいる。
力のないお前は、この塔にいることでそれらの危害から守られているのだと。
そのときはなんとも思わなかった。
もしや、と思ったのだ。
もしや、そのような人が今鎖を断ち切り、塔の中へ踏み込もうとしているのではないか。
私は恐怖で動けなくなる。
相手は、鎖を断ち切るほどの剣と腕力を持っている。
素手の私にはどうする事もできない。
私は塔の頂上で、力なく座り込む。
そうして静かに、涙は頬を流れ始める。
最後の鎖が断ち切られるそのとき、
私は遠くで、人の叫び声がするのを聞いた。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
無能妃候補は辞退したい
水綴(ミツヅリ)
ファンタジー
貴族の嗜み・教養がとにかく身に付かず、社交会にも出してもらえない無能侯爵令嬢メイヴィス・ラングラーは、死んだ姉の代わりに15歳で王太子妃候補として王宮へ迎え入れられる。
しかし王太子サイラスには周囲から正妃最有力候補と囁かれる公爵令嬢クリスタがおり、王太子妃候補とは名ばかりの茶番レース。
帰る場所のないメイヴィスは、サイラスとクリスタが正式に婚約を発表する3年後までひっそりと王宮で過ごすことに。
誰もが不出来な自分を見下す中、誰とも関わりたくないメイヴィスはサイラスとも他の王太子妃候補たちとも距離を取るが……。
果たしてメイヴィスは王宮を出られるのか?
誰にも愛されないひとりぼっちの無気力令嬢が愛を得るまでの話。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。
覚悟は良いですか、お父様? ―虐げられた娘はお家乗っ取りを企んだ婿の父とその愛人の娘である異母妹をまとめて追い出す―
Erin
恋愛
【完結済・全3話】伯爵令嬢のカメリアは母が死んだ直後に、父が屋敷に連れ込んだ愛人とその子に虐げられていた。その挙句、カメリアが十六歳の成人後に継ぐ予定の伯爵家から追い出し、伯爵家の血を一滴も引かない異母妹に継がせると言い出す。後を継がないカメリアには嗜虐趣味のある男に嫁がられることになった。絶対に父たちの言いなりになりたくないカメリアは家を出て復讐することにした。7/6に最終話投稿予定。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる