もう二度と、あなたの傷を引き受けません ~死に戻った治癒師伯爵夫人は、冷血公爵の最愛になる~

ゆぷしろん

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10.

 辺境へ戻ってからの春は、驚くほど穏やかだった。

 診療所は正式に拡張され、セレフィナの提案で研究棟が建てられることになった。
 薬草園も作る。北でも育つ品種を選び、温室の構造を工夫し、若い治癒師たちに栽培法を教える。

「先生、この列は解毒草でいいですか?」
「ええ。そちらは肺機能補助の薬草と分けて植えて」
「公爵様、また土を運んでる」
「領主ですから」
「領主の仕事じゃないですよね?」
「……婚約者の手伝いです」

 その一言で周囲が沸いた。
 ディートハルトは無表情を装っていたが、耳だけ少し赤い。
 セレフィナは笑いをこらえきれず、温室の柱に額を押しつけた。

 辺境の人々は、婚約を心から祝ってくれた。

「先生なら絶対そうなると思ってました!」
「公爵様、やっとですか!」
「長かったですねえ」
「お前たちはいつから気づいていたんだ」
「最初からです」
「最初からではありません」
「最初からですよ」

 ディートハルトが少しだけ困った顔をする。
 そんな顔が見られるのも、今ではセレフィナの密かな楽しみだった。

 ある日の夕方。
 薬草園の苗を見回っていたセレフィナは、ふと足を止めた。
 柔らかな春風が銀髪を揺らす。
 見上げれば、高い空がどこまでも澄んでいた。

「公爵様」
「ディートハルトで構いません」
「では、ディートハルト様」
「はい」
「わたくし、今とても幸せです」

 隣を歩く彼が、ゆっくりとこちらを見る。

「レオンと結婚していた時は、幸せの形を間違えていました。必要とされることが愛だと思っていた。でも本当は違った」
「……」
「愛って、相手の傷を全部一人で背負うことではないのですね」
「ええ」
「ともに歩んでいくことなのですね」

 ディートハルトはしばらく黙っていたが、やがて静かに笑った。
 泣きそうなほど優しい、珍しい笑みだった。

「あなたは本当に、強い人だ」
「違います」
 セレフィナは首を振る。
「強くなれたのです。ようやく」

 彼は立ち止まり、そっとセレフィナの頬に触れた。
 大きな手。硬い指。けれど触れ方は驚くほど慎重だ。

「今後、あなたの傷を私にも分けてください」
「引き受けるのではなく?」
「ええ。半分ずつ、です」

 セレフィナはくすりと笑い、その手に自分の手を重ねた。

「では約束です」
「約束します」

 もう二度と、誰かの都合のいい器にはならない。
 もう二度と、愛と搾取を取り違えない。
 この手は救うためにある。
 ただし今度は、自分も含めて。

 薬草園の向こうでは、若い治癒師たちが苗箱を運んでいる。
 診療所からは子どもの笑い声が聞こえる。
 生きている人の声だ。未来へ続く声だ。

 セレフィナはその音を胸いっぱいに吸い込んだ。

 死に戻ったあの日、自分は誓ったのだ。
 もう二度と、あなたの傷は引き受けないと。

 あの誓いは、失うための言葉ではなかった。
 自分の人生を取り戻すための、最初の祈りだったのだ。

 そして今、彼女はようやく知る。

 誰かのために命を捨てることだけが愛ではない。
 自分を大切にした上で、それでも誰かと手を取ること。
 それこそが、本当に欲しかった幸福なのだと。

 春の光の中で、セレフィナはディートハルトと並んで歩き出す。

 今度こそ、誰にも奪わせない未来へ。
 自分の足で。
 自分の意志で。
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みんなの感想(1件)

みみ
2026.04.17 みみ
ネタバレ含む
解除

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