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宮殿からの脱出

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侍従達に囲まれながらラムランサンを抱いたノーランマークはムルムの間へと急いでいる途中、一緒についてくるロンバードが押し殺した声でノーランマークに耳打ちした。

「ノーランマーク!ここでお医者様はマズイです。女性じゃないとバレてしまいます!」
「そんな事を言ってる場合か!ラムが倒れたんだぞ!」
「大丈夫です、神託中には稀にある事ですから、私がなんとか致します!
その角で左に曲がってください!」
「は?!」
「いいから!曲がって下さい!早く!」

半信半疑のノーランマークの背中をロンバードは老人とは思えない力強さで突き飛ばした。

「わっ!何するロンバード!ラムを落っことしちまうじゃねえか!」
「良いからとっとと行く!」

ノーランマークはよろけるように左の薄暗い廊下の方へと走り込んだ。
予期せぬ行動に慌てたのは侍従達だ。

「えぇ?!あのっ!占い師様!そちらではございません!占い師様お待ちを!」

侍従達はノーランマーク達を血相変えて追いかけてくる。
ノーランマークもロンバードも足は早かったが、侍従達も負けてはいなかった。
こうして宮殿の廊下を男達の追いかけっこが始まった。
複雑に入り組む宮殿の廊下を何故か難なく誘導して行くロンバードをノーランマークは不思議に感じたが、今はそんな事を気にしている場合ではない。

「ロンバードさん!車っ!車回してあります!」

走って走った廊下のどん詰まり、宮殿の裏口らしき所でイーサンが大袈裟に両手を振り回しながら待ち構えていた。
出入り口に横付けされた派手な赤い車が見え、それを目掛けて三人はイーサンが開いた扉へと飛び込んだ。
いち早く運転席に乗り込んだロンバードがエンジンを掛けた直後、ぜいぜいと息を切らした侍従達が追いついたが後の祭りだ。

「あのっ!お、お待ちください…!ど、ど、どちらへ…っ」

ヨロヨロの侍従達にロンバードが運転席の窓から顔を出すとこんな状況だというのに余裕綽々で会釈した。

「すみませんねえ、お疲れ様でした。
本日はこれにて失礼致しますが、王子様方にはよろしくお伝え下さいませ」

それだけ言うと、キャン!とタイヤを鳴かせて勢いよく発進して行く赤いマセラティ。
タイヤのゴムが焼ける臭いの漂う中で、追いかける余力を失った侍従達は唖然とした顔でそれを見送った。


「おい、ロンバード!どういう事だ?」

唖然としていたのはノーランマークも同じだった。
遠ざかる侍従達をラムを膝に抱えたノーランマークは後部座席で見送った。

「念には念をですよ。ラム様のお守りをするにはこのくらい用心深くないといけませんからね。
万一何かあった時のためにイーサンに車を用意させておきました」
「クソっ!流石だな、脱帽だぜ!じいさん。
宮殿の廊下もやけに詳しかったが…もしかしてさっきのは便所に行ってた訳じゃなかったのか?」

ノーランマークはさっきの下らない目くそ鼻くその喧嘩の事を思い出していた。

「じいさんは余計です!
貴方のように目の前の事で手一杯ではラム様をお守り出来ませんからね。
こう言う所を身につけていただかないと、私の後継者としては失格です!」
「おいおい、ちょっと待て!誰が後継者になるって言ったよ!
俺は執事になんて向かねえってずっと言ってるだろうが!」
「向く向かないの問題じゃありませんよ。
不本意ながらラム様が貴方を伴侶とした以上、遠からず貴方がラム様をお守りしなくてはならないのですからね。もっと自覚して頂きませんと!」

反論しようにも確かにロンバードの言う通りなのだ。
ラムランサンの家系は世界の運命を裏から握ってきたタカランダ神の神官の家系だ。
そして代々、その宗主ただ一人のみにご神体である『神託の輝石』が宿るとされている。
だが、神官の家系は今やラムランサンただ一人残し陰謀や暗殺によって途絶えてしまていた。
否応なく、この歳若い宗主の腹の中には『神託の輝石』が宿っている。
ラムランサンは例え命の危険が伴っても、人々の為に神託を行うのは自分の宿命であり使命だと言っていた。
先祖が命を賭して守ってきたものを簡単には捨てるわけには行かない。だから、泥棒のノーランマークとは人生を共にすることは出来ないと、神とノーランマークの間で随分と苦しんでいた。
茨の道と分かっていながら、何故その道を選ぼうとするのか、何故素直に自分を選んではくれないのか、出会ったばかりの頃はノーランマークには理解できなかった。
今だって理解しているわけではないが、そんな苦しい思いを乗り越えて自分を選んでくれたラムランサンの事は、自分の命をかけて守るとノーランマークは城が崩れたあの時、固く胸に誓ったのだ。

「例え執事にならなくても、もう少し慎重に考えて行動するべきだった」

ノーランマークにしては随分としおらしい言葉だ。
いつも強気なラムランサンの瞳は今は固く閉じられ、弱々しくまつ毛が震えている。
普段よりも一層透けて見える青白い肌や線の細さが今にも壊れてしまいそうで、腕の中のラムランサンを見つめていると、ロンバードに反論する一分の隙も無いと思えるのだった。





「なにぃ?!帰っただとぉ?!なぜ帰したんだ馬鹿者どもが!」

宮殿ではイェハーンが大激怒で侍従達を叱責していた。

「私どもも全力でお止めしたのですがっ、、」

必死に身を縮こませて言い訳する侍従達を一瞥し、イェハーンは吐き捨てるように怒鳴った。

「もういい!役立たず共め!下がっておれ!」

そう言われてすごすごと侍従達は控の間へと下がっていった。
部屋では熱り立った兄とオロオロしている弟が残された。

「ど、ど、どうしようイェハーン兄さん、あの娘ボクの何を見たんだろう!まさか、まさかまさかまさか…!」
「落ち着けタシール!どうやらあの占い師は本物だったようだな。見た目だけのインチキ占い師かと思ったが…、まったくお前は脳味噌までお喋りのようだな!」


「こ、こ、殺そうか…」

青い顔で怯えた様子のタシールが切羽詰まった顔で呆然と呟いた。
そんな物騒な弟の呟きに動じる事なく、イェハーン王子は顎髭を撫でながら目をうっそりと細めた。

「勿体ない。絶世の美女をただ殺してしまうのは惜しくはないか?」
「え?…じゃ、じゃあ兄さんは…あの娘を…?」

そう言うタシール王子に何も答えない事が答えのように、二人は企む顔を見合わせた。

「だがその前に何を見たのか確かめたい」

そう言うとイェハーン王子は控えの間に詰めている侍従達に向かって叫んだ。

「ーー直ぐにあの男を呼べ!」

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