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活きちゃあいない俺
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「止めたら…」
汗濡れた素肌に薄い襦袢だけを纏わせたまま仰向けて足を組み、天井を見上げながらそう言った紅天神、今度はくるりと源之助の半身にうつ伏せに寝転がり、まるで良いことでも思いついたように顔を上げた。
「気が進まないならやめたら良いんだ。そのご息女とやらは俺よりも美人なのかい?」
源之助が笑いに肩を震わせながら紅天神の髪を撫でた。
「さあな、どんな顔かも俺は知らんよ。俺よりも七つ上で痩せ細った醜女《しこめ》だと誰かが余計な噂話をしておったが…俺にはどうでも良いことだ…多分、お前の方がずっと美人だろうよ」
美人と言われて嬉しげに、源之助の肩をそっと甘噛みし、そこに執着するように頬擦りをする。
「顔も知らない年増の醜女なんて、なんでそんな女となんか結婚するんだい?」
問われて暫く源之助はぼんやりと天井を見上げ、やがてため息と共に口を開いた。
「…そうだな。オレは概して無役の閑人だ。穀潰しだと陰口叩かれたとて痩せても枯れても二本差し。時にそれがどれほど苦痛かお前はわかるまいが、家督が継げるのは長男のみだ。家を建てねば女房を娶るも叶わず適当な女中をあてがわれ、一生うだつの上がらぬ籠の鳥。
道場を開けるような剣の天賦も無く、さりとて何かの才があるでなし、オレは一生兄貴の厄介者で終わるはずだった。
所がどっこい、同じくお旗本の加納清右衛門殿の御長女が、近頃出戻って来たと言う。加納家とは同じ旗本、家格も釣り合うし石高に至っては向こうが上だ。その上有り難くもこの俺を婿にしてくださるっていう話が持ち上がったのだ。
無論、そこに至るには兄が方々に陰に陽にと鼻息《びそく》を伺いながら漸く整えた縁組なのだ。破談にすれば兄の顔が立たぬ。無碍には出来ん。
だが考えてみろ。この穀潰しが一本立ち出来るのだ。めでたい以外あるまいよ…」
ふうん、と紅天神はつまらなそうに相槌を打つと、枕元に置かれたギヤマンの水差しに手を伸ばす。吸い口から直に己の口へと水を注ぎ入れ、ごくりとそれを嚥下した。
「とどのつまりはアンタは本当の愛し愛されってもんを知らねえまま死んでいくってことかい。…そんなのアンタは生きていても活きちゃあいない」
紅天神の言葉に一刀両断、切って捨てられた。
だがそうなのだろう。廓で囁かれた数多の睦言など所詮は仮初。婚儀を結んで夫婦になったとて、それもまた心を持たぬ仮初の愛。
源之助は言い返そうにも二の句が告げず、悔し紛れに今度は己から問うてみた。
「ならお前はどうだ?義賊だ天神様だと囃されてはいるが、明日をも知れぬ身の上だ。逃げ回った挙句に切って捨てられても文句は言えん。そんな暮らしが面白いか?」
「……アンタよりはマシだ。少なくとも俺にはやり遂げたい事があるのさ」
そう言うと、紅天神は源之助の唇に伸び上がり、欲しがるように口付けた。
しっとりと熱く、蕩ける程に甘やかな、これを愛しいと言うならばきっとそうなのだろう。源之助、齢三十にして初めて知った人並みの悦びだった。
「やりたい事とはなんだ?これほど痛快に生きて他に何が欲しいのだ」
二人布団の上に俯けて寝そべり、肩同士をくっつけ付け、互いの脚を絡ませあって、一時の甘い戯れの中で紅天神は己の秘密を打ち明けた。
「俺はまだ乳飲みの頃に願大寺と言う寺の門前に捨てられた。そこで乳母をあてがわれ、育ててくれたのがその寺の阿是妙様と言う方だった。
最初は寺の門前小僧から始まって、九つの頃からは寺小姓として行儀作法から、学問まで一通りの事は身につけさせて下さった。無論のこと、そこで衆道の手解きを受け、美しかった俺は僧侶達にめっぽう可愛がられた。皆良い方々ばかりで俺は幸せ者だと思っていた。
だがある日、寺にお前達のような旗本だという何処ぞの侍がやって来て、俺を無理矢理に寺から連れて出そうとしたのだ。それを無体だと阿是妙様が引き止めてくださったのだが、旗本の御武家様に手向かいしたと言われて斬り殺されたのだ。侍は切り捨て御免。坊主一人切ったところで何の咎も無い。だがそいつは念のいった事に口封じのためか夜中に寺に火を放ったのだ。寺に居たのは年端も行かぬ子供や僧侶達、下働きも含めれば十人あまり。夜中にこっそり散歩に出ていた俺を除いて皆煙に巻かれて死んでしまった。寺の火の不始末。結局そう言うことにされたのだ」
紅天神の余りの話に源之助は怒りに震えた。旗本と言えどそんな所業が人として許されようか。
「その旗本とはいったい誰なのだ…!」
「……分からない。ただお供の者は殿様とその男のことを呼んでいた」
殿様と言われる身分は一万石以下の御目見以上の旗本か大名だ。確かに何処かの旗本かも知れない。
「他に何が憶えている事はないか」
源之助が憤った声を震わせた時、カタン、と襖の向こうから小さな音が聞こえた。紅天神は瞬時に身を固くし、源之助は耳をそば立てた。
どうやら廓の若い衆が廊下の行燈の油を足して回っているようだ。二人はほっと緊張を解いて顔を見合わせた。
紅天神は更に声を低めて囁いた。
「……家紋を覚えてる。丸に違い鷹羽だった」
「違い鷹羽…?武家屋敷を狙うのは、その旗本の男を狙ってのことか」
「探してるんだ。その男を…。俺の復讐を遂げるために。……金を盗んでいるのはそのついで。金を撒くのは世のため人のためというものだ」
不敵に笑うその顔は、確かに今を生きている男の美しい顔《かんばせ》であった。
源之助は世間の浮ついた噂の紅天神では無く、本当の紅天神を知ったのだ。
「なあ、これが今生の別れと思って、もう一度俺を…」
「一生分、抱いてやる…」
二人はもう一度、これが最後と熱い肌と心を重ね合った。
今生の別れ——。
束の間出逢って、愛して、別れて行く。そんな運命《さだめ》の二人だった。
汗濡れた素肌に薄い襦袢だけを纏わせたまま仰向けて足を組み、天井を見上げながらそう言った紅天神、今度はくるりと源之助の半身にうつ伏せに寝転がり、まるで良いことでも思いついたように顔を上げた。
「気が進まないならやめたら良いんだ。そのご息女とやらは俺よりも美人なのかい?」
源之助が笑いに肩を震わせながら紅天神の髪を撫でた。
「さあな、どんな顔かも俺は知らんよ。俺よりも七つ上で痩せ細った醜女《しこめ》だと誰かが余計な噂話をしておったが…俺にはどうでも良いことだ…多分、お前の方がずっと美人だろうよ」
美人と言われて嬉しげに、源之助の肩をそっと甘噛みし、そこに執着するように頬擦りをする。
「顔も知らない年増の醜女なんて、なんでそんな女となんか結婚するんだい?」
問われて暫く源之助はぼんやりと天井を見上げ、やがてため息と共に口を開いた。
「…そうだな。オレは概して無役の閑人だ。穀潰しだと陰口叩かれたとて痩せても枯れても二本差し。時にそれがどれほど苦痛かお前はわかるまいが、家督が継げるのは長男のみだ。家を建てねば女房を娶るも叶わず適当な女中をあてがわれ、一生うだつの上がらぬ籠の鳥。
道場を開けるような剣の天賦も無く、さりとて何かの才があるでなし、オレは一生兄貴の厄介者で終わるはずだった。
所がどっこい、同じくお旗本の加納清右衛門殿の御長女が、近頃出戻って来たと言う。加納家とは同じ旗本、家格も釣り合うし石高に至っては向こうが上だ。その上有り難くもこの俺を婿にしてくださるっていう話が持ち上がったのだ。
無論、そこに至るには兄が方々に陰に陽にと鼻息《びそく》を伺いながら漸く整えた縁組なのだ。破談にすれば兄の顔が立たぬ。無碍には出来ん。
だが考えてみろ。この穀潰しが一本立ち出来るのだ。めでたい以外あるまいよ…」
ふうん、と紅天神はつまらなそうに相槌を打つと、枕元に置かれたギヤマンの水差しに手を伸ばす。吸い口から直に己の口へと水を注ぎ入れ、ごくりとそれを嚥下した。
「とどのつまりはアンタは本当の愛し愛されってもんを知らねえまま死んでいくってことかい。…そんなのアンタは生きていても活きちゃあいない」
紅天神の言葉に一刀両断、切って捨てられた。
だがそうなのだろう。廓で囁かれた数多の睦言など所詮は仮初。婚儀を結んで夫婦になったとて、それもまた心を持たぬ仮初の愛。
源之助は言い返そうにも二の句が告げず、悔し紛れに今度は己から問うてみた。
「ならお前はどうだ?義賊だ天神様だと囃されてはいるが、明日をも知れぬ身の上だ。逃げ回った挙句に切って捨てられても文句は言えん。そんな暮らしが面白いか?」
「……アンタよりはマシだ。少なくとも俺にはやり遂げたい事があるのさ」
そう言うと、紅天神は源之助の唇に伸び上がり、欲しがるように口付けた。
しっとりと熱く、蕩ける程に甘やかな、これを愛しいと言うならばきっとそうなのだろう。源之助、齢三十にして初めて知った人並みの悦びだった。
「やりたい事とはなんだ?これほど痛快に生きて他に何が欲しいのだ」
二人布団の上に俯けて寝そべり、肩同士をくっつけ付け、互いの脚を絡ませあって、一時の甘い戯れの中で紅天神は己の秘密を打ち明けた。
「俺はまだ乳飲みの頃に願大寺と言う寺の門前に捨てられた。そこで乳母をあてがわれ、育ててくれたのがその寺の阿是妙様と言う方だった。
最初は寺の門前小僧から始まって、九つの頃からは寺小姓として行儀作法から、学問まで一通りの事は身につけさせて下さった。無論のこと、そこで衆道の手解きを受け、美しかった俺は僧侶達にめっぽう可愛がられた。皆良い方々ばかりで俺は幸せ者だと思っていた。
だがある日、寺にお前達のような旗本だという何処ぞの侍がやって来て、俺を無理矢理に寺から連れて出そうとしたのだ。それを無体だと阿是妙様が引き止めてくださったのだが、旗本の御武家様に手向かいしたと言われて斬り殺されたのだ。侍は切り捨て御免。坊主一人切ったところで何の咎も無い。だがそいつは念のいった事に口封じのためか夜中に寺に火を放ったのだ。寺に居たのは年端も行かぬ子供や僧侶達、下働きも含めれば十人あまり。夜中にこっそり散歩に出ていた俺を除いて皆煙に巻かれて死んでしまった。寺の火の不始末。結局そう言うことにされたのだ」
紅天神の余りの話に源之助は怒りに震えた。旗本と言えどそんな所業が人として許されようか。
「その旗本とはいったい誰なのだ…!」
「……分からない。ただお供の者は殿様とその男のことを呼んでいた」
殿様と言われる身分は一万石以下の御目見以上の旗本か大名だ。確かに何処かの旗本かも知れない。
「他に何が憶えている事はないか」
源之助が憤った声を震わせた時、カタン、と襖の向こうから小さな音が聞こえた。紅天神は瞬時に身を固くし、源之助は耳をそば立てた。
どうやら廓の若い衆が廊下の行燈の油を足して回っているようだ。二人はほっと緊張を解いて顔を見合わせた。
紅天神は更に声を低めて囁いた。
「……家紋を覚えてる。丸に違い鷹羽だった」
「違い鷹羽…?武家屋敷を狙うのは、その旗本の男を狙ってのことか」
「探してるんだ。その男を…。俺の復讐を遂げるために。……金を盗んでいるのはそのついで。金を撒くのは世のため人のためというものだ」
不敵に笑うその顔は、確かに今を生きている男の美しい顔《かんばせ》であった。
源之助は世間の浮ついた噂の紅天神では無く、本当の紅天神を知ったのだ。
「なあ、これが今生の別れと思って、もう一度俺を…」
「一生分、抱いてやる…」
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