天神さまの云ふとおり

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役者だねえ!

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外は既に引け四つ。今で言うところの真夜中の十二時過ぎの時刻。既に大門は閉じて外からの客もいなくなる頃合いだ。
遊郭の中では客と遊女がまだまだお愉しみの時刻であったが、新規の客は既に無く、格子の中の遊女達も店仕舞いだった。
今は色里を明るく照らしていた行燈の灯も消え、月明かりの中で蠢く捕り方達の揺れる提灯とその気配に源之助は二階の窓辺から目を凝らす。
何か大きな事件だろうか。例の義賊とやらがまた出たのだろうか。そんな事をふと思うと、少しだけ心が沸き立った。
悪どい金持ちの蔵から金を盗み出し、己は使わずにその殆どを貧しい庶民に撒き散らす。
盗賊には相違ないが、正義の鉄槌を下すような痛快さに皆こぞって胸を躍らせ、いつしか「紅天神」なる異名まで出来ていた。
あの有名な歌舞伎の大一番「白浪五人男」の弁天小僧菊之助はきっとこの「紅天神」がモデルになった…と言うのは作者の戯言。
まあそれはさて置きこの紅天神、次はどの屋敷を狙うのだろうかと町民は皆、毎夜手ぐすね引いて待ち侘びていたのだった。
そしていつか自分の家の木戸の前や軒先に小判が置かれてはいないものかと密かに夢をふくらませているのだった。
源之助はと言うと、己の屋敷がいつ狙われるかと思うと堪らなく愉快な気持ちになり、ククっと笑いに喉を鳴らす始末だ。
そんな時に部屋の襖がそっと開き、枕元に灯る行燈の薄明かりの中、遊女が入って来た。
源之助は窓から布団へと戻って来ると、煙草盆を引き寄せてカン!とキセルの雁首を竹筒に打ち付けを落とした。最後にふっとキセルを空吹かせて小桜を見た。

「何やら外の様子が騒がしいようだが、何かあったらしいな」

源之助のかけた言葉に小桜からの返答はなく、その代わりに源之助へとに座った形で恭しく三つ指を付いてコクリと頭を下げた。

「待ちかねたぞ小桜。引く手数多のお前の事だ、今宵もついた客は俺だけでは無かろうと思っていた。袖にされて最後の夜を侘しく独り寝かと思って居たが…、さあ早くこちらへ参れ」

いつもと様子の違う遊女が捩《もじ》りとしていると、源之助が焦ったいとばかりに腕を伸ばして華奢な肩を引き寄せた。
しなと遊女は源之助の胸に凭れて来たが、いつもの小桜と何処か様子が違う。伏せたその顔を覗き込むと、なんと小桜とは別人の遊女ではないか。

「お主、小桜では無いな?ああそうか、やはり小桜は別の客の元に行ったのだな?それでお前が姐《あね》さんの代わりにここに来たと言う事か?」

胸の中の遊女は尚も顔を伏せて頑なに源之助を拒んでいるようにも見える。顔を見たところ源之助が知らぬ顔の遊女である。
身を固くしている様子から、遊女になりたての新造だと思い源之助は優しく笑った。

「そう緊張せずとも良い。俺は新造好きだ。怒ってはおらぬ。寧ろお前の方が良いくらいだ」

売れっ子の太夫ともなると、一晩の客が四、五人つくと言うのも珍しくはない。いくら買ったと言えど客を選ぶのは遊女である。袖にされて文句を言うのは廓遊びでは野暮というもの。源之助はそこの所は良く分かっていた。他の遊女が代わりに来ただけでもマシというものだ。

「其方《そなた》、名は何というのだ?水揚げはもう済んでいるのであろう?」

水揚げされているならば男の経験はあるはずだ。
源之助は遊女の少し張りはあるが柔らかな首筋に口付けた。今まで嗅いだ事のない瑞々しい香りのする首筋。
唆られて襟の合わせに指先を忍ばせた。
と、その上から遊女の手が止めるように重ねられた。

「何だ、怖いのか?優しくするぞ?それでも怖いと言うなら一緒に寝てくれるだけでも俺は一向に構わぬが…其方を何と呼べば良いのだ?」



「………べ、紅…藤…」

随分躊躇しながらも、遊女は囁くような小さな声で己の名を告げた。その不慣れな様子が返って源之助を滾らせた。
これだから新造は堪らぬ。
源之助の指先が思わず胸元に深く差し入れられたその時だった。
廓の其処彼処《そこかしこ》から部屋の襖が乱暴に開かれる音や何人もの男達が土足で部屋と言わず廊下と言わず踏み荒らす物音が聞こえ、客と共寝をしていた遊女の悲鳴が湧き上がった。
御多分に洩れず、この部屋の襖も乱暴に開けられた。

「火盗改め方である!この廓に紅天神が逃げ込んだと言う訴えがあり罷《まか》り越した!部屋を改めさせてもらう!」

三人の捕り方が不躾にもなだれ込んできた。
思わず胸にしがみついた紅藤が目を見開いて源之助を見上げると二人の視線が不思議な間合いで交差した。
その眼差しが源之助に助けを求め、嫌がる素振りで微かに微かに嫌々と首を横に振っているように見えた。
咄嗟に源之助は火盗改めらに向かって声を張り上げていた。

「無礼者!私は直参旗本小十人組永守祐之進が弟、永守源之助である!ここに怪しい者などはおらぬ!このような所にまで押しかけるとは無粋極まりない!さっさと出て行け!」

源之助は生まれて初めて己の地位を利用した。いや、兄の威光を振り翳した。
火盗改めとてお役目でやっている事。何かのっぴきならぬ事情を抱えた紅藤を庇わんが為、それを重々承知の上での恫喝だった。

「こ、これは永守様っ!そうとも知らずなんたる無礼を…!どうかお咎めなきようっ!」

火盗改めとは言え、踏み込んできたのは下っ端役人だった。平身低頭、畳に額を擦り付けんばかりに三人の男達は平伏している。顔色も心なしか青かった。

「見ての通りここにはこの遊女と私だけだ。これで其方らの疑いも晴れたろう。この件は不問に伏す故、さっさと立ち去れ!」

最後の一押しであたふたと男達は啄木鳥の如くペコペコと頭を下げながら部屋を後にして行った。

「…ふん、ホントに不躾であったな。大丈夫か紅藤」

閉まる襖に毒づいて、源之助は紅藤に改めて向き直った。

「か、かたじけのう存じます。では、これにて失礼っ!」

そう言うと、紅藤はそそくさと慌てた様子で源之助の胸からするりと離れて立ちあがる。
これに驚いた源之助は、「これ!」と紅藤の手首を掴んで引き戻した。

「ここまで庇ったのだ。訳ぐらい話してから行け!それに…お主は男であろう。胸の膨らみでわかったぞ」

「!!!」

紅藤の慌てたもう片方の手が胸元を掻き集め、あろうことか着物の裾を乱して源之助を蹴り上げて来た。
筈だったが上手いこと源之助は身を翻し、紅藤は布団の上に倒れ込んでしまった。

「くそっ!バレちまったんじゃしかたねえ!俺を捕り方に突き出すなり、煮るなり焼くなり好きにしろっ!」

今度は開き直って胡座を掻いて腕捲り。
あまりに堂々とした様子に源之助は驚いた顔で笑い出した。

「アハハハ!お前たいした役者だな!紅藤、いや、紅天神!…そうなんだろう?」
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