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婚礼の夜、夫になるはずの男は、花嫁の私に口づけひとつ落としませんでした。
「今夜は、こちらで休んでくれ」
ローゼンベルク伯爵アルフレッドは、整えられた寝室の扉の前でそう言いました。磨き上げられた床に燭台の明かりが落ち、天蓋付きの寝台には白薔薇が惜しげもなく飾られています。まるで純白の祝福を象徴するような部屋でした。
でも、その白は、幸福の色ではなく。
後に私が思い知る“白い結婚”そのものだったのです。
「……理由を伺っても?」
深緑のドレスから白の寝間着へ着替えたばかりの私は、努めて穏やかに問いました。公爵令嬢として育てられた身です。こういう場で声を荒らげるのは美しくないと、骨の髄まで躾けられていました。
アルフレッドは、ひどく困ったような顔をしました。自分を悪人にしたくない時、彼はいつもそういう顔をします。
「シルヴィが心配なんだ」
出ました、と心の中でだけ呟きます。
婚約してから今日まで、彼の口から最も多く聞いた女の名。それが、幼馴染のシルヴィ・エヴァンズ男爵令嬢でした。
「今日は婚礼で、彼女もかなり無理をして出席していた。ああ見えて繊細だから、きっと今ごろ一人で泣いている」
「……そうですか」
「君も知っているだろう。私は昔からシルヴィを放っておけないんだ。彼女が落ち着くまで、夫婦のことは待ってほしい」
夫婦のことは待ってほしい。
婚礼の夜に新郎が花嫁へ告げる言葉として、これ以上ふさわしくないものがあるでしょうか。
けれど私は、息を吐いて、「承知いたしました」とだけ答えました。
父がこの結婚を決めたのは、ヴィルツ公爵家とローゼンベルク伯爵家、双方の利が一致したからです。私情を挟む余地はない。そう自分に言い聞かせて、ここまで来たのです。
アルフレッドはほっとしたように肩の力を抜きました。
「君は本当に物分かりがいい。助かるよ」
その一言で、胸の奥が静かに冷えました。
私は物分かりがいいのではありません。ただ、公爵令嬢として恥をさらさぬよう、必死で感情を押し殺していただけです。
彼はそれすらわかっていない。
そうして彼は隣の部屋へ行き、扉は閉まりました。
白薔薇の香りに満ちた部屋で、私は一人きり、天蓋の下に座り込みます。
泣くものかと思ったのに、視界がぼやけました。
――まだ大丈夫。
――結婚したのだから、これから少しずつ夫婦になればいい。
その夜の私は、まだそんなふうに考えていたのです。
愚かなくらいに。
「今夜は、こちらで休んでくれ」
ローゼンベルク伯爵アルフレッドは、整えられた寝室の扉の前でそう言いました。磨き上げられた床に燭台の明かりが落ち、天蓋付きの寝台には白薔薇が惜しげもなく飾られています。まるで純白の祝福を象徴するような部屋でした。
でも、その白は、幸福の色ではなく。
後に私が思い知る“白い結婚”そのものだったのです。
「……理由を伺っても?」
深緑のドレスから白の寝間着へ着替えたばかりの私は、努めて穏やかに問いました。公爵令嬢として育てられた身です。こういう場で声を荒らげるのは美しくないと、骨の髄まで躾けられていました。
アルフレッドは、ひどく困ったような顔をしました。自分を悪人にしたくない時、彼はいつもそういう顔をします。
「シルヴィが心配なんだ」
出ました、と心の中でだけ呟きます。
婚約してから今日まで、彼の口から最も多く聞いた女の名。それが、幼馴染のシルヴィ・エヴァンズ男爵令嬢でした。
「今日は婚礼で、彼女もかなり無理をして出席していた。ああ見えて繊細だから、きっと今ごろ一人で泣いている」
「……そうですか」
「君も知っているだろう。私は昔からシルヴィを放っておけないんだ。彼女が落ち着くまで、夫婦のことは待ってほしい」
夫婦のことは待ってほしい。
婚礼の夜に新郎が花嫁へ告げる言葉として、これ以上ふさわしくないものがあるでしょうか。
けれど私は、息を吐いて、「承知いたしました」とだけ答えました。
父がこの結婚を決めたのは、ヴィルツ公爵家とローゼンベルク伯爵家、双方の利が一致したからです。私情を挟む余地はない。そう自分に言い聞かせて、ここまで来たのです。
アルフレッドはほっとしたように肩の力を抜きました。
「君は本当に物分かりがいい。助かるよ」
その一言で、胸の奥が静かに冷えました。
私は物分かりがいいのではありません。ただ、公爵令嬢として恥をさらさぬよう、必死で感情を押し殺していただけです。
彼はそれすらわかっていない。
そうして彼は隣の部屋へ行き、扉は閉まりました。
白薔薇の香りに満ちた部屋で、私は一人きり、天蓋の下に座り込みます。
泣くものかと思ったのに、視界がぼやけました。
――まだ大丈夫。
――結婚したのだから、これから少しずつ夫婦になればいい。
その夜の私は、まだそんなふうに考えていたのです。
愚かなくらいに。
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