黒猫と柘榴

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黒猫と柘榴

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黒猫と石榴はよく似合う。
そんな事を思っていた頃がある。
昔、私が地元に初めて就職したのは地方の古い印刷所だった。
古いと言う言葉にはニ通りある。
老舗と言う意味と、ただ古くなったという意味。
その印刷所はその両方だった。
町で一番古く、空襲からも逃がれた実に天晴れな建物だった。
表は新しく見えても、日本お得意の見事な看板建築のお陰で、鰻の寝床よろしく背後に長く伸びた建物は、奥へ行くほど見窄らしかった。
けれども、私はそんな造りの印刷所が気に入ってもいた。
古い建物にインクの臭いは良く似合っていたからだ。
私の部署は、その建物の一番奥にあった。企画室などと言われてはいたが、デザインを起こしたり、パソコンの無い時代の、切ったり貼ったりが中心の作業場だ。
一歩中に入るとシミだらけのベニヤ壁、其々の木製の机の上には天井から吊るされた長い蛍光灯が二本づつぶら下がっていた。
そんな企画室の隣には、今では珍しい活版印刷の棚が並んでいて、この会社が出来た当初から居たのでは無いかと思えるようなご婦人が一人、すでに需要が無くなっていた活版印刷の印字を細々と拾う作業をしていた。
そんな印刷所の奥まった場所が企画室と言う訳だった。
部屋の窓を開ければ眼下に三角地帯の小さい中庭があった。
瓦屋根や土壁が複雑に交差するその場所は、外からは見えない場所にあり、うっかりするとこの印刷所の人間ですら、その存在を知らないかもしれない場所だ。
そこは春夏秋冬を通して、雑草が野放図に生茂り、長いことほったらかしになっているような庭だった。
その庭の真ん中に、ドスンと突き刺したようなどっしりとした石榴の木が一本だけ鎮座していた。
それはこの部屋からでしか見られない特別な風景だった。
晩秋の頃、枝を広げたその石榴の木から、たわわに実った石榴が、音を立て落下すると、あたり一面、真っ赤な果汁が飛び散って、トタン屋根や瓦屋根をまるで古戦場の惨劇のように変えてしまうのだ。
半端に潰れた石榴は首を切られて無念を叫んでいる人間ようにも見えて実に不気味だ。
仕事に集中していると落下する音が一つ、また一つと聞こえるたびに、その落ちる様まで想像出来て鬱陶しいと感じてくるようになるのだ。
そんなある年、企画室の床下で何かを引っ掻くような、小さな音が時折聞こえるようになった。
二、三日それが続くと、今度はミーミーとまだほんの赤ちゃん猫の鳴き声が聞こえるようになった。
多分、床下で野良猫が子供を産んだのだ。
その声は日を追うごとに力強くなっていき、とうとう運動会をするようになっていた。
黙々と作業をしている最中、そんな可愛い物音を足の下で聞くと、皆その場が和んだ。
同じ部署には四人の人間が机を突き合わせていたが、その子猫がいつの間にか仲間のようになっていた。
子猫達は床下では手狭になったのか、ある日窓の下の屋根伝いに外へと這い出してきたのだ。
子猫が四匹とお母さん猫。全部が真っ黒の黒猫の親子達だった。
子猫達は庭の塀の上と屋根とを毎日飽きもせずに駆けずり回り、柘榴の木をジャングルジムのようにガシガシ登った。
屋根は二階の窓から手の届きそうな場所にあり、私達はあろう事か自分達の弁当などを屋根に直にボトボト落としたりして猫達に分け与えた。
ニャンニャンと声を上げながら兄弟揃って夢中で食べる光景に絆されて、私たちはどんどん食べ物を屋根に投げた。
お陰で雨どいが凄いことになり、屋根に降りて掃除する羽目になったのだが、こんな事なら最初から器にでも入れてあげれば良かったと皆で浅はかな反省をしたりした。
猫の親子を巡って、無口だった社員達が皆様々な話をするようになっていた。
それまで仕事だけの繋がりでしかなかったのに、猫の家族と私達はあの時確かに不思議な連帯感で結ばれていた。
その年の秋は、とても幸せな季節だった。
猫達の気配を窓の外に感じながら仕事をし、時折窓の下で柘榴の落ちる音がして目をやれば、それを追い掛けて遊ぶ子猫達に癒された。
そこにはもう、血まみれの古戦場のイメージは何処にも無い。
だが当然ながら子猫達はそのうちだんだん大きくなって行き、どれが親猫か分からないくらいになっていった。
やがてその三角地帯の庭と屋根から一匹減り、二匹減りと、そのうちたまたま兄弟が屋根の上で鉢合わせるくらいの仲になって行った。
一匹は印刷所の前で車にはねられて死んでいた。
一匹は白いお嫁さんを連れてきた。もう一匹はふらりと旅に出たきりどうなったのか分からない。
だが相変わらず母猫はそれから何年かは企画室の床下で暮らしていたようだった。
そのうち企画室のメンバーも入れ替わり、窓の外を歩く猫達の顔触れも変わった。
そうやって、少しずつあの幸せな秋は想い出になっていった。
そして私も長年勤めていた印刷所を辞めた。
それから更に二十年が立った今でも、金木犀の香る秋になるとあの真っ赤な柘榴とそれに遊ぶ黒猫達を思い出す。
古い印刷所と黒猫と柘榴。
幸せな秋のひと時だけの思い出は、今も私の中で全く色褪せずそこにある。
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