理髪店の男

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墓参りの呪い 編

part.4

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冬の夜は早い。午後三時ともなると既に山の端には低い西日が差し込み、町を取り囲むような白雪の山並みを残照が赤く染めていた。
路肩の積もる雪の間からは、枯れ薄《すすき》の群生がダラダラとした坂道の脇にびっしりと生え、冬枯れの立木の影が、薄らと積もった雪道に長くその影を落としていた。二人はそれを踏み締めながら緩い坂をここまでゆっくりと登って来たのだった。

「秋山家の墓ってとこは随分辺鄙な場所ににあるんだなあ」
「田舎の墓なんて皆んなそんなような物ですよ」

会話を交わす二人の白い息が舞い上がる。
駅前から外れてくると、民家はどんどん少なくなる。
通りすがりの無人販売所に花でもあればと思って覗いたが、生憎この季節柄、南瓜や白菜などが申し訳程度置いてあるだけだった。それがまた一層寒々しさに拍車をかけた。

「ここです」

秋山の足が止まる。前方を見れば少し小高くなった場所に、大小様々な形の墓石が固まるようにして何基か連なって立っていた。その頭には雪の綿帽子をかぶり、墓参りも久しい事が伺えた。
寺があって、その中に墓地が整然と並んでいるのを想像していた八神は少々面食らった。

「寺とかは無いのか?」
「町の方にありますよ。秋山家ってのは古いらしくて、昔はこの辺りに住んでいたらしいです。この辺りは家の近くにそれぞれ墓を立てるのが日常だったらしくて、こんな山道に突然墓が出て来たりするんですよ。この墓はみんな秋山の家の親戚達です」

そう言うと、秋山は一つの墓の前で足を止めた。墓の上の雪を払い、被っていたニット帽を取るとポケットに突っ込む。
月日を重ねた佇まいを見せる墓の前に立ち、懐かしげな眼差しを墓へと注いだ。
こんな裏寂しい場所に秋山の父親は眠っている。

「帰ってきたよ、父さん。遅くなってごめん」

秋山は線香に火をつけ供え、ポケットから煙草の箱を取り出すと、中から一本取り出して火をつけるとそれを線香と共に立てた。

「煙草吸う人だったのか。親父さん」
「趣味も何も無い人で酒すら飲まなかったけど、煙草は好きだったんです」

そう懐かしそうに話す秋山の視線は立ち上っていく煙を見つめ、手を合わせて暫く何かを祈っていた。八神も秋山の隣で一度も会ったことのない秋山の父親に祈りを捧げた。

「好きだったんだな、親父さんの事」
「そうですね、好きでしたよ。僕には優しかった。でも…親戚が沢山眠るこの場所は随分と父には肩身が狭いでしょうね」

以前秋山から一度聞いた事がある。彼の父親は離婚をし、秋山を男で一つで育てた事を。そして実家に相当借金を残し若くして亡くなった。そんな話しだった。
さっき、同級生がいやらしい含み笑いをしていたのも、それと関係があるのだろうか。
日没を迎えると辺りは急速に冷え込んで来た。あと三十分もすればすっかり足元は暗くなるだろう。二人は簡単ではあったが墓参りを終え、町灯りに向かって歩き出していた。

「寒いだろう先生。手、貸せ」

口数の少なくなっていた秋山の手を八神が急に握って来た。

「…や、八神さん、、あのっ、」

周りを気にするように手を引っ込めようとするその手を、八神は自分のコートの中に突っ込んだ。

「誰も見てねえよ。この坂の下に着くまであっためてやる」

ポケットの中で繋ぐ手は八神の心のように温かいと秋山は思った。
こんな時、秋山はこの男には絶対に敵わないと思うのだった。
このまま永遠にこの坂道が続けば良い。秋山は自然と八神の手を握り返していた。
もし今、八神に求められたらと思う。その時自分はきっと一線を越えてしまうだろう。そんな予感が走るのだった。

ホテルの部屋へ戻ると、一つしかないセミダブルのベッドの存在に気圧される。
先にシャワーを浴びる事になったが、リラックス出来るはずの時間も、八神と居ると思うと何故か緊張感を強いられた。
まだ二十歳の頃、初めて女の子とホテルに来た時のような懐かしい緊張感だった。
幸いと言う言葉が適当かどうか分からないが、八神が押し入ってくることは無く、秋山は早めに切り上げると、脱衣所でもテキパキと着替えを済ませた。
下手くそな鼻歌が聞こえて秋山は脱衣所から顔を覗かせ部屋を見た。
八神はと言うと、秋山のこんな気持ちも知らずに、呑気に冷蔵庫から備え付けのウィスキーなどを取り出してみたり、テレビチャンネルを忙しく変えたりしている。

「八神さんて不思議な人だな。こう言うチャンスの時には手を出してこないんだよな」

まるで何かを期待しているような自分の口振りに、自らが照れて顔を赤くし、照れ隠しにガシガシと髪を手荒く拭いていた。
ひとしきり髪を拭き終わって顔を上げると、正面の鏡に裸の八神が己の背後で仁王立ちしているのが写っている。

「わあっ!!や、八神さんっ!驚くじゃないですかっ!」
「何を驚く。もう幽霊なんて見ねえよ。墓参りも無事に済んだし、これで親父さんも安心したろうよ」

そう言うと洗い立てでクシャクシャな秋山の頭を、大きな手が更にグシャグシャとかき混ぜた。
風呂場に去って行く背中を眺めるにつけ、八神の身体はいつ見ても逞しいと惚れ惚れする。
別段鍛えているわけでもないのに羨ましいと秋山はいつもちょっとした劣等感を覚えてしまう。
八神と対峙していると、自分だって男で、征服欲だってある筈なのに、どういうわけか受ける自分を想像してしまう。逆に受ける八神を想像できないとも言えるのだが。
理髪師のくせに、普段の自分の髪は無頓着だ。生乾きのまま、広々としたセミダブルへと四肢を投げ出し寛いだ。
やはり、ここまでの運転は疲れたのだろう。テレビの小さい音量が子守唄のように、秋山の眠りを誘っていた。

真夜中、ぼんやりと秋山は目を覚ました。いつの間にかテレビの音は消え、部屋は暗くなっていた。
隣を見ると、己に腕枕をするように八神が眠っている。
ホストをしていたくらいだから、当然顔立ちは精悍で丹精。こうして眠っている顔をじっと見ていると、ポケットの中で繋いだ手の感触を思い出す。
照れが先立って八神を冷たくあしらうこともあったが、秋山は十分、八神に惚れていた。

「貴方が好きですよ、八神さん」

八神が起きていたらとても真っ向から言えない台詞も、今ならスラスラ言えた。
秋山は眠る八神にそっと口付けを落とし、再び八神の懐で眠りの続きを貪った。
夜が開ければこの帰省で最大の難関、本家への顔出しが待っているのだ。
今だけは、そんな煩わしさも忘れて八神の温もりに包まれていたかった。

真夜中過ぎ、雪は静かに燦々と、この小さな町の上に舞い降りていた。


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