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吉井 正人(よしい まさと)、三十七、職業土木作業員、未婚、恋人無し。
正人は、晴れ渡る空の下、火葬場の煙突からあがる煙を見ていた。
(母さん、晴れの日が好きだったから、天気が良くてよかったな……)
 幼い時に父が家を出て行ってから、正人と母は二人で身を寄せ合って生きて来た。正人が働くようになってから、少しは母に楽をさせてやれたが、ついに彼女に孫の顔を見せてやる事は出来なかった。
(……まぁ俺がゲイだから、永遠に無理な事柄ではあったんだけど……)
 正人は小さくため息をついた。
 遺骨を骨壷に収めて、小さくなった母を墓に入れて、正人は家に帰った。喪服を脱ぎ、ハンガーにかける。一人きりになった狭いアパートの一室を見る。母一人がいないだけで、この場所は酷く寂しく思われた。
 台所からコップと、焼酎の一升瓶を持って来てテーブルに置く。酒をコップに並々と注いで、いっきに飲み干した。
「ふぅ……」
 そのまま、二杯三杯と飲む。お酒には強い方なので、こうして飲んでも大して酔わなかった。ただ、今日は飲まずにはいられなかった。
 部屋の隅に置かれた机の引き出しを開けて、分厚いノートを取り出す。毎日、日記を書くのが正人の子供の頃からの習慣だった。万年筆を手に取って、今日の事も日記に書き記していく。
 書いていたら、紙に涙が落ちて文字が滲んだ。
「はぁ……」
 ペンを投げ出して、後ろに寝転がる。
 唯一の肉親の母を失い、心にぽっかり穴が空いてしまったようだった。もう、全てのやる気を無くして、立ち上がれる気もしなかった。
 こんな日は、誰かが傍にいてくれたら良かったのだろうが、前の恋人とは別れて五年以上も経っている。正人の隣には誰もいない。一人、この心寂しい夜を耐えるしかないのだった。
(俺はこのまま……一人で生きていくんだろうか……)
 横に転がり丸くなる。寂しさと、未来への不安を抱えながら正人は眠りに落ちた。



 頬に風を感じた。鼻孔に、草の香りがする。
「ん……」
 目を開けると、そこは外だった。
「あ?」
 地面には草が生え、辺りには木が生えていた。
「んー?」
 正人は頭を押さえて、考える。
(俺、家で寝たよな……?)
 焼酎を飲んで、自分の人生に不貞腐れて寝た事は覚えている。
「なんで外に……」
 立ち上がって周囲を見るが、見覚えは無かった。
「夢遊病で、どこかに歩いて来たのか……?」
 歩いて、自分が裸足な事に気づいた。
「げっ」
 おまけに、白のタンクトップ下着と、下はトランクスだった。
「おいおいおい……俺、こんな格好で、出歩いてたのかよ……」
 誰かに見つかれば、警察に通報される事間違い無しである。
「と、とにかく山を下りないと……」
 正人は、足元に気を付けながら歩いた。
 日の位置が頭上高くに移動しても、正人はまだ山を出られていなかった。
「……いったい俺は、どこの山に登ったんだ……」
 アパート周辺に山は無く、最寄りの山は車で三十分行ったところにあった。
「て事は、車に乗ってこんな山に来たって事だよな……飲酒運転だし、一発免停じゃないか……」
 自分の行いに頭痛を覚えながら、山道を歩く。
 ガサッ
「!」
 草むらの物音に驚く。山で遭遇する害獣が、とっさに頭に思い浮かぶ。
(イノシシじゃありませんように!!!!)
 幸い、近所の山に熊は出ない。
 ぽよんと、跳ねてそいつは現れた。
「あ?」
 ぽんん、ぽよんと跳ねるそいつは、透明な丸い物体だった。それは、生き物のように、自分の意志を持って動いているように見える。
「な、なんだこれ……」
 あまりにも現実的では無い物を見て、正人は後ろに後退る。しかし、その透明な物体は正人に飛びかかって来た。
「!」
 頭に飛びついて来て、頭部を覆われてしまった。
「っ! うっ!!!」
 頭からそいつを外そうともがく。しかし、水のようで掴む事ができない。
(た、たすけてくれ!!)
 口と鼻を覆われて息が出来ない。死の恐怖を感じ、地面に四つん這いになって、必死にそれを外そうとした。
(し、しぬ……)
 酸素が足りず、視界が赤くなった時、そいつは突如下に落ちた。
「はぁ、はぁ、はぁ!!」
 それは、まるで溶けるように地面に落ちていた。
「おいおい、今どき、スライム程度に手こずる奴がいるとはねぇ」
 頭上から降って来た声に驚く。振り向くと、赤い髪の外人の男が立っていた。
(うわっ。イケメン!!!!)
 正人は、外人の男がどストライクに好みだった。
「つか、何だ、おまえ、追い剥ぎにでもあったのか?」
 男が、正人を見下ろして来る。
「は、はぁ……そんなところです……」
 混乱しつつも、正人は頷いた。
「ほら、立ちな」
 男が手を出して来る。その手を握って、正人は立ち上がる。がっしりとした手に、ときめいてしまったが顔には出さないようにした。更に立ち上がると、正人より彼の方が背が高くてキュンとした。
「オレはオリヴァー、あんたの名前は」
「吉井 正人だ」
「ヨシイマサト、長い名前だなぁ」
「いや、名前は正人だ。マサトと呼んでくれ」
「そうかい。そんじゃ、よろしくなマサト」
 離した手を再び繋いで、オリヴァーが握手してくる。強めに握手されたので、正人も強めに握り返しておいた。
「そんであんたはどこから来たんだ?」
「七海町からだ……ここは、どこの山なんだ?」
「ナナウミ? 聞いた事ない、町の名だな」
「あんた、この辺の人じゃないのか?」
「オレは冒険者だから、根無し草さ!」
(冒険者……まぁ、外国人さんだから、日本語が多少変なのは仕方ないな……バックパッカーとかかな……)
「そうか」
「ナナウミって、町は聞いた事ないな。どの辺りだ?」
 オリヴァーが地図を広げる。古風な、羊皮紙に書かれた地図を覗き込む。
「……?」
 しかし、その字が正人には読めなかった。英語に似ているが、ところどころ違う。読めそうな単語一つも見当たらなかった。
「ん? モレノア語、読めねぇのか?」 
 オリヴァーが首を傾げる。
「俺が読み書き出来るのは、日本語だけだ」
「ニホン? また聞いた事のない、地名だな」
 オリヴァーが耳に付けた緑の石の付いたピアスを外す。そして、正人をじっと見る。
「どうした?」
 彼はイヤリングを耳に再び付ける。
「本当だ、全然聞き慣れない言葉を喋ってるなあんた」
 オリヴァーは地図をくるくる巻いて、腰の小さなポーチに押し込んだ。大きな地図は、まるで飲み込まれるようにそのポーチの中に収まった。
(あ?)
 今見た物が信じられず、マジマジと見る。
「なんだ、魔法鞄初めて見るのか?」
「な、なんだそれは。魔法瓶の親戚か……?」
「魔法瓶も便利だよな。この鞄は、こんな小さなナリをしてるが、なんと家一個分ぐらいの物が収まる便利鞄なのさ!」
 オリヴァーは手を突っ込んで、巨大な槍を取り出した。
「な?」
(じゅ、銃刀法違反……)
 正人はくらりと目眩を覚える。
(俺は、今何を見たんだ……?)
 よく出来たマジックだろうか。男は、突然山の中で息抜きに面白いマジックでも見せてくれたのだろうか。
(そ、そうだよな! そうに決まってる!)
「す、凄いな!」
 正人は拍手をして、男のマジックを称賛した。 
「そうだろう?」
 男は上機嫌で鞄に槍を入れた。
「あんたはどうやら、気の良い奴のようだ。これも縁だから、村まで送ってやるよ」
「ほ、本当か!」
「あぁ。オレも丁度、そこを目指してたんだ」
「助かるよ……」
「良いって、困った時はお互い様だからな」
 オリヴァーはウインクして見せた。
(うおっ……顔が良くて、性格もよくて、茶目っ気もある……百点満点のイケメンだ……)
 正人はオリヴァーに邪な気持ちが、悟られないように顔を引き締めた。
    

つづく

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