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リグレットは、温室でアルベルトと話をする。
「では、温室によくいらっしゃっていたのはアルベルトの方なのですね?」
「えぇ、そうです」
「本をよく読んでいらっしゃるのもアルベルト様?」
 アルベルトはうなずく。
「政務も、私とマティアスは二人で担当を分けています。私が内政をやり、マティアスは主に軍務関係をやっています」
「そうなのですね……。と言う事は、私と一緒に遠乗りしてらしたのは、マティアス様の方かしら?」
「えぇ、そうです」
 リグレットは、自分の胸に着けた木のネックレスに触れる。
「このネックレスをくださったのは、どちらですか……?」
 アルベルトが、ネックレスをじっと見る。
「それは私です。貴方と街の屋台を見て回ったのは、とても楽しかったです」
 リグレットは、その時の事を思い出して胸が高鳴るのを感じる。
「私もとても楽しかったです」
 話をする内に、リグレットはこのアルベルトの事がようやくわかって来た。最初は混乱して居たが、思い出を区別して見ればアルベルトとマティアスははっきりと性格の区別があった。物静かで優しいのがアルベルト、リグレットをよくからかうのがマティアスの方なのだ。たまに、アルベルトもリグレットをからかって居た時があったようなのだが。
「あの……一応、お聞きしたいのですが、私の初夜の相手はどちらだったのでしょうか?」
「それは、私です……」
 アルベルトが頬を赤くする。
「まぁ、やはりそうだったのですね」
 リグレットも頬が熱くなる。
「……貴方が、離縁しないと言って私は安心しました」
 リグレットは、頬を押さえたままそれを聞く。
「貴方がこの国に残ってくれるだけで、私は嬉しいです……。どちらを選ぶにしろ、私達は貴方の事を愛しています」
 彼は目を伏せる。
 目を伏せた彼の手を取りたいけれど、まだリグレットの心の中には迷いがある。
「ありがとうアルベルト。お二人が納得する結論が出せるように善処します。だから、もう少しお話を聞かせてください」
「はい、もちろんですよ」
 アルベルトは柔和な笑みを見せてくれた。

***

 午後の時間が空いたマティアスと、外に遠乗りに行く。彼は草原の道をゆっくり走る。走っていた、マティアスの馬がゆっくりと歩を止める。リグレットも、彼の後ろで止まる。
「少し、森を歩かないか」
「えぇ、そうしましょう」
 馬を木につないで、二人で森に入る。乾いた枯れ葉を踏みながら進む。
「マティアス、以前も私と一緒に森に行ったかしら?」
「……行ったとも」
 彼が山葡萄の実を一つ取って、私に差し出す。
「……舌が紫色になっちゃうわ」
「そうだな」
 リグレットはその実を受け取って食べる。マティアスもひと粒だけ食べる。以前の時と同じように、二人の指先と、舌はほんのり紫色になった。また、森を進む。
「ここは道が悪い」
 彼が手を差し出す。
「はい……」
 彼と手をつないで歩く。体を鍛えている彼の手は、アルベルトよりも少し皮が厚い。
「おまえは、アルベルトを選ぶんだろうな」
 彼がそうつぶやいた。どこかぶっきらぼうな言い方だった。
「そんな……まだ、決めていません」
「なら、アルベルトを選べ。その方が、おまえのためだ」
「なぜ、そんな事をおっしゃるのですか。貴方は私を妻にしたくなかったんですか? それなら、私は何も言えませんが」
 王族の政略結婚に、本人が納得しない事は多い。 
「違う。俺は……俺はおまえを気に入っている。だが、夫を一人選ぶのに、わざわざ影の方を選ぶ必要は無いと思っただけだ」
「影……?」
 彼の言葉に驚く。
「ハポン教を信じるおまえも知っているだろう。双子は、兄の方が悪魔として本来は殺される。俺も、殺される予定だった男なんだ」
 彼は普段は、表のアルベルトに似せて演技をしていたらしい。 
「確かにハポン教にはそんな教えがありますが、私自身はあれを迷信だと考えています。『悪魔は己の姿をして現れる』。あれは己の弱き心に打ち勝てと言う意味だと思うのです」
 マティアスがリグレットを見る。
「その考えには賛成だが、俺たち以外にそう考える人間は少ない。だから俺はアルベルトの影なんだ、この立場は一生変わらないだろう」
 その事実を口にする彼に、リグレットは胸の痛みを覚える。彼は、ずっと一人だったのだ。時折、瞳に孤独を浮かべていたのはマティアス方だと気づく。
「だから、アルベルトを選べとおっしゃるんですね」
「あぁ……」
「では、私がアルベルト様を選んだ後、貴方はどうなさるのですか」
「どうもしないさ。影は、ただ影のまだ」
「どなたか、妻は迎えないのですか」
「立場上それはできない」
「そんな……」
「なに、気にするな。生まれた時から、こんな事は慣れている」
 リグレットは彼とつないだ手をぎゅっと握る。彼の手を離す気には、とてもなれなかった。孤独の痛みは、リグレットもよく知っていた。

***

 アルベルトと一緒にいると、彼はよく柔和な笑みを浮かべた。それは心を包むような優しい笑みだった。反対にマティアスはあまり笑顔を浮かべない人だった。彼はリグレットと一緒にいる時、むっつりと眉を寄せている事が多かった。ただ時折、リグレットをからかう時だけは楽しそうにするのだった。
(こうして見ると、お二人は全然違うのね)
 話す程に、はっきりと性格の違いを感じる。 
 アルベルトはリグレットのよく知る『アルベルト』である。優しく、賢い人。一緒に居て、心地良い気分になる。けれどマティアスもリグレットは知っている気がした。以前の彼はアルベルトの模倣をしてたが、それでも彼自身から滲み出る【孤独】をリグレットはいつも感じて共鳴していた。
 リグレットは目を閉じて、考える。
(私はどちらを選ぶべきなの……?)
 優しく賢いアルベルトにリグレットは惹かれている。しかし同時に、暗い孤独を抱えたマティアスにも胸を締め付ける程の恋慕があった。
 リグレットはほのかに明るいランプを眺めながら、ずっと二人の事を考え続けていた。
「リグレット様?」
 そこにメイドのセピアが入って来る。
「どうしたんですか、こんな薄暗い部屋で」
 彼女が部屋の明かりをつけていく。
「ごめんなさい、少し考え事をしていたの」
「悩み事ですか?」
 セピアが首をかしげる。
「そうね、悩み事よ」
 リグレットは知らずにため息をつく。
「もしかして、旦那様の事ですか?」
 セピアが不安そうに尋ねて来る。
「えぇ、実はそうなの」
 リグレットは頷いた。
「リグレット様がそんなにお悩みだなんて……もしや、浮気ですか!?」
 セピアが大声で叫ぶ。その大げさな様子にリグレットは笑みをもらす
「いえ、違うわ。あの人はとても誠実な人」
 リグレットはつぶやきながら、自分がどちらの『アルベルト』の事を言っているのか考えた。
(あの人は、誠実な人……)
「リグレット様?」
「ごめんなさい、また考え事してたみたい」 
 リグレットは苦笑する。
「……あのリグレット様。どうか、無理はなさらないでください。貴方が正しいと思う事が、何よりの真実だと私は思います」
 セピアが真っ直ぐな瞳で言う。
「そうね……えぇ、ありがとうセピア」
(私の中の真実)
 もう一度、リグレットは正しい選択を考える事にした。 

***

 一月経って、再び三人は話し合いの場をもうけた。
「それでリグレット、心は決まったかな」
 アルベルトが不安そうに聞いて来る。
「さすがにもう決まっただろう。悩む必要も無い」
 どこか諦めた様子で、マティアスは壁に背を預けたまま言う。リグレットは、二人を交互に見た後に、口を開く。
「私は……決める事ができませんでした」
 それが、リグレットの答えである。
「……それは、どちらも夫としては嫌だったと言う意味ですか?」
「いえ、そうではありません」
 アルベルトの問いかけに、首を横に振る。
「私は、この一月で私が本当に愛した方がどちらなのか、わかると思ったのです。しかし、言葉を重ねてわかった事は、私はお二人を愛していたと言う事でした」
 優しく理知的なアルベルトの事も、ぶっきらぼうだが強く優しいマティアスの事もどちらも愛していたのだ。リグレットは、自分の頬が熱くなるのを感じる。
「ごめんなさい、私にどちらかを選ぶなんて無理です」
 部屋の中がしんと、静まる。
「なら、無理に選ばなくても良いのではありませんか?」
 最初に口を開いたのはアルベルトだった。
「二人を夫とする事はできないのでしょうか?」
「それは……」
 リグレットは悩む。それは間違い無く『ハポン教』の教えに背く行為である。だが、彼らは二人で一人の妻しか娶る事ができないのもわかっていた。もしも、どちらか一方をリグレットが選んだとして、残った方は秘密を守るために一生一人を通さなくてはいけないのだ。それは、あまりにもつらい事だった。
「……」
 リグレットの中には、もう答えは出ている。この大きな秘密を抱える彼らの元に嫁いだと気づいた時から、心の片隅では常にその答えが掲げられていた。ただ、人として守るべき道徳に背くのが怖く口にできずにいた。
「リグレットは、アルベルトと一緒になれ」
 重い静寂を裂いてマティアスはそう言った。
「やはり、それが一番良い結論だ」
 リグレットがどちらか決め兼ねていると思ったのか、マティアスは突き放すように言う。そして、リグレットの心は決まる。
「いえ、私は一人を選びません。私はお二人の妻になります」
 確かにアルベルトの妻になるのがもっともシンプルな結論なのだろう。しかし、マティアスに強く反発される程にリグレットは彼を一人にするべきでは無いとも感じるのだった。
「正気か」
 マティアスが強い言葉で尋ねる。
「正気です。もう決めました」
「では、私たちの妻になってくださるのですね」
 アルベルトがうれしそうに笑みを浮かべる。
「はい、お二人がそれで良いのなら」
 アルベルトが近づいて来て、リグレットの手を取る。
「もちろんですよ。私は安心しました。これが一番良い形だと思います」
「理解できない選択をする女だな」
「マティアス」
 アルベルトがマティアスを見る。彼は名を呼ばれて渋々、リグレットの側に来る。リグレットのもう片方の手を握る。
「今一度夫婦の誓いをいたしましょう、私は貴方の夫として一生貴方とともにあります」
 彼がリグレットの手の甲にキスをする。
「……俺は、おまえの夫として一生をともにする」    
 マティアスも戸惑いながら手の甲に口づけする。二人の姿を見て、リグレットは胸が高鳴るのを感じる。リグレットが愛したのは、確かにこの二人なのだ。
「ありがとうございます。私もお二人の妻として、ずっとお側にいたいです」
 彼らの手を握り、ほほ笑んだ。その後、二人にそれぞれ頬にキスをされて顔が熱くなってしまった。
「二人の夫を持つと言うのは大変だぞ……」
 マティアスがぼそりとつぶやいた言葉の意味を、リグレットはその後大いに思い知る事になるのだった。


つづく
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